第28話 愛の歩みと不穏の足音

 1月某日深夜2時。準夜勤のヘルプでの勤務を終えた俺は、バックヤードでパイプ椅子に踏ん反り返りながらスマホをいじっていた。


「何みてるんすか先輩」


 同じく退勤したばかりの後輩の安中が羽織っていた制服を脱ぎながら尋ねてくる。


「求人」


「うえ、バイト変えるっすか。寂しくなっちゃうっすよオレ」


「嘘つけ。別にどうでもいいと思ってんだろ」


「実のところそうっすね。先輩とは別にシフトも被ってねぇし」


「ほれみろ」


 俺の指摘を受けて安中はヘラヘラしながら、手入れをサボっているの丸分かりな金と黒がまだらに入り混じる頭をかく。


「バイト次もコンビニっすか」


「いんや。そもそも正社員考えてる」


「おぉー。すげーじゃないっすか」


「すげくねぇよ。やっとだよ」


「まー先輩フリーターっすもんね」


「ハッキリいうんじゃねぇ」


「っす」


 何の「っす」だよと思いながら、俺はスマホの画面に意識を戻す。映し出されているのは正社員の募集をしている求人サイトだ。


「業界は? 飲食とか?」


「んー……今は警備会社で探してる」


「へー。先輩ヒョロいのに大丈夫っすか?」


「安中お前俺のこと馬鹿にしてる?」


「してないっす。マジリスペクトっすよ」


「馬鹿にしてるな」


「ぶっちゃけるとしてるっすね」


「おい」


 ジロリと睨むも……安中はヘラヘラと笑いながらコートを羽織り、何事もなかったかのようにスマホを弄り始める。


「……別に警備員だからってガタイよくなきゃ駄目なんてことないからな」


「知ってるっす。とりあえず若けりゃある程度重宝される業界っすよね」


「知ってんなら余計なこと言うんじゃねぇ」


「嫌だなー先輩。話を盛り上げようって後輩の気遣いじゃないっすか」


 こいつめ。ちょっと雰囲気がイケメンチックだからって調子乗りやがって。まぁこういう適当なヤツだから仲良くやれてるんだけど。


「でもなんで急に就活してるっすか? 家族を人質に取られたとかっすか?」


「そうまでされねぇと動かねぇと後輩に思われたのか俺」


「先輩はジジイになって死ぬまでフリーターしてるかと思ってたっす、覇気ないし」


「うっせ。……まぁ個人的な事情だよ。今年中に就職したい理由が出来たんだ」


「へぇー。先輩、もしかしてこの話クソ長かったりっすか?」


「お前が聞いたからしてるんだろうが!」


 興味ありげに聞いてきたかと思ったら、つまんなそうにスマホをいじり始めて興味なさげな態度をとる安中。こいつめんどくせぇな。


「……で、その事情とは?」


「結局聞きたいのかよ!」


「っす。おもろそうな雰囲気したんで」


「はぁぁぁぁ……」


 年下の後輩に手玉に取られるのは癪だが、正直もう話したい気分になってたし——


「就職したら告白するから付き合おうって約束した女の人がいて——」


「は? なんすかそれめっっっっっちゃおもろい話じゃないっすか!」


 さっきまでいつ帰ろうかとタイミングを伺っていたのに、突如として俺のそばまできてもう一つのパイプ椅子に腰掛けた。


「おおう……なんだよ安中、急に食いつきいいじゃん」


「まさか先輩からそんなおもろそうな恋話聞けるなんて思ってなかったんで!」


 安中は目をキラキラしながら食い入るように身を乗り出してくる。男に近寄られても気持ち悪いだけなので、身をのけぞって避けた。


「どんな人っすか!? その女性って!!」


「別に……年上の煙草友達だよ」


「もしやそれは仕事終わった後一緒に煙草吸ってる人っすか?」


「そうそう……ってなんで知ってるんだよ」


「いや先輩飲み物2人分買ってビルの裏に回ったりしてたんで」


「バレてたのかよ……はず」


 バレてないと思ってたのに。安中は「当たり前じゃないっすか」と涼しい顔をしていてなんか悔しい。


「で、どういう経緯で就職したら告るなんていう漫画みたいな流れになったっすか?」


「そういう聞かれ方すると話したくない」


「なんでっすか。ケチな先輩だなぁ」


「言いたくない! 勝手に想像してろ!」


「ちえっ」


 安中はこれ以上俺から芽依さんの話を引き出せないと踏んだのか……


「それならマジで就職頑張らなきゃっすね。愛のために!」


 話を就職の軸に戻してきた。最初よりもはるかに高い熱量を持って。


「愛とかいうなよ恥ずかしい」


「なんでっすか。愛でしょうが、愛。先輩を動かしてるのは……LOVE!」


「うるせー! 愛とかLOVEとか言うなー!」


「じゃあなんだっつーんっすか!? 何が先輩を突き動かしてるっすか!?」


「そ、そりゃあお前……」


 想像以上に圧のある安中の言葉に、不覚にも真面目に考えさせられた俺は……


「まぁ……愛だな」


「ほらぁ〜〜〜〜〜」


「ニヤニヤすな!」


 チャラチャラした見た目から繰り出される渾身のヘラヘラ笑いは俺の神経を逆撫でする。


「ついさっきまでオレまじで先輩のことちょっと舐めてたっすけど——」


「おい」


「愛を理由にやる気出す姿はちょっとだけ尊敬出来る気がするっすわ」


「それでもちょっとかよ」


 普段軽く話すときは感じないけど、こうして

腰据えて話すといちいちトゲがありやがる。


「そんで警備会社攻めてるのにもなんか愛故の理由があるっすか?」


「お前も言ってたろ、若さで重宝されるって。俺高卒だし特に売りもないからさ」


「愛は語れるくせに夢はないっすね」


「お前ちょっとどころじゃなくだいぶ舐め腐ってるよな!?」


「もっと他にこれがやりてぇ! みたいな業界あったりしないっすか」


「ねぇよ! 夢があったらコンビニでバイトなんてしてねぇわ!」


「違いないっすね。失礼いたしやした」


 そこで素直に謝られるのもムカつく。こいつ人のテンポ崩すの上手いな……無駄な才能。


「別に……夢もないからさ、今の俺にやれる範囲で手堅くいきたいわけよ」


「愛のために?」


「あ……愛のためにだよ」


「ヒュー」


 言わされてる感は否めないが、確かに俺は愛のために動いているとしか表現出来ない。

 俺がいることで少しでも芽依さんの人生を支えられるような……彼女の救いになれるような男になるのが目標だから。

 そのための手段……つまり、俺がどんな労働をするのかはどうでもいいのだ。


「先輩、案外男っすね。これは冗談抜きで尊敬しますわ」


「……お、おう」


 まっすぐとした目でそう言うことを言われるとむず痒さが半端なく、俺は安中から視線を外してスマホへ落とした。


「じゃ、応援してるんで。進展あったらオレにも教えてくださいよ?」


「おう。そん時はバイト辞めるだろうしな」


「先輩辞めたら夜勤の枠あくだろうしそれも楽しみっすわ」


「薄情な奴め」


「んじゃ。お先でーす」


 ヘラヘラ笑いながら、去っていく安中を見送る。俺ももういつでも帰れるけど、並んで帰りたくはないのでもう少しここに居座る。

 出るタイミングを伺いながら、スマホを弄っていると……


「お」


 ちょうどいいタイミングで、ラインの通知が入り確認すると……芽依さんからだ。これに返信したら帰るとしよう。


「っ……」


 その内容は、


『明日仕事休むから上来なくていいよ』


 という冷めた事務連絡だった。こんなライン今まで来たことない。

 不穏なものを感じながら、深く追及することも出来ず……「了解です」とだけ返して、俺はバックヤードを後にするのだった。

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