第95話 千騎
「朝靄が晴れ始めました。どうやら敵は丘の麓を取り囲んだようです」
丘の上に布陣し、夜を明かしたカソロに対し、様子を見に行っていた配下が報告をした。
「……」
実に歯がゆい。カソロは眼下に群がる敵を見下ろしながらそう思った。
この敵の先遣隊一万五千を討てるかもしれないというのに。
勝ちに乗じたイシュマール軍が、たかだか丘上に布陣する三千人のこちらを相手にわざわざ包囲をして夜が開けるまで待つ。
これは二つのことを示唆している。
一つは自信の無さ。鎧袖一触にすれば手痛い反撃を受けるかもしれないことを恐れている。これは指揮官の性格をよく表している。
次に統制の甘さ。三部隊で囲みながら手を出さないでいるのは、三人の指揮官のうち最も上位の者が存在しないか優柔不断であるから。つまり三つの部隊は連携がなく宙に浮いている。
歯がゆい。
カソロは小さくため息を吐いた。
高火力高機動の兵団が手元にあれば、数に優る敵であっても各個撃破が狙えるのに。
こちらはけが人を含めた歩兵中心の部隊、騎兵はわずか。死を覚悟していたとしても脚が持たない。
万事休す。だが、その時を迎えてみれば呆気のないものだ。
せめて自分のことを親の七光りのもやし坊やと罵ったあの日の者たちの鼻を明かすことくらいはできそうだろうか。
「カソロ様、西側で戦闘が始まりました」
西を見やるがまだ朝靄が残っていて見通すことができない。
歓声、いや悲鳴か。味方のものにしては多いように思われる。
それに、馬蹄の音……?
***
「突撃だ! 皆殺せえ」
黒馬にまたがった大男の怒号が轟くと、それに負けじと兵たちの吠え声が続く。
朝靄の視界不良の中、背後を取られたイシュマール包囲軍の一隊は、突如として現れた兵団の猛襲に狼狽した。
イシュマール軍に備えがないわけではなかった。
しかしロッドミンスター軍の反撃は必ず大規模な軍勢で行われるものと推測されており、それをおびき出すためのカソロ軍の包囲であったため、朝靄の中のジドゥーバル隊による疾風迅雷の強襲は完全にイシュマール軍を浮足立たせた。
襲撃を受けたイシュマール軍の将は、ただちに配下の兵へ体勢を整えるよう命じた。
不意を突かれたとはいえ五千の兵を有しており、ジドゥーバル隊をロッドミンスター軍の先遣隊と見ていたこの将は、すぐに戦線を構築し直し付近に存在する一万の味方の到来を待つという極めて妥当な判断を下した。
彼の唯一にして最大の誤算はジドゥーバル隊の驚異的な突破力だった。
わずか一千程度の騎兵と歩兵の混成部隊で、装具もキズだらけのこの集団はまるで猛獣のような雄叫びを上げてイシュマール軍の兵を動揺させ、恐ろしいほどの破壊力ある一撃を見舞った。
まるで数の差など考慮に入れていないかのようなためらいのない突撃は、イシュマール軍五千の反撃を許さなかった。
「退くなっ退くなぁー!」
叫ぶイシュマールの将の目の前に、味方の群れを弾き飛ばすようにして現れた一騎の騎士。
褐色の肌、熊を思わせる太い眉、無造作に生えた顎髭。
「なっ!? 同胞か!? イシュマール人が、なぜ!?」
イシュマールの将はそう言い放った次の瞬間、騎士の放った大槍の突きを受けて串刺しとなり絶命した。
「あん? 悪ぃがそれは爺さんの代までの話だ。お前ぇらに仲間意識なんてこれっぽっちもねえよ」
ジドゥーバルがつまらなそうにそう吐き捨てると、将を失ったイシュマール兵は統制を失い各々に潰走を始めた。
「追わんでいい!」
ジドゥーバルは大槍についた血のりを振り払うと部下にそう命じた。
「それよかさっさと丘の上で震えてる若造を拾って帰るとしよう」
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