願いを叶える服を仕立てる店(2)
一心不乱にミシンを踏んでいたら、本当は柔らかなクリーム色のはずの布にオレンジがさしているのに気付いた。
「げ」
顔を上げたら、西の窓から眩しいばかりの夕日が入ってきてるのが確認できて思わず呻いた。夢中になっていて日が傾いてきているのに気付かなかった。夕方の約束まで間がない。
慌てて縫いかけの服をきりのいいところまで縫い上げミシンから外す。
今朝、最終チェックをするためにマネキンに着せていた白いドレスをはぎ取り箱に詰める。他にも色々パーツがあるものだったので、それぞれ箱に詰めている間に、すぐに出ないと間に合わない時間になってしまった。
箱を抱えて部屋を飛び出し、ふと気になって隣の部屋をノックした。
「おーい、アリス!」
中からカタンカタンと音がするから仕事中だろう。時間がないのでドアの外から声だけかける。
「そろそろ日が暮れるからランプつけろよ。それから俺はパン屋にドレスの納品に行ってくるから。夕飯の当番お前だから、頼んだぞ」
急いでいるので捲し立てるように言うと、アリスはそんな俺の様子に頓着しないのんびりとした返事を返してきた。
「うーん、分かった。いってらっしゃーい」
……絶対無意識で返事してるだけだなとは分かったが、それ以上追及する時間がなかったので、店の入り口のopenの札だけをcloseにひっくり返して、店兼家を飛び出した。
日も随分暮れてきて、通り沿いの家からは夕食の香りが漂い始めている。足早に歩くと吐き出す息が白くなる。抱えた箱は大して重くはないのだが、嵩張るし、あまりに大きくて足元が見えにくい。さっさと届けてしまおうと、週に二度三度は訪れる馴染のパン屋に向かう足を速めた。
「ごめんください」
パン屋の中は外に比べると随分暖かく、思わず寒さに強張っていた身体の力が緩んだ。
「ありがとうね、こんな時間に頼んで悪かったわね」
閉店後の片付けのために忙しそうに動き回っていたおばさんが、手を拭きながらこちらに笑いかけてくるのに、俺も笑い返す。
「いやいや、毎日飛ぶように売れるほど旨いって評判のパン屋の、看板娘を営業時間内に拘束しちゃいけないって俺も分かってますから」
「あはは、上手いこと言っても売れ残りくらいしかでてこないよ」
おばさんは笑い飛ばしながらバンバンと俺の背中を叩いた。力いっぱい叩くもんだから荷物のせいもあってちょっとよろけた。そんなことは気にもせず、おばさんは踵を返して店の奥へと入っていく。
「ルーシー呼んでくるからそっちの部屋で準備しといておくれ」
毎度のことながら元気なんだよなぁ。確かにここの店長は無口で、店の明るさは快活なおばさんの笑い声と、看板娘ルーシーの花のような笑顔のおかげだ。あの娘が結婚して居なくなったら、この店も淋しくなっちまうよなぁ。
そう、ルーシーはもうじき結婚する。その時の婚礼衣装の仕立てを依頼されて今日届けに来たのだ。
流石にウエディングドレスは嵩張る。箱から出して着やすいように並べていく。箱に入れる時にも確かめたのだが、ついつい広げてもう一度汚れがないかを確かめた。
ルーシーにドレスを渡して奥さんがそれを着せるのを手伝っている間、俺は部屋の外で次の仕事のデザインをスケッチブックに描いて待っていた。
「お待たせ。私は主人を呼んでくるから先に始めといて」
部屋から飛び出してきた奥さんは、ドアの前に立っていた俺を押しのけるようにしてご主人を呼びに厨房の方に走って行った。
「母が騒がしくてごめんなさい」
申し訳なさそうに恰幅のいい身体にぶつかられて再びよろけた俺に声をかけたルーシーは、部屋の中央で所在無げに立っていた。
純白のドレス。本人は適齢期を少し過ぎた年齢を気にしていたのだが、おばさんがせっかくだからと主張したので、スカートは大きくふくらます形で、トレーンも一般庶民にしてはほんの少し長めにとった。代わりに布自体は柄のないシンプルで軽いものにした。ただただ真っ白のドレスの、床に擦れる一番裾の部分にだけ、織り柄で百合の花が描かれている。百合の花はアリスがウエディングドレスの布を織る時によく入れたがる意匠だった。
おばさんの「かわいいかっこうをしてほしい」という意見と、ルーシーの「いい年だしあんまりかわいいのは……」という意見の両方を取り込むのはなかなか骨が折れたけど、
「うん、似合う」
着ている姿を見て自画自賛した。なかなかうまくいったじゃないかと思わず顔がほころんだのが自分でも分かった。
「きついところはありますか?」
「いいえ、ぴったり」
答えを聞きながら肩やウエストに無駄な弛みがないかを確かめる。どうやら問題もなさそうだと確認し終わった頃に、奥さんがご主人を半ば引きずるようにして戻ってきた。
「ほらあなた、似合うって言っておやり。この子、この年になってかわいいドレスなんてって気にしてたんだから」
口下手な御主人がもごもごと奥さんに言われた通り繰り返すのを苦笑して見やりながら、もう一度離れて全体を見渡した。
「いかがですか? 気になるところはありますか?」
尋ねると、ルーシーははにかむように笑いながら望みどおりの答えをくれた。
「いいえ、すっごく素敵だった。ありがとう……ほんとうはあんまりフワフワしたかわいいドレスなんて似合わないと思ってたけど、作ってもらってよかった」
「ほんと、腕のいい仕立屋が近所にいてくれてよかったわ。それも、庶民でも手が届かない値段でもないし。ねえ本当にあれだけでよかったの?」
「はい、貰えるところからはがっぽり頂いてるんで」
冗談めかして言うと、おばさんは声を上げて笑いルーシーのくすくすと押さえこみながら笑った。
「ほんと、お貴族様からも依頼がくるって仕立屋なのに謙虚なのが偉いねえ。流石に結婚式ぐらいにしか頼めないけど、あんたの所に頼んでよかったよ。確か、あんたの店の服を着ると、願いが叶うって噂があったろ?」
それは実際、初めて訪れた客によく聞かれる程度には広まってしまっている噂だ。
曰く、その仕立屋が作った服を着たら願いが叶うと言われる店がある。
聞かれるたびに苦笑して否定してるのだが、なかなかなくならない。
いや……なくならないのは、俺が強く否定しないのもあるかもしれなかった。俺自身そんなことを言われたら嬉しかったし、なによりも………俺自身もしかしたらと信じているところがあった。俺が一人で服を仕立てていた時はそんなことを言われたことはなかったし、噂が流れだしたのは店を立ち上げて少し経ってからだった。その時期から考えても、もし、“願いを叶える服”なんてものが仕立てられているとしたら、それはアリスのおかげだ。
思えばアリスは特定の服には特定の柄を織りこみたがるところがある。例えばウエディングドレスには百合の花を、誕生日パーティーに着る服と言われればアドニスの花を隅っこに散らしたり、変わった幾何学模様を織り込みたいと言うことが、ほんの時々だがあった。
きちんと問いただしたことはないし、確証があるわけではないが“願いを叶える服”の秘密はその織り柄にあるんじゃないかと、うっすらと想像していた。
けど、今回はきっぱりと否定した。
「そりゃあ、そんだけ言ってもらえるのはありがたいですけど、あいつはただの機織りだし、俺はただの仕立屋ですよ。そんな魔法みたいなことはできません。………そりゃあ、俺たちが作った服を着た人が幸せになればいいとはいつも思ってますけどね」
「そうかい」
笑いながら答えるおばさんは多分俺の否定を信じていない。
「それにしても、噂に出てくるのも名前が売れてるのもあんた、エミール・テイラーの方だけだねえ。あの子はそれでいいのかい?」
実際お客さんどころか近所の人までアリスのことを下働きか俺の妹かなんかだと思っている節がある。あの、布を織る以外何もできない奴に、家事を主にさせようっていう根性がすごい。このおばさんが知ってたのは、頻繁に買い物に来る俺たちにこの人好きのする雰囲気で根掘り葉掘り時間をかけて訊いてきたからだ。
けど、まぁ。
「好都合でしょ。大体、あいつが噂の的になったのを想像してくださいよ。接客してる時以上に目が泳ぎますよ」
「確かに」
俺が大げさに肩を竦めるのに合わせて、おばさんも大きな溜息を吐くようなそぶりを見せた。
「倒れちまうかもねえ」
一応、自立している年であの人見知りの激しさには眩暈を覚えることもあるが、それと同時にそれでも構わないじゃないかと思うこともある。
あいつは、あの才能は人の目に晒して潰すのはもったいない。あの作品だけが評価されればいい。実際、同業者が俺にあの布をどこで仕入れたと訊いてくることがある。口を割りはしないのだけど。
それから部屋を出てルーシーが普通の服に着替えている間におばさんが今日の売れ残りを包んでくれた。最初は遠慮しようかと思ったのだが、アリスは確実に夕食を作ってないだろうなと予想できたのでありがたく頂戴することにした。
「結婚式は10日後だから、招待状も出してたと思うけど、仕事が無ければいらっしゃい。一応ご飯は美味しい物出すつもりだから、あの、仕事を始めると寝食忘れちゃうお嬢ちゃんと一緒にね」
見送りに店の外まで出てくれた奥さんが言った何の気ない言葉に一瞬答えが詰まった。
10日後。
直ぐに気を取り直して笑顔を作って返事をする。
「はい、ありがとうございます」
もっと色々言うべきだったのだろうが、強張った喉はそれだけの言葉しか喋れなかった。
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