葬祭の色と、祝祭の色
小鳥遊 慧
葬祭の色と祝祭の色(1)
白は空白。
何もないことを象徴する色である。
故に白は終わりを表す色である。
終わったがために全てがなくなったのである。
終焉は、悲嘆。
だから白は悲しみの色である。
白は葬祭の色である。
* * * *
目が覚めた時、俺がいたのは日の匂いのするベッドの中だった。レースのカーテンの向こうでは太陽がだいぶ高い位置まで昇っている。だけど、何だか寝たりない。頭がぼーっとする。寝返りをうって枕に顔を埋めた。あー、やっぱり太陽の匂いがする。こんなの母さんと一緒に住んでたとき以来だよなー……とか思ってからようやく意識がはっきりした。
ここはどこだ?
当然というかなんと言うか、俺の布団は日の匂いなんかしないし(というか、正直汗臭かったりすることのほうが多い)、レースのカーテンなんてかわいらしい物はつってない。
布団をめくって飛び起きる。そこはやはり見たこともない部屋で、なんというか……すっごくファンシーだった。花柄のシーツとか、かわいいクローゼットとか、ドレッサーとか……。つまり女の子の部屋。
自分の部屋にいるんじゃないとはっきりと確認したことで、記憶が戻った。それが現実だと証明するかのように、手首が痛む。
遭難したのだ。
思わず頭を抱えたくなった。いくら一人で猟に出ることをようやく許可されたような新米でも、山の中で天候悪化の中無理に歩いたため道に迷い、挙句雨のせいで視界が悪かったため崖を滑り落ちたなんて、かっこ悪くて誰にも言えない。
自己嫌悪で一通りベッドを転げまわった後、ようやく俺を助けた人物がいたってことだよな、と我に帰る。
そうしてそちらに意識を向けると、隣の部屋から音がした。カタカタと軽やかな機械音。しばらく聞き耳を立ててそれがミシンの音であると気付く。
とりあえず礼は言わなきゃなー、ついでにここどこか聞いて猟銃を返してもらって、さっさと帰らないと親方心配してんだろうなー……と思いながらベッドから降りる。なんだか頭がふらふらした。これは熱があるかもしれない。あんだけ雨に打たれた上に、手首は捻挫、頭には包帯、全身切り傷だらけというありさまでは、熱が出てもしょうがないだろう。むしろ崖から落ちてこれだけの怪我と言うのは奇跡的じゃないだろうか。うん、俺って運いいなぁ。
重い体を引きずって廊下に出る。すると出てきたドアのすぐ横にもう一つドアがあったので、深く考えずに開く。
奥の窓に向かって置かれた作業台に向かって座る、小柄な少女の後姿が見えた。一心不乱にミシンを動かし何かを縫っている。
「あら、目が覚めた?」
振り向きもせずにさばけた口調でそう尋ねてきた。
「一応………。助けてくれたんだよな? ありがと。色々聞きたいことあるんだけど、いいかな?」
「ん、ちょっと待って」
心持ちペダルを踏むスピードを上げた。手持ち無沙汰にその後姿を見ていると、やたらと背中が小さく見えるのは、彼女が小柄なせいもあるが、撫で肩で少し猫背なのも原因だと気がついた。途中一度前に落ちてきたおさげの髪を後ろに払うために手を止めた以外は、流れるように作業を進める。きりがつくまで縫って、その布をミシンから外して持ち上げて出来を見る。どうやら服の袖のようだ。満足いったらしく、うんうんと小さく頷いてからゆるく編んだおさげを翻すようにして、俺の方を見た。
パッと見、声から立てた予想と違わず、同い年ぐらいの女の子だ。ちょいちょいと手招きしてくる。大人しく近寄ると、今度はかがめと言うように手を動かす。少しむっとしながらかがむと、ひんやりした手がおでこに押し付けられた。
「まだ熱あるね。しかし自然治癒だけでよく三日でこんだけ治したね」
「三日?」
「そう、三日間ずーっと寝てたんだよ。熱出して」
あちゃー……。今すぐ帰ったとしても親方にどつかれるのは間違いないか。
「ここってどこ?」
その質問に彼女は山奥にある地図上でしか見たことのない小さな村の名前をあげた。山に囲まれた盆地にある、外部とのつながりの薄い村だったはずだ。予想していたのと大分方向がずれている。
「ついでに、この家の裏手にある森の中の崖の下で貴方を見つけたから、私が一人で引きずってきたの。大変だったのよー」
「そりゃあ悪かった」
自分より小柄な女の子一人に運ばせたんじゃ、大変だっただろう。
「俺が倒れてるそばに猟銃落ちてなかった?」
「あぁ、あったわよ。拾ってきた」
「返して」
「どうして?」
「帰るから」
「あぁ、駄目」
「何でだよ?」
あんまりにもあっさりと、説明すらなく答えるので、眉をしかめた。
「熱があるからよ。今出て行ったところでまた遭難するのがオチでしょ。それに、貴方には当分家から出てもらったら困るの」
「どうしてだよ?」
「マレビトだから」
マレビト……聞いたことのない言葉だ。
「本来は客人、よそ者って意味ね。でも、うちの村ではちょっとニュアンスが違うんだ。いまちょうどちょっとしたお祭りの準備期間なんだけど、その期間は絶対によそ者を入れてはいけないの。よそ者が入ってきたら、殺さなきゃいけないことになってるの。その、殺される対象になった者がマレビト」
な……なんていう物騒な祭りなんだ。この村の住民じゃなくてよかったぜ。……っていうかこの場合村の住民じゃないほうが身が危ないのか。それにしてもやたら古そうな風習が残ってるな。
「とはいってもまさか見つけてしまった者を見捨てるわけにもいかないからね。というわけだから、お祭りが終わるまでここで大人しくしといてね。元気になったら色々手伝ってもらうと思うけど……まずはその熱を下げて頂戴。ほら、静かに寝とく」
理解が追いつかないうちに一方的にまくし立てられた。そしてビシッとベッドがあった部屋のほうを指差す。つまりあの、恐ろしくファンシーな部屋を。
「…………ベッド、使うのはさすがに悪いから、そこのソファー使わせてくれ」
「別に構わないのに」
「いや、俺が気になる」
必要以上に力を込めて言ったら首を傾げられた。しばし沈黙した後、ポンと手を打つ。
「そうか、やっぱりお年頃だから女の子のベッドじゃ嫌か。それじゃあしょうがないね。寝室のクローゼットの一番下の引き出しに、掛け布団が入ってたはずだから、それとソファー好きに使っていいよ」
図星を刺され、返事をするのも面倒だったので、実のところかなり身体のだるかった俺は、おとなしくソファの上で布団をかぶる。そうした時には彼女は既に作業に戻っていた。
作業台に向かっている背中に声をかける。
「助けてくれてありがとう。それから……しばらくお世話になります」
まるで小さな子供が言うようなたどたどしい言葉を投げかけると、彼女は小さく笑ったようだった。
ついさっきまで、しかも丸三日間も寝ていたというのに、すぐに眠気が訪れる。やっぱり体力が落ちているのだろう。
白いレースのカーテンがはためき、床に落ちる影を揺らめかす。
カタカタという断続的なミシンの音が、穏やかなリズムを刻む。
こちらに小さな背を見せ懸命にミシンを動かす名も知らない彼女は、純白の服を縫っている。
悲しみの色の服を縫っている。
* * * *
それから三日間も熱が下がらなかった。別に多少なら動いても差し支えない気がするのだが、仕立屋の少女が頑固に寝ておけと言うので、その間ずっとソファーに縛り付けられていた。
浅い、断続的な眠りしか訪れないので、一日の大半を仕立屋――名も知らない彼女のことはこう呼ぶことにした。なにせ向こうが俺のことをマレビトくんなんて呼ぶから――の背中を見て過ごしていた。
初日は気がつかなかったのだが仕立屋は左足が悪いらしく、歩く時は杖をついていた。だからあの時手招きしたりしたのだ。そのため外出はしないとは言わないまでも、極端に少なかった。代わりに結構多くの人が家を訪れた。人が来るたびに見つかったら殺されるらしい俺は、聞き耳を立ててその客がどこで何をしているかを聞いていた。皆、話の内容までは聞こえないものの、玄関で世間話をしているだけらしい。差し入れもあるらしく、ある日は鍋を持ってきて「おすそ分けもらった」と言って喜んでいた。
仕立屋は客の対応をする以外はほぼ一日中ミシンに向かって服を作っていた。毎日毎日飽くこともなく白い喪服を。凄いスピードで何着も服を仕立てていく様を見て、俺は一度ぼけっとした頭で「葬式の予定でもあるのか?」と尋ねた。それに仕立屋は「まぁね」とだけ答えた。その時は気がつかなかったが、予定のある葬式ってどんなだよ。
慣れきった軽やかな手つきでミシンを操っている。何の不自由も無くあんなややこしい物を動かしている様は、まるでミシンを身体の一部にしているようだった。足ではリズムよくペダルを踏み、手では布を押さえ、必要あればミシンを動かしたまま右手を放してハサミを取ったりしていた。無駄の無い洗礼された動作は、一種の芸術のようだった。ただ、雰囲気だけがその平和な光景を歪ませる。
毎日どこか神経の張り詰めた、鬼気迫るような雰囲気で服を仕立てていっていた。
真白き服が、悲しみの色が部屋を埋めていく。
眩しいほどの純白で、部屋が満たされていく。
白い布が床でのたうち、部屋中を侵していく。
その光景は彼女の鬼気迫る表情と相まって、狂気の気配を感じた。
そのくせ仕立屋はいったんミシンの前を離れると、ちょっと皮肉屋だがただの女の子だった。
「うん、熱下がった。もう起きていいよ」
気付いてから三日、この家に来てから六日目にしてようやく俺は起きる許可を得た。
「あー、身体なまった。そういや色々手伝ってもらうって言ってたよな。何だ?」
「大変だよー? 出来ないなら出来ないで、言ってくれれば構わないんだけど…………」
一度言葉を切って、申し訳なさそうに上目遣いで俺を見た。
「………料理」
「は?」
料理? 別にそんな言うほど大変じゃねーだろ。そう思って首を捻っていると、仕立屋はおいでおいでと手招きして部屋を出た。杖を使って歩いているのだが、そんなに不自由そうでもなく、俺と同じ位の速さで歩いている。むしろ角の曲がり方なんて、杖を支点にくるりと身を回す様子がやけに優雅だった。
「じゃじゃーん、ここが台所でーす」
仕立屋は玄関のすぐ横の扉を開け、手で示した。その中のあんまりな様子……いや、惨状に俺はただ一言しか言えなかった。
「汚ぇ」
あからさまに料理をしない奴の台所だった。とりあえず、竈には灰が溜まり、洗い場には汚れた食器や料理機具が突っ込んである。後で知ったところでは、仕立屋自身、調味料の類にいたってはどこにあるか分からないような状態だったらしい。
「何なんだ、ここは? どうやって飯作ってたんだよ」
そう尋ねたものの、その答えは分かっていた。作ってなかったのだ。そういえば俺がこの三日間で食べた料理は毎日同じで、スープとパンだけだった。きっとそれも差し入れ。
「さすがに貰い物なくなっちゃったから作ってもらいたいんだよね」
「…………分かった」
ここを片付けなければならないのは気が重かったが、助けてもらった恩もあるし、何よりも片付けないと今日からの食事がなさそうだったので、俺は渋々引き受けた。
その作業の工程は、大変すぎて思い出したくもない。とりあえず、台所一つ片付けるのに、その日の早朝に始めて晩までかかったのは事実だ。
「マレビトくん、意外と料理上手いね」
その日の晩、ようやく片付いた台所で仕立屋は心底驚いたという表情でそう言った。
「料理してなかったあんたに意外となんて言われたくないね。とりあえず、片付けたんだから俺が出て行ってからも散らかすなよ。片付けるのはともかく、散らかさないのはそう難しくもないんだから」
褒められたのは正直言って嬉しかったのだが、俺は半ば照れ隠しに文句を言った。それに仕立屋はただ笑っただけで、何も答えなかった。
それから日中は仕立屋の作業室よりも台所にいることのほうが多くなった。何せ他にすることもなかったし、あの死者を送る色に満たされた部屋に一日中いるのは気が滅入ったからだ。
台所は玄関に近かったので、人が来れば仕立屋との会話が所々聞くことができた。音を立ててはいけないので洗い物の途中で手は泡だらけのまま、台所の扉を背に押し付けて座り込んでいた。二人の声の調子でその人物の性別や年齢、仕立屋との関係を推理した。もしかしたら、目の見えない人の世界はこんなかも知れないな、とも思った。俺の目が見える証拠に、そんな時にはいつでも台所にある小さな窓にかかっているレースのカーテンが、足元に緻密な模様の影を落としているのが見えていた。
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