第8話 もしかして:探り合い

 遡ること数分前。

 小高い草原の丘の上で、青年の数歩先を行く少女は、行く先を指差していた。

 その方向にあるのは石造りの大きな建造物だった。

 低くそろえるように刈られた草が足首を撫でるのを感じながら、青年は、おお、と声をあげる。


「なんかみえた」

「あれは陸上基地みたいだな。

 ……久しぶりに人工物を見た気がする」


 ……ここまで長かったなあ、と青年はしみじみと思う。

 気づいたら謎の森にいて、謎の少女に出会い、謎の魔術現象に巻き込まれ、謎の魔獣に襲われ……。

 あれ、ほとんど何も解決してない気がしてきたぞー?

 いや、あの場面は逃げるが勝ち。そう思うことにしよう。


「りくじょうきちって?」

「主に防衛や治安維持に携わる兵の拠点となる施設のこと。

 あれがあるってことは、近くに防衛対象となる街や村があるに違いない」


 街、と聞いて少女の金色の瞳が大きく開かれる。

 こちらの手を取って、今すぐに駆けだそうとする素振りを見せるが、急に立ち止まり、もう一度陸上基地の方を振り返り、何かを心配するように眉を下げる。


「どうした?」

「……あそこ たくさん ひとが いるんだよね?」

「それは、まあ、そうだろうな。……なんだ、今更人見知りするのか?」


 青年は努めて軽く言っては見せたが、少女の境遇を思えば、共感できないこともなかった。

 何せ、生まれてこの方、あの森から出たこともなく、人との接触も最小限に抑えてきたのだ。それが彼女の意思によるものか、それとも第三者の意思によるものかは分からないが、彼女にとって人という生物は珍しく、警戒すべき対象なのだ。


「……いきなり こうげき されたり しない?」


 袖を掴んだまま、少女は上目遣いにこちらに問う。

 ここで答えるまでに時間をかけるべきじゃないな、と思い、青年は急いで答えを構築し始める。

 今、彼女は自分の異質さと向き合いながらも、初めての環境に慣れようとしている。

 そのはじめの一歩を、ためらわせるようなことはしたくない。


「安心しろ。そんなことはあり得ん。

 言ったろ? あれは治安維持のための拠点でもあるんだ。そういう所にいる人にこそ、秩序や規律が第一に求められるもんだ。

 怪しい人がいたら即攻撃なんてやってたら、一瞬で支持を失うことになる」


 時として、政治家よりも支持が重要となるのが警察機構というものだ。

 民衆により近く、即応性が求められるからこそ、支持を失った時のダメージは治安の悪化という形で即座に現れることになるからだ。

 

「ほんと?」


 こちらの意図を汲んでくれたのか、彼女の目の揺らぎは小さくなった。

 だが、もう一押しが必要だ、と青年は判断した。

 彼女が、人間へのファーストコンタクトを自信を持って行うために必要だと信じて。


「本当だ。もし違ってたら、お前が腹いっぱいになるまで料理を奢ってやるよ」



● ● ● ● ●



 そして今。

 青年は、全身から滂沱の汗を流しながら足を前に踏み出した姿勢で固まっていた。


「ねえ」


 青年の前に踏み出した右足。

 その爪先に、木製の矢が深く、深く突き刺さっていた。

 矢は、その全長の3分の1を土の地面に埋め、ビィィィンという鈍い振動音を立てていた。


「はなし ちがくない?」


 ……違いますねえ!

 青年は内心で悲鳴を上げた。

 矢の威力からして、間違いなく魔術が、すなわち人の意思が絡んでいる。

 とりあえず少女を後ろ手に隠し、対応のための姿勢を取る。


 どういうことだ。

 いきなり射たれるようなことはまだしていない筈だ。これからは知らん。何しろこっちには制御ベタの奴がいるからな。


 恐らく射手がいるであろう、前方の陸上基地にある見張り台を見る。が、まだ距離があるからか、人の姿は見えない。

 どういう意図で射ったのか分からない以上、動くことは得策ではないように思える。

 だがしかし。

 それどころではない問題が、もう1つある事を、青年は忘れていなかった。


「ねえ」


 声が後ろから聞こえた。

 こんな状況だというのに、その声は弾んでいるように聞こえた。

 その理由は分かる。先程、迂闊にも自分が言ってしまった一言のせいだ。


「やくそく おごってね?」


 ……はい俺の財布の中身死んだー!


 2度目の悲鳴を心の中であげると同時。

 青年の眼前で、風が収縮した。

 眉を顰める青年を他所に、黄緑色の魔力を含んだ風は球状に固まり、その表面に文字を含んだ幾何学模様を描き始める。

 魔術陣だ、との認識に青年が至るとともに、陣の一部が変化。ある一つの単語をその表面に映し出した。


「『通話中』……?」


 その文字を、青年は読み上げた。

 そして、


『ごめんなさぁーーーい!』


 黄緑の球体から大音量で、声が響いた。



● ● ● ● ●


 エトゥスは、自分が編んだ交渉のための通話魔術『声送り』の陣に向かってミレアが深く頭を下げているの見ていた。

 ……この魔術、声を送るだけで頭下げても伝わってないんだけどなー。

 それだけ動揺しているということだろう。

 本人の反省の為にも気が済むまでやったらいい、と判断したエトゥスは、自身の顔の前に展開したもう1つの魔術の方へ眼を向ける。


 望遠魔術。遠くの景色を見るための、光属性の魔術だ。

 陣が映す遠くの景色。

 そこには、白髪の少女を後ろ手に庇う、黒髪の青年が立っていた。右手で少女が前に出ないように抑え、一方で左手は見張り台に立つこちらに向かって、手の平を見せつけるようにまっすぐと突き出されている。

 一般的な魔術師が魔法陣を展開するなら指先や手の平の先だ。そのため、人に向けて指先を突きつけたり、手の平を見せることは、状況によっては攻撃の準備とみなされる。

 だから子供たちは魔術を教わる前に、それを“やってはいけないこと”として叩き込まれるものだ。

 そして陣の中に映る彼は、それが分からないような年齢ではないだろう。


 彼は、確かな意思として、戦闘による抵抗も辞さないとの姿勢を見せている。

 エトゥスは通話を一時的にオフにした上で望遠魔術に映る光景をミレアに見せ、


「ほらほらこれ見てミレア君、あちら、ものすごい警戒態勢だよ。

 一体誰の所為だろうねえ?」

「く、くそ! あたしがミスしたら急に生き生きし始めましたよこの先輩!」


 一通り後輩の反応を楽しんだ後、その表情を真剣なものに改めた。

 後輩のミスは弄ってもいいが、その後しっかりフォローするのが先輩の仕事だ。


 エトゥスは、陣に映る彼との交渉による解決はまだ可能だと判断した。

 なぜならこちらの攻撃とも取れる行動に対し、反撃の姿勢を見せはしていても、それを行動に移してはいない。

 それが“やらない”なのか“できない”なのかは分からないが、こちらにとってはどちらでも構わない。

 まだ、こちらとあちらの関係は完全には決裂していない。


 だから、エトゥスは通話を再度オンにした上で、交渉のための第一声を発した。


「こちら風王国国境警備隊所属、名をエトゥスという。

 君たち2人は、一体、何者だ?」

 


● ● ● ● ●



『……私たちは南西の森から来ました』


 警戒した様子で、最小限の情報だけが若い男性の声で告げられた。

 とりあえず応答が来たことにエトゥスは内心で頷きを作り、用意していた次の言葉を言う。


「そちらが警戒されるのも仕方ないと思う。

 だが釈明させてほしい。こちらに攻撃の意思はなく、先ほどのものはただの事故に過ぎない、と」


 貴族の家に生まれ、十分な作法を叩きこまれたエトゥスは警備隊の中でも様々な方面との折衝に駆り出されることが多かった。

 その結果得られたのが、ある程度交渉ごとに慣れた者であれば、言葉以上に、態度や表情を重視するものだという主張だ。それは相手のものだけでなく、自分をどう見せるか、という点でも同じだ。時として、不平不満を前面に押し出すことが、プレッシャーをかける有効な一手となるのだ。

 今、彼が『警戒しています』という態度を露骨なまでに前面に押し出しているのは、それが目的だろう。


『……そちらの主張は理解しました。

 ではこの通話の用件は、どういった趣旨でしょうか?』


 そして言葉においても、しっかりとこちらをけん制している。

 こちらの主張を理解はしても、納得してはいないという態度をはっきりさせてきたのだ。


 エトゥスは銀眼の交渉相手に興味を抱いた。

 未開の地からの来訪者は、何者なのか。

 その後ろに守っている彼女とは、どういう関係なのか。

 

「我々の仕事に協力してほしい、という話だ」

『……事情聴取ですか』

「話が早くて助かる。

 その上で、君たちが保護を必要とすると判断されたなら、こちらでもできるだけの配慮はさせてもらう」


 一拍の間、無言の空気が流れる。

 『声送り』の陣の前に立つ自分の横、ミレアが「何卒減給だけは……!」と言っているが無視することにした。


『……我々は今、保護を必要とする身ではあります。

 食料は尽きかけ、ここにたどり着くまで、何度か野獣と遭遇し、危険な思いをしたこともあります』


 横でミレアが目を輝かせて両手をぶんぶんを振り始める。

 恐らく『保護して恩を売ればワンチャンあるんじゃね!?』と考えているのだろう。現金な奴め。

 だが、


『ですが、我々はそちらを信用できません。

 したがって、そちらの事情聴取の申し出を受けることはできません』

  


● ● ● ● ●



「な、なんで!? 困ってるなら保護してあげるって言ってるのに!?」


 ミレアが陣に掴みかかる勢いで問うが、答えは返ってこない。

 エトゥスがその直前に『声送り』をまたオフにしたからだ。

 困惑の表情を浮かべるミレアに、エトゥスは小さくため息をつく。


「ま、こうなると思ったよ」

「ど、どういうことですか!? 説明してください!」


 エトゥスは石造りの壁にもたれながら、ミレアに、いいかい? と言う。


「彼らは確かに保護を必要としているかもしれない。

 だけど、保護を受けるためには、事情聴取に応じなければならない」

「……それが何か問題が? 状況を説明するいい機会じゃないですか」

「‟信用”だよ」


 エトゥスは小さく息を吐く。

 信用。それが今回のキーワードだ。


「ミレア君、マニュアル通りにした時、事情聴取ってどうやってやるんだっけ?」

「え? どうやって、って。

 尋問室に誘導して、椅子に座らせて、質問するだけですけど……」

「相手が複数の場合は?」

「……口裏合わせの可能性があるので、それぞれ別の部屋に誘導します」

「その間、彼らはお互いに何があっても対処できないことになるね」

「……っ!」


 通常であれば、相手が『何されるか分からないから聴取に応じられない』と言ってきても、言いがかりだ、聞かれてやましいことでもあるのか、と反論できる。

 だが今回においては、こちらには負い目がある。彼らの不信には根拠があるのだ。

 そのことに気付いたのか、ミレアも肩を落とす。

 しかしすぐに、ん? と疑問の表情を浮かべる。


「……それなら、信用できる別の場所に行って保護を求めればいーんじゃないですか?

 北に行けば炎王国、東に抜ければ水王国があるんですから」

「ところが、そうもいかないんだ。

 まずあちら側の事情として、そこまで食料が保たないというのがあるんだろう。

 一方で、僕たちも彼らを他国へ行かせられない。彼らが辿り着いた先で、風王国の不信をばらまく可能性があるからね」


 風王国は、不審者を見れば警告も無しに射撃してくるような国だ。

 そんな噂が広まれば経済や外交に甚大な影響が出ることは間違いない。

 それに、闇王国や金王国あたりは間違いなくそれをネタに権益交渉を行うだろう。

 射撃の事実が事実だけに、一度ついたイメージの払しょくは難しい。


「じゃあ、どうすれば……」


 ミレアが頭を抱える。

 今彼女の頭の中では、一気に不安が押し寄せているのだろう。


「おのれ花粉……!」


 そっちかい。

 エトゥスは小さく笑い、ミレアを安心させるように言う。

 先程のやり取りで、彼は絶対に避けなければならないものが何か、という情報を開示した。連れの少女と一時であっても離れることだ。

 その点を落とさなければ、こちらも譲歩できる部分はある。


「心配しなくてもいいよ。

 この交渉のルールは彼が決めてくれたからね」

「……は? どういうことですか?」

「彼も聴取を拒絶する前に言っていただろう? 『保護を必要としている』って。

 彼も、言葉の裏ではしっかりと望みをこちらに伝えてきているのさ。

 『助けてほしいけど、事情聴取の時に連れと別れることになるのは嫌だ。先にそっちがミスをしたんだから、その件を帳消しにしてほしかったら、特別扱いしてくれ』ってね」


 だからこれからは、その特別扱いの中身を決める交渉だ。

 相手を納得させるものでなければならない一方、必要以上に譲ることもできない、ギリギリを詰めていくものになる。


 エトゥスは、この交渉相手に対する興味を深める。

 少なくとも彼は、軍隊における一般的な事情聴取手続を知っていて、ある程度交渉に慣れている。

 自分と同じような貴族か、はたまた別の何かなのか。


「……面白いね」


 そう言って、エトゥスは再度交渉に臨んだ。

  


● ● ● ● ●



『――お待たせして申し訳ない。

 少し、こちらで打ち合わせをしていた』


 目の前にある陣が『通話中』から『保留』に変わってから、少しの間があった。

 その間に、後ろで警戒の唸り声をあげていた少女は交渉に興味を失い、今は頭上をひらひら飛んでいる蝶に視線が釘付けになっていた。


 青年は、再度聞こえた交渉相手の男の声に構わない、と伝えると、相手は重ねるように言葉をつづけた。


『そちらの不信ももっともだ。

 我々警備隊としても、今回の件については正式に謝罪し、今後の再発防止に努めることを約束する』


 青年は、相手がこちらの裏のメッセージを正確に受け止めてくれたことを認識した。

 そして、まだ吊り上げられるはずだ、と思う。

 あちらが言おうとしていることは『ごめんね? もう2度としないから許してね?』だ。

 一見、下手に出てきているようで、事実としてこちらに何も益はない。


 しかし直接それを伝えるのも、悪手だ。

 露骨に特別扱いの要求をすれば、それが目的か、と糺されることになる。

 ポーズとしても、警備隊が自主的に申し出た、という形にする必要がある。


 手元にまだ不信という武器は残っている。

 そして、相手も望む結末に向け、道筋を立てようとしている。

 青年は、慎重にそれを見極めに行った。


「信用できません。

 加害者だけで決めた再発防止策に、何の価値があるのですか」

『確かにその通りだ。では、こういうのはどうだろうか。

 我々は被害者である君たちの意見を聴く。形式としては、会議室を利用してのミーティングだ』

「出席者は?」

『こちらの現場にいた、僕、エトゥスと、後輩のミレア。

 あと1人、今都合がつく中で最も地位の高い者、それでどうだろうか』


 悪くない、と青年は考える。

 今最も避けるべきなのは、1人になった少女が感情に任せて森でやらかしたようなことを再びやってしまう事だ。

 人のいない森でならともかく、大勢の人がいる場所でそれをやればもはやそれはテロだ。

 少女と同じ部屋でのミーティングであれば、何かあってもフォローできるだろう。


 ……だが、もう少し吊り上げられないもんかね。

 ミーティングと言いつつ、実質的に行われるのは事情聴取だろう。

 その辺りを、もう少し軌道修正できると良いんだが。

 そう思ったと同時、あちらから苦笑交じりの声が届く。


『身構える必要はない。

 甘いお茶菓子をつまみながらの、和やかなものになるはずだ』

「!!!」


 しまった、と青年は思ったときには遅かった。

 たった1人に対して特攻となる、キラーワードが放たれたのだ。

 それは自身を抑えていた手を振り払い、声がした魔法陣にかじりつく。


「あまい! おかし!?」

『あ、ああ。確か来客用に買っておいた焼き菓子があったはずだ。

 王都の方でも人気の商品だったと思うが……』


 少女はその場で喜びのターンを決め、魔法陣を勢いよく指さし、


「よし!!! のった!!!」

「勝手に決めるなぁーーー!!!」


 直後に後ろから羽交い絞めにされた。

  


● ● ● ● ●



「く、くくく……」

「……もしかしてこれ、『お菓子あげるから許して?』って頼んでたら一瞬で終わってたんじゃ……」

「く、や、やめて……。これ以上笑わせないで……」


 何とも言えない表情を浮かべるミレアは、エトゥスが腹を抱えながらも望遠魔術と通話魔術を終了させるのを見た。

 視線を南西方向にずらせば、遠くに見える2つの人影が、わちゃわちゃしながらもこちらに近づいてくる。

 あの2人が到着次第、ミーティングの開始となるのだろう。


 視界の端では、エトゥスが事務局と連絡を取り、会議の最後の参加者が誰になるのかの折衝をしている。そちらは先輩に任せておけば問題ないだろう。


 ミレアは体をターンさせ、北東の方向を向き、遠くのものを見るように、目を細める。

 今いる見張り塔は、周囲からも高い位置にあるため、壁となるものもなく、遠くまで見渡すことができる。

 視線の先にあるのは、王都エンシル。

 今あの場所では、良くない噂が絶えない。


「あの2人が、何かきっかけになったりするのかな?」


 その呟きに、答える者はいなかった。

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