第36話「それでも姉は、全て姉」

 僕たちは混乱の中で呆気あっけにとられていた。

 カーボノイドとは、炭素繊維カーボンで造られた一種のアンドロイド、ロボットだ。それが、漆黒の表皮を脱いで今、瑞々みずみずしい柔肌やわはださらしている。ヘッドギアが固定されたような頭部も外れて、銀髪を揺らす精緻せいちな小顔が僕を見詰めていた。

 そう、彼女もまた自分を僕の姉と名乗った。

 だが、我に返った僕はすぐに行動を選択した。


「くっ、死なれちゃ困るんだ! 翠子スイコ姉様! あ、いや、母様? 母さん? それより今は」


 僕は咄嗟とっさに、倒れたシュウに駆け寄った。

 出血を見るに、相当の深手を負っているようだ。適切に処置しなければ、命に関わる。そして、目の前で死んでゆく人間を見過ごせるようには育ってないんだ。

 それが忌々いまいましい人間でも、放ってはおけない。

 すぐに翠子姉様も駆けつけた。


「止血しましてよ! 麟児リンジ!」

「姉様、これを!」


 僕はすぐに、浴衣をもろはだ脱いで切り裂く。

 上半身が裸になると、夜の風は驚くほどに冷たい。

 翠子姉様はすぐにその布切れを受け取り、愁を手当てし始めた。

 凄い……手慣れている。

 それに、姉様はなんて精神力の強い人なんだ。

 愁はかつて、姉様をけがし傷付けた人間なのに。

 他ならぬ愁自身が驚いているようで、苦しげにうめき出す。


「う、うう……何故なぜだ、女。私は……」

「黙ってて頂戴ちょうだい! ……思ったより傷は深くてよ。楓夜フウヤがいれば手当ても楽なのだけど」

「そこは……軽傷だとか、傷は浅いぞ、とか……」

「お黙りなさいな、死なせはしないわ。死なせてなるものですか!」


 それは僕も同じ思いだった。

 でも、そんな自分を突き刺し貫く視線がある。

 ふと顔を上げれば、先程の零号ゼロごうが不思議そうに僕を見詰めている。

 その薄いくちびるが静かに動いて、冷たい言葉が空気を震わせた。


「麟児、それ……敵、だよ? 麟児を傷付けた。私、麟児を守る……そのためにずっと、封印されてきた。麟児の声、届いたから、目覚めた」


 とても無垢むくな、透き通った声音こわねだった。

 先程までの、機械的な合成音ではない。

 ただ、以前にもまして冷たい氷のような声色が僕に突き刺さる。


「麟児、どいて……トドメ、ささないと」

「待って! 待ってよ、零号。君は、僕の姉なの?」

「そう、だよ? 私は、姉。だから、麟児、守る」

「僕はもう大丈夫! ええと……零号、姉さん? で、いいのかな」


 僕の「姉さん」という言葉に、零号は僅かにはっとした顔を見せる。そして、少しだけ白いほおに朱がさした。

 それも一瞬のことで、でも確かに……彼女は感情を表に出した。

 嬉しかったんだと思うし、そう考えると無下にはできない。

 でも、愁に脅かされてる僕たちの全員が、多分愁の生存を望んでる。

 人の死を望むことはさもしいことだと、小さい頃から翠子姉様に教えられて育ってきたからだ。それは今思えば、立場を隠した母の優しさ、厳しさだったと思うんだ。


「うん、うんっ! 私は、姉さん。任せててね、麟児。そいつ、片付けるから」

「だ、駄目だっ! もういい、勝負はついたんだ。愁だからって、殺さなくていいんだ」


 思わず僕は、零号の前に立ちはだかった。

 けど、すぐに足元がふらつく。

 もう、立ってるだけでやっとだった。

 そんな僕をすり抜け、零号は倒れ込む愁へと再び手刀しゅとうをかざす。

 間髪入れずに声が走って、次いで手が飛んできた。そう、パンチだ……けど、零号を殴りつけようとしたジェットの轟音は、なにかに気付いたように手を開いて腕を掴む。


「ちょっちターイムッ! りんりーも言ってるじゃんかよー! あと、『姉さん』はあたしちゃんのもんだし? まあ、一緒にお姉さんするなら、まずは落ち着こうじぇ!」


 華凛カリン姉さんのロケットパンチだ。

 ケーブルの先で、なんとか立ち上がった姉さんが身構えている。その手が、今まさに愁を殺そうとする零号を止めてくれた。

 振り向く零号は、うつろな瞳に華凛姉さんを映して小首をかしげる。

 本当に、幼い子供がなんでも知りたがるような仕草だった。


貴女あなたは……敵? 麟児の、敵?」

「敵だなんて、とんでもねーってばよ! あたしちゃんは姉、姉さん! ……やめてくれるなら、一緒に姉さんやるの手伝うし? 姉さんのなんたるかを、教えてあげるし、さあ」

「……邪魔。そんな旧式のポンコツじゃ、私には勝てない」


 零号は、立つのもやっとという雰囲気の華凛姉さんをにらんだ。

 思わず逃げてと叫んだ時には、もう遅かった。

 零号は姉さんのロケットパンチを握り返すや、そのケーブルを強引に引っ張った。よろけて体勢を崩したまま、倒れた華凛姉さんが引きずられる。

 でも、姉さんは……零号の腕を放そうとしない。

 やっぱり姉さんも放っておけないんだ。


「やめて、零号! 僕は大丈夫だし、その人も僕の姉さんだよ! 大事な人なんだ!」

「大事な、人? 大切、な? ……ふふ、おかしな麟児。これは機械だよ」

「違うっ! ロボットだけど、僕の大切な姉さんなんだ!」


 咄嗟に、倒れていた楓夜お姉ちゃんが飛んでくる。お姉ちゃんは「ごめんっ、ごめんだよぉ~!」と泣きそうな声で、華凛姉さんの腕のケーブルを切った。

 ドラゴンの爪が合金製のケーブルを引き千切り、華凛姉さんが解放される。

 けど、その時にはもう……零号は二人の姉へと襲いかかっていた。


「やっべー! 楓夜っち、逃げて!」

「む、無理だよぉ! 華凛ちゃんを置いてなんて」

「いや、そういうのフラグだし! あたしちゃんは超合金製だから、平気だし!」

「っていうか、なにこの子! 全裸だし、麟児ちゃんの教育に悪い――きゃっ!」


 あっという間に、華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんが蹴散らされてしまった。

 そして、勝ち誇って振り返る零号の前に、また一人。

 僕たちの前に立ちはだかるように、千奈チナの姉貴が両手を広げた。


「ね、ねえ……君さ、麟児の姉がやりたいの? そうなんだろう?」

「えっと……うん。私は姉さんだから、麟児の敵を殺すの」

「父さんに、そう言われたのかな? でも、もう大丈夫だから……そんなこと、しなくていいんだ」

「父さん……高定タカサダ? 高定は、麟児を守ってくれって。なら、敵を片付けなきゃ」


 千奈の姉貴は、ただの人間だ。

 スポーツ万能で運動神経のかたまりみたいな人だけど、普通の女の子なんだ。女の子で生きたいと思ってる、僕の大事な姉貴なんだ。

 その姉貴が、たやすく零号にあしらわれる。

 文字通り、鎧袖一触がいしゅういっしょくだ。

 まるでめてもらえると思ってるように、弾んだ足取りで零号は戻ってきた。


「お待たせ、麟児。すぐにそっちも片付けるね? 私、守るよ……麟児を守るの」


 確か、愁は父の遺産をあれこれ探す過程で、カーボノイドを手駒てごまとして手に入れたと言っていた。その零号が、実は人造人間であるアーキテクトヒューマンだった。

 そう、有機体の生命、生身の人間だ。

 けど、その心は今、僕にはとても冷たく感じる。

 そして、知ってる……確信している。

 


「そうか、もしかして……季央キオねえが言ってた、僕を狙ってる姉……まさか」

「そっちの小さいのも、る? ねえ、麟児。姉さんに言って、教えて? 敵は誰でも殺すし倒す、敵じゃなくてもいつか敵になるかもしれないし」


 翠子姉様は、死が迫る中でも愁の手当てに集中していた。

 その背中を任されたと思うと、僕はちゃんと零号に向き合った。


「姉さん。君は、僕の姉さんだ」

「うんっ。だから、任せてね? 悪いのは全部、ぜーんぶ、やっつけちゃおう」

「それは違うよ、姉さん。悪い人は、常にずっと、永遠に悪い人じゃないんだ」

「……そうなの? うう、難しい。ちょっと、わかんない」

「難しいかもしれないけど、今は僕の声を、言葉を聞いて。ね、零号」

「ううう、やだ! 約束、守るもん! 高定と約束したもん! それに……ずっと麟児は、心の声で私を呼んでてくれた。助けてって、私を求めてくれた!」

念話テレパシーのことか、でもそれは――」


 癇癪かんしゃくを起こした子供のように、零号が再び腰に手刀を引き絞る。

 必殺の突きが繰り出されたら、多分僕ごと姉様を貫くだろう。メチャクチャだ、僕を守ると言いながら矛盾している。

 でもわかった、零号は多分精神年齢はかなり低い……幼く無邪気なんだ。

 だから、自分でも目的に合った手段を上手く選べてない。

 だったら、やっぱり弟として……家族として止めなきゃ!

 そう思った時、僕の考えを拾ってぶ影があった。


「その通りだよ、麟児クン! さあ、一緒に姉を救うよ! ボクの妹なんだろうしね!」


 先程、湖へと消えた季央ねえだ。

 夜空に上がり始めた月を追い越し、その影を月明かりに刻んで飛んでくる。

 拳を振りかぶる季央ねえの全身が、H.E.R.O.ヒーロースーツが光っていた。そのまばゆい輝きが、握った手に集まる。全身のスーツが、拳にだけ集まってさらに光を膨らませた。

 光のその手が、広がって、そして放たれる。

 それは零号ではなく、僕へと注いで全身を包んでゆく。


「これは……! 季央ねえっ!」

「麟児クン! H.E.R.O.スーツは覆う面積を自由に調整可能なのさ! だから、その力で零号を……ボクの妹を、包んであげて!」


 僕はいま、スーツの光を全身に宿していた。

 だから、そのまま零号を抱き締め、抱き寄せる。びっくりしたように、零号は身を震わせたあと……ゆっくりと手を降ろした。

 僕から光があふれて、裸だった零号を包んでゆく。

 それはまるで、光そのものでできたドレスのようだった。


「あれ? 麟児? 私は、姉さんは」

「もういいんだ、いいんだよ。僕の敵なんてもう、いなくなったから。それより……女の子が裸じゃ、いけないよ。ここは寒いから……ちゃんと服を着て、暖かくしよう」

「麟児? ……温かい。麟児がギューってしてくれるの、温かいね」


 その時にはもう、僕の本音がダダ漏れの念話も力が切れていたと思う。

 なにより、僕の体力が限界だった。

 そのまま、意識が遠のき崩れ落ちてしまう。

 暗転する世界の中、夜の闇に星と月。

 僕は不思議と、もう大丈夫な気がしてそのまま気を失ってしまったのだった。

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