第9話 もしかして:すれ違い
暗い、窓の無い巨大なアーチ状の通路があった。
壁には灯光魔術の陣が点々と刻まれはいる。が、その陣はいつのもだと言いたくなるレベルの時代遅れのもの。現代魔術からすれば非効率の極みであった。
……まだ手元に明かりを作った方がマシだね、とその通路を歩くエトゥスは思う。
「へえー、この基地、こんな所もあったんですねえ」
横を歩くミレアが感心したような声をあげ、その声が反響する。
2人が歩く通路、先ほどまでいた見張り塔の真下に位置するこの通路の横幅は、大人3人が両腕を横に広げてもなお余裕があるくらいには広い。
「元々は南西の森への遠征の時に使ってた通路なんでしたっけ?」
「そうそう。以前は結構な頻度で使ってたらしいけど、随分前の遠征で大損害を被ってトラウマになったのか、全く使わなくなったらしいよ」
今は半月に1回、軽く掃除するだけの場所だ。
ある程度の清潔さは保たれているにしても、明かりも無しに長居したいとは思えなかった。
「今回はその森の方からの来訪者ということで、出迎えついでに扉を開けてこいって感じなんですね。
いやー、良かったですよ! 暇な見張り作業から解放されたんですから!」
「そうだねえ。この後会議が終わったら間違いなく説教食らって、始末書書かされるんだろうけどね」
「あ、ちょ、やめてください。今せっかく現実逃避してるんですから。
あーあー、未来には希望がいっぱいー!」
無理やり過ぎないかなあ、とエトゥスは思うが、本人の問題なので無視する。
涼しい態度をとるこちらに不満があるのか、ミレアが細めた眼でこちらを見る。
「……先輩だってあの2人の名前聞き忘れたくせに」
「いやー、あれは無理でしょ。
だって、くく、お菓子で、あんな……」
交渉の最後を思い出してまた笑いが込み上げてきた。
そうこうしているうちに、目的地の扉に着いた。
扉と言っても、外からの侵入を防ぐために上から落ちてくるタイプの巨大な鉄扉だ。
鉄か錆かどちらか分からないが、ツンとした匂いが辺りをただよっている。
「どうします? もう今から開けておきます?」
「その方が印象は良さそうだね。
確かそっち側の壁に操作用の陣があるらしいけど」
「えっと……。ああ、ありました、これですね。おっとこれは……。
先輩、頼めます? ちょっと触った感じ、私の魔力量だとこの後の仕事に支障をきたしそうなので」
どれどれ、とミレアの示す陣を見れば、周囲の灯光魔術と同じくらい古めかしいもの。
陣に触れ、体から魔力が吸われる勢いから起動に必要な魔力量に当たりをつける。
確かにこれは魔力量が豊富な者でなければ駄目そうだ。
しばらく手を当て、魔力を流していると陣が光を強めていく。
壁内を通る回路から十分な魔力が流されると、音を立てて鉄扉が上に上がっていく。
同時に、外から差し込んできた昼過ぎの陽光が、暗がりの通路を照らしていく。
「うわ眩しっ」
「でも風も通っていい感じじゃない?」
「そう言われればそうかもしれま……あ、ダメです。花粉のヤローが来ました。……へくちっ!」
「大変そうだねえ。
こう、顔の辺りで風を循環させたりしてなんとかできない?」
エトゥスは、鼻の前で手をクルクルと回して見せる。
「あー、一回やってはみたんですけどあれはあれで鼻がムズムズするのでダメです。
なんかもう、花粉がありそうってだけでくしゃみ出ますしねー」
「…………」
「急に興味なくすのやめてくれません!?」
● ● ● ● ●
「おっかし♪ おっかし♪」
「こいつ……」
反省してねえな、と呟きながら、青年は足取り軽く前を行く少女についていく。
交渉の現場から基地の方向へ歩くこと数分。
遠くに見えていた目的地は、その視界に納め切らない程になっていた。
「おっきいね」
「そうだな。規模的に見て、100人くらいは常駐してそうだな」
「つまり たくさん たべもの あるってことだね」
「やだもうこの子……」
ため息をついてもこれ以上はどうにかなるものでもない。
気を引き締め、これからの会議をどうしたものかと考えていると、
「お」
目の前で鉄の扉が音を立てて上がっていく。
中から人が2人、何やら話しながら出てくる。
隣に立つ少女は、その2人を指差し、
「うすいきみどり と こいきみどり」
「いやその通りなんだけどさあ……」
「ぶはっ!」
指された濃い黄緑の髪を持つ男ーーエトゥスは、腹を抱えてその場に蹲る。
そのまましばらくぷるぷると震えていたが、立ち直り、目尻に浮かんだ涙を指で掬いながら、
「うん、濃い黄緑の方だよ。
エトゥスっていうんだ。よろしくね?」
そして続けて言う。
「早速だけど、付いて来てくれるかな?
お偉いさんを会議室で待たせておくと怒られちゃうからね」
● ● ● ● ●
会議室3、という看板がかかった部屋があった。
入口の扉は木製のものが1つ。
中に入って真っ先目に入るのは部屋の中心にある、黒と茶の間の巨大なテーブルだ。
テーブルの手前に3つ、奥に2つの、座面の裏に『備品』と刻まれた椅子が置かれている。
その手前側の3つの椅子のうち、中央。
他の空席が寂しさを感じさせる中、そこにはすでに男が座っていた。
外見年齢は30代前半ほど。
背もたれからはみ出るほどがっしりした肩幅はまるで巌のようだ。
そんな男の胸元には、『南西国境警備隊隊長 ゼルオス』という簡素な名札がかかっている。
男――ゼルオスは、テーブルに両肘をつき、顔の前で両手を組んで思案していた。
……隊員の1人が誤射して人に当たりかけた、という報告が来たのが今から13分前のこと。
この時点でその日の業務の優先順位は大きな変更を余儀なくされた。
当然だ。警備隊とは国民を守るもの。
その国民を害することなどあってはならん。
幸い、話し合いの余地はあるとのことだったため、すぐに自分が応対すると告げた。
驚いたのは、報告の続きを聞いた時だ。
なんとその2人は南西の森の方から来たというのだ。
いや、それはまだいい。北門から抜けて南西の方に行くこと自体は不可能ではないし、時たま酔っぱらいや若者のグループが度胸試しなどといって森に近づいて、半泣きで帰ってくることが年に2,3回あるとは聞いている。
問題は、その2人のうち、少なくとも1人は子供だということだ。
子供は守らねばならん。
別に子供には何も分かってないとか、徹底的に管理すべきだとかそういう話ではない。
大人は、子供を守る。それはいつ何時であろうと不変のルールである。それだけだ。
己にも数年前、息子が生まれた。
柔々としたその全身を初めて抱いた時、その思いはより強いものとなった。
守り、育てる。
そうして次へ繋げていくことが、全ての大人の責務であると、そう確信したのだ。
「失礼します。ゼルオス隊長、よろしいでしょうか」
背後から、扉をノックする音が聞こえた。
返事をすると、扉を開ける音と共に4人分の足音が部屋の中に入ってくる。
エトゥスの導きに従い、テーブルの向こう側の椅子に黒髪の青年と白髪の少女が座る。
……成程、これは子供だ。
あどけなさをどこかに残した顔。生命力に満ちた、しかしそれでいてどこか危うさを備えた体躯。
子供は1人、と聞いていたが、青年の方も、その体はまだ未完成の子供のものだ。
青年は緊張を隠すように表情を取り繕っているが、疲労のせいでそれを隠しきれていない。
これはいかん。
子供が疲労困憊というものいかんし、不必要な緊張をしているというのもいかん。
ただでさえ己は小さな子供から『顔が怖い』と泣かれるのだ。先日も勤務明けに息子を抱いたらギャン泣きされた。己、ショック。
何はともあれ、この子供たちに必要なのは、安全な場所とそこでの休息、そして伸び伸びとした空間だ。
だから精一杯のにこやかな笑顔で、
「よく来た。己は、南西国境警備隊隊長、ゼルオスだ。
本件につき、既にエトゥスより報告は受けている。
早速だが、己は、己の権限に基づき、君たちを保護することを約束する。
つまり、君たちがこの基地に滞在する間、その身分を保証し、いかなる自由行動をも許可する」
「……………………」
全力で警戒された。何故だ。
● ● ● ● ●
あちゃー、とエトゥスは内心で額を叩いた。
自分はゼルオスと青年、2人の人となりを大体は理解している。
だからこそ分かる。この2人は相性があまりよろしくないのだ。
子供大好きで、子供が絡むとあらゆる尺度が緩くなるゼルオス。
警戒と不信を影に忍ばせ、硬く防御を張る青年。
今ゼルオスが言ったこと。
恐らくそれは青年が今から交渉で勝ち得ようとしたもの以上の内容だ。
万全の戦闘準備を備えていざ敵地に向かったら、無血開城どころか物資を山ほど置いて行ってくれた、おそらく青年は今そんな感覚なのだろう。
そんなことをされれば、誰だって罠を疑う。当然だ。
厄介なのが、ゼルオスの方にそうした意図が全くないことだ。
100%善意。心の底から彼らを気遣い、その身の安全を慮っている。
しかしそれを青年に伝えたところで、はいそうですか、とはならない。
自分がゼルオスの安全性を説いたところで、説得力はないだろう。
……いきなり結論から言っちゃったのも良くないよねえ。
質実剛健、実直素直。そこもゼルオスのいいところではあるのだが、今回は逆効果だ。
お互いにある程度の会話をして、相互理解を深めた後なら青年も素直に受け入れらたかもしれない。
とはいえ過ぎたことをいくら言っても仕方ない。
小さく頭を振り、エトゥスはこの話し合いでの自身の立ち位置をフォロー役とすることを決めた。
「ちょっといいですか?」
元召喚士の帰還 とおりすがり @to-risugari
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