願いを叶える服を仕立てる店
小鳥遊 慧
願いを叶える服を仕立てる店(1)
それは店を立ち上げようと四苦八苦していたころの話だった。
ずっと自分の店が欲しかった。もともと実家が仕立屋だったのだが、そこは既に年の離れた兄貴が二人で跡を継いでいたので、できれば独立したかった。実家は紳士服をメインに仕立てる店だったけど、俺はどちらかと言うと女性もののドレスを作りたかったというのもある。営業して営業して、ようやくなんとかチャンスを作った。社交界に出るのを嫌がっている娘を納得させられるドレスを作れたら、店を出すのに出資をしてくれるという貴族に声をかけられた。こんなチャンス二度とない。
「綺麗な布……綺麗な布が欲しい……」
いつも布を買いに行っている店で、そう呟きながら手当たり次第に棚から布を引っ張り出している俺を見て、店長はうんざりした顔で声をかけてきた。
「なんじゃ辛気臭い顔して人の商品引っ掻き回して。話聞いてやるからそこ座れ」
言われて大人しく座ると、紅茶とお茶菓子を出してくれた。喉が渇いていたのでそれを遠慮なく一気に煽ると、店長はますます呆れた表情で話を促してきた。
「で、ついこの前は今にも踊り出しそうな様子で、『パトロンが現れた!! 神は俺を見捨てなかった!!』とか騒いでいたのが、この様子じゃ上手くいっとらんな」
「お嬢様、我儘すぎるんだよー!! この前いいって言ったデザイン次会った時は駄目って言ってみたり、好きな色が青から赤に変わってるし、絶対社交界出たくないだけだって、あれで絶対似合うはずだって!!」
そう、依頼主からの条件『娘が社交界に出るのを納得するドレス』ってのが果たせる気がしない。本人は別に我儘お嬢様ってタイプでもなく、どちらかというと大人しいタイプなのでどんなドレスが好みか聞きだすのに苦労した挙句、次にそれをひっくり返されるというのを三度経てすっかり苛立ちが募っていた。
「今度は布が気に入らないって!! 今まではデザインだったから何とか修正してきたけど、俺、布は一回仕入れちゃってるんだぞ! もう一回あのお嬢様が納得する布仕入れなおさなきゃいけないし、そもそも縫い始めてからやっぱり気に入らないとか言われたら、今度は間に合わない、後三週間しかない」
しかも前の布がどう気に入らないのか、とうとう聞き出せなかった。今度はなんとか手当たり次第布を持って行ってどれかに決めさせるしかない。
ドレス一着作れば、新しい店を出す全ての費用を持って貰える。そんなチャンス二度とありはしないのだから、成功させないと。
そう、考えれば考えるほど、どうしていいか分からなくなる。
「絶対あのお嬢様屈服させてやる」
「客屈服させてどうする。………珍しく落ち込んどるな」
「………落ち込んでねーし」
一瞬答えに詰まった自分に嫌気がさして額に手を当てて深く溜息を吐いた。確かに落ち込んでる。なんかもう地面にめり込みそうだ、心が。
これでも一応自信があったのだ。いくら兄貴が二人いるとはいえ、家が仕立屋なのに独立しようとしてるんだから当然だ。なのにこんなに上手くいかない。最近、デザイン画を描くのすら苦しい。このままじゃきっと裁ち鋏を握っても、針を持っても、あの難しいお嬢様どころか自分自身さえ納得させられる物を作れる気がしない。
気持ちばかりが焦って、うまく考えがまとまらない。
空になった紅茶のカップを弄びながら考えにふけっていると、店のドアが開いてカランカランとそこについた鈴が軽快な音を立てた。
「おう、アリス。もうそんな時間か。おい、邪魔だからどけ」
店長に邪険にカウンターの前からどけさせられて、カップだけじゃなくてソーサーまで手に押し付けられる。
いったい誰だと入口を見やると、小柄な少女が大きな荷物を腕一杯に抱えて立ち竦んでいた。逆光でその表情は良く見えなかったが、立ち竦んでいるのは、カウンターでうだうだしている俺のせいだろう。反省してそっと場所を譲るように大人しくカップとソーサーを持ったまま壁際によった。
「重いじゃろう、早く入れ」
店長に促されてようやくおそるおそるという様子で、店の中に足を踏み入れた。俺を見ようとはせずに、目を伏せて足元を見ているが、全身で俺を警戒しているのは分かる。その仕草のせいか、首の後ろで無造作に結われた柔らかそうな赤毛のせいか、人に慣れない子猫を思わせた。……俺は他人に威圧感を与えるような容姿をしてないつもりなんだが……ちょっと傷ついたぞ。
彼女は大きな包みをカウンターに置くと、慣れた調子で荷物を広げようとする。それを制して店長が口を出した。
「いつもすまんな。納品の確認をするが……アリス、あいつにも見せてやっていいか?」
店長に顎で指されて驚いて見返す。そうすると、アリスと呼ばれている彼女も驚いたようにびくりと肩を震わせてこちらを見てきた。初めてあった目は、零れ落ちんばかりに大きな緑だった。それだけ言えば美人のようだが、その下に散らばるそばかすと、無造作に括っているせいでほつれている髪がその印象を野暮ったいものにする。
「エミール、お前、綺麗な布が欲しいと言ったな。アリスが持ってくる以上に綺麗な布はうちでは扱ってない。気に入らなきゃ、よそ捜せ」
「見せてくれ」
考えるより先に言葉が出ていた。この頑固者だが見る目は確かで言葉を飾らない店長がここまで言うのだから、その通りなのだろう。この人にそこまで言わせる布があるとなると、現金なもので先程まで沈んでいた心が浮き立った。
「アリスも構わんな」
言われた彼女は焦ったように何度も無言で頷いた。
「仕入の目利きがいいってことか?」
「いや、本人が織ってる」
機織りが直接町の裁縫店に卸しに来るっていうのには疑問があったが、それよりも包みの中に気がとられたのでその質問は後にすることにした。
遠慮なく包みの中を見せてもらう。まず出てきたのは何の変哲もないリネンの白い布だった。織りむらはなく、引っ張ってもよれないことから確かに腕は悪くないのだろうと思った。特に感慨もなく次の布を出そうとしたが、耳に引っかかった二人の会話に驚愕することになる。
「アリス、何日かかった? 二日ぐらいか」
店長の問いに彼女はふるふると首を横に振って、細い人差し指を一本たてた。
布の束を横に置こうとした手を止めて思わずまじまじと見る。この長さの布を一日かからず……悪くないどころか、随分仕事が早い。
次の布を出すと、次は麻の赤の布。赤……とはいうものの、それにしては複雑な風合いだ。よくよく見て見ると、縦糸と横糸では違う赤が使われており、横糸の赤も部分部分によって微妙に異なる。
「先染めか」
一般に使われている、布を織ってから色を染める後染めの反対で、染められた糸を使って布を織っていく技法だったはずだ。確か。
「珍しいじゃろ。だが、先染めの本領はこんなとこじゃないのはエミールも知っとるだろ、次見てみ」
次は可愛らしいピンクの布だった。手に取って広げて、思わず息を飲む。紗と呼ばれる透かし織りの技法で薔薇の花模様が一面に織られていた。
その布を見て固まっていた俺を笑いながら店主が先を促す。
「次は凄いぞ」
布を広げる手が震えていた。先程は織り模様で表されていた薔薇が、眩しいばかりの白の布地の上で艶やかな赤で咲いていた。地の白い色がきれいに残るのが、後染めには出せない先染めの最大の特徴だ。織った後から染めるのではどうしても柄以外のところにも何らかの染料がつき、糸そのものの自然な白が残らない。糸の配置を精密に計算・設計・実行しなければならないため先染めでこれだけ緻密に模様を織り込むことは職人の長年の研鑽が必要だと聞いている。
それを、こんな俺より明らかに若い女の子が?
「アリスは腕はいいんじゃが、見ての通り人見知りが激しくて、営業が下手で、卸問屋に買いたたかれてるのを見て憐れになってなあ。思わず直接買い付けることになったんじゃが、今度は問屋がうるさくての」
店長の話を聞き流しながらアリスを見た。いきなり自分に注目されたのに驚いたのか、びくりと肩が揺れた。その肩を衝動的に掴んで言う。
「一緒に仕事しないか?!」
緑の目が見開かれる。その目を見据えながら必死で言葉を紡いだ。
「今度の服が上手く仕立てられたら、俺は店を持つことになる。そこで一緒に仕事しないか。今回の客は意見が二転三転するお嬢様でな、ちょっと苦戦してんだけど、あんたの布見てたら行ける気がしてきた。こんなきれいな布見たことない。なあ一緒に仕事しよう」
後から思い出すとあり得ない。あれだけ怯えてた女の子の肩おさえつけての勧誘とかあり得ない。けど、あの時必死だったのだ。
あれだけ、どうやっても上手くいかない、どんなデザインも思いつかない、どうやって気に入られていいか分からないと途方に暮れてた俺の脳裏に、あの布を見せられた途端、鮮やかなドレスが何着も浮かんだ。溢れそうなそのデザインに我慢できなくなって、布をカウンターの端に寄せてスケッチブックを広げる。
「この形式の布を使いたい」
そう言いながら指したのは紗の布だ。
「これよりもっと透かしてくれて構わない。下に白の布………できれば少し光沢があるのがいい、ってことは絹になるか」
言いながらザクザクとデザインを描いて行く。アリスがそろそろと寄ってきたが、今度は彼女の方へは目を向けなかった。アリスを怯えさせたくはなかったし、なにより俺自身がデザインを描くのに真剣だった。
「内側からほんのり光るような雰囲気を出す」
「………それじゃあ、」
初めて聞いた声は、小さいながらも凛と響いた。
また目が合って怯えさせないだろうかと、そろろそろと伺うと、彼女の視線はスケッチブックに向けられてこちらを気にもしてなかった。先程までと雰囲気が一変していた。
その場にいることすらいたたまれないとでも言いたげに、ただでさえ小さい身体を小さく小さく縮こまらせていたのが、すんなりと背筋が伸びて自然にその場に立っている。全身で俺を警戒していたのに、今では身を乗り出すようにしてデザイン画を見ている。そして何よりも、大きな瞳がおどおどとあちこちに揺れることなくまっすぐにスケッチブックに据えられている。窓からの光を受けてか、その瞳はきらきらと輝いているようにも見えた。
「本当の主役は上からかける紗の布じゃなくて、下の絹ね」
確信を持って発された言葉は正鵠を射ていた。
その落ち着いた姿を、先程までの他人に怯える年下の女の子とは全く違う姿を見てこの女の子は、いやこの女性は職人だと思った。それも凄腕の。
「その通り。紗は、暁の空の色がいい」
「そうだね、少し暗めの、でも暗すぎない色」
即座に頷いたアリスを見て、もう一度俺は頼んだ。
「なぁ、一緒に仕事しないか」
今度は緑の目は逸らされなかった。まっすぐに俺の目を見てこくんと頷いた。
「したい」
こうして、俺と彼女は無事にお嬢様の納得するドレスを仕立てあげて、店を立ち上げることができた。
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