身長二メートル越えの腹筋バキ割れオークさんに性奴隷として買われた破滅願望&トラウマ持ち巨乳マゾエルフ犯罪奴隷少女が自身の過去と自罰感情を乗り越える中世ファンタジー風異種間激甘ラブコメディ(100文字)

つくもや

 金槌が振り下ろされ、鉄を打つ音が反響する。炉にはオレンジの炎が揺らめき、数分もいればどろどろの汗で服が使い物にならなくなるほど熱気に満ちた鍛冶場に、オークさんの大きな背はあった。鑿で荒々しく削り出された木像のごとき筋肉質な腕で、鋼鉄のハンマーを握り、燃え盛る炎の中から取り出された橙色の鉄を打つ。工房に響くカン、カンという音は絶えることを知らない。滝のように流れる汗を拭うこともなく、散った火花に眼もくれず、オークさんは鉄を打ち続ける。


 さて、一心に鉄に向かうオークさんの後姿を、うしろから見守る影があった。少女は雪のように白い長髪を腰のあたりまで落とし、白い布服ペプロスの上に着古したエプロンを身に着けている。髪の隙間から覗くとんがった長耳はエルフ族であることの証。少女は、お昼のことも忘れて仕事に夢中のオークさんに苦笑すると、華奢な身体を鍛冶場の柱にもたれかかって預けて、のんびりと鉄を打つ腕が止まるのを待つことにした。やがて、オークさんが一本の短剣を打ち終え息をつき、額に溜まった汗を拭うのを見計らうと、少女はすかさず声をかける。


「ねぇ、ゼファー。……おひるだよ」


 声に振り返るオークさん。彫りの深い、男らしい顔立ちをしている。筋肉質な身体は優に二メートルを超え、エルフの少女との身長差は優に五〇センチメートルを超えだ。彼は呼びかけに、静かな調子で答えた。

 エルフの少女が身に着けていた白い布服ペプロスは汗を吸い込み、じっとりと身体に張り付いて乳色の肌を浮かび上がらせている。麻布で汗を拭ってから、ぱたぱたと手を団扇にすると、オークさんを少し非難するように、けれども嫌味ない愛嬌のある様子で言葉を続けた。


「集中しすぎ。……十二おひるの鐘はもう結構前になってたよ」

「すまない。まるで気がつかなかった」

「……もう」


少女は苦笑する。怒りはまるでなく、彼の性分なのだから仕方がないといった風であった。


「準備できてるから、冷めないうちに、一緒に食べよ」


 少女はオークさんにあきれ混じりの笑みを見せると、身に着けていた布服ペプロスの裾を翻す。鍛冶場の入り口近くにあるテーブルへ向かって、後遺症の残る不自由な右足を引きずりながら歩きはじめた。


「ささ、早く早く」


 エルフの少女は快活に振り向き、緑の瞳で微笑むと、手招きをする。彼らの昼餉おひるごはんがはじまろうとしていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「なあゼファー、お前暗いんだよ。どうにかしろ」


 一月終盤の昼下がり。魔界の帝都「ユート」を包む鉛色の空から白雪がはらはらと舞い、石畳のストリートをゆく人々の息が曇る頃。オークさんは工業区画の片隅にある煉瓦造りの家(兼作業場)の二階にある寝室で、部屋の隅に置かれた姿見を覗き込んでいた。

 筋骨隆々にして身長二メートルを超えるマッチョオークさんが、高さが一メートル五〇センチ程度しかない姿見を覗き込むためには、かなり無理な格好で覗き込まなければならない。その様は中々に滑稽であったが、いまオークさんに視線を向けているのは、ぼた雪が積もった窓の外側でたむろするカラスどもくらいだった。大雑把なオークさんはカラスたちの視線など気にしない。彼にとって目下の課題は、鏡の中に映る己の顔と神妙な表情でにらみ合いながら、自分がこんなことをするきっかけとなった、人間族のヘンリとの会話を反芻することであった。

 ヘンリというのは、オークさんの数少ない友人(もしくは悪友)である。同じ鍛冶職人の仲間であり、またオークさんに「暗い」とナイフのように鋭いワードを言ってのけた張本人であった。

 やがて、オークさんは鏡から視線を外し、静かに頷いた。

「なるほど、不健康だ」。

 彫りの深いオークさんの顔は、疲労を貯め込んだことによって、どんよりと影が差していた。重苦しい表情は演劇の仮面のように固まっている。場にいるだけで気が滅入るような陰鬱さをたたえたまま、明るくなる兆しをまるで見せない。とにかく暗い、暗い、暗すぎる。……なるほど。ヘンリから文句を言われるのも無理もない。オークさんはため息をついた。


 ――オークさん、本当の名前はゼファー。彼は魔界にある小さな寒村の、貧しい農家の三男坊として生まれた。兄弟の食いぶちを守るため一二の頃に故郷を去り、ユートの港から人間界へと向かう船に乗った。魔界-人間航路は快速帆船クリッパーを用いても百日はかかる。オークさんは数か月にわたるボロ客船すし詰めの三等客室生活をなんとか生き延び、縁あって堅物鍛冶職人に弟子入りした。そして二年に一度の間隔で倹約して貯めたお金を小切手で送り、寒村に暮らす家族に仕送りを続けていた。

 しかし今から七年前、オークさんが親方からようやく独り立ちして職人となり、魔界への里帰りを計画していた頃、人間界と魔界との間で戦争が勃発した。とはいっても人間対魔族というわかりやすい対立軸ではなかった。この「カスティーリャ継承戦争」と呼ばれる五年にもわたって続いた戦争は、人間界のカスティーリャ王国の王位継承と、その利権をめぐる大人の戦争だった。すなわち「東王国フランスに亡命していたカスティーリャ王子(長男)の王位継承を助け、利権を得ようとする東王国と教皇(&たくさんの諸侯)」VS「カスティーリャに残った王子(次男)の王位継承を助け、利権を得ようとする西王国イングランドと魔界の帝国(&たくさんの諸侯)」という仁義なさすぎる対立軸であった。

 この時代、人間界で戦争の主力となる戦力は傭兵である。オークさんも師匠も「国民軍ナショナル・アーミー」という概念はおろか「国家ネイション」なんていう言葉すら知らない。そのため、オークさんやその師匠といった庶民連中にとって戦争は、荒くれ傭兵どもが街を略奪しに来るようになったり、パンの物価が高くなってしまう厄介ごとくらいのイメージだった。しかし、戦争による大規模な海上封鎖が行われ、魔界と人間界を繋ぐ連絡船がすべて運休となってしまった。


 五年後、オークさんが略奪に来た傭兵から都市を守ったり、さらに鍛冶の腕を磨いたりしているうちに戦争は終結した。どうやら魔界と西王国は第二王子を見殺しにして、東王国と教皇の息のかかった第一王子がカスティーリャ王国の国王に就任したらしい。まあ、そんなことはオークさんにとってクソほどどうでもいいことだった。彼にとって大事なのはようやく連絡船に乗って故郷に帰り、独り立ちした姿を見せることができるということだけだった。戦争の勃発から実に五年も待ったのである。

 しかし彼が二十数年ぶりに戻った魔界は地獄と化していた。人間界との戦争が長引いたことによって魔界帝国の屋台骨のはずの悪魔イフリートは求心力を失い、乱立した地方軍閥による魔界全土を巻き込んだ凄惨な内戦が戦争終結後も続いていたのである。

 オークさんは何度か野盗や反乱軍兵士に襲われながらも、なんとか村に戻ることができたが、彼の故郷はすでに焼跡となっていた。村の跡地には、灰になって土の中に埋められた父母兄弟ふぼけいてい旧友たちの墓標が並ぶだけだった。墓前で霊歌を歌う盲目の墓守の少年によれば、村が軍閥に襲われて自分だけが生き延びたのだという。

 その後オークさんは、復興の進む魔界の首都ユートに工房を構えて、街の再建を助けていた。帝都ユートは、内戦後期に炎龍族が実行した首都奪還のための空爆作戦によりすべてが灰塵と化していた。そのため包丁から建設用の釘に至るまで、あらゆる物資が不足していた。オークさんの鍛冶屋としての仕事は山のようにあった。

 故郷を失ったオークさんは鍛冶の仕事に己の存在意義を求めて、脅迫的なまでに働き続けた。俗にいうワーカホリックである。……そして、ふと気づけば二年もの月日が過ぎていた。


 鉄鋼同業組合ギルドの鍛冶屋仲間であるヘンリが、仕事終わりに死んだ魚のような目をしてビールを飲んでいたオークさんを「暗い」と言ってのけたのは、もちろん彼のクソ重い過去を知らなかったからである。このヘンリという人間の男は、無遠慮に物を言う悪癖はあるが、帝都ユートに暮らすオークさんの数少ない友人(あるいは悪友)であった。

 しかし一方で、ヘンリが苦言を呈すのももっともであると言わざるを得ない事情もあった。事実として、オークさんは側にいるだけで重力が二割増しに感じるくらいには、ずどーんと落ち込むような重厚にして漆黒のオーラを放っていたのである。「お前重いんだよ」と文句を言われるのはまあ仕方のないことだった。


 さてオークさんが鏡を見つめてから数日後。二人は街の場末にあるコーヒー・ハウス、「ラビット・コフィン」のコンパアトメント席を囲んでいた。この店は六代目女主人こと愛嬌のある若年増の人狼の女将が仕切っている。中身はともかくとして、容貌は窈窕たる佳人のそれなので彼女に惹かれて「ラビット・コフィン」を訪れる客は少なくない。まあ彼女は既婚なのだが。さて、人狼族の寿命は三百年程度なので、若年増(人間族では二〇歳)を自称する彼女であっても六○年は生きていることになる。若いころから鍛えられた厨房の技術は実に半世紀モノであり、場末の喫茶店とは思えない超一流のそれであった。「ラビット・コフィン」は人間界から輸入してきた珈琲豆を丁寧に焙煎して淹れてくれるという本格嗜好のくせして、一杯あたり280ギルシュ(焼きたての総菜パン二つ分くらい)とお手頃価格。しかも嬋娟たる女将さんの技量も相まって、まさに知る人ぞ知る名店であった。

 人間族のヘンリはぷかぷかと葉巻から紫煙を昇らせて、時折、机の上に置かれたベーコンサンドイッチに手を伸ばしていた。それに対して、煙草は嗜まないオークさんは超劇薄珈琲アメリカンを黙々と飲み、何杯もおかわりを続けている。

 彼らの会話は、饒舌おしゃべりなヘンリが頭の中にぱっと浮かび上がった話題をそのまま反射で舌にもっていってまくし立て、オークさんが硬い表情のまま「そうか」相槌を打ち、お喋りで姉御肌の女将が仕事そっちのけで話に割り込んでくる、とそのようなものであった。話の中身は千差万別で、今日の会話は「枢機卿猊下の最新毛根事情」「帝都ユートで出くわした狂人酔っ払い列伝」「一人称が『ぼく』の女は間違いなく地雷」と続き、「鉄鋼同業組合正会員ちんちん格付け白書・右曲がり編」が終わろうとした。若年増の人狼女将は、下ネタになると必ず話に混じるので、この話題では大いに盛り上がった。さいごにギルドの会計監査役殿には随分と失礼な結論が下され、ちんちん格付けの話題が終わった。かと思うと、すぐにヘンリはふと何かを思い出したように神妙な表情をうかべると、次の話題に取り掛かる。オークさんの方を改めて向き、眉をひそめて小声で口早に言った。


「なあ、ゼファー。お前、ちょっとはその岩みたいに固まった表情を動かせないのか」

「あんた、いっつも辛気臭い顔してるもんねぇ」

「……いや、難しいな」


オークさんは肩をすぼめ、本当に難しそうな顔をした。その表情があまりにも暗黒をしていたので、ヘンリと女将さんは気まずそうに視線を合わせた。


「なあ、好きな女とかいねぇのかい?」


と心配そうな声で女将さんは尋ねた。


「はあ。いると思うか?」

「だろうな。お前のことだし」


とヘンリはオークさんの言葉を予想していたように頷いた。しかしそのまま目を閉じて、何か懐かしむような表情を浮かべて言葉を続ける。


「けどな、恋はいいものだぞ。ふっと情愛神エロースがおれの魂に息吹を吹き込めば、もうそれだけで身体とちんちんは活力いっぱいよ。あとは竪琴リラを片手に吶喊して、当たって砕けるだけさ」

「お前はいつも恋に愛にと忙しいな」

「何を言うか。逆にゼファー、お前は女に興味がないのか?」

「わからん」

「なんだゲイだったのか。残念だが、おれは女装した美男子以外は抱けないぞ。どうしてもって言うなら、あのクソぼったくり悪魔イフリートどもから陰陽転換薬でも買っておれに貢ぐんだな。いや、試したことはあるぜ。一応。五年くらい前に。陰陽転換薬で女になって花街のイケメンホストどもをとっかえひっかえして……んにゃ、この話はやめておこう。まあ、おれは諦めるこったな」

「そういう趣味もない。ただ、ここ数年はまるで性欲が涌いていないだけだ。男にも女にも」

「へぇ、オークにもインポテンツがあるんだねぇ」


と女将さんは興味深そうにオークさんの下の方に視線を向ける。


「……そうだな」

「おっとごめんよ。そう怒るなって。けどさ、あんただって別に女に興味がないわけじゃないんだろう? ほれ、狼女の胸を揉むかい? 意外と柔らかいぜ」

「興味がないわけではないと思いたいが…………あと胸は結構だ。揉んだことがお前の親父さんにバレれば、俺が八つ裂きにされちまう」


女将は「あはは違いねぇ」と大笑いした。


「あんた見た目はバリッバリに肉ダルマなのに、性格はまるで草食だよねぇ」

「草食?」

「つまりは童貞気質で陰気な野郎ってことさ」

「まあそうだな」

「あーあー、認めちゃって」


 女将さんに絡まれるオークさんの様子を、煙草の煙を吹かしながら愉快そうに眺めていたヘンリは、ふとまた何か思い出したかのような顔で「なあ」と口を切った。


「つまりだ。窈窕まじかわ婀娜えろかわたる淑女とお知己ちかづきになって、そのインポテンツをどうにかすればお前も気が晴れるんだな」


 ヘンリは煙草の灰を鉄皿に落とすと、その口元をにっと歪ませて悪い笑みを浮かべた。童貞オークさんの「いや、そうとも限らないと思うが……」という小声の文句を無視して、実に楽しそうに言葉を続ける。女将さんも「いいじゃないか」と乗りかかる。いつものように勝手に話が進もうとしていた。


「草食系童貞野郎のゼファー君でも手を出せる超絶美少女。あてがあるんだなこれが…………なあゼファー。奴隷市場って知ってるか?」



 それから数日後、オークさんはヘンリがあれからバナナ酒に酔った右腕で書いた紹介状を手に、バラックの並ぶ貧民窟を歩いていた。ストリートにはござを広げた商人たちが店をつくり、盗品の宝石から今晩のおかずにいたるまで、さまざまなものを雑多に売っていた。オークさんはござの上に並ぶ商品をちらちらと覗きながら、時折足を止めて、たとえば少なくなっていたカンテラの油を買ったり、歩きながら食べるためのバナナを一房買ったりした。

 いくら治安の悪い地域とはいえ身長二メートルを超える巨体を敢えて襲おうとする勇気のある者はいない。しかし、そんなオークさんでも隙を見せれば言葉の通じないアウトローに囲まれて殺されるのではという不安はあった。現にそうやって命を落とすものは決して少なくはなかったのである。

 帝都ユートの北西部に広がる貧民窟は、この国の抱える問題の一つであった。数年にわたる内戦によりいくつもの村が焼かれ、田畑は荒らされ、多くの者が僅かばかりの貯えを手に、先祖代々の土地を捨てユートに移住してきた。オークさんは幸運なことに、人間界で磨いた鍛冶の腕があり、容易に職を見つけることができた。しかし、多くの者は職も住む場所も見つけることができないまま、仕方なくこの貧民窟に流れ着くのであった。

 さて、オークさんはといえば、ヘンリからもらった紹介状にかかれている店名らしき文字列と、それに一致する看板の文字列を探して目的地の周辺を、砂埃を舞わせながらうろうろしていた。オークさんは文盲である。若いころから学校に通う金もなければ、余裕もなかった彼は自分の名前である「ゼファー」を書ける程度にしかユート文字を読み書きすることができない。そのため、彼は必死になって紹介状と看板の照合を続けるはめになってしまった。人間界にいた頃は、文字なんて誰も知らないのが当たり前だったが、魔界の帝都であるユートに移住してからは、あちこちで文字を見るようになった。首都ユートにおける識字率は(機能的非識字も含めて)人口の五六パーセントである。いい加減、読み書きくらいは習得しておかなければならないのかもしれない。オークさんは無機質な看板の群れを相手に苦戦しながらそんなことを考えていた。


「……もしもし、君がゼファー君だね」


 彷徨えるオーク人と化した彼に声を掛けたのは、お世辞にも清潔感があるとは言い難い、パッチワークまみれのズボンをはいた初老の男性だった。その毛根はかなり後方まで撤退している。男は、身長二メートルを超えるクソデカ筋肉だるまのオークさんとの体格差に物怖じしながらも、両手を身体の前で握って商売人特有の口調で話し始めた。


「奴隷市場マーレボルジェへようこそ。ヘンリ君から紹介を受けている」


 魔界において人身売買を担当しているブローカーの多くは成金連中であり、客の多くもまた成金である。彼らは高級感とか清潔感といったことを無駄に気にするので、この男のような、頭のてっぺんから爪の先まで庶民の空気に馴染んだ男が人身売買の仲買人をしていることは、随分と珍しいことであった。

 彼はオークさんを遊牧民の移動式住居にも似た大きなテントへ導いた。掛けられた看板と紙片の文字列を見比べるが、どちらもミミズが這ったような線や点が並んでいるばかりでよくわからなかった。店主に「ささこちらへ」と促され、暖簾を押し上げて天幕の内に入った。

 テントに入りオークさんが目にしたのは、首輪をはめて質素な服を身にまとった少女たちの群れが、床にぺたりと座り込んでいる景色だった。オークさんはこういう風な場所(とそれ以上に女の子)に慣れていないせいで、脳内が真っ白になり完全に石化した。その様子を見て、店を不振がっていると勘違いしたのか(実際は童貞すぎて固まっていただけであった)、初老の男は錆びついた金属片を懐の中から取り出した。それは魔界の帝国で広く使用される特許状で、この男の店舗が皇帝の許可を得て商売をしていることを示す証であった。


「心配はいらないよ。特許状なら持っている」


 店主の解説によれば、一六○年前に戦死したとされる七代前の皇帝、イスファリア四世の玉璽が押された特殊金属版であるとのことらしい。戦乱のどさくさに紛れて手に入れたものであることは明らかだったが、皇帝は既に死に、行政官も失効宣告を発することを忘れてしまっているので、効力はあるとのことだった。


 ――モザイク国家。人種の坩堝。サラダボウル。他種族国家であるユート帝国は、超少数種族である悪魔族イフリートを皇族として中心に据え、彼らが他の種族間のパワーバランスや利害関係を慎重に調整することによって成立している。この点は、主権領域国家がそもそも存在しない人間界とはかなり違う。

 特に帝国直轄都市であるユートでは、さまざまな種族の若者たちが各種族の自治区や農村から出奔してくることもあり、種族の多様さは群を抜いていた。人族もエルフも、炎龍もジンもイフリートもオークも皆この街では同様に、所狭しと軒を並べる同族であった。

 ……つまり何を言いたいのかというと、日常的にいろいろな種族と過ごしているオークさんの性癖ストライクゾーンはめちゃくちゃに広かった。


 彼は首輪のついた少女たちの姿を眺めていた。人間、夢魔、獣人、……。ばらばらの種族の娘が、同じ麻布の貫頭衣を身に着けて、床にぺたんと座して佇み、性奴隷として売られるのを待っているという、オークさんがこれまでに見たことのない光景だった。彼女たちはオークさんの姿を見ても関心を寄せることはなく、ちらりと一瞥すると視線を外してしまった。

 オークさんはふと、一人の少女が目に留まった。エルフ族特有の長耳をもつ彼女は静かに床に座し、長く伸びくすんだ灰色の髪を床に散らして、淀んだ緑色の瞳でテントの天井をぼんやりと眺めていた。しかし何よりもオークさんの注意を惹いたのは、彼女の右肩から覗く、青黒い狼の刺青だった。――――それは、犯罪を犯して、人間としての権利の喪失を宣告された者の証だった。


 売られている少女たちは、女好きのヘンリが自信をもって紹介する店だけのことはあり、みな愛嬌のある顔つきをしていた。このエルフの娘を除いた奴隷の娘たちは、北の方の寒村の家から口減らしに売られてきたということが容易に想像できた。彼女たちのような農家生まれの少女というのは、独特の胆力というかたくましさがあり、どんな環境であってもそれなりに上手く生きる術を知っている。ソースは寒村出身のオークさん。

 この「マーレボルジェ」という店は宝石の原石ともいえる彼女たちを安値で買い叩き、娼館や高級な飲み屋に供給して利益を上げているという旨の説明をヘンリから聞いていた。ゆえに彼女らは、いまは貧民窟で売られるのを待つ灰被りの姿であったとしても、きっとそのうち豪華絢爛衣装を身に纏い、帝都の花街で荒稼ぎすることになる。寒いところ出身の村娘はマジで強いのだ。


 しかし、この白髪のエルフの少女だけは明らかに違っている。

 そうオークさんは感じてとった。


 ふと、彼女の緑色の瞳と目が合った。エルフ族の娘は莞爾にこりと、諦観あきらめに満ちた表情で、少し気まずそうにオークさんにはにかんだ。自己嫌悪、自嘲、諦観。それらが混然一体となったような、ぞっとさせられる表情だった。……もし俺が買うと決断しなければ、数日経たないうちに彼女は自ら命を断つだろう。オークさんは直感的にそう確信した。

 終戦後の大混乱を生き延びたオークさんは、いま手を差し延べねば明日には命を失う人をたくさん見てきた。そして彼らの多くを見殺しにしてきた。このエルフ族の少女の表情かおは、生きることに諦めて命の炎が吹き消えようとしているときのそれだった。ちらりと彼女の首輪につけられた値札を一瞥する。無趣味で無駄に金をため込んでいたオークさんなら十分買える額だった。


「なあ」

「お決まりですか?」

「彼女を」


 オークさんはそう言うと、エルフの娘を指した。

 男は「はいはいなるほど」と算盤を手に取るが、オークさんの指先がエルフの少女であることがわかった途端に怪訝そうな表情を浮かべる。


「ああ、そいつね……。確かに顔は好いがお勧めはしないよ。いや、買って行ってくれるってのなら、そりゃありがたいんだけれど。そいつは乳の垂れた魔女がどっかから拾ってきて店に置いていった奴だから返品はきかないよ」

「問題でもあるのか?」

「ハァ、狼の刺青を見ればわかるでしょうよ。こいつは何かしでかして法益剥奪刑を受けて奴隷になったんだ。しかも魔女のお墨付きだぜ」

「とすると彼女は何を?」

「さあ。知るつもりもないね。狼の烙印を押されるってことは、最低でも放火か殺人。そうじゃなくても、政争に敗れて反逆罪をひっ被せられたか……どれにしろこいつは碌な過去を持っちゃいないはずだ。特に政治絡みだと俺の身が危ないよ。ドラゴンの尾は踏みたくないね」

「それもそうだな」

「あと右足だ。外見ではよくわからないと思うが、このエルフの娘さん、拷問でもされたんだんろう。右足が破壊されていて、引きずっていかないと歩けないのさ」


 店主の言葉に、オークさんはエルフの少女を盗み見た。ぺたんと床に座し、虚空をぼんやりと眺めている。ナイフを握ることすらできそうにないほど華奢な指先、諦念に満ちた瞳。引きずらないと歩くことすらできないという右足……。刹那オークさんの脳内に沸き上がったものが独占欲であったのか、同情心であったのか、それとも偽善であったのか。彼にはまるでわからなかった。しかし行動は既に決まっていた。



 白髪低身長幽玄巨乳エルフの少女は首輪を解かれ、オークさんの背中に揺られていた。その体温高めで大きな胸をべったりと筋肉質な身体に押し付けて、歩く振動に身体を揺られながら、猫のように目を細くしてオークさんに身体を任せうとうとしている。そしてときどき、オークさんのでっかい背中から顔を離し、復興が進むユートの街並みを眺めたりして、ちょっと寂しげな表情を浮かべたりしていた。


 ――身長二メートルを超えるオークさんが、身長一メートル四二センチ、身長三八キログラムのエルフ少女をおんぶしていく光景は、あまりに凸凹で中々に奇怪であると思われる方もいるかもしれない。しかし実際には他民族国家ユートでは、他種族どうしの恋愛はむしろ奨励されている。

 戦争末期に勃発した内戦の期間に民族主義・人種主義が暴走し、各地で憎悪や軽蔑による虐殺が行われたことへの反省から、諸種族間の融和は帝国の直近の課題であったからだ。特に、古くから都市として、他種族が共存してきた帝都ユートでは種族を超えた恋愛というものを受け入れる土壌は戦前から十分にあった。ゆえに、この街において、身長差五十センチを優に超えるこのオークさんと、エルフ少女が並ぶ光景というのは、概ね日常的な光景。ゆえに、周囲からの視線はおおむね「爆ぜろ」といったところであった。


「ねぇ」


 背負われたまま、指先で広い肩をぽんぽんと叩く。オークさんは「どうした」とそっけなく答えた。返事をしてくれたことに少し安堵したようにほっと息を吐くと、少女はおそるおそる口を切った。


「あなたのことは、なんて呼べばいい……かな?」

「ゼファー。お前は?」

「……シエラ。その、うん。よろしく……ね? ……背負ってくれてありがとう。…………ごめんね」

「右足のことか?」

「……うん」

「わかって買ったんだから気にするな」


 それからは会話もなく、シエラは流れていく街の景色をオークさんの背中からぼんやりと見つめていた。やがてオークさんは職人の工房が並ぶ区画へと入っていく。一列に並ぶ煙突からは灰色の煙が立ちのぼり、煉瓦造りの建物がずらりと壁を作っている。太陽は大きく傾き、空は赤鴇に染まり始めていた。ユートに夜が訪れようとしている。


「着いたぞ」


 声に、はっとシエラは身体を起こした。赤煉瓦の二階建ての住居。薄暗い一階は工房になっており、奥に二階へと続く階段が見える。そのままオークさんは一階の工房に彼女を連れていき、天井から吊るされたカンテラに火をつける。ぼうと円形をした鉄枠の内側で炎が踊り、薄暗の鍛冶場が姿を見せた。煤のついた暖炉、ハンマー、鉄製の工具の群れ。シエラが揺れるカンテラに合わせて踊るそれらの影たちを見つめていると、オークさんが鉄釜の木蓋を開ける音が響いた。それは風呂釜であった。

 オークさんのハウスにあったのは、大鍋の底を竈で熱し、ゲス板を踏みつけて入るシンプルなそれ。早速シエラを簀子の上におろすと、風呂釜の脇に積んである薪を竈へと放り込み、慣れた調子で火打石で着火する。そして、パチパチと音を立てて薪が炎に包まれていく様子を見守りながら、オークさんは尋ねた。


「入り方はわかるか?」

「……うん」

「そうか」


 ……やはり、シエラはこの街の出身なんだろうな。オークさんは、ちらりと後ろを振り返り、木製の簀子の上でぺたん座りをして、彼の様子をじっと見つめている少女の姿を覗き見た。

 寒村出身のオークさん的には身体を清潔に保つためには、川で水浴びをすることが普通であった。人間界でもあまり入浴施設というものは発展しておらず、このように風呂釜と薪を準備すれば入浴が可能なのは、狂気染みた上下水道網を整備しているユートの街くらいであった。事実、彼が帝都ユートの上下水道のネットワークの恩恵にあずかり、お風呂に初めて触れた頃は、ゲス板を踏み外したり、バランスよく身体を浴槽に滑り込ませたりするのに慣れなくて、何度かひどい目を見たものだった。

 シエラの緑色の瞳と視線が合うと、彼女は力なく笑って返した。華奢な腕には、農具を握っている姿も、剣を持つ姿もまるで似合いそうになかった。

 やがて火もパチパチなりだして、煙突から煙がのぼって数分が過ぎ、浴槽の中に腕を突っ込んでぐるぐるとかき混ぜると、改めてシエラの方を向いた。


「焚けた。先に入れ」

「いいの……? 長いこと入ってないから垢とか油とか。ぎとぎとしてて酷いよ」

「ああ。入れ」


 シエラは「……うん」と小さく頷くと、白い貫頭衣を脱いで簀子の脇に畳んだ。そしてお湯を使って体を清めてから、浴槽につづく階段に足を掛ける。ぷかぷかと浮かぶゲス板を踏みつけて、慣れた様子でゆっくりと身体をお湯の中に滑り込ませた。

 童貞オークさんはタオルがわりの麻布をシエラに手渡すと、その白雪のような肌に視線が吸い込まれそうになる誘惑に耐えて後ろを向いた。入浴中の彼女の右肩には、法益剥奪刑を受けた証である、ダークブルーで彫られた狼の首が覗いていた。


「ねえ」


 風呂で油に汚れた髪を解きほぐしながら、シエラは後ろを向いたオークさんに声をかけた。


「わたしのことが、人間狼アウトローが……怖くないの? こいつはどんな悪いことをしたんだろう……って思わないの?」


 形式ばってもいない。けれどなぜか無礼を感じさせない。まるですり寄ってくる猫のような、どこか受け入れてしまう。そんな鈴のように愛嬌のある声が、工房に響いて消えた。

 人間狼アウトローというのは、放火や殺人などの重罪を犯したことによって、法益剥奪を宣告された者のことを、その印として押される狼の刺青からそう言う。法益剥奪刑によって彼らはあらゆる権利義務が凍結され、文字通り狼として扱われる。そして、財産を奪われたり、強姦されたりしても法による保護を受けることはできなくなる。

 そのため、「人間狼アウトローの奴隷」というシエラの法的な立場は、人間としての権利能力に一定の制限が課せられるだけの普通の奴隷身分とは異なる。法律の問題として、シエラはオークさんの占有物・所有物として扱われ、家畜やペットと同じ扱いになる。兎にも角にも、人間狼アウトローというのはそれだけ重大な刑を宣告された者であり、厄介者の象徴であった。


「思わない」

「……そう」

「お前の過去なんぞ知ったことか。身体犯す分には何も関係ないことだ。敢えて聞くつもりもない。話したいなら勝手にしてくれ」

「……うん」


 彼女の消え入りそうな返事を最後に、しばらく沈黙が場を支配した。オークさんはシエラに背を向けたまま、巌のようにじっと座り込んでいた。ややあって、彼女は意を決したかのように口を切った。


「…………わたしはね、ひとを殺したの」


 シエラの告白にオークさんは押し黙った。オークさんだってわかっていたことだった。彼女の肩に描かれた狼の刺青はつまり「そういうこと」であるのだから。しかし冷静沈着を装うオークさんであっても、彼女の言葉を簡単に信じることができなかった。こんなにも小さな身体で。虫さえも殺すことのできそうにない臆病な瞳で。触れれば壊れてしまいそうな心で。どうして人を殺すことができるだろうか。と。


「そうか」

「……うん」


 シエラは悲しげに、揺れるカンテラを眺めながら、絞り出すように言葉を吐き出した。


「わたしは……卑怯者だよ…………。何も悪くないひとを殺しておきながら、汚くも生きながらえて…………」


 ぱしゃりと軽い水音が響き、シエラの凝脂を温かいお湯が流れた。少女は小さな身体を湯船の中できゅっと抱きしめ、なんとか言葉を続ける。


「………………えへへ。これ言っちゃったから、もうきっと、あなたには優しくしてもらえないね」


 シエラの語気の節々からは、破滅的な彼女の本心が零れだしていた。この賢明なエルフの少女は、自分が家畜と同じであることを当然理解していた。オークさんがこの一メートル四二センチしかない身体の所有権を握っていて、どれほど酷いことをされたとしてもシエラには助けを乞うことも逃げ出すこともできないということも。

 しかしそれでも、彼女は沸き上がる自罰感情と自己破滅願望を打算的に押しとどめることはできなかった。……優しくされるべきではないのだ。シエラはそう確信してオークさんに言葉をつづけた。


「わたしは……家事はうまくないし、足は不自由だし。……この通り生意気だし、自己愛の塊で生き汚いし、……なによりも人殺しで。…………穴っぽことしてサンドバッグにしてもらうしか脳のない…………んぅ」


 そこまで言い終えたとき、シエラの視界がふっと覆い隠された。しばらくして、彼女は己の身体がオークさんの胸の中に抱かれていることに気がついた。あちあちに熱された風呂釜に下腹部の筋肉が触れるのを厭うことなく、オークさんはシエラの身体を強く抱きしめる。

 エルフの少女は「優しくしなくてもいい」みたいな旨の、何か反論めいたことを言ってやろうとした。少女は自分がいかにつまらない人間であるかをよく知っていたし、ひとごろしがこのように抱きしめられて子どものようにあやされることが許されるような立場ではないということも確信していた。優しく抱かれるよりは、ボコボコに殴られて家畜のように屠殺されるほうがこの罪深い肉袋には相応しい筈である。……しかし、オークさんのがっちりとした身体と、何を言っても受け止めてやると言わんばかりの態度に、少女のちょろい身体はすっかり安心してしまい、漏れかけた抗議の言葉は口の端で消えていってしまった。許されないことはわかっていても、もう少しだけ甘えたい。シエラはそのまま、オークさんの身体にぼんやりと身を預けていた。



 オークさんはシエラがあがったお湯に入れ替わりで浸かって、鍛冶場の剥き出しの天井を見つめていた。

 シエラはあれから「ありがとう」と小さくお礼を告げると、渡された新品の布服ペプロスを身に纏い、お風呂に入るために服を脱ぎ始めたオークさんと入れ替わりに工房の床にぺたんと座った。はじめは彼女も、本当に何も考えずにぼんやりととオークさんの脱衣ショーを眺めていたが、やがて雑に脱ぎ捨てたオークサイズの筒型衣トゥニカに隠されていたバキ割れの腹筋と、股間で萎えてもなお三十センチを超える肉の棒が視界の片隅に入ると、視線のやり場所に困って、エの口のまま顔を引きつらせて取り敢えず、後ろを向くことにした。

 ――これは図らずとも、シエラの白肌と狼の刺青と、湯船にぷかぷかと揺蕩う巨乳を見て目のやり場に困り、気まずそうに背を向けて入浴の終わりを待つことにした意気地なしの童貞オークさんと同じであった。

 大雑把な性格のオークさんは、彼女の頭髪から溶け出した脂分や、肌の表面に溜まっていた古い皮膚が湯船を濁らせるを大して気にしなかった。オークさんは後ろを向いて工房の床にぺたんと座り、長い髪を丁寧に拭いて乾かしているシエラの姿を感慨深げに眺める。これもまた、オークさんの後姿をじっと見つめていたシエラの態度と同じだった。少し前まで灰色にくすんでいた彼女の長い髪はすっかり脂分や塵埃を湯船に流してしまって、今やの絹糸のように真っ白でさらっさらになった。水気を湛えた乳色の凝脂が拭き残された水滴できらきらと輝いている。オークさんはシエラの後姿を見ながらこれからのことを考えていた。

 元を正せば、悪友ヘンリに唆されて少女を購入したのは、性欲を向ける健全な対象として商品化された性奴隷を相手にして、己の根暗とインポテンツをどうにかするためであった筈である。きっと、寒村出身の村娘相手なら、お互いビジネス的な付き合いだと割り切っていただろう。村娘はクソ強いからオークさんがいなくても生きていけるという安心感がある。しかし、何を間違えたのかオークさんは、殺人で法益剥奪刑を受けたことを懺悔する激重闇属性巨乳エルフ(かわいい)を購入してしまったのである。

 かしこいオークさんは、もし仮に自分がシエラを見捨ててしまえば、もはや彼女は生きるすべがないということを。図らずしも少女の殺傷与奪をすべて握ってしまったということを理解していた。それは法益剥奪者であるという客観的な側面から見ても、あるいは彼女の心理状態から見てもはっきりそうだと断言できる事実だった。臆病者のオークさんには、シエラを殺す勇気なんてものはない。つまり――――シエラとオークさんとは数百年、死ぬまでの付き合いになるのだということを意味していた。

 オークさんは自分が今日、なんてことはない昼下がりの三十分間の決断で、墓場に入るまでの果てしない時間の運命を決めてしまったことに、改めて驚愕していた。しかし、オークさんには、エルフの少女が見せた破滅的な表情を見ておきながら、それを見捨てるという選択肢などあり得なかった。これできっとよかった。オークさんは猫のように身体を丸めている少女の姿を見つめながら、静かに頷いた。

 日は既に落ちた。吊るされたカンテラの橙色の光が照らす床に、白髪の少女はその肢体を小さく抱えて所在なく座り、オークさんの入浴が終わるのを待っている。

 ざばあと大きな水音をたてて、オークさんは名残惜しさを感じつつも湯船から身を引きずり出した。脂肪の少ない筋肉ダルマボディ故に、冬の寒さが肌に染みて超寒かったが、眼前の少女の手前、男らしく堂々とお風呂から上がったところである。尋常のオークさんならお湯が冷めるまでぐだぐだしているところだった。彼は麻布で軽く水気をふき取り、まだ水滴が残っているのも構わずに筒型衣トゥニカを身にまとう。割烹着をさらに上からつけて、夕食の配膳をはじめることにした。

 夕餉ばんごはんは、帰りしなに買っておいたゴマのパンと、朝食の残り物のスープ。鍛冶場が台所も兼ねてるので、お風呂からあがってすぐに取り掛かる。鍋にかかったままのスープを竈に火をつけて温めはじめる。シエラには、残りを食べるから、先に食べたい量をちぎっておいてくれ、との旨を伝えて、彼女の頭くらいの大きさもある巨大な胡麻パンの塊を手渡した。

 シエラ嬉しそうにそれを受け取ると、オークさんよりも一回りも二回りも小さな腕をぐにぐにと、黒ゴマが大量に練り込まれたパンに押し込んで、格闘を始めた。家へ帰る途中に寄ったパン工房で、どれがいいと訪ねて、シエラが指さしたのがそれだったから、きっと好きなものなのだろう。

 彼女が黒ゴマのパンとファイトしている一方、オークさんがおたまでかき混ぜる鍋の中には、いかにもな男料理のスープが入っていた。肉でとった出汁に、くさみ消しのブーケガルニ。芋と野菜がごろごろとして、シンプルな塩味で整えてある。オークさんは無骨な金属椀を二つ、そこらへんから取って、おたまでどちゃっとよそって、湯気の立ち昇るままにシエラに手渡した。彼女はだいたいこぶし大のパンを己の取り分として脇に置いた。そして「ありがとう」と渡されたスープ椀と交換に、残りの大部分のパンをオークさんに返した。大食いのオークさんは怪訝そうな顔をして尋ねる。


「随分と少ないが、これだけでいいのか?」

「うん。わたし……すぐお腹いっぱいになるから」


 オークさんは「そうか」と頷いた。自分の分の金属椀を片手に持ち、シエラの横にどっかりと腰をおろす。そうして二人顔を見合わせると「「いただきます」」して、匙でスープを口へと運びはじめる。途端シエラの表情がほころんだ。


「あ……おいしい」

「そうか」

「うん。きちんと丁寧に時間をかけて鶏の出汁をとってあって……うん。おいしい」


 そのまま二口、三口と匙を口元へ運んでいく。オークさんはその様子を、自分もスープを飲みながら感慨深げに見つめていた。


「わかるんだな」

「料理するの……好きだったからね」


 と、少し悲しそうに。


「そういうことなら、お前の料理を今度食べてみたい」

「でも、ここ何年かまったくやってないから、多分おいしくないよ……?」

「構わない」

「……うん。わかった。頑張ってみる」


 揺らめくカンテラの灯りの下、オークさんとシエラは、おたがい不器用なりにぽつりぽつりと会話を交わしながら、スープと、パンの塊を減らしていった。やがて食事を終えて、さいごに水がわりのビールを一杯飲み終えた二人は、無言で向かい合った。シエラの表情は、酔いが回り始めたのか、少し赤らんでいた。


「……ねえ」


 彼女は観念したかのような、様子で口を切った。それはオークさんには、頬を赤らめて愛嬌があるようにも、もしくは諦めと破滅に満ちた少女の退廃を感じさせる表情にも見えた。


「するんでしょ」

「ああ。そうだな」


 ややあって、シエラは意を決したかのようにオークさんを見つめた。そして、消え入りそうな声で話しはじめる。


「……なら、できるだけ酷くしてほしいなって。…………わたしは……悪いひとだから。やめてって泣いて頼んでも……やめないでいいよ。…………そのほうが、……うれしい」


 そう言い終え、莞爾にこりと微笑んだシエラの表情は、幽かな炎の灯りに照らされ、破滅を渇望するかのような、不気味な陰影を描いていた。

 オークさんは彼女のその表情を見た瞬間、ぞっと鳥肌が立った。シエラの暗闇の一端を垣間見た気がした。しかし次の瞬間には、彼女の表情はもとの捉えどころのない、ぼんやりとした笑みに戻っていた。

 オークさんは言葉を失った。それと同時に、かつてヘンリが、オークさんに告げた「お前暗いんだよ」という文句を思い出された。ヘンリもまた、オークさんがシエラを心配するのと同様に、オークさんのことを心配していたのかもしれなかった。しかし、饒舌で言葉を選ぶのが上手い彼とは違って、オークさんはシエラに何と言って返せばいいのか、まるでわからなかった。

 オークさんがシエラを買ったのは、もとをただせば己の性欲を満たし、根暗をどうにかするためであった。だというのに気がつけば、シエラのことを憐れみ「どうすれば彼女の心に寄り添えるだろうか」なんてことを考え始めている。…………偽善だ。オークさんは小さく首を振った。逆らえない立場の相手にこのような感情を抱くことは、エゴイズムの発露に他ならない。

 女好きのヘンリであるなら、竪琴リラの音色とともに耳元で都合のいい言葉を囁いて、シエラの心に、過去に、その傷に、優しく触れることができるのかもしれない。しかし、不器用で女の子と話したことなんてまるでないオークさんにそんな芸当は不可能であった。

 シエラに話しかけることが恐ろしい。シエラに触れることが恐ろしい。シエラを抱くことが恐ろしい。オークさんには自分のしたことが、あるいはしなかったことが結果として彼女を死に追いやり得るという現実が、恐ろしくて仕方がなかった。

 沈黙が続いた。スープの温もりは腹の中に溶けて、冬の寒さが肌を刺しはじめる。カンテラの炎が蜃気楼のように揺らめいた。やがて、オークさんは覚悟したように眉を寄せると、ゆっくりと口を切る。


「ああ。わかった」


 オークさんはそう、はっきりとした声でシエラに返した。



 みしり、みしりと木の階段を軋ませて、シエラを背負って二階へと向かう。そして階段を上ってすぐの扉を開けてねやに入った。オークさんの自室。とはいっても、無趣味で文盲のオークさんの部屋にあるのは姿見とベッドくらいのものだった。

 オークサイズのベッドの上、シエラは足を崩して、ぺたんとお尻をベッドシーツの上に落として座った。入浴を済ませた少女の妖しげな甘い香りが部屋に満ちていく。窓の外には銀色に輝く望月。差し込む月の光で空気中の埃がきらきらと瞬いている。布服ペプロスからこぼれた彼女の雪のように白い肌。儚げに微笑むその表情……。


「シエラ」


 オークさんは意を決して、小さな右手を掴むと、そのまま身体を抱きしめた。

 結局、オークさんには正解がわからなかった。このエルフの少女に何と告げるべきか。しかし、オークさんの胸の中には憐情とは異なる別種の感情が浮かんでいた。

 ……どうやら、俺はこのエルフの娘を好きになってしまったらしい。

 文句を言えない性奴隷を買い受けておいて、「好きだ」なんてのたまうのは、あまりに身勝手であり許されるものではない。そのことを理解するぐらいの道徳倫理はオークさんにもある。――しかし、それだとしても、シエラのためにありたいという情動は確かであるとオークさんは信じていた。己の作為したこと、もしくは不作為しなかったことにより、彼女の気持ちが少しでも晴れやかであってくれるのなら。と思わずにはいられなかった。

 この少女がどのような経緯から殺人の罪を犯したのか、その仔細をオークさんは知らない。信頼を勝ち取って、彼女の口から自然と零れるまでは敢えて尋ねるつもりもない。……しかし今現在のシエラにとって「暴力」が救いや贖罪となるのならば、それに応えよう。彼女のために酷いことをしよう。それがオークさんの出した結論だった。


 抱きしめたシエラの身体は、触れれば折れてしまいそうなくらいに華奢だった。オークさんのクソデカ胸筋に押しつぶされた彼女の胸からは体温がはっきりと伝わってくる。少女の肩口からは桃のような甘りがして、腕にかかる純白の髪が清流のようにオークさんの肌をくすぐった。

 力では決して叶わないことを誇示するかのように力を籠めて肩を抱く。そのことでシエラに「今から酷いことをする」と言外に伝える。彼女は身を小さく震わせると、観念したかのように脱力して、オークさんに任せるがままになった。


 オークさんの筋肉質な男の身体の前では、もはや逃げることも抵抗することも意味を持たない。もうどうしようもなく詰んでいて、犯される以外にこの肉袋の使い道はないのだという被虐に、シエラはぞくぞくと背筋が冷たくなるような多幸感を覚えていた。

 オークさんは無言のまま、カンテラの灯りをたよりに、彼女の布服ペプロスを留めている腰紐に指を掛けた。シエラの白い服の布地を青い紐が走り抜けていく音だけが、薄暗い部屋に響く。ほどいた紐を寝台の欄干にかける。ばらけた布の隙間から白い足が覗いた。

 シエラを抱いたまま、オークさんは彼女の布服ペプロスの肩の留め具に指をかけて、緑色の瞳を見つめる。すると、月光に照らされた彼女の視線は、小さく頷いて返した。

 留め具を失ったことで、布服ペプロスはただの一枚の布になる。するすると布がこすれる音が響く。やがて、寝台の上には、一枚の布を足元に残して、一糸まとわぬ姿となりカンテラの光を浴びるシエラの姿があった。腕をだらんと脱力して釣鐘型をした乳房を晒し、やや頬を紅葉させて気恥ずかしげに、オークさんに媚びるように笑って見せた。

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身長二メートル越えの腹筋バキ割れオークさんに性奴隷として買われた破滅願望&トラウマ持ち巨乳マゾエルフ犯罪奴隷少女が自身の過去と自罰感情を乗り越える中世ファンタジー風異種間激甘ラブコメディ(100文字) つくもや @tukumoya

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