願いを叶える服を仕立てる店(5)
アリスをまず逃がす先は隣の領に住んでいる俺の兄貴どものところにした。あれで結構世話焼きだから、今後アリスがどこか行きたいと言えばそれに協力してくれるだろうし、あの二人も仕立屋なのでアリスと両方が納得すればそこで布を織ってもいいだろう。
このことはアリスには直接伝えないことにした。俺が死ぬことに賛同する酷いやつでもないし、そんなことで罪悪感をもつ必要なんてない。ただ、事実は知っておかないと後々同じようなことに巻き込まれてはいけないので、手紙でだけ伝えようと思う。
それまでの一か月で、アリスの逃亡の準備以外にもいくつかしたいことがあった。
まずは今まで請けていた仕事の整理。全てを片づけることは無理だったのでいくつかは断ったが、できる限りの仕事は期限を早めて仕上げていくことにした。一度請けた依頼を反故にするのは嫌だった。そりゃあ俺は死ぬのだから、店の評判は気にしていないが、それでもうちの店に期待を寄せて依頼してきた人たちの表情を曇らせたくはなかった。つまらないプライドみたいなものだった。
それともう一つ。
アリスにあてて服を作りたかった。まだ出来上がってないけど、多分今晩中にはできるだろう。
領主のところに人を殺す服を仕立てて持っていく日が明日に迫った今日、ようやく断ってなかった依頼の最後の一つを仕上げて持っていくことができた。あともう一着出来上がったものが手元にあるが、隣の領に持っていくものなのでアリスに頼もうと思っている。まだアリスの服が仕上がってないけれども、なんだか肩の荷が下りたようなすっきりした気持ちになってしまった。
それで久しぶりにのんびりとした歩調で家路についていると、店先を箒で掃いていたパン屋のおばさんに声をかけられた。
「ああ、仕立屋さん……ってすごい顔色じゃない、大丈夫?」
第一声で心配されて思わず苦笑した。ここしばらくの寝不足がたたって随分酷い顔色になってるらしい。世話好きのおばさんに店に引きずり込まれて、次々とパンだけでなく、牛乳や卵まで押し付けられた。
「お嬢ちゃんから忙しいとは聞いてたけど、ちゃんと食べてる?」
そこで心配するのが睡眠不足よりも食事のことというのが、いかにも食品を扱う店の人らしくて笑ってしまった。
「お嬢ちゃんも心配してたよ、あんたが最近無理ばっかりしてるって」
「珍しいですね、あいつが他人にそんなこと言うなんて」
「だから、あんた、心配させるんじゃないよ!」
ばんばんと肩を叩かれて、あまりに痛いんで逃げ出そうとしたのを押しとどめられる。
「あんな気の弱い子が私にあんたのために何ができるかなんてこぼすんだから、よっぽど心配してるんだよ。少しは気を使っておやり」
「え、そんなことが?」
思わず問い返すと、ようやくおばさんの手が止まった。
「そうだよ。あんたが仕事熱心なのはいいけど、あんまり心配させない程度にしなさいよ。今日はこれあげるから、ちゃんと食べてきちんと寝なさい。分かった?」
「………すみません。ありがとうございます」
まるでいうことをきかない子供を諭すように言い聞かされて、なんだか懐かしいような気持ちになってしまった。貰った食材を抱えて深々と頭を下げる。心配してくれたのもありがたかったが、それ以上にアリスのことを教えてもらえてよかった。心配させたのは申し訳なかったけど、少し嬉しかったのも事実だ。
今日は最後だし、帰ったらちゃんと元気なフリをしよう。そう考えたらなんだか早くアリスの顔が見たくなってしまって、歩調が早まる。
ドアを開けてただいまと言いかけた時、
「だからっ、私はそんな布は織らないの! 帰って!!」
聞きなれないアリスの大声に血の気が引いた。まさか俺の留守中に領主の関係者が来てアリスが布を織っているのが見つかったのか。
慌てて中に飛び込むと、接客用のカウンターの向こうで両手を胸の前で握りしめてるアリスと、カウンターを挟んでアリスと向かい合うようにこちらに背を向けて立っている男の姿が見えた。上背のあるがっしりとした背中をぼろぼろと言って差し支えないほど薄汚れた服が覆っている。そして、左手の持っているのは大ぶりの剣。傭兵らしい。
領主の手の者とは思えないが、うちの店に来る客としても異様だ。
「うちの店になにかご用が?」
決して低くはない俺の背丈でも見上げなければならない男の体格には腰が引けるものがあったが、入った途端アリスの目元が緩んだのを見ては逃げ出すこともできない。俺もカウンターの横、アリスの横に並んだ。
「んー、あんたが店長さん?」
男はあっけらかんと何の含みもなさそうに笑って俺に問いかけた。その表情だけ見れば、その辺にいる気のいい兄ちゃんにしか見えないが、笑ったため覗いた前歯は二本欠けていて、なんだか目の前に立ってくらくらした。
店長も店員もないが、怯えているアリスにどうにかしろと言うのも酷なので頷いておく。
「じゃあそのお嬢ちゃんに俺の依頼受けるように言ってくれよ」
「依頼?」
この、作る服はほとんど女物のドレスばかりというこの店に、傭兵がどんな依頼を? というか、うちの店じゃなくてアリス個人に対する依頼ってどういうことだ。
「“最強の守護の布”が欲しい。そのお嬢ちゃんなら織れるはずだからさ」
思わず額に手を当てた。
最近こんな話ばかりだ。ただでさえ寝不足で痛い頭がさらに痛くなったような気さえする。
領主の依頼は“願いが叶う服”を曲解して魔法の服だと思い込んだところから始まったのだけれども、この守護の布っていうのはどこから来たんだ。
けどそれより問題なのはこいつがアリスを機織りだって知っていることだ。まだ世間にはただの下働きだと思われておいてほしいのに。
「うちは仕立屋なんで、布は卸してないですけど。その話どこから聞いたんで?」
「えー、傭兵ならみんな知ってっと思うけどなぁ。ただの布だから軽いし、それなのに刃は通さないってんだから、ある程度の金額なら安いもんだもん。なぁ頼むよー」
「多分店違いですよ。うちの布や服にそんな力はありません」
「あんたにできるできないは関係ないだろ。なあお嬢ちゃんできるよな」
そう言って、俺の後ろに隠れてるアリスを覗き込もうとしてきたので、思わず一歩前に出た。
どいつもこいつも噂に踊らされやがって。もともとは“願いを叶える服”なんて他愛のない、罪のない話しだったのを変に利用しようとして。うちの服はそんなつもりで作ってるんじゃない。
ここのところ溜まりに溜まっていた苛立ちが抑えきれずに一気に噴き出してしまった。
「だから、人の話を聞けよ! うちにそんなもんはない! 噂に踊らされてのこのこ来てんじゃねえよ!!」
自分でもびっくりするぐらいの大声が出て、後ろに隠れて俺の服の裾を掴んでたアリスの手が震えるのが分かった。男もきょとんとしたように目を見開いた。
「うーん、そんなに言うなら勘違い? いや、そんなことないはずなんだけどな……」
男はそう言って頭をバリバリと掻いて考え込む。
「ま、いっか。じゃあお嬢ちゃん、もし勘違いじゃなくて気が向いたら連絡ちょーだい。俺、しばらくここからもう一本東の通りにある宿に滞在するつもりだから。報酬は弾むからさ、俺、これでも結構稼ぎがいい方なんだよねー」
「アリスに絡むな、とっとと帰れ」
邪険に扱っても男は気にせずばいばーいとか言って手を振って店を出て行った。
ドッと力が抜けて、そばにあった接客用の椅子に座り込む。
「ごめんねエミール君、巻き込んじゃって」
「巻き込むたってお前のせいじゃないだろ。というか、ああいうキチガイ他に来てないだろうな?」
今日のはどう考えても違いそうだが、まさか伯爵の関係者がアリスに接触してないだろうかと心配になって尋ねると、アリスはぶんぶんと首を横に振った。
「今日初めて」
「に、しても、“最強の守護の布”ってどこから聞いてきた話なんだ? もともと流れてた噂と違いすぎるぞ」
「それは……」
アリスは困ったように眉を顰めて口ごもった。今の会話に口ごもるような理由が分からず、暗い表情でギュッと自分のエプロンを握りしめる彼女の名前をもう一度呼んだ。そうすればハッとしたようにこちらを見て、微苦笑を浮かべながら頷いた。
「そうだね、何でなんだろう」
ぎこちなく笑みを形作って、いつも以上にきょどきょどと目が泳ぎまくっている様子に思わず半眼になった。こいつ何か隠してるよな。問いただそうとしたが、すぐに思い直して口を閉じた。
俺だって何も言えないぐらい隠し事だらけだった。
だからアリスが何か隠し事をしているのを悟ってないふりをするために笑おうとして、そして失敗した。
寝不足で情緒不安定なのも相まって何だか泣きたくなった。
あの、裁縫屋で会った時からずっと一緒に仕事をしてきた。他に家を借りたりするのはもったいなかったので、二人とも泊まり込みで。
一緒に飯食って、一緒に買い物に行って。
時には服の色でもめて、ある時は相手の思いもしない意見を絶賛して、そうやってずっと一緒に仕事して。
仕事の時以外は口下手なアリスから話を聞きだすのに最初は苦労していたが、それがだんだんと楽しくなってきて。仕事の話になるとつい口早で饒舌になる俺の話を、遮ることなくうんうんと頷いて聞くアリスが嬉しくて。
彼女が仕事をする姿が好きで、声をかけても気付かないほど集中している時に、部屋の外から眺めていたこともあった。仕事をしている時だけ見れる、まっすぐな視線を、繊細な指使いを、ずっと眺めていたいと惜しみながら声をかけることがあった。
アリスと仕事をするなら、どんな客の無理難題でも答えられる気がした。彼女と仕事をする限り、俺の最高のモチベーションを出せると負った。
なにより。
アリスと仕事をするのが、楽しくて楽しくてしょうがなかった。
俺が考えたデザインにあわせてアリスが布を織ってくれるのにも関わらず、その出来上がった布を見るとさらにいいデザインがでてきて。ずっと、ずっと一緒に仕事がしていたいと思ってた。
それが終わってしまうというこの時に、俺は何でこんなに隠し事だらけで、彼女を安心させるために上手く笑ってやることすらできないんだろう。
「大丈夫?」
俯いて、目頭に指を当てていた俺の額に小さく冷たい掌が乗った。
「今朝から頭痛いって言ってたよね、大丈夫? ここのところ、仕事詰まり気味だったし無理してるでしょう?」
「っても俺がスケジュール管理ミスっただけだからな。お前に無無理させて悪かった」
「………あのね、私も仕上げ作業ぐらいはできるし、それから、その………納品も、言ってくれれば頑張るから。丈の直しぐらいならできるし」
しゃがみこんで椅子に座った俺を見上げてくる、不安を孕んだそれでいて決意を秘めた目はあの日の朝のものに似ていた。
「じゃあ頼んでもいいか? 明日。隣の領地の一番近い街」
「えっと、エミール君の実家があるとこだったっけ?」
「そう、その街。あそこに納品する物と、あとうちの兄貴どもに届けて欲しい物と」
「あの街に納品っていうと……ええと近々生まれる予定のお孫さんが健やかに成長できるようにって産着を注文してきたお婆さん?」
「そう、優しい方だから安心しとけ」
「大丈夫、任せて」
そうしてあの日とは違い仕事を任されたことが誇らしかったのか、僅かに頬を上気させてしっかりと頷く姿に胸が軋んだ。この期に及んで彼女の厚意を利用しようとしている自分自身に嫌気がさした。
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