第96話 覚悟
「おめえがカソロか」
ジドゥーバルが返り血で汚れた鎧をそのままに、極めてぶっきらぼうな調子でそう尋ねると、カソロは丁寧に頭を下げ言った。
「これはダクバル将軍……まさか救援に来ていただけるとは。我らは皆全滅を覚悟していたところです」
「はん、それにしちゃまだ腹に何か抱えてるような目をしてるがな」
「滅相もございません」
「まあいい、後ろの敵は蹴散らした。だがそれも一時的なものだ。今の内にここを脱出するぞ」
「はい、将軍。しかし……」
カソロはジドゥーバルに対し敬意を払いつつも、何かを言おうとした。
「なんだよ」
「あるいは敵を殲滅する好機かもしれません、将軍」
目の前の若者から意外な言葉がすっと出てきたためジドゥーバルは思わず口をぽかんと開いた。
「……あのなあ、敵の一部隊を蹴散らしたとはいえ、兵に損害はほとんど与えてねえ。奴らが合流すればこちらの三倍、まともにぶつかれば勝負にならねえ」
「ならばまともにやらなければ勝てるということではありませんか」
「……おい」
ジドゥーバルは突然凄みを増した顔をつくり、カソロに歩み寄った。
「その気取った物言いは好かねえな」
しかしカソロに動じた様子はない。むしろジドゥーバルの顔を見返す彼の表情は、あるいはジドゥーバル以上の凄みを持っていた。
「……この戦いはロッドミンスターの存亡をかけた戦い。彼我の戦力差大きく、それこそ奇跡を生み出さねば勝ち得ません。だから我々もここをただ生き延びるだけでは意味がないのです。勝つために出来うる最大のことを成さねば、国は救えない」
その様子がどこか鬼気を帯びていたため、ジドゥーバルはこの男としては珍しく勢いに飲まれかけた。
そして先程までとはうって変わって真剣そのものの表情でカソロを睨み返すとこう言った。
「……ガキの戯言を聞きに来たんじゃないんだぜ。何を考えている」
そう問われたカソロは、この場にいる全員を凍りつかせる一言を言った。
「私の指揮下に入っていただきたい、将軍。無論、目標は丘を取り囲む敵の完全殲滅です」
「……おめえ、誰に物言ってるのかわかってんだろうな」
「ウルフレッド様の側近にして右腕とも言われるジドゥーバル・ダクバル将軍に、私の命に従い動いてほしいと申し上げているのです」
ジドゥーバルは極めて短気、そして快活さの裏に高いプライドを秘めた男であることはロッドミンスターに仕える臣下であれば誰もが知っていることだ。
こうして面と向かって”我に従え”などと言ったのは、主君であるウルフレッドをおいて他にいない。
当然、このようなことを言われたジドゥーバルの顔はどす黒いまでの怒りでみるみるうちに染まっていった。
だがここでジドゥーバルが目の前の若造を斬り捨てなかったのは、彼が言った”勝つために出来うる最大のことを成さねば、国は救えない”という言葉が気になったからだった。
それでもこの若造の顔でもぶん殴ってやろうかと考えていたジドゥーバルに決意させたのは、カソロのこの一言である。
「もし戦の最中、私が間違ったことをしていると思われたら将軍、どうぞ背後から私をお斬りください」
「上等だよ、てめえ。真っ二つにしてやる」
カソロ軍はジドゥーバルおよび一千の兵を加え、丘の麓の敵を睨んだ。
「麓にいる敵の部隊は二つ。どちらも俺が蹴散らした奴らを吸収して六、七千ってとこだな」
「北側の指揮官がナファール、東側がバセルス、そしてあなたが討った西側の指揮官がハティジェー、いずれも階級はイシュマール帝国の将軍です」
「妙に詳しいな」
「イシュマールはずっと我が国の仮想敵国でしたから。最も戦にならないことを祈っていたのですが」
ジドゥーバルは少しだけこの若者に対し感心するような感情が芽生えたことに気づいた。
「将軍が討ったハティジェーは、三人の指揮官の中で最も年長で高位に位置する者でした。実質は彼が最高司令官としてあの三つの軍は機能していた。それが死んだことで敵は今統制が崩れています」
「そこを突けば勝機があるっていうのか? こっちはたかだか四千だ」
「はい。残った二将のうち、バセルスは慎重な男ですが、その性格が災いして主君である選帝侯ムガルティンから昨年叱責を受けており、後がありません。ナファールは勇猛な男でイシュマール帝国内でも名のしれた巧者です」
「てめえ……いったいどこまで……
策を述べるカソロを見て、ジドゥーバルはこの若造が見た目に宿している温和で未熟そうな青年の皮は擬装に過ぎないのではないか、そういう疑念が確信に変わるのを感じていた。
カソロは誰を見るでもなく言葉を続ける。
「したがって戦巧者なナファールと正面からぶつかることは避け、焦りを抱えたバセルスの軍を崩すことができれば我々にも勝機があります。年長のハティジェーを失った今、両者を統率する人間がいない今が絶好のチャンスなのです」
「言うは易しだがな。まあいい、約束は違えるんじゃねえぞ」
「はい。私に不信を抱かれましたら、どうぞお斬りください」
ジドゥーバルは面白くなさそうに「けっ」と吐き捨てた。
それを見たカソロはその高鳴る鼓動を感じつつ、こう心に思っていた。
このように挑発するかのような口上、まったく柄じゃないな。
まあしくじればこの世にはいられなくなるのだ。それくらい思い切ってもいい。
四千。こんな大軍を率いるのは初めてだ。
わくわくするな。まったく。
中古一国記 安川某 @hakubishin
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