願いを叶える服を仕立てる店(4)

 春になると王城で夜会があるらしい、どうやら皇太子の妃選びを兼ねてるらしい。年が明けた頃からそんな噂がちょこちょこと聞こえてきてはいた。そしてそれ関係の依頼が一つ。まさか皇太子妃選びなんて重要な場にこんな街の仕立屋の服を着ていきたいなんて人が一人とはいえいるとはと、誇らしさと面映ゆさをない交ぜにした気分でアリスと笑いあったその数日後だった。


「うげ」


 朝食後の紅茶を飲みながら郵便受けに届いていた手紙をあらためていて、思わずそう呻いたのはその時から面倒の片鱗を感じ取っていたからかもしれない。


「どうかしたの……?」


 俺が盛大に顔を顰めているのを見て、アリスが恐々といった様子で尋ねてくる。


「いやぁ………領主さまからお手紙だぜ」


「……………えぇ?!」


 何を言われたのか一瞬理解できなかったのかアリスの叫び声は一拍の沈黙ののち響いた。気持ちはわかる。俺も思わず手紙二度見したもん。


 この辺りの領主というのは、確か位は伯爵、国でも五指に入る大貴族だ。そりゃあ貴族からも依頼が来るとは言っても、そこまで身分が高くないか、それかよっぽどの物好きかのどちらか――実際、先日夜会のドレスを依頼された令嬢は後者だった。一家そろって伊達者の変わり者と有名だ――うちの領主さまはどちらのタイプでもない。


 手紙には来いとしか書かれていなかったが、あそこには娘が一人いたはずだからそのためのドレスの依頼だろうか。ここのところ仕事が立て込んでいるのはもとより、流石に身分が高すぎて気が引ける。かと言って断れる依頼でもなさそうだ。


「しかも今日来いだと……」


 どうやら領主様は別荘のあるこの街に滞在中らしい。


 こっちの予定を何だと思ってるんだ。……いや、とりあえず何も入ってなくてよかったが。

 

 正直あまり気が進まなかった。しかし領内に住んでいる以上、断れば余計に面倒なことになるのは目に見えている。

 

 思わず深々と溜息を吐いた。


 アリスがおろおろと少し上目気味に、俺の曇ってるであろう表情を見上げてくる。やがて、なにやら一大決心をしてきたように、おっかなびっくりと言葉を紡いだ。


「あ、あのね、私も一緒に行こうか?」


 普段はゆらりゆらりとあちこちに揺れる緑の瞳に珍しく見つめられて、柄にもなくドキリとした。そして次の瞬間思わず破顔する。それを馬鹿にされたと思ったのか、アリスは不満そうにぷぅっと頬を膨らませた。ただでさえ童顔なのが、余計に幼く見える。


「悪い悪い、馬鹿にしたわけじゃ全然なくてな。いや、ありがとうなホント」


「……思ってもないこと言わなくてもいいよ」


 拗ねたようにぷいっとそっぽを向くアリスに、今度こそ笑いを必死で抑え込んで謝る。


「いやほんと、気を使ってくれてありがと」


 この、人と関わるのが何よりも苦手なアリスが一緒に行こうと提案するのには、よほど勇気が言っただろう。それだけ俺が浮かない顔をしていたのだろう。


「でも、お前、確か昨日の晩根詰め過ぎてて寝てないだろ。今日はゆっくりしとけ」


 裁縫屋の店長にこいつの布が、この人と関わるのが苦手な性格のせいで買い叩かれていたと聞いた時から、もう二度とそんなことはさせないと誓っていた。過保護と笑われるかもしれないが、そういう考え方は傲慢だと罵られるかもしれないが、こいつの才能はそんな風にされるもんじゃない。幸い俺はもともと採寸をしなきゃいけない以前に、客の顔を見るのは好きなので、この役割分担は嫌ではなかった。


「でも……」


 それでもまだ納得がいかないと渋るアリスを安心させるように笑った。


「大丈夫だって。そりゃまあ身分が高いやつに会うのは柄じゃないから緊張するけど、それ以外はいつも通りだ」


 それでとりあえず話は終わり、午後から俺は街の外れにある領主の別荘を訪ねることになった。


 アリスには大口をたたいたものの、部屋に通された時点で俺は相当緊張していた。日当たりのいい、見事な中庭が一望できる応接間。触るのを躊躇するほど磨き上げられたテーブル。触るとうっかり割ってしまいそうなほど薄い白磁のティーカップに入っていた紅茶は、そうか紅茶ってこういう飲み物だったんだなーと思わず遠い目をしてしまうほど普段飲んでいる物とは違った。


 待たされた後、家令に先導されて入ってきたのは壮年の紳士のみで、ドレスの仕立ての依頼をされるものとばかり思っていた俺は内心首を傾げつつ立ち上がって挨拶をした。


 それに対して彼は目で頷いただけで向かいのソファに腰掛けて、俺にも座るよう促す。


 むっすりと引き結ばれた唇や、眉間によった皺、冷たい印象を与えるアイスブルーの瞳を見るに、どうやら神経質で気難しい人物のようだった。黙ってじろじろとこちらを観察するような眼差しに内心悲鳴を上げていたので、ようやく彼が口を開いた時にはむしろホッとしたくらいだった。


 だがその内容に、やがて内心だけではなく、現実でも眉を顰める羽目になった。


「願いを叶える服を作る仕立屋か」


「………そのような噂もございますが。私は一介の仕立屋でそのような力は……」


 あの噂聞きつけてきたのか、困ったことになったなぁと思い、否定しようとしたのだが、それを遮って彼は続けた。


「調べには上がっている。字は読めるな」


 そう言ってテーブルに広げられた紙に書かれたのは、確かに俺とアリスが手掛けた仕事だった。あまり裕福ではない庶民に依頼されたようなものも書かれており、よくここまで調べたという感心と同時に、粘着質な物を感じ少し気味が悪くなった。


 資料をテーブルに戻し、黙ったまま話が続くのを待つ。


「それで、その力を見込んで作ってもらい服がある」


「お嬢様にでしょうか」


 確かここには年頃の娘がいたはずだと当たりをつけて尋ねると、彼は思い切り眉を顰めた。


「娘に、そんな得体のしれない服を着せるわけがないだろう。何が起こるか分からない」


 育ちがいいからか、ぎりぎり吐き捨てる調子にはならなかったが、氷のように冷え切った声には嫌悪が含まれていた。


 冷や水を浴びせられたようだった。


 比喩でなく、一瞬呼吸が止まった。


 言い返したい言葉が形にならずに、せめて表情に出さないように努力しながら奥歯を噛みしめた。


 得体のしれない。


 思わず心の中で繰り返した。


 確かに望んだわけではないが、俺たちが作った服は“願いを叶える服”と言われることがあった。そんな魔術じみた噂を、ただ笑いながら軽く否定するに留まっていたのは、それを好意的に解釈する客ばかりだったからだ。


 今思うと、俺はアリスに比べて自分がしっかりしていると思い込んでいたが、人の持つ悪意と言うものを全く理解していなかった。


「私の娘のことを気にする必要はない。今日の要件は別のことだ。春の夜会に関しての仕事を一つ引き受けているな」


「………はい」


「あそこの家から妃が出るのは避けたい。あの家がどんな願いを叶えろと言ってきたかは知らないが……」


 まるで察しろとでも言うようにそこで言葉を切って、こちらを睥睨した。


 強い眼差しからつい目を逸らす。


 すぐにでも逃げ出してしまいたい。


 頼むから巻き込まないでほしい。


 そんな祈りが通じるわけもなく、聞きたくなかった言葉が吐き出された。


 あそこの当主もお嬢様も願いを叶えろなんて言わなかった。ただ、とびきり素敵なドレスにしてよ、と、あの伊達者と名高い家の娘が言ったのはそれだけだ。


 妃になりたいとか、政敵を蹴落としたいとか、そんな無粋なことは一言も言わなかった。


 それに比べて、


「倍額払おう。着た者が死ぬドレスを作れ」


 何て事を、言うんだろう。


 あんまりな言葉に思わず天を仰いだ。


 政敵を有利な立場に置かないためなら、なんだって出来る。そこまでの人の悪意を見たのは初めてだった。


「………できません。最初にも言いましたけど、俺にはそんな“願いを叶える服”なんて物を作る技術なんかない。そんな服、作れるわけがない」


「では三倍ではどうだ」


「そんな魔法みたいな……呪いみたいなことできるわけがないでしょう。最初からうちの服はそんなんじゃないって」


「では五倍」


「だから……っ」


 もはや言葉遣いを繕うこともできないほどこちらが否定しているのも気にせず、ただただ淡々と値段を吊り上げていく姿に戦慄がはしった。正気のつもりなのだろうか。


 さらに言い募ろうとしたのだが、彼がカツンとテーブルを爪で叩く音に言葉を詰まらせた。


「断って、そのままの生活に戻れると思っているのか」


 ざっと音を立てて血の気が引いた気がした。


 そりゃあそうだ。いわばこの人が今したことは殺人の依頼だ。情報を漏らすかもしれない俺をこのまま野放しにするわけがない。


 例え仕事を請けたとしても請けなかったとしても。


 そもそも確証もないのにあんな噂だけで俺をここに呼んだのは、駄目で元々、上手く行ったら証拠を残さずに事を済ませられるという考えなんだろう。どちらにしても俺を口封じに殺すつもりなら、この杜撰な行動も理解できる。領内での事件で最高の司法権を持っているのは領主だ。どんな風にでも始末できる。


 後悔に胸が重くなる。

 

 “願いを叶える服”なんて言われていい気になって、へらへら笑って否定するだけで、真剣に否定してこなかった。そのツケが回ってきた。


 この事態を招いたのは俺だ。


 なのにそれにアリスを巻き込む羽目になるなんて。


「仕事を請けろ」


 今度は拒否の声を上げることもできなかった。


「仕事に必要な物をうちのものに取りにやらせる。この邸で作業に入れ。同居してる下働きの女にも伝言しておいてやろう」


 そのセリフにえっと声を上げそうになり、危うく飲み込んだ。そんな俺に気付かず、彼は言葉を続ける。


「必要な布などを仕入れる時はうちに届けさせろ。お前は外に出るな」


 思わずまじまじと見つめそうになって、慌てて意気消沈しているように俯いた。


 気付いてない、らしい。


 あれだけ噂や俺の仕事を調べていたくせに、うちの服に使う布の大半をアリスが織っていることに気付いてない。確かにうちの近所でもアリスは下働きだと誤解されてるし、客に会わせたこともない、同業者に紹介したこともない。それはアリスが望んだことで、俺も無理に引っ張り出そうとはしてこなかったからだが、それが幸いしたらしい。


 俺が、俺だけが“願いを叶える服”を作れると誤解されているなら、アリスだけなら助けられる。


 アリス“だけ”なら助けられる。


 咄嗟に浮かんだ考えに指先が震えた。


 領主が“願いを叶える服”を作れる人間が俺だけだと誤解しているなら、それがバレる前にアリスだけ領外……できれば国王直轄領かここの領主とあまり関係の深くない領に逃がせばいい。ただし今後も領主が“願いを叶える服”について追及してアリスに辿り着かないようにさせるためにも、領主には「“願いを叶える服”を作れる唯一の人間はいなくなってしまった」と思い込ませなければいけない。


 自分で思いついた考えに恐怖して目の前が暗くなった。動悸がして、米神を流れる血の音が聞こえる気がした。


 つまり、上手くアリスを領外に逃がした上で俺が死ねば、アリスは助かる。


 全力で声が震えそうになるのを押さえつけて声を出した。


「待ってくれ」


 今まで黙ってた俺がいきなり口を出してきたのを興味深そうに眺めてきた。


「報酬は口止め料も含めて、十倍だな。後で契約書は書いてもらうぞ」


「いいだろう」


 金でいくらでも動かせる輩。そう思われておいた方がいい。そう思って虚勢をめいいっぱいはって、蔑むような眼差しに笑って応えた。


「それから仕事は今まで通り仕事場でする。ここではしない」


「駄目だ」


「っていっても、あそこじゃないと、“願いを叶える服”は作れない。あの魔法はデザインだけで作ってる物じゃない。土地の場所が重要だ」


 口から出まかせだが、ともかくアリスを逃がす算段をするためにもここに閉じ込められたら堪らない。


「そもそも、俺はあそこ以外で仕事をしたことがない。この邸に住み込みなんかになったら、それこそ噂になるぞ。それと同じ理由で、この仕事だけじゃなくて並行して今請けてる仕事もさせてもらう。俺は一回請けた仕事は断ったことが無い。今は普段と違う行動を取って目立つ真似をしたくないのは、お互い様だろう」


「ならば仕方がない。だがお前に監視はつける。それと領内から出ることを禁じる」


 しめたと思ったのを顔に出さないように、不快な顔をして見せる。


「不便だな。仕方ない。納品はうちのに行ってもらうか」


 そう独りごちて反応を伺うが、特に否やはないらしい。これでアリスが領外に出る下地は作れた。


「どれくらいで仕立てあがる」


「一か月半」


「長い」


「じゃあ一か月。それ以上早くは無理だ」


「では一か月後に服を持ってこい。それで死ぬかどうか試してからあの家には送ってもらおう」


 下種野郎と心の中で吐き捨てて、笑顔を作って了承した。


 それから三週間。


 人を殺す服を仕立てて持っていく日は来週に迫っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る