16

 白い十字架


「たくさんの秘密?」

「そうです。たくさんの秘密です」深雪は言う。

 田辺は少し考える。

「それは、たとえばあなたが僕の書いた、まだ誰にも見せたこともない、未発表の小説である天上の光を読んだことがある、ということも、そのたくさんの秘密のうちの一つ、ですか?」

 田辺は言う。

「ええ。そうですね。それも『たくさんの秘密』のうちの一つです」とコーヒーを一口飲んでから、にっこりと笑って深雪は言った。

「田辺さん。『私たちは今、どこにいると思いますか』?」

「どこにいる? どこにいるとはどういう意味ですか? 喫茶店の中にいる、という意味ですか?」

 あるいは、運命の中にいる、とでも言いたいのだろうか?

「違います。そういうことではなくて、……そうですね。田辺さんはこの世界に疑問を思ったことはありませんか? なにか違和感のようなものを感じたことはないですか?」

「毎日のように感じています」田辺は言う。

 そう言ってから、これではまるでカウンセリングのようだな、と思った。

 最初は、深雪が空想癖のある女性なのかと、思っていたのだけど、こうして話していると、どちらかというと田辺のほうが空想癖のある人間であるように思えてきた。(まあ、それはそれで、職業柄、悪いことではないのだけど)

 田辺は子供のころから、こうした疎外感を感じていた。

 自分だけが、どこかみんなと違う世界の中で生きているような、そんな違和感を感じて生きてきた。

 ……違和感。

 そう。違和感だ。

 確かに僕は、そうした違和感をずっと感じて生きてきた。

 その違和感を、僕は作品という形に昇華してきたのだ。ずっと。そして、きっとこれからも。

 田辺はふと、天井を見つめる。

 そこには、真っ白な喫茶店の天井があった。

 だから、空は見えない。

 窓の外は晴れている。

 田辺は、……青色の空が見たい、とそんなことをこのとき、なぜかとても強く、思った。


 ……ここまで読んだところで、美鷹は天上の光の本をぱたんと閉じた。

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鳥の巣(現代) 雨世界 @amesekai

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