第5話 終



 先程剥いだ草が、地面からぶわりと立ち上がる。


 驚きを覚える青年の目に映るのは、ジトっとした目でこちらを見つめる少女だ。



「……」


「悪かった。謝るからそう睨むな」



 子供の癇癪というのは良くない言い方だったかもしれない。


 ……だがこれ以上に的確な表現もない。


 立ち上がり、近づいていくのはいつものスタート地点。自分が埋められていた大樹だ。


 今いる円形の開けた場所の外縁を形作る1本の樹。


 青年は同じく外縁を形作る、すぐ隣の樹に目を向け、



「この場所の意味というものを考えてみたんだ」



 その樹に近づいていく。


 思うのはこの森で目を覚まして真っ先に頭に浮かんだ疑問。


 なぜ自分が樹の中に埋められているのか、ということだ。


 これは間違いなく、人の手によって行われたことだ。


 そして、今この森には、自分を除けば少女しかいない。


 ならば、自分を樹に埋めたのは少女ということになる。



 ……それは何故か。


 その答えは、自分の予測があっているなら、今近づいた樹にある。


 青年は樹を前にして、右足を後ろに振り上げ、勢いをつけて振り下ろし、



「……!」



 当てる。


 返ってくるのは、時を重ねた大樹の硬い感触、ではない。


 あっさりと割れる音と共に薄い樹の破片が飛び散り、蹴り上げた爪先は樹に埋まる。


 刺さった足を樹から抜けば、そこにあるのは空洞だ。自分が埋められていた場所と同じ空洞。


 その空洞を覗き込む。


 そこにあったのは、



「……彼女が好んで食べていた、木の実」



 甘く、瑞々しい果物だ。腐ることなく、収穫したてのような状態を保っている。


 それを拾い上げることはしない。


 自分はそこにそれがあるということを確認をしたかっただけだ。小さく頷き、その場所から離れる。


 つと、さらに隣の樹を見る。ぐるりと、この場所を作る樹を見回せば、そのどれにも穴をあけたような跡がある。


 そして回った視線を、しゃがんだままの少女で止め、



「ここは、君にとってのコレクションルームだったんだな」



 言った。


 森で見つけたお気に入りを集め、いつでも見られるように納めたのがこの玉座の間だ。


 何が彼女の琴線に触れたのかは分からないが、自分もコレクションの1つとしてここに飾られていたのだ。正確には、自分の死体が、なのだが。



 死体をコレクションに、と言えば悪趣味のようだが、彼女に限ってはそうではない。


 この森では死という不可逆の終わりがないからだ。


 死すら巻き戻され、その以前の状態に立ち返ることができる。まさに、自分のように。


 ならば、この場所で生きる彼女は、死を、どうしようもない終わりを理解していない。


 彼女にとって死とは“再び動き出すまで止まっている時間”に過ぎないのだ。



「そのコレクションが勝手に動いて、自分の手を離れようとしたら、取り返そうとするよな」



 それが彼女の無意識だ。


 この森を出させてあげたいという意識と、コレクションを失いたくないという無意識の衝突。


 その結果として生まれたのが、“出られるけど逃げられない森”だ。



 ふう、とそこまで言って、深く息を吐く。


 ここまでやってきたのは魔術の分析とされるものだ。


 魔術師の内面を暴くこの行為は、考えはしても、通常わざわざ言語化することはない。


 「あいつ○○のこと好きなんだってよー!」と大勢の前で叫ぶようなものだ。全力で殴られても文句は言えない。


 ……懐かしいなあ。孤児院長の魔術を分析したら、一晩正座の刑になったっけ。


 「院長は恥ずかしいからハゲをかくしてるんだね?」は今思い出してもクリティカルすぎる。


 涙を流しながらダッシュで逃げて行った後姿は今でも忘れられない。



 ……だめだ、思い出に浸ってしまった。


 振り払うように頭を振って少女を見れば、こちらを硬い表情で見つめていた。



「じゃあ どうするの」



 硬い声が、こちらに届く。


 少女がじっとこちらを見つめ、問う。



「……そうだな。最終的にこの問題は、未熟が原因なんだよ。


 それなら、その原因を排除するしか、ない」


「じゃあ――」



 少女がゆっくりと立ち上がる。


 そして、こちらを迎えるように両腕を広げ、



「わたしを ころす?」



 と言った。


 ……確かに、それも一つの手段だ、と青年は思う。


 彼女がいなくなれば、時間の歪みもおさまるだろう。


 彼女はそれに抵抗しない。この森から出て行くのを助けたいというのも、彼女の願いだからだ。


 一方で自分は、今すぐにでもこの森を出たい。状況を確認し、帝国に戻るためにはいち早く森を出なければならない。



 出会ったばかりの不思議な少女と、これまで共に苦難を乗り切ってきた仲間たち。


 天秤がどちらに傾くかなど、考えるまでもない。


 だから、青年は、ずっと前から決めていた答えを告げた。



「そんなことする訳ねえだろ。阿呆か」




● ● ● ● ●




 ……んん?


 少女は首を傾げる。


 先程、彼は森が出られない原因は自分だと宣告したはずだ。


 そしてそれを排除するしかない、とも。



「どういうこと?」



 問えば、彼はうんざりとした目でこちらを見る。


 そして、あのな、と前置きした上で、



「俺が言った未熟は、君のじゃない。俺の未熟だ」



 いいか? と、こちらを指さす。



「俺と君は初め、まともに会話も通じなかった。だから俺は、できる限り君と話して意思疎通を図ってきたつもりだった。


 だがその一方で、言わなくても分かるだろうと勝手に思って、言わなかったことがあるのも確かだ。会話が大事などと言いながら、面倒臭がったんだ。


 課題だと分かっていながら、その対策を怠る。魔術に扱うものとして、これを未熟と言わず何という」



 は、と彼は自分を嗤うように息を吐く。


 その姿から理解する。彼がうんざりしているのは、自分自身に対してだ。


 それならば、



「――ころさないの?」


「殺さんよ。そんなことしなくても、この森から出る方法はもう分かってるんだから」



 そうなのか、と素直に思う。


 話してきて分かってきたが、彼は知恵は回る方だ。知恵は知恵でも悪知恵の方だけど。


 その彼ができるというのなら、きっとできるのだろう。



「どうやって?」


「俺には君に伝えていない言葉がある。


 それは君の抱える矛盾を解消させられるものだ」



 それは、



「俺は確かに森を出たいと何度も言ってきたが――、


 それは、君と一緒に、ということだ」



 告げられた言葉。


 それを理解するのに、一度、何かを飲み込むような動きを喉がとった。


 彼と一緒にこの森を出ることの意味を考える。


 私は、彼に願いを叶えるために、この森を脱出してほしい。しかし同時に、彼がここから出て、もう戻らないことを嫌だ、とも思う自分がいる。その“嫌”の中身は、よく分からない。


 だけど、一緒にこの森を出て行けたなら?


 それを考えたことは、なかった。



「第一、こんなよく分からん森に一人残してハイさよならとはできんだろ常識的に」



 色々と助けられてきたわけだしな、と彼はこちらに近づき、膝を折って目を合わせる。


 そして優しく言うのだ。



「一緒に行こう」


「……っ」



 その言葉を、嬉しいと感じる自分がいることに驚く。


 今まで誰かとまともに話すことも、何かに対して何かを思うこともなかった。


 彼と話し、戻らないということを知って、自分が空っぽなのだと思い知らされた。


 彼が抱えるものと比べて、自分があまりに軽すぎるということを知った。


 その彼と、共に行くことができたのなら?



「いけるの?」


「行けるだろうさ。君が望むのなら」



 行きたい、と素直に思った。


 これまで自分から何かをしたいと思ったこともなかった。


 今まで目の前で起きていたことは、どこか一枚壁を挟んだような、現実感のないものだった。


 それが変わったのは、今まで動かなかった彼が動いてからだ。


 彼と話して、食べて、動いてからは、壁はなかった。



 だから言った。



「いきたい」


「なら行こう。よろしく頼む」



 彼が、こちらに広げた手を差し出す。


 どういうことか、と首を傾げると、彼は苦笑いを浮かべて言った。



「仲良くしようってことだ。君もそう思ってくれているなら、手を取ってくれればいい」



 迷うことはなかった。


 差し出された手を取り、強く握る。


 握られた手は数度上下に振られ、放された。


 それでも、繋がっていた手の熱は、いつまでもその手に残っていた。




● ● ● ● ●




「ま、まだ問題は残ってるんだけどな」


「え゛」



 青年は言うと、先ほどまで立っていた、相関図があった場所に戻る。


 絶句の表情を浮かべる少女を手招きして、いいか、と告げる。



「俺と君の間にあった問題はさっき解決された。もとからコミュニケーション不足なだけだったからな。解決自体は難しくはない。


 だけどこの森には、まだ登場人物が残っていたよな?」



 言われた言葉に少女はハッとした表情を浮かべる。


 それは、



「まじゅう」


「その通り」



 青年は無意識のうちに右手でわき腹をさする。


 ちょうど、角で突き破られた場所だ。



「俺を排除しようとして、その一方で君とは友好的な関係を築いているあの大角の魔獣。


 確認するが、あの魔獣に君は一度も襲われたことはないんだよな?」


「うん ない」



 ふむ、と顎に手を当てて青年は考える。横で少女が同じポーズをとるが多分何も考えていないだろう。


 ……俺が森を出たときに見たあの光景の意味を考えろ。


 両腕を広げ、突進してくる魔獣を迎えるように待つ少女と、こちらを追うことを止め、少女に身を寄せる魔獣。


 あの時は実は裏で少女が魔獣を飼いならしていたという可能性を考えた。


 だがそれは違うと断言できる。少女と魔獣では俺をこの森から排除する方法が大きく食い違うからだ。


 むしろ、あの時の魔獣の姿は……



「目的を果たして安堵していた……?」



 ならば、と青年は思考を続ける。


 魔獣の目的は俺を殺すことではない。それはただの手段だ。


 俺を殺し、達成させられる目的とは、



「……少女を森から出させないことだ」



 顎から手を離し、は、と小さく息を吐く。


 ……最終的に、俺と魔獣では目的が一致しないのか。


 魔獣は俺が少女に森から出るように誘う可能性を考え、予防的に俺を潰しにかかっていたということだ。



 魔獣がそこまでして少女を森に閉じ込めようとする意図は分からない。


 ただ、目的の不一致は確定した。


 お互いに譲れない目的があり、落としどころを探る余地もない。


 その関係性の名は、



「敵対関係だ……!」



 少女の顔を見ると、いつも通りの、よく分かっていないような表情を浮かべている。


 こちらの気も抜けるような、無垢な表情だ。


 ……ここで俺が捕らわれの御姫様を助ける英雄の立ち位置ならまだ格好もついたのにな。


 実際は、森から出るためには彼女に付いて来てもらわなければならないというだけで、自分の目的を達成するために、彼女を利用しているだけだ。


 自嘲気味な笑みがこぼれるが、それでいい。今はまだ。


 やるべきことをやるだけだ。


 そして、やるべきことが決まったのなら、あとはそれをどう実現するか、だ。



 もう一度、少女の顔を見る。


 こちらが見つめることが不思議なのか、表情はそのままに、首の傾きが大きくなっている。


 その様子を見て、自嘲ではない、笑みがこぼれる。



「……ふ」


「む?」


「いや何でもない。考えがまとまったから、まずはそれを聞いてほしい」



 隠し事はしないし、考えたことはすべて話す。


 それが今、自分に対して課した、この森でのルールだ。


 その途中でカッコ悪いところも、情けないところも話さなければならなくなるだろう。


 だけどそれでいい。自分は英雄ではなく、未熟者なのだから。



「その上で、協力してほしいことがある。


 ――あの魔獣を、倒すために」




● ● ● ● ●




 深い緑が占める森。


 自然とできた獣道を悠然と歩く、一頭の巨大な姿があった。


 二本の大角を携えた、黒毛の大獣だ。


 歩みを進める魔獣に耳に届くのは、己から逃げ惑う、小動物が草をかき分ける音や、鳥が枝を揺らす音だ。


 それでいい、と魔獣は判断する。


 己こそがこの森の絶対者であり、それ以外は蹂躙を恐れる弱者なのだから。


 あらゆる存在は、己を遠くから畏怖をもって見つめているべきなのだ。



 しかし、と魔獣の思考は逆接をうつ。


 この森に異分子が入り込んだ。


 いつの間に現れたのか定かではないが、それは唐突だった。


 ヒトがこの森に入ってくるのは初めてではない。だからいつも通り、排除すればそれで終わりのはずだった。



 しかし、と思考に再度の逆接が生まれる。


 ……姫がどういうわけか、アレを気に入っておられる。


 森での生活に不満はなかったはずだと、断言できる。


 好きな時に好きな事を為すことが許されているのだ。この最大の自由以上に、何を望むというのか。


 その姫が、アレに執着している。


 その事実が、どうしようもなく己の怒りを呼ぶ。そのせいか、踏み出す足音がいつもより大きく響く。


 己の怒りを悟ったのか、森の動物がいつもよりさらに距離をとる。



 ……否、違う。


 魔獣は、直感を持って判断する。


 動物が距離をとったのは、己の怒りの発露だけではない。



「――ようやく見つけた」



 そう。このヒトだ。己と比べて、矮小で、貧弱な存在。


 それが己の正面約15メートルの位置に立っていた。




● ● ● ● ●




 魔獣は、2度程、足で地面を均すと、真正面に立つ標的を見据え、



「――!」



 勢いをつけて、行った。


 初めて会った時と同様に、その軟弱な身を角で突き抜くために。


 視界の中、こちらが駆けだすと同時に、獲物は身を翻し、一直線に走り出す。



 逃げる気か、と魔獣は思い、さらに加速する。逃がすものか、とも。


 追いかける己にとって邪魔になるのは、密集するように生えた木々だ。


 大柄な己の体では、十分な加速がつくまでは、木々を避けていくしかない。


 だから、その通りに行った。



 足元にある木の根を蹴り砕きながら、魔獣は蛇行するように獲物を追う。


 魔獣の方が大きく動くことになるが、そもそものスペックが異なる。


 ヒトとの距離は、徐々に縮まっていく。


 初めは15メートルほどあった距離は、10メートルほどまでになっていた。



「……っ!」



 魔獣は、目の前を走る獲物が、後ろ手に何かをこちらに投げるのを見た。


 優れた動体視力は、それが何であるかを、放たれた時から見極めていた。


 小石だ。手の中に納められていた数十もの小石が、こちらに向かって放射状に飛んでくる。


 目潰しか、と魔獣は判断した。


 苦し紛れに投げられた小石の軌道のいくつかは確かにこちらの顔に向かっている。


 当たれば、ほんの一瞬、そちらに気を取られることもあるだろう。



 しかし、魔獣は、向かってくる小石に対し、己の脚に更なる加速を加えることで応えた。


 この程度のものは、障害にすらなり得ないということを証明するように。


 突っ込む。


 小石の放射の向こうには、獲物がいる。


 そこから目を離さない限り、こちらに敗北はない。


 両腕を振って逃げる獲物に焦点を合わせる。


 二段階目の加速を掛ける。さらに強く地面を踏み込む。



 しかしその瞬間。


 焦点を外した小石が、淡い金色の光を纏った。



「――!?」



 魔獣には、突如目の前に壁が生じたように見えた。


 “壁”には、虫食いのように巨大な穴がある。


 そしてその穴あきの壁は、これまでこちらに向かって飛んできていた小石に成り代わるように、真っ直ぐ己に向かって飛んできていた。


 否! と魔獣は、壁と直撃する直前に判断する。


 これは壁ではない。


 ……これは、樹だ!



 魔獣は視線を下に、角を前面に押し出すようにして、壁に激突する。


 己の矛ともいえる大角が樹を割っていく感触を得ながら考える。


 小賢しい真似を、と。


 獲物が投げたのは、ただの小石ではなかった。


 小石には、いずれ大樹となる植物の種が、その辺に生えている草をもって結び付けられていたのだ。


 そしてここは姫の御力によって時の歪んだ領域。


 本来であれば何十、何百年という時間をかけてなされる結果が、たったの一瞬で現れる。


 それを利用して放たれたものは、もはや大樹弾と言うべき、目潰しなどではない、立派な攻撃だ。



「…………!」



 押し通る!


 その意思をもって魔獣はただ前方に力を向ける。


 己の力であれば、大樹であろうが、砕くことも不可能ではない。


 大樹弾とこちらの違いは、勢いのつき方だ。


 放たれて以降、大樹弾の勢いは、追加のしようがなく、弱まるばかりだ。対し、こちらは脚を押し返す地面からの反発をもって、1歩を踏み出すごとに勢いを追加することができる。


 砕く。


 大樹に加わった圧力は、溜め込むように一瞬だけ大樹を中央部分で膨らませるも、抱えきれず内側から破裂するように破砕をまき散らす。


 通った、と魔獣は判断した。



 次に対処すべきは、下げた角と地面の間を通るような軌道で飛ぶ大樹弾だ。


 これは角で砕けない。今以上角を下げることができないからだ。


 しかしこのままいけば脚に当たる。


 だから、



「――!」



 魔獣は上を向いた。


 正面の視界には、己の判断通り、砕かれた樹々の破片が映っている。


 そして、前に向けていた力を、今度は上へと向ける。


 4本の脚で地面を一瞬だけ掴むように持ち、



「……っ」



 跳んだ。


 踏み切った地面には、確かな重量を持つものの跡が刻まれ、その直上を狙うものがいなくなった大樹弾が通り過ぎていく。


 跳躍の間、魔獣は勝利を確信した。


 それと同時に、獲物のことを確かに見直していた。


 軟弱でありながら、貧弱でありながら、よくぞここまで抵抗したものだ。


 だが、それも終わりだ。



 壁を貫くように跳び出た魔獣は、着地と同時に、前を見る。



 獲物の姿が、消えていた。




● ● ● ● ●




「――!?」



 魔獣は着地したその場所で、固まった。


 木に登ったのか、と頭上を見てもその姿はない。


 アレは真っ直ぐ逃げていたはずだ。それ以外に、逃げ場はない、はずだ。


 魔獣が陥った困惑は、その足を止めさせるのに、十分だった。



「ああ、飛んでくる樹を突き破ってくる程度、できると思っていたさ」



 声がした。獲物の声だ。


 しかし、その声はあり得ない方向から聞こえた。


 ……背後だと!?


 そこは先ほどまで己がいた場所だ。


 体ごと振り向きながら、魔獣は一つの可能性に行き当たる。



 先程、大樹の壁が現れてから、己は獲物から目を離していた。


 入れ違いが起きたのだとすれば、その時しかありえない。


 角をもって樹を砕いているときに真正面からすれ違おうとすれば、そのまま角に貫かれることになる。


 ならば、己が跳んだ時だ。


 恐らく獲物は大樹弾が成ってすぐ、低空の軌道を取る弾を追いかけるように己に向かって走ったのだ。


 そして、こちらの跳躍に合わせ、大樹弾の陰に隠れるようにスライディングをして、後ろに回ったのだ。


 その証拠に、獲物の衣服には、木屑だけでなく、土がついている。



 ……だが無意味だ、と魔獣は判断する。


 一度うまく避けられたとして、次はない。


 己の持つ金縛りの魔術をもって動きを止めてしまえば、同じ手は採れないからだ。


 だから、己は突進のために地面を均しながら、大きく息を吸い込む。


 己の魔術の発動は、己の遠吠えを起点とする。


 限界まで息を吸い、魔術発動まであとは吠えを行うだけだ。


 その時、目の前に立つ獲物が、言った。



「そこは危ないぞ」



 何がだ、と思いながら、声をあげるために口を開けた。


 その瞬間、魔獣は己の胸が強打された。




● ● ● ● ●




「……よしっ! どうだこの野郎!」



 ガッツポーズを決める青年の視界。


 そこには、地面から突き上げるように急成長を果たす樹々が魔獣の胸を打つ光景が映っていた。


 魔獣が立っていたのは、自分が180度のターンを決めた場所。石を投げた後、折り返した場所だ。


 青年は魔獣に向かって走る際、そこにも大樹の種を撒いていた。



 種は予め少女に聞いて、もうすぐ急成長を遂げると教えてもらったものだ。


 急成長を遂げる数秒前、燃えるように熱を持つそれを放てば、ちょっとした破城槌のようなものが出来上がる。



 げ、とかぎ、という悲鳴を上げる魔獣に次々と大樹は襲い掛かる。


 初めの一発を貰って以降、胸骨が砕けたのか、動きは悪くなっているし、それでは次々と襲い掛かってくる大樹を避けられるはずもない。


 なにしろ手持ちのほとんどの種を撒いたのだ。自分ですら、あと何発残っているかも把握していない。



 唯一の懸念は魔獣が持つ金縛りの魔術だったが、あれは魔獣の吠声を聴く“耳”があって初めて意味があるものだ。


 聞く耳を持たない木々の成長を止めることはできないし、仮に自分の動きが止められていたとしても、種を撒いた時点で仕込みは終わっていた。



「どうだ……!? 成す術もないだろう……!?」



 今も断続的に樹々は魔獣の身を打っている。


 着実に、決して小さくはないダメージを与えていく。




● ● ● ● ●




 青年が撒いた種が全てその役割を果たした時。


 何十という木々が密集して生える場所の前に、巨大な体を持つ魔獣がその身を横たえていた。


 まだ息はある。肺が傷ついたのか、呼吸は短く、荒い。


 それでも、その目は未だにギラギラとした光を放っていた。



「……」



 青年は、魔獣に近づかなかった。


 目を見れば、そうすべきでないとすぐに分かったからだ。


 だから、一定の距離を保ったうえで、青年は魔獣に語り掛けた。



「どうしてお前が彼女を閉じ込めようとしていたのか、結局分からずじまいだ」



 もしかしたら、魔獣は彼女を愛玩していただけなのかもしれない。


 もしかしたら、魔獣は彼女を俺のような存在から守っていたのかもしれない。



「それでもそこにお前の何かしらの“思い”はあったんだろう。


 金縛りの魔術も、彼女が“行って”しまわないように繋ぎ留めておくものだったんだろ?」



 だが、とさらに言葉を続ける。



「彼女はここを出て行くことを望んだ。


 お前がどう思っていようが、彼女のこれまでがどうであろうが、お前の役割はここまでだ」



 はあ、と小さく息を吐く。


 彼女がここを出て行こうと思ったのは、間違いなく自分が原因の一つだ。


 そんな自分から不要だと宣告されるなど、本来なら何様だという話だ。


 それでも、



「やるべきことがまだ残ってるんだ」



 だからそれまでは止まれない。


 まだ息荒くこちらを睨む魔獣を前に、告げる。



「お前も死ねば、俺と同じように巻き戻って生き返るんだろう?


 だから俺は、俺たちは、その前にこの森を出るよ。そうすれば、この森は彼女の影響から離れて、歪んでいた時は元に戻る。……お前が生き返ることは、ない」



 だから、そうだな。



「死なないでくれ。できるだけ長く生きてくれ。俺たちがこの森から出るまで。


 もちろんその間、苦しいだろうし、痛いだろう。だが俺は悪いとは思わない。


 俺は聖人でも英雄でもないからな。俺を苦しめた奴には同じように苦しんでほしいと率直にそう思う」



 最後に持っていた小石に結び付けられた種が、熱を帯び始める。


 青年は、それを狙いをつけて放り投げる。


 狙うのは、魔獣の前脚がある場所の、上空。


 上空で生まれた樹は、真っ直ぐと落下。


 その真下にあった、魔獣の前脚を、潰す。


 これで、もう、魔獣は立ち上がることもない。



「これで良し。……俺はもう行くよ。時間も限られてるしな。


 恨んでくれてもいいし、化けて出てくれてもいい。それくらいのことはした自覚くらいはある」



 最後にまだ燃えるような魔獣の瞳を見て、青年は踵を返した。



「じゃあな」



 そう言って歩き出し、もう振り返ることはなかった。




● ● ● ● ●




 陽光が差し込む森がある。


 青々とした葉を掲げるように持つ木々と、枝を渡りゆく小動物が生きる豊かな森だ。


 その森を上空を見た時、ちょうど中心には開けた場所がある。


 円形に開け、空からの光がより多く差し込むその場所で、



「待たせたな」



 青年は崩れた玉座によりかかるように眠っていた少女に声をかけた。


 少女はゆっくりを目を開ける。



「……おそい」


「悪かったって」



 青年は少女に手を伸ばす。



「行こうか」



 少女は青年の手を取り、立ち上がる。



「うん いこう」



 そうして二人は歩き出す。

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