願いを叶える服を仕立てる店(7)

 アリスが出かけてから仮眠をとって、身辺の整理をして、約束通り領主が出してきた馬車に箱を一つだけ持って乗り込んだ。


 ぼんやりと馬車の窓から街を見る。あちこちの家から立ち上る夕食をつくる煙。柔らかいランプの光の漏れる窓。まだ遠い春にコートの襟を掻き合わせ帰路を急ぐ人。そんないつも通りの平和な光景に自分の置かれた状況の現実味が薄れていく。


 何だかふわふわとした心地のまま、前に屋敷を訪れた時と同じ部屋に通された。しばらくして領主が入ってきても立ち上がらない俺に、家令と領主は眉を顰めたが何も言わなかった。


「それが、“着た者を殺す服”か」


 そう促されて、俺は黙って箱を開けた。中は、端切れの一枚すら入っていない空だ。


「俺は、最初から言ってたはずだ」


 箱の中を見て、凶悪な相貌になった領主をまっすぐ見つめて言葉を放つ。僅かに声が震えたのは、恐怖と言うより怒りのためだった。


「俺には人の願いを叶えたり、人を殺したり、そんな魔法みたいな力はない。………でも、もし、もしもそんな力があったとしたって、人を殺す服なんか作るわけがない」


 一言一言区切りながらはっきりと言い放った。


 それは大前提だ。パン屋のおばさんにも言ったが、いつだって俺は、俺が仕立てた服を着て笑ってくれる人がいればいいと思って作ってる。その服を着た姿で悲しんでほしいだなんて思わない。


 ましてや、俺の服を着た人が、そのせいで死ぬなんて、許せるわけがない、許すわけがない。


「馬鹿にすんのも大概にしやがれ。俺の服はそんなことに使われるためにあるわけじゃねえよ。どんだけ金を積まれようが、どんな脅しをかけられようが、あんたが言うような服は絶対に作らない」


「………人に言うことを聞かせる方法はいくらでもある」


 ギラギラと殺意すら孕んだ目に対して、無理矢理感情を抑制したような平坦な声に湧き上がる恐怖を押さえつつ、俺は虚勢をめいいっぱいはって笑った。


「っても、もう遅いよ。………もう、送った。多分明日辺りに届くんじゃないかな」


「馬鹿な! お前の店から出入りする荷物は全て調べて……」


 初めて見せられた動揺はなかなか胸にすく。


「あんたが調べてくれた通り、うちの店に恩を感じてる人は多くてね。その辺りを経由すればなんとか」


 代わりにあの貴族は何故か普通の郵便手段でもない方法で届けられた荷物に驚くだろうけど。……いや、あの家ならそれも面白がるような気もするけど。


「さあどうする? あんたの企みは潰えたよ」


「……お前こそどうするつもりだ。生きて帰れるつもりか」


 ああやっぱり、ここでじゃあしょうがないと生かして帰してくれるほどお人よしではないか。でも、これで大丈夫。あとは口封じに俺を殺すだけで片が付く。


「好きにすればいい。俺はどんだけ請われようが、どんだけ脅されようが、人を殺す服なんて作らない」


 俺が梃子でも動かないのを見てとって、廊下から槍を持った衛兵が呼ばれてきた。槍がピタリと俺の胸に据えられる。歯の根が合わなくて震えそうになるのを、奥歯を噛みしめてやり過ごす。ここまできてみっともない真似は出来なかった。


「言い残したいことはあるか」


「ふん。地獄に落ちろ、下種野郎」


 言い放ったと同時にグッと槍が押し進められて、目を閉じる。


 ガキンっ。


 胸に僅かに何かが触れたような気がすると同時に、固い物が砕ける音がした。目を開けると、足元に折れた槍の穂先が転がっていた。


「は?」


 緊迫した場面だというのに思わずそんな声が漏れた。胸の何かが触った辺りを撫でると、かすかに布地が毛羽立っていたが、特段破れてるわけでもない。


 何が起こったのか分からず思わず衛兵と領主を見やると、化け物を見るよな目を向けられてじりじりと後ずさられた。


 状況を把握できずに立ち尽くす間に、廊下から悲鳴と、人を殴るような音が聞こえてきて、そちらに目を向ける。軋むこともなく開いた扉の先にいた人物に思わず目を見開いた。


 黒の喪服。


 ウエストをリボンで結んで切り返すような幼げなものでも、コルセットで締め上げて括れを作るような大業な物でもなく、自然に身体に沿うようなラインに仕上げたそれは、確かに俺がアリスのために作ったものだった。シンプルなラインが、背筋をまっすぐ伸ばしてそこに立つ彼女を綺麗に見せる。ウエストからすんなりと流れるスカートのドレープが、廊下から室内に入ってくる風を孕んでふんわりと膨れた。


 手紙で書いた通り、赤い髪は綺麗にまとめられ、トーク帽の横に今朝の白い花が飾られていた。その白が全身黒の喪服の中でひときわ明るく見える。


 黒いベールの向こうから、緑の凛とした眼差しがこちらを貫いた。


 その時真っ先に思ったのは、「ああ、やっぱり良く似合う」という、その場に全くそぐわないことだった。


 アリスは普段の挙動不審はどこに行ったと言いたくなるほど落ち着いた様子でまっすぐとこちらに歩いてくる。


「アリス……?」


 何でここに、今頃、手紙を読んだ兄貴たちに足止めされて手紙の説明をされてるはずなのに。


「な、何者だ!! 何を勝手に入ってきている?!」


 異様な出来事の直後に入ってきた喪服の女に、領主が恐慌状態になっているのは分かる。


「アリス・ウェーバー、この人の同僚で同じ店で機織りをしてます」


「は、機織り?! 確か下働きでは……」


「“人の願いを叶える服”の由来はエミール君じゃなくて私です」


「おい、アリスちょっと待て!」


 人がせっかく誤魔化したことを、なんでここまで乗り込んできて喋ってんだ! 俺の制止を聞かずアリスは続ける。


「この人の、服を作ったのも私です。魔女は、エミール君じゃなくて私です。貴方は私達を傷つけることはできません。私が織った布を使って作った服は、着ている人を、どんな災厄からも、どんな暴力からも、どんな呪いからも守る術をかけています。だから、手を引いてください。私達は先日の依頼のことは決して外で話しません。それで手をうちましょう」


「信用できるわけがないだろう!」


 紳士の皮をかなぐり捨てて、アリスへと手を伸ばそうとしたのを咄嗟に割り込んで止めようとすると、俺の服に触れた途端、領主の指がバキっと音を立てて折れた。そのままその場に蹲る領主を見下ろしながらアリスは淡々と言葉を紡ぐ。


「私は魔女です。今は守護の術しかかけていません。けれども、私達に害を与える者に、呪いをかけることもできるんですよ」


 その言葉に、いっそ狂気を孕むほどに淡々とした態度に領主は情けない悲鳴を上げて後ずさった。


「エミール君、行こう」


「え、ちょっ」


 言うと同時にアリスは手袋で包まれた手で俺の手を掴んで、廊下へと出る。その廊下でまたも非現実的な光景に目を見開くことになった。衛兵がばたばたと廊下のあちこちに倒れている。血が流れていないのでただの気絶だと願いたいのだが。その真ん中に、先日店を訪ねてきていた傭兵が立っていた。


「おう、じゃあ混乱してるうちに隣の領への関を超えるぞ」


 にかっと欠けた前歯を晒して彼は笑った。



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