願いを叶える服を仕立てる店(3)
郵便受けに入っていた手紙を引き抜き、店兼家に入ると、案の定、一切の明かりが点いていなかった。
「ただいまー」
声を奥にかけながら、手探りでランプに火を灯す。奥の仕事部屋にいるはずのアリスからは全く返答がない。それどころか行きにも言ったにも拘らず、やっぱり夕飯の気配が全くない。よくあることとは言え、思わず溜め息をついて、足音も荒く、アリスの仕事部屋へと向かう。
「おい、アリス、入るぞ」
ドアを申し訳程度にノックしてすぐに開けた。こういう時、ノック程度に反応しないのは重々わかってる。
ドアを開けて一番に目に入るのは、部屋の大きさギリギリの機織り機だ。部屋の片隅に灯されたランプの光に、機織り機を操るアリスの横顔が照らされている。ランプの明かりのせいで、本人も気にしている赤毛がいつも以上に赤く見えた。あの大きな機織り機の前に座っているせいで、小柄なアリスが余計に、いっそ似合わないほど小さく見える。そのミスマッチな印象に反して、彼女が手や足で操作をするたびに、機織り機はカタンと小さな音だけ立てて滑らかに動く。まるで手足のように操っている。
機織りを動かす時や仕事の打ち合わせをする時の彼女の真剣な凛とした眼差しは割と好きだ。冷徹に自分の仕事の成否を見つめ、その奥に静かに熱い炎を灯すように自分の仕事に誇りを持つ。それは人見知りの少女の目ではなく、職人の眼差しだ。
洗練された動きは見ていて飽きない。邪魔をしたくなくなる。
が、集中している時は、本当に眠るのも食べるのも忘れて布を織り続ける彼女の性質をすでに嫌と位ほど知っているので、わざと音を立てながらアリスの傍まで歩き、後ろから肩を叩いた。
「アリス!」
そこで初めて俺に気付いたのか、アリスは弾かれたように椅子を蹴倒して立ち上がり、後ろを振り返ろうとしてバランスを崩した。
「あぶねっ」
咄嗟に俺が腕を引っ張ったので、機織り機の上に倒れることは防げたが、その場で尻餅をついた。ギョッとしたように大きな緑の瞳を真ん丸に見開いて見上げてくるアリスにわざとらしく溜息を吐いて見せた。
「お前なあ、頼むから声をかけただけで気付いてくれよ。もしくは、肩を叩いたくらいでそんなに驚かないでくれよ」
毎日のようにこれをやってる身としては、なかなか堪える。確かにこいつは人見知りをするタイプではあるが、まだ慣れられてないのか、俺。
「ご、ごめんね」
床に座り込んだまま、きょときょとと左右に視線を泳がせる彼女に手を差し出す。小さな手がそこに重なったのを見て引っ張り起こした。
「夕飯も当番なのに作ってねえだろ」
言ってみれば、今頃になってハッと気づいたように窓の外で日が暮れているの見て、あわあわと手を動かしながら俺をちらちらと覗っている。さっきまでの凛と張りつめた雰囲気はどうしたと言いたい。小柄さや童顔さと相まって、完全に子供に見える。
「パン屋でお裾分け貰ってきたから心配すんな。腹減ったから飯にしようぜ」
「あ、うん。お茶入れてくるね」
小走りに台所に向かうアリスを見送って、今彼女が織っていた布に目を落とす。確か春先に行われる夜会に新作のドレスを着たいという貴族のお嬢様の依頼の品で、明るいオレンジの布地にはよく見ると繊細な花模様が織り柄で入っていた。暗い部屋で見ているにもかかわらず、その布が広がるところだけパッと明るく華やいだ雰囲気になる。寸分の狂いもない出来に、そりゃあ集中もしてるよなと、先程驚かせてしまったのを反省した。
「エミール君、そろそろお湯沸くよー」
台所から聞こえたアリスの声ににすぐ行くとだけ答えて、後を追った。
* * * *
食後に一服しながら仕事の打ち合わせをするのはいつものことだった。
「紅茶もう一杯いいか?」
「うん、大丈夫」
アリスがポットを手にしている間に、俺の方は鞄から資料を取り出した。
「一か月後納品って言ってたやつ……ええと、娘の誕生日パーティーするからせっかくだから自分も服を新調したいって依頼、娘はもっといい店で仕立てるらしいけどな。あれ納期が早くなった」
「え、そうなの?」
アリスは不思議そうにちょっと首を傾げた。不思議にも思うだろう。ここ最近で俺が早めにと言うのはこれで三回目だ。
「で、とりあえずデザイン画がこれ」
スケッチブックを差し出すと、アリスはテーブルの方へと身を乗り出してきた。
「本人派手好きだったけど、いい年だったから、ベースは黒でいこうと思って。ただ、それだけだと多分不満だろうから、光沢のある布を使いたい。それから黒だけだと誕生日パーティーに着るにしてはちょっと暗い印象になるから、別の色の糸を足して複雑さを出してほしいんだけど」
何色を足すかは迷っていた。なのでそこで言葉を切ってアリスの反応を待ってみる。
彼女は両手を温めるように紅茶のカップを包み込んで、スケッチブックを見つめた。零れ落ちんばかりの大きな目が、ランプの明かりに照らされてきらきらと煌きながらスケッチブックを見つめる、睫毛の影が微かに頬に落ちていた。ふと、紅茶のカップから右手を離して、目の前に落ちてきた後れ毛を耳にかける。
「何歳の方なの?」
「40になるかならないかだったかな。誕生日を迎える末娘がまだ10すぎだった。でもそれより随分若く見える。それこそ見た目だけなら真紅のドレスでもまだ似合うような年齢に見えるな。髪の色は綺麗なプラチナブロンド、目はちょっと紫がかった青」
「青かな」
ぽつりと零された言葉はランプの光しかない家では意外と大きく響いた。
「白っぽい色を混ぜるとせっかくの光沢が映えないから濃い色だと思う。何種類か織ってみるよ。それでいい?」
そうしてようやく図面から離された緑の眼差しは俺の目をまっすぐに見た。深い緑は仕事の話をしている時以外は、普段のきょときょとと動く眼差しのせいでなかなか拝めない。確信をこめて青と告げられた声にこちらも頷く。
「分かった、任せる。何種類か織れたら教えてくれ………悪いな、急ぎの仕事になっちまって。大丈夫そうか?」
今まで職人の目つきをしていたのが、一気にただの女の子の目に戻って二度三度と瞬きをした。
「ううん、大丈夫!」
勢い込んで言う姿に少し驚いて、それから苦笑した。普段の生活での大丈夫は信じられなくても、仕事についての大丈夫は素直に信じられてしまう、それに苦笑した。
「すまんな、頼む」
「任せて」
頼むと言われたのが嬉しかったのか、そばかすの散った頬を僅かに紅潮させて頷く姿に罪悪感で胸が軋んだ。
それからちょっと雑談をして、食器を片づけ、それぞれ就寝と仕事に戻ろうと立ち上がった時を見計らって、何気ない風を装って口を開いた。
「そう言えばアリス」
仕事部屋に向かいかけていた彼女が、どうしたのと言うようにこちらを振り返って首を傾げた。
「これは仕事じゃないから急がなくていいんだけど、布を織ってほしい。前に、病気で長くないから婚約者が立ち直れるような喪服を作ってほしいって、あの依頼と同じ布だ」
仕事以外で布を織ってほしいと言ったのは初めてだったから、アリスが不審を抱かないかが不安だった。立ち上がったせいでテーブルに置いたランプから距離が出来てしまいアリスの表情が見えずらい。逆に言えばアリスからも俺の表情は見えにくいだろう。だからこそこの言葉を夜に言うことを選んだのだ。
固いだろう俺の表情を誤魔化すために。
「覚えてるか?」
「覚えてるよ、えっと一年前くらいのあれだよね」
重ねて問うとようやくアリスから返事が返ってきた。やっぱり不審に思わせたらしく、返事は歯切れが悪い。ここはアリスの人に頼まれると断れない性質と、下手に出られるのが苦手な性質を利用させてもらうことにした。
「立て続けに仕事があるのは分かってるし、申し訳ないんだけどな。どうしても入用で。無理なら無理で構わないんだが、頼めないか?」
「分かった」
思いの外即答で、軽く顎を引くようにしてアリスは頷いた。
「ほんとに、無理させてごめんな」
「ううん、大丈夫」
ほんの少し微笑んで彼女は言葉を続けた。
「お客さんに接する仕事、全部エミール君に任せっきりだもん。それくらいさせて。綺麗なの織るから任せてね」
緑の目がゆるりと笑みの形をとって、こちらを見返していた。思わず目を逸らしそうになったのを堪えて、こちらも微笑み返す。
「ありがとうな」
それぞれ自室にひっこんでから、俺は先程帰ってきた時とった手紙を開け始めた。そのほとんどが、仕立ての依頼だが、一通だけ要件の異なるものがある。ここニ三日連続してきてるので開ける前から内容は分かっていた。
白い封筒に差出人の名前はない。
深呼吸して覚悟を決めてから、ペーパーナイフで封を開けた。
『例の依頼の期日まであと一週間。
ゆめゆめ忘れるな』
予想通り今日も残り日数以外は同じ文面だった。
意味深でおどろおどろしい含みを持たせるその文面に一介の仕立屋に届く手紙じゃないなとぼやく一方で、時間がないとひしひしと肺を圧迫されるような苦しさと焦燥感を抱かざる負えなかった。
話は三週間ほど前に遡る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます