第2章 風王の葬送
第6話 もしかして:寝落ち
「――なぜ私がお前を許さなくてはならない?」
● ● ● ● ●
どこまでも続くような、草原があった。
雲一つない晴天の青と、地面の碧が遥か向こうの地平線で接している。
時折吹く風が、草を揺らし、草原を駆け抜けるように音が走っていく。
そんな空の下を歩く姿が、2つあった。
1人は少し瘦せ型の黒髪の男、もう1人は小柄な白髪の女だ。
2人が歩くのは、少しだけ草の背丈が低くなって道のようになっている場所。踏み固められてできた道はまっすぐと、北東の方向へ伸びている。
2人は前を向いて歩いているが、時折目線が相手の方向を向いては口が動く。会話をしているのだ。森を出てから、2人は色々な事――柔らかな草のベッドのこと、森で採れる果実のこと等を話していた。
話題はその時々で移り変わり、また戻ることもある。とはいえその内容のほとんどは、少女の興味の向くもの、すなわち食べ物に関することだった。
そんな2人の今の話題は、“料理”だった。
● ● ● ● ●
「“りょうり”って?」
ぽてぽてと音を立てそうな感じで歩く少女が、こちらを見上げるのを青年は自覚した。
きっかけは自分がふと漏らした一言だ。
一般常識が欠ける彼女の興味は、会話の中に現れた単語に次々と移っていく。
……それが的確に食べ物に関連するものを狙い撃ちにしていくのは野生の勘なのかねえ。
「料理ってのは、食材を加工する作業のこと……でいいのか?」
料理の定義なんて深く考えたことはない。だから説明も大まかに伝わればいいか、くらいの気持ちだ。
簡単なものほど説明が難しい、ということを実感する今日この頃だ。
「りょうりすると どうなる?」
「そもそもが元の食材に手を加えて、より美味しくするのが目的だ。
甘いものがより甘くなったり、逆に他の食材とのバランスが良くなったりするな」
「!!」
より美味しく、あたりから鼻息を荒くする少女。
森から採ってきた果実を抱える両腕に力が入る。
目をキラキラとさせ、期待のこもった視線が向けられる。
「りょうり できる!?」
「俺がか? 帝国にいた頃はよく作ってたから人並みにはできるぞ。何処かで勉強したわけでもないから完全に独学だけどな」
「!!!!」
目のキラキラが倍くらいになった。
……こいつ、食べ物ぶら下げたらホイホイと誰にでもついて行ったりしないだろうな。今度その辺りしっかり教えた方がよさそうだ。
今後の予定を頭の片隅に置いた上で、青年は少女が言葉を作る前に先を制する。
どうせ次に彼女が言う言葉は『料理して』で決まっている。だからその前にはっきりと言っておくべき言葉がある。
「りょう――」
「無理」
「なんでー!?」
おいやめろ服の裾を掴むな伸びるだろうが。
左手で少女の頭を掴んで距離をとるように押しやりながら、嘆息する。
森を出て数日。随分と彼女の扱いも雑になってきたと思う。
向こうも遠慮がなくなって来たのだから、気兼ねなく、という関係になったと肯定的に捉えることにしよう。
「料理するなら道具とか調味料がいるんだよ。食材だけ渡されてできることなんか何もねえわ」
「ちょうみりょう……? それ どこで てにはいるの!?」
「少なくとも今すぐに手に入る状況ではねえなー。街で人から買ったりするのが一般的だし」
「よし!」
少女は服を離すと数歩先まで走り、こちらを振り返って、
「はやく! はやく まちにいこう! それで りょうりして!」
街があると思われる方向を指さし、その腕をぶんぶんと振る。
元気があって大変よろしい。
だがしかし。
「そのことなんですが……」
右の手の平を彼女に見せるようにして、“待て”のポーズをとる。
「? どうしたの?」
「――街に行くの、ちょっと延期で」
街を指したまま、表情も姿勢も固まる少女。
一拍を置いて、青空に少女の叫びが響き渡った。
「なんでぇーーー!?」
● ● ● ● ●
その後、青年は日が暮れるまで少女を説得することになった。
……帝国にいた頃に培ったスキル全部使うことになるとは思わなかった。
とても頑張った。そのおかげもあって、彼女も納得して……ないな。うん、だめだ。めっちゃこっち睨んでる。
とりあえず今日はこれ以上移動するのはやめて、早めの夕食にしようということで、黙って座ってくれるようになっただけ良しとしよう。
「で?」
誰も通らない道であることを言い訳に、今、自分たちは道の真ん中で向かい合うようにして座っている。
手に持った果実に荒々しくかぶりつきながら、彼女はこちらを強く睨む。
「なんで まちに いかないの」
怒っているせいか、放す彼女の言葉に抑揚はない。
こんなことになるなら料理の話をしなければ良かったと思うのは今更だ。
まさに後悔先に立たず。しかし、今はやるべきことをやらなければならない。
あのな、と前置いた上で、自分は釈明する。
「周りを見てみろ。何が見える?」
そう言うと、彼女は渋々といった感じで俺から目を離し、自分の周囲をぐるりと見渡すように見る。
わ、と彼女が小さく声を漏らすがの聞こえる。
彼女の周りの空間。そこには透明な金色の波が揺蕩うように浮かんでいた。波は俺たちの体や草をゆっくりと通り抜け、彼女の体から寄せては戻るように波打つ。
日が沈み、暗くなりかけている今の時間においては、金色の波はぼんやりとした膜のように見える。
彼女はその光景をぼんやりを見つめながら、こちらに問う。
「これ わたしの まりょく?」
「そうだ。森を出て数日、君が怒ったり笑ったりして大きく感情が動いた時や、寝ている時に見かけるようになった。
これがただ幻想的な光景ってだけなら何の問題もないんだが……」
そう言って自分は今まさに波にのまれた草を指さす。
指された草は、波が通り過ぎる間に膝程まで伸ばしていたその背丈を、足首程までに縮めていく。
「あんな感じで、君の“時”の力の影響をモロに受けてる。これが人や物が溢れる街で起きたら、どうなるか想像できるな?」
「……むう」
彼女の力は生きていないものであれば問答無用にその対象となる。
市場に行って商品をいくつかダメにするくらいならかわいいものだ。もし墓地へ行こうものなら、その瞬間からネクロマンスパーティになりかねない。
その一部でも想像できたのか、彼女も先ほどまでの勢いを潜め、黙り込む。
しかし、と俺は考える。
だからと言ってこのまま街へも行かず、野性的な生活を送るわけにもいかないのだ。
森から採ってきた食料は無限ではないし、あの森に戻るということは想像もしたくない。
何より、それでは俺の目的は達成されない。
「だから君には魔力の使い方を覚えてもらう。今日はもう日も暮れてきたから実践は明日に回すとして……」
土の地面につけていた尻の近くに落ちていた小石を拾う。
「今日は寝るまでは勉強の時間としよう。
安心しろ。お前から出てる魔力の明るさのおかげで地面に描く絵が見えなくなったりすることはないから」
勉強という言葉を聞いて彼女が顔を顰めたような気がするが、あえて無視。
早く終わりたかったら、魔力の制御を覚えるんだな。
● ● ● ● ●
「一般的な説明としては、魔術は料理に例えられる」
暗闇の中に揺蕩う金色の明かりの中、黒髪銀眼の青年の説明が始まる。
「
この時、蔵から取り出した食材自体にも味はあるから、そのまま差し出すだけでも何かしらの現象は起きる。その現象が何か、という点については、各々が持つ食材の性質による。これを魔術講学上、“魔力属性”という」
属性は両親と同じものになることが多い。両親が異なる属性であれば、どちらかの属性、あるいは2人のちょうど中間のような属性になる。
たまに生まれてきた子供の属性が親とかすりもしないとかで、親戚総出の“お話合い”になることがあると聞いたことがあるが、自分には関係のない話だな、と青年は頭を振る。
「とはいえ料理とはさっきも説明したが、単に食材を相手にぶつけることを意味するものじゃない。
己の中にある食材をより洗練させ、その効果を高めたり、安定させたものにする調味料や道具に該当するものがある。
――それが“陣”、あるいは“魔法陣”と呼ばれるものだ」
そう言って青年は右の手の平の上に銀色の立方体を出現させる。
複雑な幾何学模様に彩られたそれは、青年の手の平の上でくるくると回る。
「基本的に陣は使いたい魔術ごとに1つずつ作られる。
昔はいくつも陣を並び立てて相互に作用させるなんてド派手なこともやってたらしいが、平面の陣をいくつも重ね合わせて作る立体魔法陣の方が効率もいいし、妨害される総面積も狭いということで今はこっちが主流だな。……まあ、今はそういう技術的なところは置いておいて、と」
青年は手の平に作っていた“召喚”の陣を握りつぶして消す。
後話しておかなくちゃいけないことは、と頭の中でリストアップしていく。
魔術具のことは……まだいいか。あれは実物を見せながらの方が説明しやすい。
そうなってくると、言うべきこととしては、
「今後魔術師と付き合っていく上で、気を付けてほしいことが3つある」
そう言って青年は3本の指を立てる。
そして、いいか? と前置きした上で、
「1つ目は、よっぽど親しい仲でもない限り、魔術師に対して、陣の内容を聞かないこと。
料理に例えるなら、陣はその魔術師にとっての貴重な道具であり、レシピだ。魔術によっては一子相伝とか門外不出とか、色々めんどくさいことになってるから、迂闊に聞いたりすると厄介ごとに巻き込まれる……というかマナー違反だな」
ちなみに聞くのがまずいというだけであって、陣を見て解析することは禁止されていない。その辺りは解析される方が悪いという話でもあるし、解析されないように陣に無意味なものを含めて偽装工作するのも常道とされる手段だ。
「2つ目は、君の“時”という属性についてだ。
君の属性はかなり珍しい。多分一生の間に耳に入れることがあるかどうか、というレベルだ。
だがそれは必ずしも強いという意味ではない。君の持つ食材は極めて珍しく、誰もその調理方法を知らない、と言えば分かりやすいか」
一般的に人口の多い属性の方が強く、希少な属性ほど不遇だ。
考えてみれば当然な話で、日常的に目にする食材であればレシピも豊富で、工夫の仕方を考える機会も多い。その一方で、一生の間に見る機会があるかどうかも怪しい食材のことなど、誰も考えないし、敢えてレシピを考えようとする物好きもそうそういるものではない。
それは青年の“召喚”も同じことだ。
使えそうなレシピをつまみ食いして、何とか1つの陣を完成させはしたものの、ようやく消費魔力を3分の1程度に抑えることに成功した程度だ。
火や水といった普遍的な属性の陣が消費魔力を100分の1、1000分の1に抑えていることを考えれば、ため息もつきたくなる。
「そして最後に3つ目。
これはよく勘違いされることなんだが、属性の違う魔術は使えない、なんてことはない。甘い食材であっても、調理次第で激辛料理にすることだってできるのと同じだ。
とはいえ、元々激辛な食材を持っている人と比べたとき、余計な手間暇をかけなくちゃいけないのは当然だ。この時、手間暇っていうのは、より複雑な陣だったり、より多くの魔力のことを意味する」
別に火属性の魔術師だって水属性の魔術は使える。
だから召喚属性の青年であっても、獣除けのための火を起こすことくらいはできるのだ。相性が悪いのか、そのたびに総魔力の半分を持ってかれるというだけで。
全身に鉛のような怠さを感じながら、青年は火を起こす。
魔力は魂の力。すなわち魔力切れは魂が枯渇しかかっている状態を意味する。良くて気絶、悪くて死だ。
戦場において敵前で気絶するなどほとんど死ぬことと意味は変わらない。
だから魔術師は皆、より効率的なレシピの研究に余念がないのだ。
「今の君の状態をさっきまでみたいに例えるなら、蔵の入口が開けっ放しになっていて、ふとした瞬間に中身が漏れ出ているようなものだ。
明日から、まずはそれを直すところから始めないとな」
ここまで説明して、ふと青年は気付く。やけに静かに、大人しく聞いてるな、と。
説明のために描いていた絵がある地面から目を離し、前を見ると、
「寝てやがる……!」
ぴすぴすと独特な寝息を立てて少女は眠りについていた。
くそ……。いつからだ? 叩き起こす、のはダメだな。前それをやって全力加速した石が飛んできた。
はあ、と一息ついて手に持った石を放り投げて地面に手をつく。明日の説明の予行練習になったと考えることにしよう。
「……俺も寝るか」
幼少のことから押し込められていた狭い部屋。座ったまま寝ることなど朝飯前だ。
そうして、金色の波に包まれながら、一日が終わっていった。
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