第30話 たとえ『何者』でも

喫茶店で芽依さんと話した数日後。非常階段に来てみると、


「やっほ」


 芽依さんが煙草片手に待っていた。この前のようなジャージではなく、いつものメイド服にダウンを羽織った姿で。


「無事に仕事再開したんすね」


「もー。サボってたみたいに言わないでよ」


「すみません、適切な言葉が浮かばなくて」


「んー。社会復帰?」


「そっちのが重い表現じゃん」


「あれ? そーかも?」


 元気そうにけらけら笑っている芽依さんを見ると安心する。ホッとした俺は彼女の隣に腰掛けて煙草に火をつけた。


「こうして俗世に戻ってきたのもさ、備蓄してたカップ麺が底をついたからなんだよね」


「限界過ぎるでしょ」


「空腹で流石に我に返って慌てて今日からお仕事再開というワケですよ」


「まぁ……戻ってきたならいいか」


「ヨシくんは私いなくてさみしかった? 泣いちゃったりした?」


「そりゃ勿論、毎日泣きながらここで煙草吸ってましたよ」


「ヨシくんもういい歳した大人なのに……そんな小学生みたいなマネを……?」


「冗談だよ! 哀れむな!」


 流れに身を任せて適当言っただけなのになぜそんな視線を向けられにゃならんのか。


「まだ泣き足りないなら私の胸で泣いていいからね……ほらおいで、ヨシくん……」


 芽依さんは「よよよ」とわざとらしい嘘泣きをしながら両手を広げる。


「飛び込んでおいでよ……もう涙なんて出ないように締め落としてあげるから……」


「せめて抱きしめてくださいよ!」


「抱き締め落とすから——」


「落とすなって!」


 声を荒げて突っ込むと芽依さんは満足そうにニヤニヤして広げた両手を収め、笑い声に合わせて煙を吹かす。

 ……実にいつも通りだけど、前に喫茶店でした話題に触れる気配はない。きっと意図的に避けてるんだろうな。


「はぁー……しっかし疲れたなー」


「厄介な客でもいたんすか」


「単純に久々の労働ってキツいじゃん?」


「あー、ですね」


 隣に腰掛ける芽依さんは深く項垂れてため息と共に煙を吐き出した。


「うげっ、煙が目に染みる……」


「そんな体勢してたら当たり前でしょ」


 染みた目を細めながら今度は天を仰ぐ芽依さん。その口先では、煙草の灯りがチリチリと燃えている。


「はぁーあ。やっぱり人間は労働なんてする生き物じゃないってことだぁよ……」


 芽依さんは煙草をくわえたままの若干ふにゃついた口調で嘆く。煙が目に入って涙が滲んでいるので、本気で悲しそうにも見える。


「まぁ確かに、解放されたくはありますね」


「お。じゃー2人で一緒に無職する?」


「遠慮しときます」


「あらキッパリ。多分楽しいよ?」


「しませんって」


「2人で煙草吸いながらパチンコでもしよう。キティちゃんのサンダル履いてさ」


「無職像が田舎のヤンキー過ぎる。そういう人たちはちゃんと働いてますよ」


「そうなの?」


「あと……もう近いうちにパチンコ屋も禁煙になっちゃいますよ」


「そうなの!?」


「ほとんどいかないんで聞いた話でしかないですけどね」


「まー、私も行かないし困らないや」


「いかないんかい」


 いや、行ってて欲しくはないけど。じゃあなんで話にあげたんだよと。


「そもそも2人して無職になったら俺たちどうやって生きていくんですか」


「……むむ」


「収入源なかったら家計が立ち行かないでしょうに。最低でも俺は働き続けますよ」


「……むぅ」


 やれやれと諭す俺の言葉を聞いた芽依さんは何故か頬をほんのりと赤く染め、ジト目で俺を見つめてくる。


「ヨシくんってさ……告白してないだけでその先に言うべきようなことはあっさり済ませてきやがってくれるよね」


「……?」


「なんで君の頭の中ではもう既に私たち家計を共にしてるのかな?」


「…………ハッ!」


 まじだ。俺は何を言ってるんだ。自分で関係を引き伸ばしておいて……


「すみません、つい……取らぬ狸の皮算用というやつです……」


「人を狸扱いしないで欲しいんだけど? せめてアライグマにしてよ」


「どっちも大して変わんねぇ!」


「あははっ。そもそも取らぬってワケでもないでしょ。私ほぼ取られちゃってるし」


「う……そうですか」


「必要になったらいつでも皮ひん剥いちゃってもいいからね?」


「俺がよくねぇ!」


「あはははっ」


 ヒヤヒヤする会話だけど、芽依さんが楽しそうだから万事良しだ。

 会話の切れ目で短くなっていた煙草を灰皿に放り投げて、次の一本に火をつけた。芽依さんも同じようにしている。


「ふぅ……ねえヨシくん。悲しいお知らせをしてもいいかな」


「……なんでしょう」


 軽い口調、きっと重い話ではないのだろうけど……喫茶店での話を思い出し身構える。


「私たち、なんかもう付き合ってるようなノリだし告白されてもなんの感慨もなさそう」


「悲しいお知らせ過ぎる!」


「うん分かった。で終わりそうじゃない? 今更言葉で確認することですかって感じ」


「それはほら……形式というか……」


 俺としてはそれなりに腹を括って自分に制約を課して引っ張っているから、たどり着く前に儀式が形骸化してしまうのは割とせつない。


「だからさーヨシくん早くしてよー。かなり生殺しな状況ですよー」


「待ってるって言ってたのに……」


「待つには待つけど急かして損することもないし急かしてもいいかなって」


「こ、こいつ……!」


「だってヨシくん……私が急かしたって私のこと嫌いになったりしないでしょ?」


 ふふふ……と悪い笑みを浮かべ、煙を吹かしている芽依さん。事実だから言い負かしてやることもできない!


「急かされても嫌いにならないし、急かされなくても急ぐつもりですよ」


「……そ、そか」


「言わせといて照れるのやめてくださいよ。俺まで恥ずかしくなる」


「ご、ごめん」


 よっぽど照れ臭いのか、プイっと顔を背けてしまう。よし……勝ったな。何に勝ったのかはよくわかんないけど。

 謎の勝利の余韻に浸りつつ、煙を吹かす。しばらくそうしていると、


「……ねえ、ヨシくん」


 どこか遠慮がちに芽依さんが口を開いた。


「結局絵描くのはどうしたんですかって、聞いたり……しないの?」


 それは、俺があえて触れずにいた話題。だけど……何も答えを用意してこなかったわけじゃない。


「聞きませんよ」


「そ、そっか……どーして? 今日どっかで聞かれると思ってたんだけど」


「聞いて欲しいんですか」


「んーん……そーじゃないけど。なんといいますか、気にならないのかなーって」


「気になりますよ」


 気になるけど、だからって聞けばいいってもんじゃない。……と思う。


「……この前、私は『何者』だと思うかって聞きましたよね」


「ん。聞いたよ」


「俺にとって芽依さんは——」


 その問いを受けて考えてきた答えを、


「芽依さんです」


 堂々と宣言した。


「うん。……うん? どーゆこと?」


 芽依さんはキョトンとしている。当然だ、自分でも訳わかんないことを言った自覚はある。


「絵を描いていようがいまいが、メイドだろうがなかろうが……俺にとって芽依さんは変わらず芽依さんなんです」


「っ……」


 この言葉は、去年の暮れに芽依さんに言われたこととほとんど変わらない。結局は……想いは同じということだ。


「どうして欲しいとかどうなったら嫌だとか、俺はいいません。したいように生きて欲しい」


「そ、そっか——」


「あ……嘘つきました。ひとつだけ『どうして欲しい』がありまして……」


「なに? なんでも聞くよ」


 たったひとつ、俺が芽依さんに望むこと。それは……


「何が起きてもずっと俺の隣にいてください」


「っっ……!?!?」


 芽依さんが言っていた言葉『一緒にいてくれれば』。それがそっくりそのまま俺の答え。

 それ以上は望まない。望まずにもいられるように、俺はフリーターを脱して、強くなりたいんだ……社会的に。


「……は、はい。私でよければ」


 芽依さんは煙草をくわえたまま、赤い顔でコクリと小さく頷いた。きっと……この赤は煙草のあかりに照らされているからじゃない。


「……ふぅ」


 伝えたかったことを伝えられて、思わず安堵のため息が漏れる。これでここ数日心を覆っていたモヤモヤが晴れた。


「ねえ、ヨシくん」


「はい?」


 言うだけ言って満足していると、芽依さんがほんのり朱のさした顔でちらりとこちらを見て呟く。なんだろう——


「さっきの言葉、嬉しいんだけどさ……あれもう普通に告白じゃない?」


「……」


 絶句してしまう、盲点だった。言葉を選びに選んだ結果、ほぼ告白だし、ほぼ三木道三だった。


「ずっと隣にいてくれって——」


「あれは告白じゃないです」


「えぇっ!?」


「告白は……別の時にします」


「な、なるほどね??」


 芽依さんは混乱しているようで、煙を吹かしながら首を右に左に傾けている。

 俺も俺で内心ではかなりテンパっている。もしこれが告白ということになったら、就職てから、という自分に課した誓いを破ることになってしまうから……


「……」


「……」


 ボロを出さないように黙って紫煙をくゆらせて過ごす。そうしていると——


「そろそろ行かなくちゃ」


 タイムリミットだ。芽依さんは吸殻を灰皿に投げ込んで立ち上がった。


「ヨシくんがいてくれて良かったよ。心が軽くなった。……ほんと、ありがとね」


「なによりです」


「私……ごちゃごちゃ考えすぎてたかも。『こうしなきゃ』じゃなくて『こうしたい』で考えてみるよ」


 芽依さんのその言葉に、迷いは感じない。本人なりに……何か見えたのだろう。俺の言葉がその一助になったのなら、こんなに嬉しいことはない。


「その結果がどうであれ、私の隣にはいつだってヨシくんが隣にいてくれるんだもんね?」


「はい。……いつでも」


「ん。ありがと。……またね、ヨシくん」


 軽やかな足取りで階段を登っていく。もう心配することはなさそうだな。


「あ。そーだ」


 最後の一段目で、芽依さんは足を止めて。くるりと振り返った。


「告白、もしかしたらなにも感慨ないかもって言ったけど……あれ杞憂だったかも」


 照れくさそうにはにかみ、一息ついて——


「さっき……すごくドキドキしたから。ほんとの告白も楽しみにしてるね?」


「っ……」


「じ、じゃーねヨシくんっ」 


 早足で去っていく芽依さんを見送った俺の脳内に、芽依さんの残していった言葉が何度も響く。


「ふぅ……ハードル上げちまったな」


 その時が来た時……どんな風に想いを伝えようか、俺は頭を悩ませるのだった。

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