番外編1 ある雨の日の煙らない2人

 なんでもない休日。俺は何をするわけでもなく、芽依さんの部屋で煙を吹かしていた。

 お付き合いを始めてから何度かお邪魔しているが、もはや自宅よりも落ち着くんじゃないかという具合の居心地良さを感じる。


「ふぅ……」


 短くなった煙草を吸い殻が山盛りになった灰皿に押し付けて、そのまま山の一員にする。

 伸びをしながらベッドに寄り掛かり、天を仰いで目を閉じると……ざーざーと心地よい雨音が耳を刺激する。


「平和だなぁ……」


 今は梅雨真っ盛りで連日雨ばかりだけど、室内で過ごす分には環境音を楽しめて悪いことばかりじゃない。

 こうやって何もしないをしながら雨音を聞いていると、眠くなって——


「私のほうはあんま平和じゃないんだけどね」


 ……きていたのだが、不満げな芽依さんの声が飛び込んできて俺は目を開いた。


「修羅場なんでしたっけ」


「そーでもないけど、ちょっとでも労働がある日は平和とは呼べないら……」


「たしかに?」


 首だけ動かして声の方を見やると、ジャージ姿の芽依さんがデスクに向かったまま悲しげにつぶやいていた。


「ヨシくん……真の平和はね、買ってもない宝くじで10億くらい当たって一生働かなくてよくなったとき訪れるんだよ」


「平和のハードルが高過ぎる」


 悲観的な言葉とは裏腹に真剣な様子でデスクの大きな液晶タブレットを見つめ、手を動かし続けている。


「……家で仕事できるってのも大変すねぇ」


「休まる時間は少ないね、仕方ないけど」


「メイドもやって家では絵描きっすもんね」


「二足の草鞋を履くものの宿命だぁよ……」


 そう、芽依さんは今イラストレーターとしての仕事をこなしている真っ最中だ。

 本当なら今日作業する気はなかったというので遊びに来ていたんだけど、先方の急な都合で納品が前倒しになってしまったらしい。


「なんか手伝えることあります?」


「んー……ないね」


「そりゃそうだ」


 聞くだけ聞いてみたが、今俺にできることは黙って煙草吸ってることくらいだろうよ。

 そんなこんなで煙草をくわえようと箱に手を伸ばすも……


「ありゃ、空だ」


 さっき吸ったのがラスイチだったようで、持ち上げたソレは空箱に変わっていた。


「芽依さん煙草ください」


 邪魔しないようにしようと思った直後に声かけるこはお恥ずかしいが……一度吸おうと思ったら吸うまで気が済まないのが喫煙者だ。


「ん、いいよ。んーっと——」


 一度手を止めてくれた芽依さんが、デスクの隅に置いていた煙草の箱に手を伸ばし……


「あれ? 私のももう無いや」


 無慈悲な事実を告げた。もうこの家には煙草が一本も存在しない……?


「買いだめもしてないし、完全にゼロだね」


 なんてこった……つまり煙草を吸うためには大雨の中最寄りのコンビニまで買いに行かなくちゃあならないのか。


「しゃーない、俺が買ってきます——」


「待ちたまえヨシくん。いい提案があるから聞いて」


 くるりと振り返った芽依さんが「ふふん」と得意げに微笑んでそう言った。


「今からゲームして勝負して負けたほうがコンビニ行くことにしようよ」


「はい? そんなんしなくても——」


「いいから勝負ー! 勝負しようよ! 勝負って名目でゲームしようよー!」


「遊びたいだけじゃん!」


 俺のツッコミを聞き流しながら、芽依さんは椅子から立ち上がってテレビの前へ。

 そしてテレビ台へ雑に収納されていたゲームのコントローラーを2つ手にとって俺の隣へ腰を下ろした。


「はいヨシくん」


「……受けて立ちましょう」


 どうあれ、芽依さんが遊びたいというのなら断る理由はない。息抜き程度にはなれるように全力でお相手仕ろう。


「何で勝負するんすか?」


「んー」


 コントローラーを受け取りながら尋ねると芽依さんは少し考えて——


「パズルにしよ。ヨシくん弱そうだし」


「む。聞き捨てなりませんね」


「ふっふっふ。私は勝つのが好きなんだよ」


 邪悪な笑みを浮かべ、芽依さんが手早く操作して立ち上げたのは……四角いブロックを積み重ねて消していく落ちもの系パズルゲーム。

 対戦モードの時は、自分の画面でまとめてブロックを消すたびに、相手にお邪魔ブロックが送られるって寸法だ。

 まったくやったことないわけじゃないが、あまり得意でもない。だからって——


「簡単には負けませんよ。俺も負けるより勝つのが好きですから」


「よろしい。負けるほうが好きとか言い始めたら変態マゾくんって呼ぶところだったよ」


「もし俺がそう言ったとしても彼氏をそんな呼び方しないでくださいよ」


「あっはっは。もしほんとにそうだとしたら早めに言ってね? 適応するから」


「んなわけないし適応もしないでください」


「分かってるよ、ヨシくんはごく普通のロリコンだもんね」


「そのネタ擦るの好きだな!?」


「あっはは。精神の揺さぶりに成功したしまずは前哨戦、私の勝ちだね」


 なんだと……気づかぬうちに勝負は始まっていたらしい。油断してた。


「ヨシくん右側ね。始めていーい?」


「いつでもどうぞ、ボコボコにしたりますよ」


 既に臨戦態勢へ入っている芽依さんにならって、俺もテレビ画面を注視する。

 このゲームをするのは久々だし、とりあえず横一列に並べたら消えるってことだけ意識して頑張ろう。


「よーし、じゃあ行くよー。よーい…………」


「……芽依さん? いつ開始——」


「どんっ!」


「ずっるいな!?」


 溜めに溜めて、タイミングをずらせるだけずらして開始のボタンを押す芽依さん。

 その作戦は功を奏して、俺がブロックを積み始める頃には、芽依さんはもうそれなりの高さに積み上げていた。


「くっ、負けるか……!」


 たとえ勝ち目が薄いとしても、勝負を受けたからには最後まで食らいつく! その精神で必死に操作していたら——


「あれ!? 間違えちゃった!!」


「わっ! お邪魔ブロック邪魔!!」


「え!? ヨシくんうまくない!?」


「死ぬ、死んじゃう……御慈悲を……」


「あっあっあっ……あー!!!!」


 なんか気づいたら勝ってた。自分の画面だけ見て必死に頑張ってただけなのに。


「よ、ヨシくん……もしかしてプロ?」


 唖然とする俺の隣で、芽依さんはコントローラーを握ったまま身を震わせていた。


「むしろなんで勝てたか分からないっす」


「それじゃあ私が下手みたいじゃん」


「……」


「そんな哀れむような目で見ないで?」


「事実が受け入れられないんすね……」


「く、屈辱的だぁよ……うぅ」


 ふふふ、悔しそうに震えてキュッと唇を結ぶ芽依さんを眺めるのは存外に気分がいい。

 勝利の余韻を味わいながら煙草でも吹かしたいところだが、生憎いまは切らしている。


「じゃ、勝負ついたんで——」


「え? まだついてませんけど?」


「は?」


「ヨシくん……勝負は3先、パズルゲームの世界では常識だよ」


「3先……3本勝負ってことですか? それほんとのやつ?」


「分かんない。適当に喋ってる」


「なんだよ!」


「あっはは」


 頻繁に脳内常識を語られていると気づかない内に嘘の常識信じさせられてそうで怖いな。


「とーにーかーく。もうちょっとやろ?」


「いいでしょう、3回勝負で」


 正直、さっきの感じなら負ける気もしないしここは心ゆくまでボコボコにしてやろう。

 いくら芽依さんの息抜きのためとはいえ、勝負に手心は——


「ん」


「……芽依さん?」


 ゲームスタート直後、画面では既にブロックが落ちてき始めているのに、芽依さんは立ち上がって……ベッドに腰掛け俺の真後ろに陣取り——


「っしょっと。はいスタート」


「む……!?」


 両の脇腹に押し付けられる温かい感触。咄嗟に見てみると……芽依さんが左右の足の裏を押し付けてきていた。

 ただ押し当てるだけじゃなく、ぐにぐにと動かされてかなりくすぐったい。


「ゲームどころじゃないんですけど!?」


「ふっふっふ。そういう作戦だかんね、足でならゲームしながらくすぐれるでしょ?」


「でしょ? じゃないって!」


「ヨシくん、人生っていうのは勝てばいいんだよ。勝利者が歴史を作るんだもの」


「くっ……卑劣な女め……!」


 絶妙なタイミングで緩急つけてうごめく芽依さんの小さな足裏に翻弄され、まったくゲームに集中出来ない。

 そうしてくすぐったさに身悶えしているうちに……画面左側に『LOSE』の文字が。


「はい勝ちー。もしかして私プロかも」


「相手くすぐって勝つプロがいるか」


「じゃあ次行くよ。……はいスタート」


「くっ……!!」


 間髪入れずに次の戦いが始まる。今度こそ集中したいところだけど、開始早々に芽依さんのくすぐり攻撃が炸裂。

 足でのくすぐりに慣れてきたのか、よりテクニカルな緩急で脇腹を刺激されてくすぐったいを通り越してもはや興奮——


「いやいや、集中だ……!!」


「ふっふっふ、効いてる効いてる。この勝負も私がもらっちゃおっかな〜?」


「屈辱的……!」


 文字通り足蹴にされて、なおかつ勝負にまで負けるなんて許されない。捻り出せ、極限の集中力を……!!


「あれ? ヨシくん?」


「なんですか」


「なんか動きよくなってない?」


「そうですかね」


「私の足裏ぷにぷに攻撃効いてないの?」


「……」


 無視だ無視、勝利とは非情になったものに訪れるのだから。ゆっくりと、だが確実にブロックを消していく。

 よーし、これを続けていれば——


「ヨシくんがそのつもりなら、作戦を次の段階に進めるしかないね」


「何をっ——!?」


 芽依さんは突如、背中に覆いかぶさるようにくっついてきた。

 抱きしめる要領で脇の下から腕を回し、俺の胸の前あたりでコントローラーを構える芽依さん。これはまずい……!!


「これは効くでしょ?」


「っっっ……」


 肩にのった芽依さんの口から、至近距離で放たれた囁き声と吐息が耳をくすぐる。全身に走るぞわぞわとした感覚。


「ほらほら頑張らないと負けちゃうよ?」


「む、無茶なことを……」


「がんばれがんばれっ。おてて動かそ?」


「くぅ……!」


 芽依さんが耳元で囁く度、その全てが絶大な攻撃力で俺を襲う。こうなってしまうとゲームどころじゃなくて……


「はーいまた勝った。ヨシくん下手っぴだね」


「……しゃ、釈然としない」


 背後に陣取られているから顔は見えないけれど、この様子だとニヤニヤしてるに違いない。


「ヨシくん1勝、私2勝だから……次は別に負けちゃっても平気だね。っと」


 芽依さんが俺の背中から離れ、俺の隣に腰を下ろした。次は小細工なしでギリギリまで俺をいたぶるつもりらしい。


「じゃあ始めるよー。……スタート!」


 芽依さんがボタンを押し、3度目の勝負が開始する。ブロックが落ちてくる中、俺は——


「隙あり!」


「ふえっ!?」


 ゲームそっちのけで、完全に油断しきった芽依さんの背後を取り後ろから抱きついた。


「よよ、ヨシくん? あのあのあのあの? いきなりどどど、どうしたんですか?」


「やられたらやり返すでしょそりゃあ」


 完全にキョドっている芽依さん。さっき俺がされたように、腰を抱くように手を回して芽依さんの体の前でコントローラーを持つ。


「形勢逆転っすよ、芽依さん」


「あ、ああんまり耳元で喋られると、その、大変くすぐったいのですが……?」


「知ってます。さっきやられたんで」


「う、うぅぅぅぅお耳に息が……くすぐったい……許してぇ……」


 腕の中で芽依さんがもぞもぞと蠢くが、絶対逃がさないようにがっちりホールド。

 俺が着々とブロックを消して芽依さんの画面にお邪魔ブロックを送っていく中、芽依さんはただただジタバタしていた。


「ず……ずるだよヨシくん!! これは無効試合にすべきだと思うよ!?」


「どの口が言うか!」


 脱出するのは諦めて全力で抗議してくる芽依さんだが、俺は絶対に離さない。

 そしてそのまま芽依さんを抱きしめ、ゲームも進め……ほぼ完封する形で勝利した。


「これで2対2、次が正真正銘のラストですよ」


「うぅぅ……ヨシくんの鬼畜」


「先に仕掛けた芽依さんが悪いんです」


「犯罪者はみんなそう言うんだよ」


「人聞きが悪すぎる」


 芽依さんは自分の行いを棚に上げるのがうまい。人としてどうかと思うレベル。


「はぁ、はぁ……ね、ヨシくん。今のは私の負けでいいからさ、離そ? 最後は正々堂々と勝負しよ?」


 俺の腕の中でもぞもぞと身をよじりながら提案してくるが——


「嫌です」


「……ひん」


 提案とは逆に、腕を締めてより強く芽依さんを抱きしめる。

 このまま続行だという強い意思を悟ったようで、芽依さんはクタっと脱力して俺の体に身を預けてきた。


「さぁ、ラストバトルです」


「ひゃい……」


 ……そこから先はもうイージーゲーム。お人形のように大人しくなった芽依さんを抱っこしながら悠々勝利を手にしたのだった。


〜〜〜


「悔しいけどこの勝負……卑劣なヨシくんの勝利だね」


「だからお互い様でしょうが」


「ヨシくんのほうが強く抱きしめてくれたので卑劣度が高いんだよ」


「どういう理屈だ」


 コントローラーを片付け、一息つきながら勝負を振り返る。心なしか芽依さんの頬が紅い。


「……さて、じゃあ行ってきますわ」


「え? どこに?」


「煙草買いにコンビニへ」


「ヨシくんが勝ったのに?」


 ベッドに腰掛け、キョトンとしている芽依さんを尻目に俺は立ち上がる。


「芽依さん仕事中でしょ。俺がいくのが当たり前だと思いますけど」


 息抜きにゲームもしたし、これで後は俺が煙草を買ってくれば仕事に身も入るだろう。財布をポケットに突っ込み玄関へ向かった——


「じゃ、行ってきます」


「待ってヨシくん私も行くー」


 ……のだったが、何故か芽依さんまでお財布片手についてきた。


「いやいや、めっちゃ雨降ってますし待ってていいですよ」


 靴を履き終えて、傘を片手に玄関の扉を開ける。改めて外を見ると、結構な雨脚だ。やっぱり1人でいくほうが……


「んーん、ついてくよ」


 芽依さんは靴を履きながら照れ臭そうにはにかむと、玄関の外までついてきた。俺が何故と問う前に——


「だって1人じゃ寂しいもん」


 上目遣いでこちらを見つめ、そう呟いた。その言葉にドキっとして……


「なら仕方ないっすね、うん」


「ん。仕方ないよね。……行こ?」


 そう言って芽依さんはするりと自然に腕を絡めてくる。それ受け入れて、俺達は腕を組んで歩き出す。


「濡れて欲しくないんで、ちゃんとくっついてくださいね」


「ん。ありがと」


 ピッタリとくっつく芽依さんの体温を感じながら、傘をさして歩く。相合傘という奴だ。

 こうして濡れないようにゆっくりと歩く時間もかけがえのないものだけど——


「ね、ヨシくん。やっぱりさ、濡れてもいいからちょっと早足でいかない?」


「奇遇ですね。俺もまったく同じこと思ってました。多分理由も一緒」


 どちらからともなく、視線が重なる。そして同時に口を開き。


「「さっさと煙草吸いたい」」


 綺麗に言葉を重ねた。それがおかしくて「あはは」と笑い合う。

 相合傘にドキドキしながらゆっくりと歩くより、ニコチン求めて早足で進む。そんなほうが『らしい』と。


「早々と煙草買って、帰ったらゲームの続きしよーね」


「あれ? 仕事は?」


「あっはは。今日はもう店じまい! じゃ、傘は任せたからねー」


 そう笑って足を早めた芽依さんの後に俺も続く。なるべく彼女が濡れないように傘を傾けて。

 俺達は早足で、だけど歩幅は合わせ……進んでいくのだった。

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21歳フリーター、非常階段でメイドと喫煙す。 丸腰こよみ @koyomiMarugoshi

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