番外編 side アリス 縁を織る
※「願いの叶う服を仕立てる店」のアリス視点になっています。そちらを先にお読み下さい。
私が育ったのは北の高地。貧しい土地と厳しい気候で、産業と言えば僅かな草で羊を育てて、布を織るくらいのものだ。それだけでは食べていけないので、集落の男たちが傭兵として出稼ぎに出る。……そしていつだって何割かは帰ってこれない。
私達、村に残る女子供が彼らにできるのは祈ることだけだった。どうか無事で、どうかどうか怪我をしないで、きっと帰ってきてほしい。そう願って彼らが着る服を仕立てることだけだった。代々の女性がそう祈りながら仕立ててきた服が、織った布が力を生んだのが集落に伝わる『守護の布』だ。細かな内容は織りの柄によって変わるが、凶刃を防ぎ、災厄から身を守り、呪いをはじき、あらゆる力で持って着用者を守る、その趣旨は変わらない。
集落に生まれた子供たちと同じように、私も物心つくころにはその織りを練習していた。複雑で技術が必要な上に家にある機織り機は子供には大きくて、何度上手く織れなくて癇癪を起したか知れない。その度に母は苦笑して何度も飽きずに教えてくれ、父は笑って頭を撫でてくれた。そうして初めて母の力を借りずに一人で仕上げられた服を父に渡した時の、今思えば親馬鹿全開の笑み崩れた表情が忘れられない。
だって、それが父を見た最後の記憶になったのだから。
父は帰って来なかった。
私の祈りは届かなかった。いや、むしろ……。
父と一緒に出稼ぎに出て帰ってきた人が言っていた。父を殺したのは、本来は味方であるはずの同じ人間に雇われた傭兵だったと。うちの集落に伝わる“最強の守護の布”の噂を知っていた傭兵が、父を殺して私が父のために仕立てた服を奪ったのだと。
私の祈りは届かなかった、いやむしろ、私の祈りを込めた服が父の命を奪った。
愕然とした。それを知ってもうあの地で布なんか織れなかった。
あんなのは守護の布なんかじゃない、人を死地に送る布だ。
そうして私は故郷を逃げ出した。何もかもが嫌だった。人を死地に送り出さないと暮らせないような貧しい土地も、私の祈りの届かなかった布の織り柄も。もう二度と機織りなんてしない、糸になんか触れない。そのつもりだったのに、実際に街に出てきても布を織る以外とりえのない自分を嗤った。嗤って、それでもそれしかできなくて、ただ漫然と布を織ってそれを売っていた。
そんな時に出会ったのがエミール君だった。
「一緒に仕事しないか?!」
私の肩を抑え付けて、半ば怒鳴りつけるような大声でそう言ってきた男性に私は震えた。あまりの勢いに怯えで震えた。
「ちょっと苦戦してんだけど、あんたの布見てたら行ける気がしてきた。こんな綺麗な布みたことない。なあ一緒に仕事しよう」
肩を押さえられたままもう一度勧誘された時、今度は心が震えた。多分ほんの一片の期待とほとんどを占める困惑に。
「なあ、一緒に仕事しないか」
彼のデザイン画を見てその構想を聞いて、それからかけられた最後の誘いに、私はもう震えてはいなかった。だって、デザイン画に目を通して脳裏に浮かんだドレスは綺麗だった。それを描いた人が怖い人とは思えなかった。そして、服を作ることへの情熱に浮かされたような眼差しを見返して頷いた。
「したい」
集落を出てからただお金のためにいやいや布を織っていた私が、今は機織りに触れたくて触れたくてたまらなかったから。
* * * *
エミール君は、なんていうか、私が初めて見るタイプの人だった。自信があって(もちろん相応の実力があって)、動き回ってないと死んじゃうんじゃないかなってくらい働くのが好きで、お客さんと接するのが好きでお客さんに喜んでもらうのが何よりも好きで、だからこそ自分の仕事に誇りがあって妥協を一切許さない厳しい面もあった。そんな彼の時に無茶な要望を叶えるのは楽しかったし、そんな仕事第一の彼に服作りのことで相談されるのは誇らしかった。
死地に赴く家族の無事を祈る服と、それ以外はどこか見ず知らずの誰かの服になるための布を織る以外知らなかった私にとって、エミール君が話すお客さんの姿と彼が思い描く服に沿って布を織るのは、すごく新鮮で目新しくて充実していた。
だからそこで満足してしまったのだ。
『一緒に仕事をしよう』
そう言ってもらえた以上はそれじゃダメだったのに。
エミール君の様子がなんだかおかしくなったのは、領主様に呼ばれて別荘に行った日からだった。
例えば、仕事の納品日がいきなり早くなったと伝えられる。それも相当無理のあるスケジュールでだ。確かに彼は仕事が好きで、今までだって無茶な納品日の仕事を請けてくることはあったが、ここまで無理のあるものは初めてだった。
例えば、郵便受けに手紙をとりに行くことが多くなった。まるで私には手紙を受け取らせまいというかのように頻繁に郵便受けを見に行く。
例えば、私に布を織って欲しいと頼んできた。商品ではなく個人的に必要だと。そんなことは初めてで、しかも布の内容は昔あった『病気で長くないから婚約者が立ち直れるような喪服を作ってほしい』という依頼の時と同じ布を。
ただスケジュール管理を失敗して忙しいだけじゃなくて何かがおかしいと胸騒ぎがした。多分、エミール君は何か隠してる。それを聞きださないと、何か助けにならないと思いながら布を織っていると、気が付いたら見慣れた柄が広がっていた。
“最強の守護の布”村で傭兵働きに出る身内に渡す服で一番一般的な柄の布だった。しまった無意識に織っていたと頭を抱える。それと同時にその布を求めて昼間やってきた傭兵を思い出した。
私は、あの時帰ってきたら今度こそ何を隠しているかエミール君に詰問するつもりだった。けど聞けなかった。私も自分の織る布のことで隠し事があったから。
ランプの明かりに照らされる自分の織った布を眺める。しばらくそうしてから立ち上がった。服を作ろう。
* * * *
「あっれー、お嬢ちゃんも隣りの領地まで行くんだぁ?」
底抜けに明るい声で馴れ馴れしく声をかけてきたのは、つい昨日店まで“最強の守護の布”を求めてきた傭兵だった。
「しばらくはあそこに滞在するって話じゃなかったのかって? そうなんだけど傭兵仲間から実入りのいい仕事があるって連絡来ちゃってさあ、それが終わったらまたあそこ帰ってくるつもりだったんだ。またあんた口説きに行かなきゃいけなかったからね。ここで会えたのはラッキーだったなー」
私は何も聞いてないのに、馬車の隣にぴったりと座ってぺらぺらと話し続ける。気まずさに身じろぎすると、彼はごめんごめんと全く悪びれもせずに言ってほんの少しだけ私との間に隙間を開けた。
彼のやたらと明るい雰囲気の向こうに微かに死の香りがする。それが私の故郷の人たちを思い出させ、嫌になって箱を強く抱きしめて俯いた。
「なあなあお嬢ちゃん今日はお仕事? 配達? あの店長さん、よくお嬢ちゃんを外に出したね?」
どういう意味だと思わず顔を上げると、やっとこっちを向いたと彼は破顔した。
「あは、不満そうな顔。だってあの人、お嬢ちゃんに対してすっごい過保護そう! それに何か様子おかしかったしさ」
「……やっぱりおかしかったと思う?」
「あんたの方が分かるだろ。一緒に働きだして長いんだろ?」
「そうだけど……」
分からない。何かがおかしいことしか分からない。
「あんたをお使いに出すのは初めて?」
「……隣の領までは初めて。でもそれは私が言いだしたことだし」
「………勘はいい方なんだけどさ。俺にはお嬢ちゃんあの店長さんに追い出されたように見えるよ」
瞬間、息をするのを忘れた。
貴族の邸に行ってから最近様子のおかしかったエミール君。目の前の傭兵に告げられた『過保護そう』というエミール君の印象。あまり交流もなかった実家に私を送るということ。
かちり、と、頭の中で何かがはまる音がした。
私は、『追い出された』。いや、……『逃がされた』。
「ありゃあ、急に固まっちゃってどうしたの、お嬢ちゃん」
ひらひらと私の目の前で手を振ってくる傭兵を無視して、膝の上で抱えていた箱を見下ろした。配達を頼まれた方の箱ではなく、実家に届けて欲しいと頼まれた箱のリボンを震える手で解いた。馬車の揺れとは別に、私の手が酷く震えていて箱を開けるのに手間取る。
白い蓋を取り去ったその中に広がっていたのは漆黒だった。私が織った、喪服の布だった。
その黒の上に『アリスへ』と書かれた手紙が乗っている。その手紙より先に黒の布をばさりと箱から出して広げる。それは女物の喪服だった。多分、私のサイズに合わせたそれは、あっさりしたデザインの、でもラインのすごく綺麗な服で、こんな時だというのにその出来に一瞬息を飲んだ。
その服を慌てて箱に戻して、今度は自分あての手紙と、それから彼が兄に向けて書いた手紙を広げて目を走らせる。そこに綴られた、彼の現在の状態に緊張に息が浅くなった。
「何で……」
兄への手紙に書いてある『アリスをどうかよろしく』という言葉と、自分への手紙に綴られた『その服を着る時は、いつもみたいに適当に髪を結ぶんじゃなくて、結い上げた方が似合うと思う』という、全くこの場にそぐわない言葉をもう一度読んで、「どうして」と、もう一度、絞り出した。
隣で勝手に手紙を覗き込んでいた傭兵が場違いな軽い口笛を鳴らす。
「あの兄ちゃんがここまで情熱的とは思わなかったぜ。お嬢ちゃん、愛されてんね」
「そんなの、そんなのいらない」
なんでなんでなんで、なんでこんなこと。
君にとって私は何なの? 一緒にお店やってる共同経営者じゃないの? 何でそんなこと勝手に決めちゃうの、何で勝手に死のうとしてんの?
ぼたぼたと零れる涙が手紙を濡らした。どうして、何でと、そんな言葉ばかりが頭を占めて何も考えられない。
「で、お嬢ちゃん、どうすんの? この手紙に書いてるとおりに隣の領まで逃げれば確かにお嬢ちゃんは助かるよ? 俺はそれがおすすめだなー、お嬢ちゃんに死なれちゃ布を織ってもらえない」
その言葉にカッとなって立ち上がる。
「あっち、向いてて!」
「え、なに?」
「いいからあっち向いてなさい!!」
何が起こったのかわから居ないという風な驚いた顔をした傭兵はそれでも素直に私に背を向けて座りなおした。私はそれを確認して着ていた服を一気に脱いで、箱に入っていた喪服を身に着けた。
“不安に負けない困難に負けないよう心を守る柄”
それがこの喪服に使われた布に織り込んだ柄だ。震えたままの手で服を着ながらどうか織りの魔法が効くようにと祈った。実際に布を織った私ではなく、私に織物の全てを教えてくれた何年も会ってない母に祈った。
手紙に書いていたように髪を結い直して、服を脱いだ時に落ちた白い造花を髪に差し直す。そうして律儀にこちらに背を向けて座ったまま黙って手遊びをしている傭兵に声をかけた。
「こっち向いていいよ」
「似合ってんじゃん」
「だってエミール君が仕立ててくれた服だもん」
当然のように反射で返しながらも、思えば彼が私に服を仕立ててくれたのは初めてだ。普段好んできている服よりも随分あっさりしていてあまり好きじゃないかなとも思ったが、着てみると着心地がいい。鏡がないのが残念になる。
「それより、私に雇われて」
傭兵は、へえっと声を漏らしてにんまりと笑った。
「それはそれはお嬢さん。ご依頼内容と報酬は?」
「多分、ここの領主の邸にいるエミール君の救出と、私達ふたりの領外への脱出。報酬は、」
言葉を切った。二度と織りたくないと言いながら彼の服にその布を使った。私はあの時点で無意識に不穏な状態を感じ取っていたのだ。
「報酬は、“最強の守護の布”」
「よし乗った!」
即座に返事をして傭兵は馬車を止めさせておじさんに適当な説明をする。目を白黒させて混乱してるおじさんに金を握らせて馬車から馬の一頭を引き取って私を馬上に引きずりあげた。あまりの展開の速さに雇い主である私もあまりついていけてない。
馬を駆る傭兵に必死にしがみつきどうかどうか、と誰ともなく願った。どうか間に合いますように。どうか私の仕立てた服が彼のことを守ってくれますように。
願うことしかできなかった。それでも。もう手は震えていなかった。
* * * *
そこから街に戻り、領主の邸に乗り込んだ。
武器を向けられるエミール君に頭が真っ白になって、自分が何を喋ったか、あまり覚えてない。
「お嬢ちゃんよく寝てんなー。いつになったら起きるかなー」
「当分起きないだろ。こいつ体力ないし」
二人の声が遠くに聞こえる。起きなければとは思うのだけど瞼が上がらない。
「じゃあ店長さん、今後の方針、何かあんの?」
「……あんたの雇い主こいつだろ?」
「だけどお嬢ちゃん、今後のビジョン何にもなさそうなんだもん。あんたのことに必死で可愛かったぜ」
「……あ、そ。それなら、このまま山越えだ。山超えた先の領主にはこの前春の夜会のためのドレスを納品したところだ。そこになんとか匿ってもらおう」
「えー、それだけで匿ってくれんの?」
「不満げな声出すなよ。言っとくが、あのドレスは傑作だった。はっきり言って王子の嫁選びがドレスだけで決まるんならあの娘で決まりだ。アリスの布が会心の出来だったからこっちのデザインがピタリとはまってだな」
「おいおい店長さんよぉ。さっきまでの勝手に死のうとしてたのとは真逆のすんごい自信だなあ」
「………それはともかくとして、あそこの領主はうちの領主の政敵だったから、今回の事件の顛末話せば匿ってくれんのは無理でも金一封ぐらい出るかもしれん」
「まあそう言うことにしといてやんよ」
「地図見せろ。どういう道通ってこの山超える気なんだよ」
「え、お前そこまで口出してくんの? そういうとこは任せてくれた方が楽なんだけど」
「知らないうちに事態が進んでるってのは苦手なんだよ。いいから教えろ」
「だからさっきまで死のうとしてたくせにあんた何でいきなりそんなアグレッシブなんだよ」
二人の喧々囂々としたやりとりを聞いてようやく目が覚めてきた私は小さく笑った。
願いを叶える服を仕立てる店 小鳥遊 慧 @takanashi-kei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます