天使を創る(2)

 それから十日間はやはり戦争のようだった。私はちょくちょく休憩をもらっていたのだが、博士なんかほとんど寝てないのではないだろうか。流石に睡眠不足の状態で手術をさせるわけにもいかないので、お客さんが来る前日には渋る博士を早めに寝かせた。


 そして、今日、手術はとりあえず成功し、初日に打ち合わせをした応接室で目の下にものすごい隈を作っている博士と、背中の痛みに眉をしかめている少女が向かい合って座っていた。


 彼女のできたばかりの羽は大振りで、ソファに座る時に潰さないように苦労していた。浅く腰かけた彼女の背で、真新しい羽根がひくりひくりと震えていた。


「とりあえず、手術は成功しました。こちらにリハビリメニューを作りましたので、それ以上の無茶は絶対にしないでください。あと、異常がありましたらすぐにこちらに来るように。それから、飛ぶことを目的にその羽を使うなら、決して体重を増やさないように。毎日測って注意しておいてください。何か質問は?」


「いいえ。それより、鏡はないのかしら? 一度見てみたいわ」


「……ただいまお持ちします」


 私は隣の部屋から古い姿見をひっぱてきた。埃だけでなく、鏡の表面がかなり曇っているが問題ないだろう。かなり重かったので、持ち運ぶだけで呼吸が乱れたが、そんなことはすぐに気にならなくなった。


 自分の姿を鏡に映したとたん彼女が笑ったのだ。ふわりと、花がほころぶようなという表現がふさわしい笑みを浮かべた。それは春の日溜まりのように暖かで、嬉しくて、幸せすぎて思わずこぼれたという様子だった。


「ありがとうございました。お代はすぐ振り込みます。お確かめ下さい」


 彼女は電子機器を手早く操り、私はお金が振り込まれたのを確かめて博士に頷いた。


「……それじゃあ、ありがとうございました」


 私はドアまで彼女を見送った。


「……お幸せに」


 小さく呟いた、私の言葉は彼女に届いたようで、彼女は白い羽根越しに振り返って、先ほどと同じ、幸せでしょうがないという笑みを浮かべて手を振って駆けて行った。


 応接室に戻ると、前回と同じで、やはり博士はソファにだらしなく座って、煙草をくゆらせていた。


「やっぱり、あんまり綺麗にできなかったなぁ。不格好になっちまった」


 博士の言うとおり、天使を模した羽は大昔の宗教画のようには美しくは出来なかった。飛ぶことを考えると、背中に収まらないほど巨大になってしまったし、白い羽根も重さを減らすために最低限しかつけられず少々みすぼらしい。それでも


「……私は綺麗だったと思いますよ。醜くなんかないです」


 私はそう思った。


 煙草の煙を追い出すために窓を開けると、風が吹き込んできて、髪が乱れた。


「……だって、羽を手に入れたあの子の笑顔は、今まで色んな人を見てきた中で一番綺麗だったんです」


 それはもう、天使の羽の不格好さを帳消しにして余りあるくらいには。今までたくさんのお客さんを見てきたけど、あんなに綺麗に、嬉しそうに、幸せそうに笑う人は初めて見た。薔薇色に頬を染めて、目を伏せるようにして微笑んで、彼女は一緒になりたいと願った彼に会いに行くのだろうか。


「あぢっ」


 外から吹き込む風を浴びていると、背後から博士の呻き声が聞こえた。


「……あぁ! 何やってるんですか」


 短くなりすぎた煙草で指を焼いたらしい。耳たぶに手をやっている。


「……見せて下さい」


「や、大丈夫だから。ちょっとびっくりしただけだし」


「……何に驚いたんですか?」


「お前も、そんなこと考えられるようになったんだなぁって言う感動」


「……子供扱いしないでください」


 博士はそんなことを言いながら私の頭を撫でてきたので振り払って、タオルを濡らしに行った。帰ってくると博士は懲りもせず新しい煙草に火をつけていた。


「ん、ありがと」


 タオルを差し出すと、意外とおとなしく受け取ってくれた。思ったより酷い傷なのかもしれない。


 私も博士にならってソファに座った。やはり飲まれなかった紅茶の水面が昼の日差しを浴びてきらきらと赤く揺れた。黙ってそれを見つめているとだんだん瞼が重くなってくる。


「どうした? 眠いか?」


「……少し」


「眠っちまう前に寝床に行けよ」


 それも少し面倒だなと思っていたら、博士の溜息が聞こえた。


「しょうがねぇなぁ」


 博士が私の手を取って立ち上がらせた。そのまま手を引いて廊下を歩いてくれる。


「ほら、ベットにぐらい自力で上がれ」


「……はぁい」


 私がもぞもぞとベットに上がると博士はまた頭を撫でた。子供扱いをしてと、文句を言おうと思ったが、眠すぎてどうでもよくなった。


「無理をさせたな。おやすみ」


「……おやすみなさい」


 博士が頭を撫でる感触を感じながら、意識は落ちて行った。




* * * *




 目を閉じている助手の頭を撫でながら小さく呟いた。


「意外に早かったな」


 呟きながらも、自分の口の端が上がっているのには気付いていた。だって、長い間望んでいたのだから仕方がない。


 眠っている……いや、節電モードになっている彼女に各種コードをつないでいく。半分は充電用であり、もう半分は活動していた間のデータのバックアップを取るためのものだ。


 幼児の感情表現は基本的に模倣である。~をしてもらうと嬉しい、~されると悲しい、そういう感情は本能的なものに加え親など周囲の生物の真似をして覚えていく。だから、性格のプログラムなしで、学習機能だけを備えた機械は感情を覚えていくのかを知りたかった。


 いわゆる、『精神や心を持つ機械』というものだ。


 政府では禁止されている研究だ。政府としては文句を言わない労働者である機械のほうが、無機物が精神を持つかもしれないという可能性よりも重要なのだ。


 ここ数年間、政府に追われながらも俺の研究はこればかりだった。学習機能しか持たない機械は、どんな行動をとるにしても演算量が多く、エネルギーを大量に消費するので、金がいくらあっても足りない。だから『金を出しさえすればどんな願いでもかなう店』を作った。


 今日初めて彼女は、ああいう抽象的な価値観について親である俺とは反対の意見を出してきた。しかも、その後俺が頭をなでるのを振り払ったのだ。精神ができている証拠だ。


 嬉しくって愛おしくって、彼女の髪にキスを落とした。


 その首筋には『004』と、四体目のサンプルであることが記されている。





      了

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天使を創る 小鳥遊 慧 @takanashi-kei

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