第31話 22歳元フリーター、非常階段にてメイドと喫煙す。

 ゴールデンウィークも終わり、5月も後半戦。

 暑くも寒くもない程よい気温を享受しつつ……いつもの非常階段をいつもと違う出で立ちで昇る。


「お。ヨシくんお久しぶり」


 早足で目的の踊り場にたどり着いた俺を、半袖ミニスカートな軽装のメイド服姿の芽依さんが出迎えてくれた。


「今日は完全体なんすね」


「ん。なんも羽織らなくてもあったかいし——」


 言葉を区切った芽依さんは指に挟んでいた煙草をくわえて、


「ヨシくんも眼福でしょ?」


 わざわざ両手を腰に当てて「うふん」と科を作った。


「ありがてぇ気遣いですこと」 


「……反応薄くない?」


「わざとらしいポーズより自然体を眺めるのがいいんですよ」


「はーなるほどね。オタクの意見、勉強になります」


 ふむふむと頷きながらポーズをやめた芽依さんの隣に腰を下ろし、煙草に火をつける。


「そーいえばヨシくん今日はスーツなんだね」


「夕方に面接あったんで」


 俺のスーツ姿が興味深いらしく、芽依さんは上から下までジロジロ見つめてくる。


「あんま見ないでくれます?」


 就活を始めてから、人生で初めてのスーツなので、自分でも思うほど着慣れてない感がすごいので恥ずかしい。


「えー。ヨシくんは私のこと舐め回すように見てくるのに?」


「変な言い方したないでくださいよ」


「でも事実でしょ?」


「事実ですけど」


「あははっ」


 見られ慣れてない俺は照れくささからプイっと顔を背けた。


「で。面接はどーだったの? またお祈りされちゃった?」


「それは……」


 芽依さんが『また』と言ったように、俺は今年入ってから面接に落ちまくっていた。やはり高卒フリーターに世界は厳しい。


「今日、最終面接だったんすけど——」


「え? 私聞いてなかったんですけど?」


「言って期待させても悪いじゃないですか」


 一応、芽依さんは俺が就職するのを待ってくれているわけだし。


「その口ぶりだと……ヨシくん、今回もダメそうな感じだね……」


「いや内定もらいました」


「そっか、大丈夫だよヨシくん就職先なんていくらでも——あれ?」


「内定もらいました」


「えぇっ!?」


 完全に俺を慰めるつもりだったらしい芽依さんは虚を突かれて口をあんぐり開けて驚いている。……ふっふっふ。


「ついに俺は就活地獄を抜け出したというわけですよ」


「そっか、おめでとー」


「……なんか反応薄くないっすか」


「さっきの驚きでお祝いエネルギーを使い果たしちゃったみたい」


「そんなバカな」


 驚きを演出しようなんていう余計な小細工が悲しい結果を生んでしまった。当人としては小躍りしたいくらい嬉しいのに。


「ほんとによかったなーって思ってるよ。うんうん、おめでとヨシくん」


「ありがとうございます」


「ん? でも今日最終面接だったのにそんなすぐ内定ってでるもんなの?」


「社長に気に入られたみたいで。その場で内定もらっちゃいました」


「おぉー。……ヨシくんごめん、なんだかそのエピソードめっちゃブラック感が——」


「みなまで言わないでください」


 芽依さんから向けられる怪訝な視線を受け流し、俺は誤魔化すように煙を吹かした。

 内定もらったのは業界じゃ中堅くらいの警備会社だし、下調べもちゃんとしたし、過度に悪いところではないと信じたい。


「もしブラックだったら逃げてもいいんだからね、ヨシくん」


 慈愛に満ちた表情を浮かべながら、芽依さんが俺の肩をポンと叩いた。


「私も絵描きの仕事再開して収入増えたし。いざとなったら養ってあげるからね」


「順調みたいっすね、そっちの仕事も」


「ん。今は昔のツテでやれそうな仕事ゆっくりやってるだけだしね。気楽なもんだよ」


 そう言って笑う芽依さんを見ると、今年の頭に打ち明けてくれた悩みを無事に乗り越えたんだなと安心する。

 詳しく聞いたわけじゃないけど、3月くらいからちらほら始めたらしく、この前偶然あった後輩さんが興奮した様子で芽依さんの新しい絵が如何に素晴らしいかを力説していた。


「だからヨシくんは無理して働いて体壊したりしないでよね?」


「まぁ……常識的な範囲で頑張りますよ。死なない程度に」


「ん。元気が一番だぁよ」


 芽依さんは温かく微笑みながら煙を吹かす。そんな笑顔を見ると……どんなことだって乗り越えられそうな気分になる。


「無事に内定もらえたわけだし、今日はお祝いに飲みにでもいっちゃう?」


「お。いいっすね」


「まー私2時まで仕事だからそれからになっちゃうけど」


「なら一旦帰って待ってますよ」


「ん。こーいうとき家近いといいね。んじゃ終わる頃ここに集合ということで」


「了解っす」


 芽依さんと飲みにいくのは去年のデート以来だし、だいぶ楽しみだな。


「そーだ、コンビニバイトのほうはいつ頃辞めちゃうの?」


「来月いっぱいですね。内定くれた会社では7月から働くって話になってます」


「そっかぁ……じゃあヨシくんとここで煙草吸えるのも後少しだね」


 悲しそうに目を細め、芽依さんは宙を見上げて煙を吐いた。

 言われてみればたしかに……仕事を始めれば時間も合わなくなるし、俺がここに来ることはなくなりそうだ。


「名残惜しくなりますね。辞めようっかな就職すんの」


「あはは。ほんとにそうしたら流石に笑っちゃうかも。私はかまわないけど」


「冗談です。……まぁ、ここじゃなくても会えるじゃないですか」


「……ん。そーだね。そうしよ」


 寂しげに微笑む芽依さんを見ていると、ここで肩を並べて紫煙をくゆらせた日々が次々と脳裏を過ぎっていく。

 そんな時間を忘れないように噛み締め、強く煙を吸い込み、吹かす。そしてまだ吸いかけの煙草を灰皿に放り込み……


「芽依さん」


 踊り場に腰掛けたままの芽依さんの正面に移動した。……目線がの高さが合うように何段か階段を降りる。


「うん?」


 キョトンとしている芽依さんの目を真っ直ぐと見つめて俺は——


「あなたのことが好きです。俺と付き合ってください」


 ずっと胸の内で温め続けた想いを告げた。反応を受け止めるため、照れくささを堪えて芽依さんから視線を外さない。


「ぅぁぅぁ……」


 芽依さんはまんまるな目を大きく見開き、口をぱくぱくとさせている。

 それでも俺は真剣に……まっすぐ芽依さんを見つめ続けた。

 やがて。芽依さんは頬を朱に染め、目を伏せながら……


「——はいっ」


 震えながらも、確かな声音でそう答えた。


「……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 緊張が解けて、否応なく大きなため息が漏れて膝から崩れ落ちそうになる。


「よ、ヨシくん大丈夫?」


「だ、大丈夫です……」


 なんとか意識を保ち、芽依さんの隣に戻って再び煙草をくわえて火をつけた。


「ふぅぅぅぅぅ……」


「あはは。告白した直後に相手の隣座ってそんなやり遂げた感出す人いるんだ」


「すみません、気力使い果たしちゃって」


「私もびっくりして気が抜けちゃったよ。まさか今日されるとは……」


 そう言いながら芽依さんは2本目の煙草に火をつけて、煙を吹かした。


「だいぶ待たせてくれたのに、今度はすっ飛ばしすぎじゃないかな?」


「かなり引っ張っちゃったので早い内にしておこうと思いまして」


「ヨシくん、正確にいうと内定もらっただけでまだ就職してないけどね?」


「う……た、確かに」


「あはは、気付いてなかったんだ。前のめりな姿勢、いいと思うよ」


 告白した直後ではあるけど、やはりこうして並んで煙草を吸っていると自然といつもの雰囲気に戻れるので、気軽なやりとりだ。


「……なんというか、芽依さんに告白するならこの場所がいいと思ったんですよね」


 俺は通い詰めた非常階段を見回す。何も特別なことはない、ただの雑居ビルの一角でしかないけれど……2人の思い出が詰まった場所。


「そう思ったらあの瞬間言わずにはいられなくなってしまいまして」


「……ん。いいと思います。その、なんといいますか……だいぶ嬉しいです」


「これでもし俺が内定取り消されたりしたら存分に笑ってください」


「ふふっ。いーよ、大笑いしてあげる。あ、だけどね——」


 そこで言葉を区切り、紫煙をくゆらせた芽依さんは……


「もしそうなっても、さっきの告白はぜーーったい取り消させてあげないからねっ?」


「っ……」


「もう私、ヨシくんの恋人になったんだもん。就職とか関係ないよね」


「は、はい。勿論ですとも」


 改めて『恋人』と言われると嬉しさと照れくささで背中がムズムズする。

 言葉にした張本人である芽依さんも恥ずかしくなったのか、再び赤くなった頬を手のひらでパタパタと仰いでいる。


「そ、そろそろ行こっかなー。今日はお仕事頑張っちゃうよヨシくん」


「頑張ってください」


「じゃーまた後でね、ヨシくん」


「はい」


 まだ吸いかけだった煙草を灰皿で押し消して立ち上がった。


「あ。最後にひとつだけ」


「はい?」


 おもむろに身を屈めた芽依さんが、その口を俺の耳元に近づけて——


「私もヨシくんのこと、大好きだよ」


 そっと、囁く。その言葉はそよ風のように耳をくすぐった。


「っ……」


 反射的に見上げると、満足げに微笑む芽依さんと視線がぶつかる。


「ふふっ、顔真っ赤。私はやられたらやり返す女なのさ。……じゃーねっ」


 小さく手を振って、くるりと身を翻した芽依さんはゆっくりとした足取りで階段を昇っていく。

 最後の最後でくらった不意打ちに面食らいながらも、その姿をしっかりと見送る。

 こうして去っていく芽依さんをこの場所から見上げることができるのは後数回だから。

 そう思うと少しだけ寂しい。が……それはただここで会うことがなくなるってだけだ。


「……ふぅ」


 芽依さんのいなくなった非常階段で、ただ静かに煙草をくわえる。

 この短い逢瀬が終わることは、悲観するようなことじゃない。だって俺の隣には、いつだって芽依さんがいてくれる。


「いつだって——」


 非常階段だって、どこでだって。俺たちは寄り添い……紫煙をくゆらせるのだ。

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