第3章 「あっしのヨタ話」 その2

三番 あっしらの変化


 一人娘が他県の大学に行き、中古の家に引っ越してから、あっしらの守護天使は気分を害したようだった。


 あっしの武道部屋と彼女のPC室、セミダブルベッドと収納を併設した寝室、LDKはできるだけ狭くした。

 あっしは道場とかに結構出かける。帰ると彼女はPC仕事に、あるいは小説にへばりついている。家事は何もした気配がない。うまく書けない、としかめっ面をしている。


 そしてやたらとゆっくり長く手を洗う。どうしたのさ、と声をかけようとした背中が拒否、という形になっている。そう言えば最近ごぶさたかなあ、とあっしは気がついた。

 相当のセクス好きだったのでここまで二十年も続いたようなものだ。彼女が。

 あっしはどちらかというとそれにうまく乗ってゆき、好きなことをそれぞれして邪魔し合わない関係は快適に思われた。


 家事は七割がた彼女がしていた。


 そういえばあっしは、彼女のことをパートナーとは思ってももう女とは見ていない。浮気はあっしが一度でかいのをやってかなり手こずった。娘が小学生の頃だ。親のいさかいを見たせいか登校拒否になった。それ以降あっしはおとなしくしている。


 やはりそんな恨みつらみが残っているだろう。お互い無理やりセクスをしてきたようだ。どちらからもそれをさぼるわけにいかなかった。誰にも相手を奪われたくないという執着はお互いにあったのだろう。


 で、肝心の愛は、どこへ行った?これも愛? しかし愛は変質してしまった。普通一般に起こるように。

 それはまだしも、セクスをあっしは忘れてしまった。必要でなくなった。唯一のつながりであったのに。


 本当を言えば楽しみでも楽しくもない。武道の練習で体力もいつも消耗していた。彼女は娘のことが心配なのか精神安定剤なしでは眠れないとぼやいた。眠りを邪魔しないでと言った。いいとも、とあっし。それが最近では普通の快適な生活だった。


 彼女の様子がおかしいので、その夜あっしは優しい態度を見せ、ベッドでその体に触ろうとした。

 いやはや、彼女は激しく身震いしたね。

 汚い、と叫んで転げ落ちんばかりに逃げた。

 彼女はこれまでも清潔には気を配っていたが、最近は潔癖症気味だった。しかしこれでは立派な病状だ。


 その夜の戦果は散々だった。考えたくもない。

 次の朝、いつもにもましてぼろぼろになって彼女は起きてきた。あっしはすでに朝食を並べて待っていた。

 いい事が起こるとは思えなかった。不吉だった。彼女は黙って食べた。食器をひとり分流しに入れた。



「今日からあたし達、家事を半々にするんだよ。実際的な配分は考えるとして、基本は半々だよ。家賃はあたしが払ってるんだしね。それから財産分離方式で暮らすんだよ」

 あっしは目を白黒させたぜ。なんだいきなり。


 実質的な別居宣言だ。別にあっしはこれまで不満はまあ無かった。眼をつぶれるほどの不満しかなかった。家事を少し手助けする位、平気さ、気軽に動いた。思いやりのある便利な亭主だって彼女も認めてくれているんじゃなかったのか。あっしは自分を褒めてたぜ。


 仕方ない。慌てたところは見せたくない。

 日頃の肉体的鍛錬、精神的修行をここは生かすべきだ。

 彼女が何となく女の役割からずれてきているのは事実だ。それを受け止めよう。世の流れではあるしなあ。


 箇条書きにして各自の望む関係条項を提出し合うことになった。

 そしてあっしは驚いた。家事の多さだ。

 育児はもう無いのに、二人きりなのに介護もまだ無いのに?


 朝起床、布団干し、シーツ替え、着替えの片付け、前日の荒いものが済んでいるとして、新聞牛乳取り、その日に決まっている種類のごみ出し、朝食作り、食後の片付け、但しここで食洗機に放り込むとしても下洗いが必要だ。


 部屋の埃を拭き、新聞雑誌など収納場所におく、ごみはゴミ箱に集める、一日おきに床掃除、必要なら掃除機かけ、鉢物に水遣り、洗濯物を必要に応じて分類して洗濯機に洗わせる。干す。干す。


 ここら辺からあっしらの労働活動も始まる。


 お互いに変則的な時間に、部屋で仕事したり、出かけたりする。その間に趣味のトレーニングや小説書きが入る。そのための時間管理は各自うまくやっている。


 ふと、あっしは思い出した。結婚するときに何となくだが、家事協力を条件に出されたような気がする。

 同時にあっしは、どちらでも生活費は稼げるほうが稼ぐ、という条件を提示した。これは自分に経済的な大黒柱としての男の役割が押し付けられるのを阻止しようとしたからだ。

 当時就職が次第に難事になってきていたせいだ。リストラという言葉が流行りだしていた。


 さらに家事のリストアップ。


 布団取り入れ、ベッドメイキング、買出し、冷蔵庫にしかるべく入れる、昼食の準備片付け、夕食の準備片付け、テーブルを拭く。


 洗濯物取り入れたたみ収納する、玄関道路の掃除、可燃、不燃、リサイクルを分ける。ペットボトル、ふたを取り紙を破り漱いでから足で潰す、袋に入れる、スーパーに持っていく、ついでにクリーニング関係の処理、銀行の出入金、ドラッグストアの一周、医者に常備薬を処方してもらう。


 缶やビン類それぞれを家庭内での分別的収納場所から、所定の曜日場所に夜、あるいは朝早く出しに行く。これは音がうるさい。

 集合住宅なので決まりを護らない例が多い。籠を入れ替えたり動かしたりの無責任者への対応も含む。勿論全て手が汚れる。危険性もある。

 新聞紙と雑誌と段ボール箱と化粧厚紙、これらはまた別扱いのリサイクル品だ。この後ちゃんとリサイクルされているかは謎だが。

 ともかく家の中では、これらはしかるべく平らにされ、束ねられる。重たい塊になったのをぶらさげて所定の曜日に規定の場所におく。


 これらがしかるべき人々の車で持ち運ばれて行って、翌日までには消えているのは素晴らしいことだ。社会と経済が機能している証拠である。そしてあっしらのような真面目で大人しい人民の賜物である。


 そういえば、うちでは外食や出前によく頼る。

 あっしの彼女への思いやりで安物の出前で我慢したり、外出のついでに外食する、と思っていたが、意外なことにそのための出費を彼女はもったいないと苦々しく感じていたのだ。

 あっしの気持ちは必ずしも伝わっていないとわかったひとつだ。あっしの誤解というか。

 

 家事の続き、最終的に戸締り、エアコンディショナー設定、眠り薬代わりの読書、消灯。

 これらをどんな具合に分担するのだろう?



四番 夫婦の正しい配分

 そうか、二人の女の同居と考えればいいのだ。


 自分の分だけ、まるで独居のように家事をするという手はある。が、それでは光熱費がかさむだろう。ぶつかることもある。


 仕事を二人ですれば早く済む、が、それでは時間が細切れになってしまう。

 日替わりが良い。月水金担当と火木土担当を週ごとに交換すれば(日曜日は定休だ)、曜日が変わるから、自動的に偏りなくごみ出しの仕事が分配できる。

 買い物と料理、これは同じものを食べるという前提だが、家族のようにネ、そのためにはコープ組織の週一の宅配を頼むことにした。


 注文書を書くのも大変だが、仕方ない。買い物に行くよりましだ。あっしと彼女の間で好みの違いがある洗髪用品は対象外として、基本的な材料、調味料、飲料、小物、洗剤、など共用のものが対象となる。


 二人の食の好みは、要は栄養を摂ればいい、というスタンスなのであまり問題は無い。

 彼女の化粧品、衣料アクセサリーなどは別口、あっしの服は新調する必要はあまり無い。好みの草花、おつまみ酒、お菓子など固有のものもそれぞれが買う。

 各自の外食、急に刺身!とか言うときも自腹。というが、自腹って?


 

 日本がここまでかく平和で、あっしらの親の世代が真面目に働いたとすると、ある程度の余裕は出来る。運良く大病も失業も無いとなると健康な両親というのは暗黙の頼りだ。ま、これは別の話だが。


 現在曲がりなりにも自立した二人の共同生活だが、ことここに至って、あっしからは夫婦の稼ぎは足して二で割ってほしいとは言えない。余りにも女々しい考えだろう。


 しかしこれが逆であれば、つまり夫が普通多めに稼ぎ妻は年収百三十万円で抑えるのが通例であるとすれば、家の中の格差は大であろう。だから、妻達は育児家事をも果たすのかな。



 普通の主婦妻が育児、家政、家事および性作業に対する対価を要求するなんて、そりゃあ考え付きもしないだろうて。こんにちの社会通念では。 


 女権論者、つまりフェミニストの主婦妻ってものがあるとして、その人物なら、夫婦の収入を合算して折半を望むだろう。

 そうするとその中から家賃食費など、半分出せるだろう。ただし育児家事などの対価は、もし男女平等論者の夫であって、彼が同等の負担を果たしているのなら妻は要求できない。


 現実では普通ここに問題は生じる。社会での換金目的労働時間が夫婦それぞれ大きく異なるからだ。

 専業主婦はこの手段だと濡れ手で粟、という感じになって始末に終えない。


 要領が悪くて、あるいは完全主義に陥って、家事育児にさく時間が二十時間なんてこともありうるし、逆に、ちゃっかり自由時間をたっぷりとるタイプもいるだろう。いずれであれ、家事育児への対価は莫大なものになる。


 たとえば夫の家事参加率が一割だとすると、夫のみが稼ぐ全収入の半分からさらに、家事育児手伝いの市場価値一月分の四割を妻に支払うはめになる。それが実は夫達の小遣い月二万円とか聞く額の意味なのか。


 あっしは堂々巡りに陥って、どこか変だと感じながら自分の「妻」と対面していた。

「でもさ、あっしがその旦那だとして、家事育児をあまり出来ないとしても、そのための時給を二千円だとたとえばしよう、それをしないからって妻にその全額を支払うってのはおかしいよ」


「そうだよね、あたしがする家事は自分用の部分もあるわけだし。母親が育児するのも自分の当然の義務だし。愛情は一応括弧に入れておいて。他人に任すのとは計算が違うはず、半分くらいかな。よく気がついたね。あんたはむしろ扶養される妻って立場だのに、うちではさ。アごめん、怒った?」


「あっしだって扶養家族以上に稼いでるよ。やっぱ、自分が夫の立場に立ったのかな、つい一般的にさ」

「幸いにも、あたしたちは労働時間が同じになるように暮らしている。それはむしろあたしらの意図よね」

「そう、そう。あっしだって男役割にこだわるほうじゃないしね。そこそこ気に入った仕事と自分の生きる目標のために使える時間があれば、って思うほうだしね」

 あっしは迎合して言った。



 確かにあっしが主に稼いで彼女が家事育児して、家政費も渡してしまい、小遣いだけもらったら簡単だ。しかし、あっしも彼女もそんな生き方はいやなのだ。生きてる気分がしないだろう。


「じゃ、お金は二人折半よ、でも家賃も家事もね、半分ずつ提供する」

「え、それでいいのかい、ホント」


 彼女はせっかくのきれいな髪をかきむしった。

「いいじゃない。あたしはあんたといるのが嫌じゃないし、むしろ一緒にいたら心強いでしょ、あんたは他に一緒にいたい女がいるかもしれないけど」


 思わずある顔を思い浮かべたあっしは、誘導尋問にのらないように気をつけて、

「今さらそんな元気ないよ。そっちこそどうなんだい、まだまだ色香もあるし」

と言いながら髪を整えてやった。

「もうすぐホルモンがなくなるとこよ」

と彼女はぶすっとして言ったが、このパンチが有効だったのは明らかだった。


「じゃあ、家賃だろ、食費光熱費など家政費用は同額ずつ出す。十三万円くらいかな」

「足らなくなったらまた出し合う。各自好きなものは残りのお金で買い、旅行とか行き、しかも貯蓄に励む」


「するってーと、二人の年収を半分こするよ、あっしの取り分は自分の稼ぎの三倍にはなるぜ!マコの学費も出し合うとしても」


「おめでとう。今の時点ではね。あたしが病気になるかもしれないし、あるいはあんたがスカウトされるかも」

 彼女は歯を見せて口を斜めにゆがめた。少し甘えてあっしの機嫌をとろうとしている。そういう彼女の顔は若やいで晴れやかに見える。


「それで決まり?決まりだよな!どっちの親からの遺産であれ、残ったら全部、ゆくゆくはあの娘のものだし。あっしらは問題少ないよな。それに比べるとあの、お隣さんさあ」

と、あっしが話題にし始めたのはうちよりも複雑な事例だ。


 結婚と呼ぶにしろ呼ばないにしろ、色んな都合で子供が生まれる。しかし両親の離別があると、片親だしか共通でない弟妹が別の共同形態の家族に生じうる。



五番 複雑な配分


お隣は妻が再婚で前夫との子が別にいて現夫川口氏の子をもう一人生んだ。で、その奥さんがあっしの彼女に悩みを打ち明けるのだそうだ。

夫婦の稼ぎの関係はノーマル、つまりうちと逆だ。預貯金も家も夫の名義である。



もし自分が先に死んだら、と奥さんは言う。前婚の子供に何一つ相続してやれない。すでに相続している自分の親の遺産も、夫や手元にいる子供で分けることとなるのだろう。


 子供はどちらも可愛いが、淋しい思いをさせた年上の子に川口の子の半分はやりたい、さらに、自分の親からの相続分は二人の子供で等分にするべきではないのだろうか、川口氏は除いて。


 彼には彼の親からの相続分があることだろうし、それを妻である自分は全く貰うつもりはないわけだし、と縷々訴える。


 あっしが思うに、これははっきりと三つに分けて考えるべきだね。


 ひとつ、川口家由来の財産、これは今の直系で相続する。つまりまず川口氏、やがてはその子。


 ひとつ、奥さんの家由来の財産、これも直系に限る。つまりまず奥さん、やがては二人の子で等分。


 ただこれを一般論としてみると、子供の数が同数でない場合、誰かが死んでいる場合などややこしくはなるだろうね。血の濃さを考慮すればいいことだが。


 そして最後のひとつ、婚姻中に夫婦で築いた財産。誰の名義であろうと実は半々の権利となるはずだ。なにしろ夫婦は助け合い協同体だからして。


 川口氏の週六十時間もの労働時間を考えると、奥さんが家事をおおかたせざるをえないから、奥さんの稼ぎは少なくてもその家事の貢献分は十分考慮に入れられてしかるべきものであるよね。


 とはいえ、この点、確かに矛盾があるようね。論理がね。

 うちなんかこの点、最近はよほど理想に近くなったよ。文句無く、矛盾無く、全財産のうち、残された片方が七十五パーセント、娘が二十五パーセント相続となる。


 一方、川口氏宅の計算をしてみよう。

血の濃さで言えばいわば子供はひとり半いるわけだから、二対一の割合で分けるか。


 ただ、一般論に演繹すると、たとえば前婚の子が二人いて一人が若死にしたとする。母親としてはこの亡くなった子も相続の数に入れたいかもしれない。彼女が夫より先に死んだ場合だ。

 

 さきほどの「二対一の割合」のうち一に当たる前婚の子らは、夫婦共有財産の四分の一のそのまた三分の一、つまり約八パーセントが取り分となるね。

 ちなみに川口氏の一人息子は一七パーセントだ。


 で、八パーセントのうち、死人の相続分である半分の四パーセントを血の濃さに従って分けるのだから、実の兄弟に二、半分の兄弟に一、という割り振りだ。 


ここに関しては川口氏の子が不利にはなるが、しかし結局、十七プラス一、三イコール約十八パーセントが、母からの遺産となる。


 元夫の一人残った子には哀れにも僅か四プラス二,七六つまり約七パーセントしかない。もっとも実父からの遺産は丸々もらうことだろうが。


 あっしの流儀でいくとこうだが、最近婚外子の権利について法律の改定が起こった。これはどうも男親、つまり主なる稼ぎ手が愛人に生ませて、あるいは愛人が生むといって、十分な家族としての庇護なしに育った場合なのだろう。


 勿論のこと,父方の相続財産、及び婚姻中に増えた財産のうちの半分である父親の遺産から妻が半分を相続した残り分に関して、婚外子にも嫡子と同等の権利があるらしい。


 このことと、川口夫人の場合とは少々違うのか。どうなのか。

 法の詳細は知らないが、もし前夫が再婚しない場合、片親というハンディは、婚外子同様であろうよなあ。


 実はこれがけっこうあっしの友人らの身の上でもあるのですがね。よその家のことなので、あっしらは極めて理性的に計算した。ありえたかもしれない事として極めて真剣にも。


 彼女は、あっしの大好きな表情をした。いくつになってもその表情は好きだ。考えるとき彼女の瞳は右上にくりくりっと動く。媚びたわけではまるでない。そこがいいのだけどね。こんな女は余りいないよね。


 恋人気取りの振る舞いを少々したら少々喜んで少々相手してくれるかも。その望みはまだ少々残っているかも。

    ーー終ーー

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