第3章 「あっしのヨタ話」 その1
一番 あっしの理想世界
村岡何とかという主婦にして作家、しかも九州訛りのオーラある、その面長の顔まで魅力的な女性がいるのだが、信じられないヨナ、
そこらの街角に住んでいて、買い物とかしながら創作活動家でもある。
才能があるから亭主である夫と楽しく生活してるのか。普通に主婦も母もしているようだ。そのことを書いたり、講演などしておいしいものを食っている。
これは例外としよう。
何しろうちの奥さんは最近機嫌が悪い。こんなことでじたばたしてるってのは、あっしの脳神経がまだまだ進化の途上にある証拠だナ。
かの村岡某女史はパートナーとの力関係をどう制御しているのか?というところからあっしの脳細胞が暴走し始めた。
二十一世紀になると、人類社会はおおむね大改善を終えた。貨幣廃止と国境廃止である。これが可能になったのは、無尽蔵の太陽エネルギー使用技術が成功したためである。
尤もこれを開発した会社と研究者が、人道をまともに照らす倫理観をもち、理性を持っていたのも幸いした。
その結果はこうだ。植物動物どちらの種であれ、椅子を作る材料であれ、コンピューターやビルを作る特殊な金属であれ、医療技術的機械であれ、人間の必要とするものを生産するのに必要なエネルギーが無料になった。
根本的に。
物資の素材はどうせ循環するのである。循環させるエネルギーも無料と来た。
人々の手は必要だ。働きは欠かせない。
労働の代償を求める?
どうぞどうぞ、消耗品倉庫、つまり巨大モールであるが、ありとあらゆる好みと健康を顧慮した物資が並んでいる。
人々はたまたま気の向いた食べ物を、服、宝石、等々持ち帰る。
長年使用してもいいし、戻して物資循環の輪にいれてもいい。
他人よりえらくなろう、多く持とうという考えがみんなから失せていく。
労働は各人に向き向きである。一日五時間を限度としている。
国という境界が廃止されたのはそれがおのずと意味をなさなくなったからだ。学問好きなら学問を、機械が好きなら、歌が好きならそれを活動とする場所がある。
これは社会全体のために好きなことをして役に立つ、という意識からなす活動である。走るのが好きなら、自動車の代わりに走って宅配などしてもいい。
役人になって人々を管理したいと思ってもいいが、調整役である。たくさんのNPO法人や個人のボランティアに仕事を配分することは出来る。つまり社会で何が必要かという情報をまとめて、配分する。
配分したからといって誰かが特にいい思いをするわけでもない。生きるのに必要なものはそこにある。
みんなは利己的になる理由が無い、では代わりに、とんでもない怠け者となり、だれが仕事などするか、と考えるかというとそれがそうはならない。
人間の心理の不思議さには最初誰もが驚いたものだ。せめて人並みに、いや他人より一歩でも前を行きたい、と思うのが人の性だった。
しかし他人に先走ったとてそれはきりがなく空しいとあの哲学者プラス心理学者グループもすでに余りにも明らかにしている。
一方、人の行動欲や充実感は脳にとって何にも勝るご褒美なのだ。みんな喜んで人手の足らないところを助けに行き、技術や芸術や学問の向上に無心に、雑念なく、見返りを考えずに、あるいは事柄そのものへの興味から、あるいは博愛心から、自ら進んで日に五時間の労働をした。
病気の予防策が進み、また病気そのものも根本的に克服されていたが、介護が必要なこともあると誰かがそこへ行った。
ある意味職業もなくなったのだが、次々とやりたいこと極めたいことが見つかるのだ。退屈な仕事はロボットの出番である。
尤もたとえば掃除でも草取りでもごみ収集でも、パソコンのデータ打ち込みでも、これまでは底辺の仕事とされていたのに、自由に選択してよいとなると、そこに改善の喜び、成果のあがる充実感を覚えることが出来たりするから、人間ってのは面白いものである。
ある時期には確かに、脳の喜びを知らぬもの、考えの狭いものもいた。しかし彼らの脳は発達がまだ不全だったのだ。
適切な話し合いが行われ、医療技術が施されるようになった。不完全という彼らの損になる点が改善されたのだ。
全能の神にお見せして恬として恥じることの無い、神の子としての目的達成の観がある。
前世紀のSF小説では、技術の進歩イコール完璧な管理社会、ロボットの反乱、というのが筋書きだったものだ。原初の人間の姿が最終的には保存するべきものであった。
しかし、作家や映画プロデューサーやゲーム製作者がそんなことをしている間に、原初人間の野蛮なエネルギーはほとんど地球を壊滅状態にしたのではなかったか。
人間の情緒の安定、種の存続、という大切な生物学的意味から個人生活をいかに運営するか、これには最後まで決定案が出来なかった。人間以外の動物をみると多種多様な繁殖形態を示している。
そこで、心身健全な成熟を待ったうえで、クローニングは不可、ドラッグはご法度、ポルノはあり、ヘテロホモ選択可、性と姓の自由化、同居別居選択可、多夫多妻まで可、サドマゾ小児性愛死体愛絶対不可という条件であとは自由に任せてみることになったのだ。
それが現在である。結婚制度は要するに永遠に愛しケアしあうことを誓い合いたいという人々の選んでいい形態である。何しろお金が絡んでこないのですべてがシンプルだ。
勿論、たとえば別れるときにこれまでの住居なりが趣味的にとても気に入っているとして、誰が住み続けるかでもめることはある。相談員もいる。
しかし結局さっさと調停が済んでしまうのは、親が健全であって、当事者の夫婦が健全に育てられたからである。
健全とは何かといえば、端的に、子供のときに正しく愛を受けたということである。自分以外の生物や事物に依存しないで生きられる、ということである。
生物学的に社会的に人類にはやはり最初の段階での、親子の信頼関係は欠かせない。基礎であ〜る。
てなことを、あっしは夢想していた。まるで聴衆の前で説いてみせるかのような口調をとって。 浮き浮きするなあ、も。
てナことになってたら、あっしはどうするだろうか。どうしよう?
二番 あっしら夫婦の基礎
うちの生活形態は、ずっと二人で、という約束の協同生活、つまり現代の語彙でいう婚姻。ヘテロ、あるいはストレート、だろうね、多分。
二人の労働時間は未来の先取りかな、それぞれ週三日。あっしは塾講師ね。数学だよ。好きなことだから、才能があまり無かったのは残念だが、まあ現状では仕方ない。
同居人はやたら理系の女子、パソコンをいじってあれこれ重宝がられている。今時パソコン頭の人にはホント仕事がポンポン来る。
彼女が言うに、一心同体、ツーカー、かつ感覚的にも奴を、つまりパソコンの中にいる「理屈」だけど、そいつの一挙手一投足がわかるんだそうだ。あまり無理させると可哀想にもなるのだそうだ。
それはいい。問題はお金だ。あっしの年収はまあ二百万円ほどである。彼女の年収はその五倍か、六倍近い。
同じ時間だけ労働してだぜ。まあそれもそうだろう、市場社会だから労働同一賃金とはいかない。
あっしだって時間当たりでは大分いいほうだ。それに、生活費は事実上彼女の稼ぎを主に使っている。かなり放恣に使ってるかな。髪結いの亭主、なんて羨ましがられる。
全然お金に問題は無いじゃないか。
そうなんだ、問題は稼ぐ金の多寡が二人の力関係に係わってくるってことだ。
労働時間はむしろあっしのほうがやや長い、試験の採点なんかの時間もあるからね。
彼女の寝起きがやや悪い。ぼんやりしている時間が長いので、あっしが朝食をこさえるようになった。冷蔵庫からちょちょいと出して並べる間に、コーヒーはいい匂いをたてるわけだし。
アリガト、とか口の中で言って彼女が手を出す。
関係をもった最初の頃は、一緒に台所でうろうろして甘い雰囲気で一緒にこさえたものだ。そのままあっしの家事分担が次第に固定してくると、悪そうにごめん、ありがとうね、なんて言ってくれた。昔のことだ。
仕事が終わると、彼女は趣味の小説書きを始める。理系のくせに文章も気軽に出てくるらしい。それをまあネットで発表するだけなのだが、何かの賞とかもそのうち狙いだすだろう。まあいい。
あっしのほうは、武道派だ。人間の身体的精神的能力の限界を探究しようってわけさ。
戦いはいつも死を覚悟しなきゃなんないからな、とあっしは彼女に言う。自動的に禅の修業にもなっていくわけさ。
「やってくれ、思う存分、あたしは概念と理屈と言葉とイメージで人間の理解ってものを試すからさあ」
「身体と脳神経かあ」
「そう、あたし達で両方から攻めるのよね。活動する脳の部位は違うけども、神経ネットは結合するのに基盤と意図と偶然と訓練とで動いていくっていうから、ひやひやドキドキよ」
「イメージトレーニングも効果大だしさ」
「ところで今日ね、鉢花に水をやったんだけど鉢の縁に小さい小さい蟻が一匹いてね、そいつが鉢の中の濁流にのまれそうなのさ。よっぽど水で流してやろかって」
「え、何でだよ。わざわざ殺すことたないだろ」
「殺しゃしないよ。この前大雨のとき、突然川が氾濫して子供が死んだじゃん、それ思い出した。あたしが神なら水に子供を避けさせただろうに」
「わかるよ」
「ねえ守護天使ってどう思う、今度それを登場させようと考えてんだけど?」
「ヘエ?そんなことあり?理系なのに?」
「いるね、絶対。あたしが思うに、でも非力なのもいるんだよね。誰でも生死は偶然に思えるけど、実は背後で守護天使の力関係が働いてるようにも思われるじゃない?」
「エー?自分が何言ってるかわかってる? 理系の頭からするとそんな魂みたいものは有り得ないじゃん」
「でもね、そうすると、ここにあたしが生きていることがわけわからないよ、有難くて涙ぽろぽろだよ」
彼女の祖父の家が裏山のがけ崩れで、下敷きになった。祖父母は入院中だった。後ろに貸家が一軒あったのだが、そこに牛乳配達のおばさんが運悪く来た。その一家もろともに亡くなった。
ひとり男の子がいた。真っ黒い瞳の忘れられないほど可愛い子だった。
その話をすると彼女は悲しみと理不尽にさいなまれる、みたいな顔になる。
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