天使を創る

小鳥遊 慧

天使を創る(1)

 開いた扉の前に立った姿は最初、逆光のせいで見えにくかった。


「ここが………お金さえ払えば願いを何でも叶えてくれる店ですね」


 緊張した固い声でそう言ってお店の戸口に立ったのは、久しぶりのお客さん。この辺りではあまり見ない、仕立てのいいワンピースを着た女の子。


 すそのカールした金の髪が風に踊っていて、昼下がりの太陽の光に反射してきらきら輝いてた。レースのあしらったワンピースとあいまって、かわいいかわいい砂糖菓子のような女の子がそこにいた。


 その、砂糖菓子のような甘い甘い姿と、強い意思を宿した青い目と、固い声が、どこかミスマッチだった。


「……いらっしゃいませ。ようこそ、おいでくださいました」


 私は、眩しさにほんの少し目を細めて、マニュアル通りに深くお辞儀した。




    * * * *




 私が助手として働く店があるのは、街の中でも寂れた区域の路地の裏だ。正直この地区は治安も良くなく、脛に傷持つ人々が暮らしている。だから、今来ている彼女のような、あからさまなお金持ちのお嬢様という人種は、なかなかこの店がある地区までは来ない。きっと何か、事情があるのだろう。特に彼女の金髪と碧眼は、国という括りがなくなった現在でもまだまだ人種の混血が進んでおらず、黒い髪や黒い眼が一般的なこの辺りではよく目立つ。ここまでよく無事に来れたと思う。


 その彼女は今、応接室のソファに背筋をピンと伸ばして座っている。紅茶には一度手をつけたきり、二度は手を伸ばさない。やっぱりティーパックじゃ駄目だったかと残念に思う。


 昼過ぎまで寝ていた博士が出てくるのはもうちょっと先かなと、視線を宙に漂わす。細かい埃が窓から入ってくる光を、ちらちら、きらきらと反射して、舞っていた。


「お待たせしました」


 カチャリと、音をたててドアが開いた。博士が足早に入ってくる。手に持った紙がバサバサと微かに音を立て、白衣が靡いていた。十分前の寝起きの姿からすれば想像もできないきちっとした格好だ。


 博士は、技術と、外面はいい。


「僕が、この店の技術者です。じゃあ、さっそく本題に入りましょうか」


 にこりと人好きのする笑みを浮かべて言うが、言葉にはきっちりと距離を保っている。


「………作ってほしいものがあるんです。多分、違法なんですけど」


「ここに来る人は皆そうですよ」


 しれっとして言う博士に、彼女は言葉を詰まらせた。


「それで、いったい何が欲しいんですか?」


 彼女は二、三度ためらうように口を開閉させて、それでも目はまっすぐに博士を見据えたまま願いを口にした。


「……羽が、欲しいんです。天使の羽が欲しい」


 その声は、ここに来た時の固い声とは少し異なっていた。緊張しているのは一緒なのだが、どこか熱に浮かされたような上ずったような声をしていた。


「どうして羽を?」


「……何で、そんなこと聞くんですか?」


「そりゃあ、理由を聞かないと、どんなものを作ればいいかわかりませんからね」


 柔らかい笑顔で、それでも有無を言わさない口調で言い切って、博士は紅茶を一口飲んだ。彼女は博士の隣でただ立っている私の方を気まずそうに見やり、きゅっと口をへの字に結び、下唇を舐めてから、今までのはきはきした様子からは異なり、歯切れ悪く話し出した。


「付き合ってる人が天使なんです。彼は、うちで働いていて、それで、」


「天使……遺伝子操作生物ね」


 博士は低く呟いた。


 遺伝子操作技術は近年、急成長している。野菜などが育ちやすいように遺伝子操作されるのはもちろん、動物での実験もされていた。人間に関わる遺伝子操作も一部は認められている。例えば、遺伝病を持つ家系の者が子供をつくる時、その病気にならないようにすることなどだ。しかしそこまで技術が向上すると碌でもないことを考える人間も出てくる。最もたる例は遺伝子操作をして空想上の生物を創る、ということだ。創られた生物は戸籍も持たず、使役され、見せものにされ、弄ばれる。


 そんなことを思い出していると、高い声が響いた。


「そういう風に、遺伝子操作生物って一まとめにしないでください」


 今までどちらかというと感情を押さえて落ち着いて話していた彼女が突然上げた大声に、部屋の空気が震えた。


「……失礼しました」


「いえ、こちらこそ……」


 博士があっさりと頭を下げたので、彼女は決まり悪そうに初めて博士から目を逸らせた。居心地の悪い沈黙の流れる中、彼女が再び話し始めるのを、博士は自分の分の紅茶に口をつけながら待っていた。


「……不安なんです。彼が、自分の翼でどこかに行ってしまうんじゃないかって」


 ぽつりと呟かれた言葉は、依頼の内容に反して、普通のただの一般的な女の子のようだった。


「なるほど。それで、置いてかれないためにも羽が欲しいと。分かりました、お受けしましょう。合成獣というのは難しいので、どうしても機械じかけになりますがよろしいでしょうか? それと実際に飛べなければ意味がありませんから、神経を繋げる手術をしますので後ほど同意書をお願いします。もちろんこれは人体改造で法律違反になりますのでそちらの同意書もお願いします。デザインはごく一般的な純白の羽でよろしいですね? 製作期間は……そうですね、十日でいかかでしょうか?」


 そう、一気に言う博士に彼女は目を瞬いた。


「お受けして、下さるんですか?」


 驚いたように言い、口の中で「だってこんな法律違反……」なんて呟いている彼女に博士は苦笑する。


「この程度の法律違反はいつものことです。それに、あなたは『お金を出せば何でも願いがかなう店』と聞いてきたのでしょう?」


 嘯くようにそう言った。




    * * * *




 その後、サインや各種測定、前金の振り込みなどを終えて彼女が帰るのを見送ってすぐに応接室に戻ると、博士はソファに半ば倒れるように座っていた。


「だー、猫被んの疲れた」


 博士は白衣のポケットからぐしゃぐしゃに潰れた煙草の箱を取り出して吸い始めた。そんなに辛いのに猫を被らなければいけないのだろうかと常々疑問に思う。あまり店の外の世界を知らない私は、人付き合いというものをよく分かっていない。


「……お疲れ様です」


 私は喋るのがあまり速くない。どうしても会話の中で一瞬のタイムラグを生んでしまう。それでも全く気にしない博士と話すのはとても楽だ。


 博士に新しく入れた紅茶を差し出した。一口飲んだ博士は微かに眉をしかめる。


「これ何杯目だ?」


「……三杯目です、博士」


「どうりで。色つきの砂糖水だな。ってことはあの嬢ちゃんに一杯目やっちまったのか。もったいねぇなぁ。あいつ一口しか飲んでねぇだろ。あっためたら飲めっかな。紅茶ぐらい毎回新しいティーパックで飲みてぇな」


「……じゃあ、今回の前金で新しいの買ってきましょうか」


「そうだな、それぐらいの贅沢はいいよな」


 確かにこの店の財政は切迫してるが、紅茶ぐらいじゃあ変わらないだろう。なのにそれを贅沢といってしまう博士が子供っぽくて少し笑ってしまい、それをごまかすために窓を開けに行った。煙草も昔政府によって違法ドラッグに指定されてしまっているので、応接室に匂いが残るのは良くないのだ。


 窓を開けると気持ちのいい風が入ってきて、レースのカーテンが揺れた。


 博士のほうを見ると、煙草をくわえたままぼんやりとこちらを眺めている。くわえている煙草の先がほとんど灰になっていた。慌てて灰皿を差し出すと、ようやく博士は気付いたようで煙草を灰皿に押し付けた。


「気が向かないなぁ。今回の仕事」


 私はそのセリフに少し驚いて、改めて博士を見る。気が乗らないのは本当なようで普段ならどんな仕事が来ても、すぐさま研究室に閉じこもるのだが、今日はいつまでも応接室でごろごろしている。


「……どうしたんですか、急に?」


「俺、あんま不細工なもん作りたくないんだよね」


「……不細工? 天使の羽が?」


 どうだろう。私は昔の宗教画でしか天使というものを見たことはないのだが、そんなに不細工なものだっただろうか? 少なくとも醜いというよりは、美しいという人のほうが多かった気がする。


「不細工だろ。っていうか不気味?」


 言い切る博士に私はまた困惑する。博士が言うならそうなのだろうか。


「よく考えたら天使ってのはすごくグロテスクだ。人間の身体に鳥の羽がくっついてるんだから。人間の体重を支えようと思ったら巨大な羽がいる。その上その羽根で飛ぼうと思ったら体重を極限まで絞って、骨の中身を鳥のようにスカスカにしないと無理だ。そんな生物が美しいと思うか?」


 博士は新しい煙草を取り出し、安っぽいライターで火をつけて、嘲るようにそう言った。


「……でも、大昔の宗教画では、一般的に美しいといわれる形で描かれていたのではないのですか?」


 私が先ほどから思っていたことを口に出すと、博士は二三度目を瞬かせた。その表情は何か驚いたようで、そうして口ごもる姿が珍しかったので私はどうしたのかと尋ねた。


「いや……。宗教画ね。最初の一人以外は完全に模倣だとは思うが、そうだな、最初の一人は上手く描いたと思う。人間の姿をして、翼がある生物と聞いて、よくあれだけ美化したと思う」


 博士のセリフがよくわからなくて私は首をかしげた。


「もし仮にな、天使と呼ばれる、遺伝子組み換えなんかじゃなくて、野生の本物に会えたら、お前どうする?」


「……えぇ? どうするって………どうしましょう」


「俺なら、それがどんなに他人が言うように美しかろうが、俺が考えたように醜かろうが、あの翼でどうやって空を飛べるのかってことを調べる」


 まぁ、博士ならそうするだろうなと、私は頷いた。


「そして、画家なら美しい姿で絵を描くと思う。例えそれが、恐ろしく醜悪だろうとな。つまるところ、人間ってのは未知のものに出会ったら、自分の理解できる範囲内にその存在をシフトさせないと気が済まないんだ」


 私はいくつかの事例を思い出しながらそういうものかと曖昧に頷いた。


「それに、あの嬢ちゃんは実際に羽を手に入れたところで飛べるかな? 俺が金持ちで名もある家の親だったら、絶対そんな娘閉じ込めちまうな。娘がこんな裏路地にある怪しい店で違法な人体改造してきて、しかもその理由が家にいる天使と恋仲なせいだってんなら、外聞が悪くってしょうがねえ。飛べない天使ほど醜悪なものもないだろうよ」


 それを聞いて、私は胸が重たくなった気がした。具合が急に悪くなった感じだ。


 それきり博士は口をつぐんだ。もともと話したい時は好き勝手に話すし、黙っていたい時は一言も話さないような人なので、気にすることはないのだが、なんだか変な感じがした。気まずい。


 ただただ、紫煙が部屋に立ち上り、テーブルの上の紅茶が冷えて行く。雲で日光が遮られたのか部屋に差し込む明かりがふっと薄れた。


「まぁいい。引き受けた以上は仕事をするか。お前は骨組みとして客の体重からそれに見合う強度と重さの金属を割り出して発注しておいてくれ。俺はとりあえず、部屋で設計図を描くから」


 博士は灰皿で煙草の火を消すと、突然立ち上がって足早に部屋から出て行こうとした。


「……分かりました」


「明日には届くように手配してくれよ」


「……はい」


 とりあえず、いつもの調子に戻った博士に安堵し、窓を閉めて博士に続いて部屋を出た。




    * * * *

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