願いを叶える服を仕立てる店(8)

 日があけて、領主が正気に返って俺たちの捜索に乗り出さないうちに、領主の権力の届かない隣領に抜けようと何故かいる傭兵が言い出してことになって、領境にあたる山の中を歩いている。寝不足の俺はもちろん、もともと体力がないアリスは完全に息があがっていた。


「私の生まれは、北の高地でね。どういうところか、知ってる?」


 切れ切れの呼吸の合間に、足音で掻き消されそうな擦れ声でアリスが突然そう言った。あまりに唐突な問いに俺も反射で答える。


「確か……主な産業は放牧と傭兵」


「そう、男の人はほとんど傭兵に出て行ってしまって、女の人は羊を飼うか、その毛で糸を紡いで布を織って、それを出荷する。もしくは街まで出稼ぎに出ることもあったけど。だから、私の生まれた集落の女の人は小さい頃から織物を叩きこまれるの」


 ああそれでと、出会った当初からの疑問の一つが解決された。あれだけの職人技を、いくら才能があると言ってもこの年で身に着けているのはどういう生い立ちなんだろうとは思っていたけど、幼少のころから叩き込まれていたのならある意味納得だ。


「男の人は皆傭兵に行っちゃうでしょう? だから、無事に帰ってくるようにって柄を工夫した布を織って、それで服を仕立てたの。隣りの家がこんな柄を織ったら生きて帰ってこれた、迎えの家がこの柄を織ったら怪我が軽くて済んだ、そんな話が出てくれば、皆縁起を担ぐためにその柄を真似するでしょう。そうしたらいつの間にかこんな風に」


 そう言ってアリスは後ろから、先を歩く俺の服――今朝方アリスが俺に渡した服の背に手を当てた。


「刃を通さない、矢を通さない、そういう柄の布が出来上がったの。どういう仕組みかなんて誰も知らないの。ただ、長く受け継がれてた経験がこの柄を生んだの」


「私の集落で伝わるのは守護の織り。凶刃を防ぎ、災厄から身を守り、呪いをはじき、あらゆる力で持って着用者を守る、そういう織りなの」


 馬鹿な、と言いそうになったが、さっき領主の別荘で起こったことを思い出せばそんな言葉も虚しくなって口を噤む。同時に思い出したのは、先頭を歩く傭兵が店に来ていた時に言っていた“最強の守護の布”だ。どうやらあちらの噂は本物だったらしい。


「使い方は凄く限定的で、“願いを叶える服”みたいな素敵な物じゃないの。精々、ドレスの布地に使える柄なんて“不安から心を守る柄”くらい。実際この喪服に使った柄もそう。“不安に負けない困難に負けないよう心を守る柄”」


「いやあ十分素敵だぜ。傭兵垂涎の的。だから今回の報酬楽しみ、俺超張りきっちゃう」


 そう軽い調子で合いの手を入れてきたのは傭兵だった。


「報酬?」


「俺、お嬢ちゃんに布を織るって約束で雇われてきたの。もう無理かなーって諦めかけてたから超嬉しい。頑張って護衛するから、何枚でも織ってくれて構わないから!!」


「……一着分って契約」


 アリスが嫌そうにぼそぼそと言うものだから心配になってきた。


「お前あんなに嫌がってたのに、大丈夫か?」


「いいの。それぐらい安い物だし。本当は、あんな布………私は、あんまり好きじゃないけど。どういう意味を持たせたって、結局は死地に送り出すための布だもの」


「守護の布だろう? やりがいねーの?」


「……守れなかったことだって、あるもの」


 先頭を歩く傭兵に、アリスのその答えが聞こえたかどうかは分からなかったが、その声は随分落ち込んでいたものだった。もともとは家族のために布を織ると言っていたし、もしかしてアリスの布でできた服を着て行った身内が誰か亡くなったのかもしれない。消え入りそうな声が気になって振り返ろうとしたら、それより先んじてずしゃーっと土が滑る音がした。


「アリス?!」

 

 振り返ったら案の定、アリスが盛大に転んでいた。顔まで打ったらしく立ち上がれないアリスを助け起こしながら先に歩く傭兵を呼んだ。


「一回休めないか? こいつ限界」


「げ、マジか。本人からも言われてたけど、本気で体力ねーな。うーん……ほんとは夜通し歩いて距離稼ぎたかったけどしかたねえ、お前らとりあえず休んどけよ、俺は先の様子見て、今までの道に適当に罠仕込んでくる」


「すまん」


「これも仕事のうちだからなー。荷物置いてくわー、水でも食糧でも好きに使っとけ」


 木の根元に背負っていた荷物を下ろして、ひらひらと手を振って軽い身のこなしで去って行く傭兵の背中を見送る。元気だ。


 アリスは転ぶ前から限界だったらしく、木の根元に腰を下ろすとぐったりと足を放り出した。


「今ので怪我しなかったか?」


「それより、服汚れちゃった。ごめんね」


 砂まみれの顔を拭ってやると、自分の怪我のことよりもそんなことを言ってきた。


「それは別に……」


 会話が途切れる。変な沈黙が落ちた。傭兵がいなくなったことにより、この二人で何を話していいのか分からなくなる。荷物を勝手に開けて水を分け合ってから、その沈黙に先に耐え切れなくなった俺がずっと疑問に思ってたことを口にした。


「アリス、何であんなところにいたんだよ」


「……ごめん、お兄さんたちへの手紙読んじゃった」


 そうだろうとは予想していた。そうでなければ、あの時あのタイミングでアリスが来れるわけがない。もし兄貴たちへ手紙が渡ってからアリスが戻ってきたとしても間に合わないようなタイミングをわざと選んだんだから。


「だったら尚更だ。あのまま兄貴のところに行ってくれてたらお前はこんな道を逃げずに済んだのに」


「エミール君が死ぬ代わりに?」


 横に座ったアリスが珍しくきつい目つきでこちらを睨んできている。歩くのに邪魔なトーク帽とベールを取り去っているのでまっすぐな眼差しが突き刺さってきた。


「……“願いを叶える服”そういう評価がお前の布のおかげじゃないかってことは前々から思ってたさ。でも、それでも今回のことを招いたのは、俺がその噂をきつく否定してこなかったからだ。お前のせいじゃない。だったら俺が責任取るのが当然だろ」


 アリスは皺ができるほどスカートをギュウっと握りしめて、こちらを見上げたままぼろりと大粒の涙を零した。


「ば、馬鹿にしないで」


 震え声で言うくせに、涙をぼろりぼろりと盛大に零しながらだと言うのに、アリスの目線はきついままだった。何時にないその様子に俺は言葉を失った。


「私、エミール君に一緒に仕事をしようって誘われた時、本当に嬉しかったんだよ。エミール君に仕事の相談されるのもすごく嬉しかった。でも、エミール君は、私のこと、ちゃんと一人前に見てくれなかったよね。………ごめん、分かってる。私がこんな風だから悪いんだって。ちゃんと普通に人と話せるぐらいのことできないから悪いんだって。でも、だからって、これってお店の問題だよね? エミール君個人の問題じゃないよね? なのに、私に何にも言わずに死んじゃうの? 私に何の相談もしてくれないの? 手紙勝手に読んだから私を何とか逃がすためだって知ってるけど、そんなのってないよ」


 泥だらけの頬を涙が流れ、跡が残る。その涙を拭いもせずに、アリスは俺を見上げてきた。普段はふらふらと揺れる視線が、まるで目を離した途端に俺はいなくなってしまうからと言わんばかりに逸らされない。


「それとも……もう私と一緒にお仕事するの、嫌になったの?」


 まるで言葉にするのすら苦しいというような絞り出すような悲痛な声に、俺の方が耐えられなかった。


「嫌なわけ、ないだろ」


 泣き顔に耐えられなくなって、それを見なくてもいいようにアリスを抱き寄せた。ひくりひくりとしゃくり上げるたびに震える肩が悲しくて落ち着かせるように撫でた。


 多分………本当に自信がなかったのは俺の方だ。


 アリスの才能は多分俺が一番よく知ってる。“願いを叶える服”という評価もアリスのものだ。じゃあ、俺はそれに見合うだけの才能があるか? 俺は自覚しているぐらい我が強くて、プライドが高いタイプだから、普段なら「ある」と言い切っただろう。でも、本心でどうかと聞かれたら……。


 今回のことがその答えだ。


 危険を冒してでも一緒に逃げて、また一緒に仕事をしようとアリスに言えなかったのは、そこでアリスが「うん」と言ってくれる自信がなかったからだ。アリスが頷いてくれるぐらい俺に才能があるか自信がなかったからだ。アリスがそんな大変なことになっても一緒に働いてくれるという自信がなかったからだ。


 だから、それを確かめなくてもいいような逃げ道に走った。


 そんなことをポツリポツリと話すと、腕の中でアリスは一言一言に小さく頷いていた。


「ごめん、ごめんな」


「………なんでエミール君の方が自信ないの? ああいう風な評価が貰えたのはね、エミール君のおかげだったんだよ。魔法なんか関係ないよ。エミール君が真摯にお客さんの話を聞いて、それに寄り添って素敵な服を仕立てていったからだよ」


「でも俺は、一人でやってた時はあんな風に言われたことなかったぞ。やっぱりお前のおかげだ」


「………私もなかったよ。北の出身だったからこの傭兵さんみたいに“最強の守護の布”を求める人は多かったけど、それでも“願いを叶える布”なんて、そんな夢みたいな素敵な評価、貰ったことはなかったよ」


 あの評判を互いに互いのおかげだと言いあって、思わず笑ってしまった。あの噂に振り回されていたのは客の方ばかりじゃなくて俺たちもだったらしい。


「………だったら、二人で作った評価って思っていいのか?」


「私は、その、そうだったら嬉しいなって思うけど」


 服の魔法が弱まったからか、互いに抱えていたことを吐き出したからか、アリスの口調は切れ切れの頼りない物になっていっていた。目も泳いでいるのはいつものことか、それとも照れ臭かったからか。泣いたせいでもともと赤かった頬のせいでそれはよく分からなかった。


「アリス……『なぁ、一緒に仕事しないか』」


 出会ったその日に言ったセリフを俺は口に乗せた。あの時のように勢いではなく、口の中で転がしてから、それでもやっぱり言うべきだと覚悟を決めて。


 そのセリフをアリスも覚えていたのかおかしそうに笑った。


「………今回は多分、前より大変だと思うけど……その……」


『したい』


 しどろもどろに付け足す俺の言葉を遮って、アリスはあの時と同じセリフを口に乗せた。その表情はあの時の少し緊張を孕んだかたいものではなく、涙でべたべたで濡れながらもやわらかく笑っていた。



    * * * *



 曰く、どこかの国のどこかの街に、その仕立屋が作った服を着たら願いが叶うと言われる店がある。


 例えば、初めて社交界に出ることになった人見知りのお嬢様がそこで服を仕立てたら、初めての夜会で運命の人に出会えたとか。


 例えば、政略結婚で20も年上の人と結婚することになったお姫様は結婚式まで毎日泣き暮らしていたが、婚礼衣装でその店のドレスを着たら、今や国でも有名なおしどり夫婦になっているとか。


 例えば、病で命が長くないと知っている青年が、気弱げで「貴方が死んだら私も生きていけない」と言う婚約者にその仕立屋で作った喪服を残したら、彼女は今も笑顔に淋しげなものを時折漂わせながら、それでも毎日を生きているとか。


 と、そういった風な噂だ。


 ただしその噂には制約がある。


 一つ、無粋な願いをしないこと。一つ、願いを叶えろと店に執拗に言わないこと。


 その制約を破れば、店はどこかにいってしまう。


 だからもしその店を見つけても、素敵な服を作ってねとそう言って笑えばいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る