第7話 もしかして:うっかり
「むむむ……」
太陽が頂点を過ぎた空の下。
周囲にある草の丈が全て異なるという異様な状況の中、白髪の少女が額に汗を浮かべて唸っていた。
少女の目線は、自分の両手の親指と人差し指で作った輪っかに注がれている。輪っかの中には、いっぱいに水が注がれたコップのように、少女の魔力である金色の光が揺らめいている。時折、光は大きく揺らめき、輪っかから溢れそうになる。
それを見て、後ろに立つ青年が眉をひそめる。
「集中切れてるぞー。こぼさない状態を10分は維持できるようにするんだぞー」
「いま はなしかけないで……」
「そんな調子で大丈夫か? それができないなら街に入れないからなー」
それを聞いてまた動揺したのか、光の揺らめきが大きくなる。
……どうやら調整下手は筋金入りっぽいな、と青年は考える。
保有魔力が多いほど調整が上手くできなくなるというのは長年の研究で明らかになっている。半分ほどまでに水が注がれたコップと、なみなみと注がれたコップ。ふとした衝撃でどちらの水がこぼれるか、という話だ。
だから保有魔力が平均以下の自分と同じレベルの努力で、易々とこの課題をクリアできるとは思っていない。
それに課題を始めてすぐの時に比べれば、その成長速度には目を瞠るものがある。初めに彼女の前で同じように輪っかを作って実演した後、同じことをやってみるように言ったところ、半径10メートルにわたって魔力が溢れて、ミステリーサークルができたときはどうしようかと思った。
……この調子なら、明日の朝になれば街に入れるかもな。
「ふむ」
青年は頷きながら、軽い
まずは左の小指の先に指の太さと同じくらいの大きさの魔力の球を出す。それを薬指、中指と順番に渡していく。親指まで行けば、今度は右の親指に渡す。それを軽く5往復。
次は立てた人差し指の先に魔力をともし、様々な幾何学模様を描いていく。途中で線が細くなったり太くなったりしないように、均一に。途中、どこまで細くできるのかを試すように、目を細めるのと合わせるように線を細くしていく。最終的に、線は糸ほどの細さにまでなった。
……いつも通りだな、と思う青年は、ふと前から視線を感じた。
少女だった。
輪っかの中の光を揺らすこともなく、ジトっとした目をこちらに向けていた。
「……いやみ?」
「ち、違うぞ?
そ、それよりもすごいじゃないか! 一見怒ってるように見えるけど全然魔力に揺らぎがないし。わあー、もういつの間にか10分も過ぎてる! さっすが! すごい! 天才! これなら街に行けるな! そうしたら美味しい料理とかいくらでも食べられちゃうんじゃないか!?」
「そうだね」
「そうだよね! だからおもむろに石を拾うのやめよう!? いいか、投げるなよ!? 絶対に投げるなよ!? お前が投げると加速入ってシャレにならない威力になるから! フリとかじゃないからな!?」
だめだこれ言えば言うほどフリっぽくなるわ。
全力の投擲モーションに入った少女の姿を眼前に捉えながら、青年はどこか現実逃避気味に思った。
● ● ● ● ●
広い平原に、ぽつんと1つ、砦があった。
上から見たとき「□」の形をしているそれは、南西の角に一際背の高い見張り塔を置いている。
石造りの外壁には、常に防護障壁を現す魔法陣があり、黄緑色の魔力を走らせている。
その砦の北東の入口。
そこには『風王国 南西国境警備隊駐屯地』の看板が掲げられていた。
「せぇんぱぁい……」
見張り塔の上。
屋根もなく、空からの日光を存分に浴びることができる場所から、気だるげな女の声がする。
「交代まであと何分ですかぁー……?
あたしぃ、ちょー暇なんですけどぉー……」
「はははミレア君、まだお昼の始業から10分も経ってないんだけど。
僕たちのお仕事は南西方向で発生した異常事態から国民を守る大切なお仕事から真剣にやるようにね?」
ミレア、と呼ばれた女性はうえー、と言いながら砦の縁に顎を乗せて眠そうな目で先輩と呼んだ男――エトゥスの方を見る。
「そういう先輩も本持ち込んでるじゃないですかぁー」
「うん、どうせ何も起きないだろうからねー」
「え、ちょ、真剣にって……」
ミレアの愕然とした表情を涼しい顔で受け流して本を開くエトゥス。
ん? とエトゥスはミレアの視線に気づくと、にこやかに、ちょいちょいと南西を指さすと、
「ほらほらミレア君、ちゃんと見てないと。
僕たちの風王国を脅かす超大災害が発生してるかもしれないんだから」
「こ、このクソ先輩……! ……へくちっ!」
「ん? 風邪かい?」
「あ、いや、花粉症ですねー。この時期になると毎年こうで」
「ああ、大変だよねえ」
「ほんとですよぉ」
はあ、とため息をつきながらもミレアは南西の見張り作業に戻る。
先輩はああいう態度ではあるが、しっかりと風の動きを魔術で探知することで異常がないかを探っているのだ。視覚での探知の邪魔にならないように、定期的に周辺の草は刈っているが、それにも限界はある。そんな中で、物体が動く中で絶対に発生する僅かな風を捉えて探知できる先輩の魔術は見張りの上で大いに助かるものだ。
……ま、今日も何も起きないんだろうけどねぇ。
この駐屯地がある場所、風王国南西部は、他国がある北部や東部と異なり、魔獣・野獣による襲撃があり得る場所だ。
その魔獣共の発生源となるのは、風王国の遥か南西方向に広がる広大な未開拓領域。そこは竜とか獣人などが住む、文明も生態系も何もかもが違う別世界。他国が過去に何度も調査隊を派遣してはみたものの、何の成果も得られず帰ってきたという話は子供でも知っている。
……良い子にしないと“外”から化物が来て攫われちゃうよ、なんて脅し文句、よく言われたなあ。
しかし実際の所、“外”から来た何かによる被害が発生したということは、この国ではない。未開拓領域とこの国の間に、『ソルの森』と呼ばれるまた別の異常識の領域があるからだ。風王国は、未開拓領域以前に、このソルの森を超えることすらできていない。ずっと前に調査隊を送って散々な目に遭って以降、それっきりらしい。
「“外”の化物でも超えられないような場所がそこにあるってのもぞっとしない話なんだけどねー」
身を起こすと、背に負っている矢筒と弓が音を立てて揺れる。
風王国の警備隊で制式採用している『
軽さと使いやすさで人気のあるこの弓も、訓練以外で使ったことはない。
どうせ使わないんだから無くて良くない? とも思うが、その辺りはお偉いさん方の利権とか対外的なポーズとかいろいろあるらしい。大人の世界はややこしい。
「ふぁ……」
難しいことを考えていたらあくびが出た。
大きく伸びをして、目の端にちょっとだけ涙がはみ出るを感じる。
そして元のつまらない見張り作業に戻ろうと思い、南西方向を見た。
すると、視線の遥か先。
人の姿が見えた。
「……っ!」
「どうしました、ミレア君」
こちらの変化に気付いたのか、先輩が素早く隣に立ち、自分と同じものを見る。
目に映るのは、人の姿をしたもの。まだ遠く、性別までは分からないが、2人分だ。
何かが来るはずのない南西から、人が来た。まずはその事実の真偽を確かめる。
「……幻覚とかじゃないですよね?」
「残念ながら僕の目にも見えているので現実だね。
こういう時の対処マニュアルは頭に入ってる?」
「はい。階級が下の者は、いつでも弓を射てる状態で待機。
上の者は交渉を試みるとともに、この駐屯地で最も階級が上のものに状況に応じて報告です」
「その通り。今なら、僕が報告すべき人は?」
「はい。南西国境警備隊隊長、ゼルオス隊長です」
「よし。じゃあ弓構えて」
「はい」
背に持っていた弓と、矢を1本取り出し、構える。
弓矢を引き絞った時点で、弓と矢、それぞれに刻まれた魔法陣が重なり1つの陣として完成する。
構えた眼の前には標的までの距離、必要な補正を刻んだ照準魔術が展開される。
矢の先端、ポイント部分には風の魔力がキャップのように展開される。当たった時に衝撃を散らさないようにするためだ。
矢の胴体、シャフト部分に展開するのは飛距離補正魔術だ。これにより有効射程距離は1㎞まで伸びる。
矢の終端、ヴェイン部分に展開するのは追尾魔術だ。これで射ってから動かれても多少はどうにかなる。
弓矢全体が風の魔力である黄緑色の光に淡く包まれる。
「先輩、準備完了です。照準も甘めですが合わせました。
一応、非殺傷設定にはしてあります」
「了解。こっちは今、望遠魔術で相手の様子を探って……よし、見えた。
男女のペアだね。親子……かな?
マニュアルに沿って、風で声を送って、交渉を試みるからそのまま待機」
「了解!」
先輩が交渉のための陣を展開する。
周囲の大気が先輩の周りに集まるように蠢く。
弓を構えるこちらの身をくすぐるように、風が通り過ぎていく。
……あ、まずい。
「……へくちっ!」
風に何かが乗ってきたのか、むずむずしてしまった。おのれ花粉症。
できるだけ体を動かさないようにしてみたが、それでも発射の瞬間だけはどうにもならないものだ。
「……ん?」
何やら身が軽い。
まるで今まで張りつめていたものが途切れたような、すっきりしたような。
「……ミレア君?」
「どうしました先輩。あたしは今、渾身の発射を決めてスッキリしてるところなんですが」
「そっかー。それは良かったね。
で、ところでなんだけど」
「はい」
「右手でつがえてた矢、どこに行った?」
右手を見る。何もない。
左手を見る。まるで射った直後のように弦が震えている弓がある。
……………。
「やっべ」
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