第29話 立ちはだかる過去と
芽依さんから『休む』という連絡が入ってから1週間が経った。
その日から……今に至るまで、芽依さんは一度も出勤していない。
ラインをしてみても、時間を置いて既読になるだけでほとんど返事はない。あっても、短く「うん」とか「わかった」とかそれだけだ。
「はぁぁ……」
本来なら芽依さんがいるはずの非常階段の踊り場に一人腰掛ける。
寂しさと不安を紛らわせようと煙を吹かしていると——
ギギギィィィィと鉄の扉が開かれる音がした。
「芽依さんっ?」
「違います。残念ながら」
反射的に見上げるがそこに芽依さんの姿はなく……後輩さんが立っていた。
私服姿しか見慣れていないが、今日はメイド服の上にベンチコートを羽織ったスタイルだ。
「一応言っておきますが美原先輩はいませんよ」
「知ってる。……どこで何してんだろうな」
「お店には休みますとだけしか連絡はありません」
階段を降りてきた後輩さんは俺の隣に……座らず、少し離れた位置に立つ。
「……あなたも美原先輩から詳細を聞いてはいませんか」
「なんも知らん。『も』ってことは君もか」
「同じです。……私に出来ることは代わりにシフト出るくらいで」
なるほど。それで今日は芽依さんの代わりに働いているのか。
しかし……俺に話してないのはともかく、職場の仲間にも話してないなんて。
「私が美原先輩の代わりに働くのはいいのですが……流石に心配です」
「ゆーてもずっとそうするわけにもいかないだろうしな」
「別にずっと働けますが? 一生シフト代われますけど?」
「流石過ぎる」
それならば、取り急ぎ芽依さんがクビになったりはしなさそうで安心だ。
とは言っても、なるべく早く芽依さんの情報を確かめたいが——
「試しにあなたが家に行って直接話を聞いてみるのはどうでしょう」
「……マジで?」
「不本意ではありますが、私がいくよりはいいでしょう」
一瞬考えはしたけど、まさか後輩さんに提案されるなんて。
「何かあったのは間違いないです。……そういう時、美原先輩の支えになれるのは私ではなくあなたでしょうから」
「後輩さん……」
なんやかんや、芽依さんに寄り添う男として信頼を得ているのかもしれない。そう思うと少しは自信がわいて——
「もしそうしたことでよくない事が起きたらその時は命を持って償っていただきますが」
「やっぱりそうなりますよね……」
きていたけど気のせいだった。こいつ、芽依さんの状態を確かめるために俺を捨て駒みたいに使うつもりじゃないか?
「事実、私が心配の意を込めた連絡をしてもほとんど返事がないので」
そう呟く後輩さんの表情は悲しそうだ。よっぽど芽依さんのことが心配なのだろう。……それは俺も同じ。
ラインやらで連絡しても安心できる返事がないのなら、やはり直に会うしかない。
「わかった、俺に任せてくれ。必ず芽依さんと話してくる。……じゃあ行ってくる!」
「は?」
今は一刻を争う。俺は吸殻を灰皿に放り込んで立ち上がり……大急ぎで階段を降りる。
「この時間に行くのはどうかと——」
……後輩さんがなにか有意義な意見をくれていたような気がしたが、動き始めた俺の足は止まらなかった。
〜〜〜
「来てしまった」
勢いでいつもの非常階段を飛び出して十数分後。俺は記憶を頼りに……無事、芽依さんの住うアパートまでたどり着いた。
「……よし」
もう引き下がれない。俺はアパートの階段を進み、芽依さんの部屋の前まで来て……勢いでインターホンを押した。
しばらく待っていると、ガチャリと扉が開かれた。
「どちらさまで——」
「ど……どもっす」
「すか」
チェーンはかけたままで、わずかに開いた扉の隙間から呆けた顔の芽依さんが覗く。
キョトンとしている芽依さんは、普段はしていない眼鏡をかけていてなんだか新鮮だ。……って今はそれどころじゃない。
「あー……ヨシくん? なんで?」
「心配でつい来ちゃいました」
「そんな心配するようなことは——」
「もう1週間会ってなかったんで」
「へ? そんなに?」
芽依さんは扉を片手で扉を支えたまま、空いてる手でポケットからスマホを取り出す。
「あー。ほんとだ……気がつかなかったよ。もうそんな時間経ってたんだ」
「えぇ……そんなことあります? 気絶でもしてたんすか」
「ちょっと久々に集中してたみたい。んー、どうしよっかな……」
なにやら考え込むそぶりをみせて、
「数秒待ってて。どこか落ち着けるとこいこっか。もちろん……煙草吸えるところで」
と言って扉を閉めた。外出るにしたって、数秒で準備が済むとは思えないけど——
「おまたせヨシくん」
杞憂だったようで、芽依さんは一瞬で姿を現した。部屋着にしてる中学時代のジャージの上にダウンを羽織っただけのラフ過ぎる姿で。
〜〜〜
「喫煙席で」
「は、はぁ……ご案内いたします」
店員さんが困惑した様子なのは、芽依さんが服装のせいで中学生に見えているからだろう。
芽依さんの家を後にした俺たちは駅前の喫茶店にきていた。もはや……煙草を吸える店となるとここくらいしかないから。
「ふぅーーー……」
席について早々に煙を吹かす見た目中学生な
芽依さんを、店員さんは怪訝な目で見ている。
が、そんなことは気にせず俺も煙草に火をつけながら注文を済ませる。
「久々っすね、2人で煙草吸うの」
「ん。そうなっちゃうね」
そう答える芽依さんの姿は……いつも通りとは言えないかもしれない。
いつもさらさらな黒い髪は、手入れをサボっていたのか所々跳ねているし。欠かさず施されている薄めの化粧も今日はしていないように見える。……それでも可愛いけど。
それに普段はしていない黒縁の大きな眼鏡も相まって、今日の芽依さんはとてもメイド喫茶で笑顔を振りまいている人には見えない。
「……マジで心配してたんすよ、俺」
「あはは。ごめんね」
「さっき集中してたって言ってましたけど」
「ん。ちょっと絵を描いててね」
それを聞いてなるほど、と合点がいく。
「もうイラストレーター復帰したんですか?」
「んー……そうっちゃそうかな」
「行動早いっすね……流石だ」
俺が求人見たり飛び込もうとしている業界のことを下調べしている段階でもう、芽依さんは行動に移していたのか。
「やっぱすごいっす、芽依さん」
「……そーでもないかな」
「え?」
俯きながら呟かされたその言葉は、謙遜を通り越して……自虐的な色を含んでいた。
こちらから切り込むべきか悩んだ俺は、運ばれてきたアイスコーヒーをすすりながら芽依さんの言葉を待ってみる。
「……そうっちゃそうって言ったのはさ、あんまり上手くいってないからなんだよね」
最初に火をつけた煙草がすっかり短くなった頃。コーヒーのカップを置き、芽依さんは力なく笑ってそう言った。
「だから落ち込んでいると」
「そーだね、ちょっとまいっちゃってるかな。ヨシくんにはお見通しだ」
「……訳を聞いてもいいですか」
「ん。ヨシくんになら話してもいいかな」
新しくくわえた煙草に火をつけた芽依さんに俺も倣う。
「私が前に絵描きを辞めたのはさ、自分の絵の価値がわかんなくなっちゃったからなんだ」
「絵の価値……? うまいとかヘタとか?」
「それもそーだけど。私が分かんなくなったのは求められてるものかそーじゃないか、かな」
……困った。芽依さんがせっかく打ち明けてくれているのに、話の腰がよく分からない。創作の話はさっぱりだから。
「私って……その、笑わないで聞いて欲しいんだけど。驕りでもなんでもないんだけど——」
「笑いませんよ、なに言われても」
「なんといいますか……一般的に見てさ、私ってその……そこそこ可愛いでしょ?」
「……」
「な、なんか言ってよヨシくん。これでも真面目な話なんだからね?」
「あ、あぁすみません……あんまり予想してない言葉だったんで」
絵の話が始まるかと思ってたから虚を突かれてしまったがしかし、芽依さんの問いに対する言葉は決まっている。
「芽依さんは可愛いですよ。世界で一番」
「う……あ、ありがと」
「そこそこどころじゃないです」
「……自分で言い始めたけど、ヨシくんに堂々と言われると恥ずかしいかも」
テレテレと頬を赤く染めて芽依さんは顔を背けてしまった。そんな姿も可愛いが、本題にどう繋がるかはさっぱりわからん。
「で。そんな当たり前の話がどう関係してくるんですか?」
「んー、大雑把に言えば……それが理由で絵描き辞めちゃったんだよね」
「……すみません芽依さん。正直まったく意味が分からないです」
「あはは。そっか、そうだよね。分かりやすく話せるか分かんないけど……いい?」
「煙草片手に聞く芽依さんの話なら何時間だって問題ないっすよ」
俺が聞くことで、芽依さんが落ち込んでいる理由を解決する助けになるのなら。俺はどんな話だって聞く。
「ん。……ありがとヨシくん」
芽依さんはコーヒーのカップにソッと触れて……ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「私、絵を描くって行為も好きだったけど、自分の描く絵も好きだったんだよね」
「物作りには疎いですけど……いいことなんじゃないですか」
「そだね。だから自然に……この道で生きていけたらいいなって思っちゃってたんだ」
ちゃってた、か。カップを撫でながら浮かべる微笑みが儚げなのは、終わってしまった夢と進んだ道を悔いているからなのだろうか。
「だから……最初にお仕事もらったときは嬉しかったな。今思えば誰がやっても変わんないようなちっちゃい仕事だったけど」
コーヒーの水面を見下す芽依さんの瞳は、なにかを懐かしんでいるようだ。
「嬉しくて嬉しくて、最高の絵にしようって寝る間も惜しんで頑張ったっけなー」
俺はただそんな姿を見つめ、静かに言葉に耳を傾け……煙を吹かす。
「その時描いた絵は、少ないけど見てくれた世間の人たちにも好評で、私も……好きな絵だったんだ」
「……だったって。今はその絵、好きじゃないんですか?」
「分かんない。それが分かんなくなっちゃったから、辞めたんだよ」
「……」
「お金とかは二の次で。自分の好きな絵を描いて、それを好きって言ってくれるたちの反応を支えにして——」
言葉を区切った芽依さんはコーヒーを一口すすり、紫煙をくゆらせて、
「そのうちに、私を有名にしたいっていう会社に声をかけてもらって。ダメになった」
「有名に……一聞するといいことのような気がしますけど」
「そーだね。絵だけ描きたい私のために、営業やらなんやらを代わりにしてくれるって」
「……えっと、それが悪い会社だとは思えないとは思えないんですけど」
「うん。悪い会社じゃないよ。ほんとに善意で私のために動いてくれたんだと思う」
「じゃあなんで……」
新たなステップに繋がる希望の出会いに聞こえるけど……
「そこ通してお仕事するようになってから、顔出しで仕事するようになったんだよね」
「顔出し……?」
「端的に言うと……アイドル売りかな。私が若くてそこそこ見れる顔した女だから、それを付加価値にしようって考えたみたい」
「……そう繋がってくるのか」
思い出されるのは『可愛いでしょ?』という芽依さんの問い。ようやくその意味が分かってきた。
「それでお仕事が増えるならいいやと思って了承してたんだけど——」
「実際は仕事減ったとか?」
「ううん。増えたよ。お仕事も増えたし、好きって言ってくれる人も」
「……?」
「でも。ネットで見かけるのは私の絵の話じゃなくて容姿の話ばっかりになった」
「っ……」
「どんな時でも『女性イラストレーターの』とか、『美人イラストレーターが』とかで。今私の絵を見てるこの人たちは——」
芽依さんは言葉を区切り「ふぅー」と長く煙を吐いて、
「私の描いた『この絵が好き』なのか、『私が描いたからこの絵が好き』なのか。何にも分からなくなっちゃった……」
と今にも消え入りそうな声で言い、
「人間一回そんなこと考えちゃうとダメで、最後は自分でも分けわかんなくなって……私は絵描きを辞めたのでした、と……あはは」
……と、力なく自嘲した。
「それで復帰しようとした今も、私は付加価値無しに勝負できる絵を描けてるのか分かんなくて病んでた次第です、はい」
これで話したいことは終えたようで、芽依さんはふぅと一息ついてコーヒーをすする。
しかし俺はすぐに言葉を返せなかった。どう反応すればいいのかわからなかったから。
「つまんない話聞かせてごめんね。一応話のオチとしては、自分の容姿のことで辞めたのに今はそれを売りにメイド喫茶で働いて生きてますよーってところなんだけど……笑える?」
場を暗くしないためか、おどけてみせる芽依さんだが哀愁を隠し切れていない。
「あんま笑う気にはなれないっすね。それにつまんない話でもないですよ」
「そうかな。ヨシくんに話して思ったけど、これってかなりくだらない悩みだと思うよ。私の気の持ちようでしかない話だし」
紫煙をくゆらせつつ語る芽依さんは寂しそうな目のまま「たはは」と笑う。
「……どんなものでも、俺は芽依さんの悩みを笑ったりできません」
「そか」
ピンときていないようで、芽依さんは首を傾げながら煙草を吸っている。
煙を吹かしながら芽依さんの語ってくれた過去の話を脳内で反芻する。
自分が信じてやってきたことが揺らぎ、崩れるというのはどういう気持ちなんだろう。
「絵描きに戻ろうともしてみたけど、結局それもあんまりうまくいかないし」
「……」
「一度わかんなくなっちゃうと、やっぱりダメだね。この世はわかんないことだらけだよ」
「……」
「ねー、ヨシくん。なにが人を『何者』かにしてくれるんだろうね」
「……哲学的な問いですね」
「大好きだった絵も変な理由であっさり辞めて、その理由になったモノを売りにめいとメイド服着てニコニコして——」
紫煙の向こう、芽依さんの目がスッと細くなり……俺を射抜く。
「そんなふうにふわふわ生きてる今の私は『何者』なんだと思う?」
「……」
その問いに対する反応もまた、俺は持ち合わせてはいなかった。
「……ほんと。ぐちゃぐちゃした話してごめんね、意味わかんなかったよね。最近あんまり寝てないからまとまらなくて」
そう言って芽依さんは煙草を灰皿に押し付けて、立ち上がった。
「ヨシくん、先帰るね。捗らなくてもやると決めたからにはやるだけやりたいし」
「……無理せずに」
「ん。ありがと。じゃーね、またいつもの場所で」
芽依さんは財布から出した千円札を置いて店を出て行った。止めたところで今はなにを言っていいのかわからないので黙って見送る。
「……ふぅむ」
天井に向けて煙を吐き出しながら考える。今の俺に出来ることを。
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