第3話 悦子の場合

付き合って2年になる彼氏が伊賀へ行く、と言い残して行方不明になった。彼氏は中島らもはコデイン中毒でなければ落語家としてもミュージシャンとしても小説家としてももっと大成していたはずだ、が口癖だった。「中島らもが自分で言っていたように、コデイン中毒はあらゆる中毒の中でも最低の中毒だ。元々はバロウズが言っていたことだと思うんだが、そんなことはどうでもいい。わざわざらもは最低の中毒になったんだから。ドラッグをやるんだったら、常に懲役を覚悟する必要があるんだよ。それがドラッグをやるということだ。だから俺はやらないし、これまでやらなかった。しかしだ、本物だけは経験してみたい。一度でいい。どうやら、ガマの脂がすごいらしい。これもらもが言っていたことだ。分かるか、ガマの脂だよ。ガマって何だろう、ガマガエルのことなんだろうか。ガマガエルということは伊賀に行けばいるはずだ。何てったって忍者の里だもの。変身するんだよね、ガマガエルに乗って忍者って戦うわけじゃん、絶対に伊賀にはガマガエルがいる。その辺にいる人に聞けばガマガエルがどんなのかだって分かるはずだ。ガマで俺はトリップする。そして帰ってくる。帰ってきたら、悦子、結婚しよう」


彼は一方的にそう言い残してその日は飲みに出かけ、早朝まで帰ってこず、帰ってきたら帰ってきたで寝ている私を叩き起こして電車の中で寝るから、と言い残した後最低限の荷物だけ持って出て行ってしまった。これが1か月前で、私は彼のことをずっと待っていたのだけれど、一向に帰ってくる様子はないし、電話してもまるっきり出ず、一度本物のガマの脂を経験するまでは絶対に帰らないとLINEが来て、それっきり音信不通になり、私は当初はよく分からない熱意を心から応援していたのだけれど、待っている内に、あいつは絶対に口でああ言っているだけで何かヤバいものをやっている、このまま付き合い続けると絶対にろくなことにならない気がする、さっさと今のうちに別れよう、と思うようになり、部屋を引き払って彼の電話やLINEも消した。


結果として急に1人になり、暇な時間が増えた。私は幸か不幸か親が資産家であり、月々定額を仕送りしてくれる。びっくりする程の金額ではないが25歳の女が普通に1か月働いて稼げる程度のお金が何不自由なく毎月入るので、いまいち真剣に働く気にならず、たまに暇つぶしのようなアルバイトをして過ごしている。彼とは単発の日雇いバイトで出会った。工場でペットボトルを検品するアルバイトだったが、恐ろしく集中力を要する仕事だったし、業務時間は誰とも話ができなかったため、休憩時間に無性に誰かと話がしたくなった。たまたま彼が近くにいて、話が弾んだ。彼はあっけらかんとした性格で、私はそこまで人と話をするのが上手なわけではないのだけれど、上手くリードされる内に付き合うようになり、いつの間にか彼は私の家で過ごすようになった。


私は交友関係が派手なわけではないから、彼と付き合いはじめて彼の友人などを紹介されるようになり、すっかりとライフサイクルが変わってしまった。それまでの私の友人と会ってもつまらないと思うようになってしまった。本当に面白かった。しかしよくよく考えるとヤバい。つくづく、面白いとヤバいは紙一重なんだと思う。私は人生を破滅したくない。だから彼が私から離れてくれたのは運が良かったのかもしれない。あのまま一緒だと、私は絶対に彼と一生一緒にいただろう。彼が私から離れない限りは。

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日本語教育を2時間しか受けていない著者でも小説が書けました!夜王はブランコがお好き 里中サトル @skyfork

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