願いを叶える服を仕立てる店(6)
明日納品に行ってもらう家の場所や俺の実家の場所を説明して、夕飯を食べて、それぞれ自室に戻った。アリスは明日は朝から出かけることになるため、今日のところは早めに就寝するらしい。対してこちらは恐らく徹夜することになる。
二人で仕立屋を営んでるくせに、実は俺たちは互いのために布を織ったり服を仕立てたりしたことがなかった。なんだか今思うともったいないなあと思ったのがアリスに服を残そうと思った理由の一つ。それと………できればアリスを支える物を残したかったのだ。一先ずうちの兄貴たちのところに保護して貰うと言うことで当面の後ろ盾は用意できるのだけど、そういうことではなく、アリスに立ち直ってもらう助けを残したかった。それで思い出したのが、昔きた『病気で長くないから婚約者が立ち直れるような喪服を作ってほしい』という依頼だった。
自分の死に際して残す物が喪服だなんて趣味が悪いというのは分かっていた。だけど、アリスほどではないがあまり自分の気持ちを言葉にするのが得意でない俺にとって、できることなんて服を仕立てることぐらいだった。
アリスには生きていてほしいと思った。
“願いを叶える服”の秘密がアリスの布の織り柄にあると、確信はないが考えている俺は、あの時と同じ布で作る服なら、彼女を支えてくれるのではないかと期待した。
アリスは元気で今と同じに布を織っていてほしいと思った。できるなら、あの布に見合う仕立てをしてくれるような人と一緒に。それが自分でないのはほんの少し悔しいけど。
俺の死がきちんと実家に知らされるのか、それとも隠蔽されるのかが読めなかったので、もしかしたら葬式は行われないかもしれない。それならそれで構わないように、普段使いもできそうなデザインを描いた。
アリスは普段あの大人しい性格と童顔にあうような、ふんわりとしたちょっと年齢に対しては少女趣味かなと思うような服を着ていることが多い。けれども、俺はあいつの仕事をしている時の表情に似合うものを作ってみたかった。真剣な表情と、ピンと伸びた背筋があいつを幼く見せない時。少し大人っぽい雰囲気の、凛とした強い緑に似合う服。
胸の下あたりから自然にウエストに沿うようなすっきりとしたラインをとり、腰から下はあいつの好みな様にドレープをとってふんわりとしたシルエットを作った。そのラインが綺麗に出るようにフリルやレースは一切省いた。昨晩そこまでやったので、針をもって袖を縫い付けていく。
布地に針を刺す度にどうか無事でと祈った。
布に糸を通しながらどうかこれからも布を織ってほしいと祈った。
黒の布の中で月光に針が煌く度にどうか笑っていてほしいと祈った。
布の引き攣れを直すために指で撫でてどうか泣かないでほしいと祈った。
どうか、どうか、どうか………。
一針一針、布を縫いとめると同時に、祈りをそこに縫いとめていく。
こんなのはどうしようもなく自己満足だ。
それでも願わずには、祈らずにはいられなかった。
それくらいにはアリスの布を織る姿が好きだった。
アリスの仕事をしている時の職人の眼差しが好きだった。
………アリスのことが好きだった。
針を置いた頃には窓の外の空は白んでいた。
服を綺麗に畳み箱にしまう。それから朝焼けの光が入ってくる部屋で、兄貴たちへの手紙を書いた。今回のことの経緯を説明し、割と正義感が強くて血気盛んな兄たちが無茶な行動を起こさないように釘をさし、そして最後にアリスの保護としばらく後見をしてほしいという旨を書くと、今まで家族に出した中で一番長い手紙になってしまった。
続いてアリスへの手紙を書こうとして、『アリスへ』と宛名を書いたところで手が止まった。不意に涙が込み上げてくる。
ありがとうとも、ごめんとも書けはしなかった。
ただ『その服を着る時は、いつもみたいに適当に髪を結ぶんじゃなくて、結い上げた方が似合うと思う』と書いてから、こんな時まで服のことしか書けない自分を馬鹿かと自嘲した。
それをそっと喪服の上に置いて、上から白い紙で覆い、さらにその上に兄貴たちへの手紙を置いて箱を閉める。馬鹿みたいな満足感を覚えて、朝日が満ちていく部屋でそっと目を閉じた。
* * * *
「出かける前にね、エミール君に渡しておきたいものがあるの」
アリスが出かける間際になってそう言って俺に差し出してきたのは一着の服だった。
「え?」
思わぬものを見せられて固まる俺に、アリスはちょっと不満そうにする。
「あのね、私だってデザインとかはてんでできないけどね、縫うことぐらいはできるの。今度からはちゃんと頼ってね。………その、私の縫ったものがちゃんと商品にできるってエミール君が思えるならだけど」
最初は強い口調で言いだしたくせにだんだん弱くなっていくのがアリスらしかった。
貰った服を広げてみると、ある程度フォーマルな場所にも使えるような男性もののスーツだった。確かにデザインに全く面白味はないが、縫い目や裾の処理は丁寧にされていて、十分に実用に耐える。
「へえぇ、アリスってこんなに縫えたんだな。知らなかった」
感心して頷くと、アリスの表情がパッと喜色に染まる。
「あのね、一応前に採寸の練習させてもらった時のエミール君のサイズで作ったの」
直接的には言われなかったが、アリスの期待は同じように服を仕立てる身としてはよく分かったので、着てみていいか尋ねると彼女は嬉しそうに笑って頷いた。
着させてもらうと、思った以上に着心地がいい。アリスの織った布だろうが今まで見たことのない織り柄だった。細かい幾何学模様が遠目には分からない程度の大きさでびっしり入っている。なかなか手間のかかりそうな布だ。見た目にはフォーマル用の布に見えるが見た目より柔らかいので動きやすい。
「いいなこの服。着心地いいし使い勝手がよさそう」
「それなら良かった。………じゃあそろそろ行くね」
チラリと日の高さを確かめてアリスは玄関に向かう。朝に俺がアリスに渡した荷物をもう一度確認した。
「こっちがお兄さんちへのお届け物で、こっちが納品の箱だね」
久々の遠出に緊張しているためか、箱を抱えてそう言うアリスの声は僅かに硬かった。
「気を付けてな。いつも俺が行くのと同じように東通りの宿に野菜を届けに来る百姓さんに頼んでるから、乗ったら街まで連れてってくれる。いつも門のところで下してくれるから、そっからは……地図持ってるな?」
「もう、大丈夫だよ、子供じゃないんだから」
アリスがクスクス笑うと、耳の後ろからほつれた髪の毛が落ちてきた。
「あぁあ、お前ちょっとは身ぎれいにしていけよ。一応、服の納品に行くんだぞ」
「わ、分かってるよ」
指摘されたのが気恥ずかしかったのか、目元を僅かに赤く染めて、慌てたように髪に手をやる。だが、片手で箱を支えたままなので、解いただけでどうしようかとウロウロと視線で箱を置く場所を探した。
「やる」
「え、え?」
狼狽えているアリスからリボンを奪い取って、手櫛で梳いていつも通り首の後ろで一つに束ねる。初めて触った髪は見た目通り柔らかかった。ついでに、近くのテーブルに放ってあった白い造花を差し込む。
「え、何かした?」
「してない、いつも通りだ」
信じていないのかしきりに髪の毛を気にしていたが、時間が迫っているのに気付いて慌てて箱を抱え直して玄関に向かった。
「じゃあ行ってきます」
ドアを開けたまま振り返ったアリスの赤っぽい髪の毛の輪郭が、朝日に照らされて金色に光って見えた。
「行ってらっしゃい。気を付けて」
「エミール君も、仕事が詰まってても無理しないでちゃんと休んでね」
それを聞いて、一拍置いて思い切り笑ってしまった。アリスから説教めいたことを言われたのは初めてだった。
「もう、心配してるのに!」
「ごめんごめん、ちゃんと休ませてもらうって」
俺は腹を抱えて笑いながらそう返事をしたのだが、馬鹿にされたと思ったらしいアリスはむっと膨れたまま玄関をくぐって行った。朝日の中に消えていく彼女の背中に目の奥がじんと痛んだのは、きっと寝不足のせいだ。
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