第36話「それでも姉は、全て姉」
僕たちは混乱の中で
カーボノイドとは、
そう、彼女もまた自分を僕の姉と名乗った。
だが、我に返った僕はすぐに行動を選択した。
「くっ、死なれちゃ困るんだ!
僕は
出血を見るに、相当の深手を負っているようだ。適切に処置しなければ、命に関わる。そして、目の前で死んでゆく人間を見過ごせるようには育ってないんだ。
それが
すぐに翠子姉様も駆けつけた。
「止血しましてよ!
「姉様、これを!」
僕はすぐに、浴衣をもろはだ脱いで切り裂く。
上半身が裸になると、夜の風は驚くほどに冷たい。
翠子姉様はすぐにその布切れを受け取り、愁を手当てし始めた。
凄い……手慣れている。
それに、姉様はなんて精神力の強い人なんだ。
愁はかつて、姉様を
他ならぬ愁自身が驚いているようで、苦しげに
「う、うう……
「黙ってて
「そこは……軽傷だとか、傷は浅いぞ、とか……」
「お黙りなさいな、死なせはしないわ。死なせてなるものですか!」
それは僕も同じ思いだった。
でも、そんな自分を突き刺し貫く視線がある。
ふと顔を上げれば、先程の
その薄い
「麟児、それ……敵、だよ? 麟児を傷付けた。私、麟児を守る……そのためにずっと、封印されてきた。麟児の声、届いたから、目覚めた」
とても
先程までの、機械的な合成音ではない。
ただ、以前にもまして冷たい氷のような声色が僕に突き刺さる。
「麟児、どいて……トドメ、ささないと」
「待って! 待ってよ、零号。君は、僕の姉なの?」
「そう、だよ? 私は、姉。だから、麟児、守る」
「僕はもう大丈夫! ええと……零号、姉さん? で、いいのかな」
僕の「姉さん」という言葉に、零号は僅かにはっとした顔を見せる。そして、少しだけ白い
それも一瞬のことで、でも確かに……彼女は感情を表に出した。
嬉しかったんだと思うし、そう考えると無下にはできない。
でも、愁に脅かされてる僕たちの全員が、多分愁の生存を望んでる。
人の死を望むことはさもしいことだと、小さい頃から翠子姉様に教えられて育ってきたからだ。それは今思えば、立場を隠した母の優しさ、厳しさだったと思うんだ。
「うん、うんっ! 私は、姉さん。任せててね、麟児。そいつ、片付けるから」
「だ、駄目だっ! もういい、勝負はついたんだ。愁だからって、殺さなくていいんだ」
思わず僕は、零号の前に立ちはだかった。
けど、すぐに足元がふらつく。
もう、立ってるだけでやっとだった。
そんな僕をすり抜け、零号は倒れ込む愁へと再び
間髪入れずに声が走って、次いで手が飛んできた。そう、
「ちょっちターイムッ! りんりーも言ってるじゃんかよー! あと、『姉さん』はあたしちゃんのもんだし? まあ、一緒にお姉さんするなら、まずは落ち着こうじぇ!」
ケーブルの先で、なんとか立ち上がった姉さんが身構えている。その手が、今まさに愁を殺そうとする零号を止めてくれた。
振り向く零号は、
本当に、幼い子供がなんでも知りたがるような仕草だった。
「
「敵だなんて、とんでもねーってばよ! あたしちゃんは姉、姉さん! ……やめてくれるなら、一緒に姉さんやるの手伝うし? 姉さんのなんたるかを、教えてあげるし、さあ」
「……邪魔。そんな旧式のポンコツじゃ、私には勝てない」
零号は、立つのもやっとという雰囲気の華凛姉さんを
思わず逃げてと叫んだ時には、もう遅かった。
零号は姉さんのロケットパンチを握り返すや、そのケーブルを強引に引っ張った。よろけて体勢を崩したまま、倒れた華凛姉さんが引きずられる。
でも、姉さんは……零号の腕を放そうとしない。
やっぱり姉さんも放っておけないんだ。
「やめて、零号! 僕は大丈夫だし、その人も僕の姉さんだよ! 大事な人なんだ!」
「大事な、人? 大切、な? ……ふふ、おかしな麟児。これは機械だよ」
「違うっ! ロボットだけど、僕の大切な姉さんなんだ!」
咄嗟に、倒れていた楓夜お姉ちゃんが飛んでくる。お姉ちゃんは「ごめんっ、ごめんだよぉ~!」と泣きそうな声で、華凛姉さんの腕のケーブルを切った。
けど、その時にはもう……零号は二人の姉へと襲いかかっていた。
「やっべー! 楓夜っち、逃げて!」
「む、無理だよぉ! 華凛ちゃんを置いてなんて」
「いや、そういうのフラグだし! あたしちゃんは超合金製だから、平気だし!」
「っていうか、なにこの子! 全裸だし、麟児ちゃんの教育に悪い――きゃっ!」
あっという間に、華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんが蹴散らされてしまった。
そして、勝ち誇って振り返る零号の前に、また一人。
僕たちの前に立ちはだかるように、
「ね、ねえ……君さ、麟児の姉がやりたいの? そうなんだろう?」
「えっと……うん。私は姉さんだから、麟児の敵を殺すの」
「父さんに、そう言われたのかな? でも、もう大丈夫だから……そんなこと、しなくていいんだ」
「父さん……
千奈の姉貴は、ただの人間だ。
スポーツ万能で運動神経の
その姉貴が、たやすく零号にあしらわれる。
文字通り、
まるで
「お待たせ、麟児。すぐにそっちも片付けるね? 私、守るよ……麟児を守るの」
確か、愁は父の遺産をあれこれ探す過程で、カーボノイドを
そう、有機体の生命、生身の人間だ。
けど、その心は今、僕にはとても冷たく感じる。
そして、知ってる……確信している。
冷たく凍っていても、きっと心があるんだ。
「そうか、もしかして……
「そっちの小さいのも、
翠子姉様は、死が迫る中でも愁の手当てに集中していた。
その背中を任されたと思うと、僕はちゃんと零号に向き合った。
「姉さん。君は、僕の姉さんだ」
「うんっ。だから、任せてね? 悪いのは全部、ぜーんぶ、やっつけちゃおう」
「それは違うよ、姉さん。悪い人は、常にずっと、永遠に悪い人じゃないんだ」
「……そうなの? うう、難しい。ちょっと、わかんない」
「難しいかもしれないけど、今は僕の声を、言葉を聞いて。ね、零号」
「ううう、やだ! 約束、守るもん! 高定と約束したもん! それに……ずっと麟児は、心の声で私を呼んでてくれた。助けてって、私を求めてくれた!」
「
必殺の突きが繰り出されたら、多分僕ごと姉様を貫くだろう。メチャクチャだ、僕を守ると言いながら矛盾している。
でもわかった、零号は多分精神年齢はかなり低い……幼く無邪気なんだ。
だから、自分でも目的に合った手段を上手く選べてない。
だったら、やっぱり弟として……家族として止めなきゃ!
そう思った時、僕の考えを拾って
「その通りだよ、麟児クン! さあ、一緒に姉を救うよ! ボクの妹なんだろうしね!」
先程、湖へと消えた季央ねえだ。
夜空に上がり始めた月を追い越し、その影を月明かりに刻んで飛んでくる。
拳を振りかぶる季央ねえの全身が、
光のその手が、広がって、そして放たれる。
それは零号ではなく、僕へと注いで全身を包んでゆく。
「これは……! 季央ねえっ!」
「麟児クン! H.E.R.O.スーツは覆う面積を自由に調整可能なのさ! だから、その力で零号を……ボクの妹を、包んであげて!」
僕はいま、スーツの光を全身に宿していた。
だから、そのまま零号を抱き締め、抱き寄せる。びっくりしたように、零号は身を震わせたあと……ゆっくりと手を降ろした。
僕から光が
それはまるで、光そのものでできたドレスのようだった。
「あれ? 麟児? 私は、姉さんは」
「もういいんだ、いいんだよ。僕の敵なんてもう、いなくなったから。それより……女の子が裸じゃ、いけないよ。ここは寒いから……ちゃんと服を着て、暖かくしよう」
「麟児? ……温かい。麟児がギューってしてくれるの、温かいね」
その時にはもう、僕の本音がダダ漏れの念話も力が切れていたと思う。
なにより、僕の体力が限界だった。
そのまま、意識が遠のき崩れ落ちてしまう。
暗転する世界の中、夜の闇に星と月。
僕は不思議と、もう大丈夫な気がしてそのまま気を失ってしまったのだった。
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