第2章

竜の都市 1

 目が覚めて、この世界に生まれ落ちたと私が初めて認識した時、最初に感じたのは胸を焦がすような藁の匂いと、そして秋の冷たい風の感触だった。


 ――ああ良かった……今回も美しい竜に生まれてきてくれましたね。


 太陽の光に目が慣れ、少しずつ視界が鮮明になっていく。

 目の前にいたのは長身痩躯の男だった。二メートル近い背丈と皴一つない燕尾服。頭にはシルクハットを被り手にはステッキまで持っている。


 ――大丈夫ですか? 自分が誰かは分かりますか?


 ぼんやりとする頭でその声を聴きながらコクリと頷く。それを見て男は嬉しそうに笑った。


 ――それは重畳です。それでは起き抜けで申し訳ありませんが、早速ご紹介したい人がいます。


 そう言って男の後ろから出てきたのは、ほんの十歳程度の小さな男の子だった。銀色の髪に深い青色の瞳。ぎゅっと唇を引き結び緊張した面持ちでこちらを見ている。


 ――彼の名はソード。君の駆り手となる少年です。仲良くしてあげてくださいね。

 

 それが、私とソードとの初めての出会いだった。


          @@@


 渓流を流れる澄んだ水を手で掬い、少女はコクコクと小さく喉を鳴らして喉へと流し込む。


「ぷはっ」


 喉の渇きが満たされるのを感じ少女はゆっくりと立ち上がる。

 白いシャツに太ももの辺りで切り揃えられたカットソー。頭にはベレー帽を目深に被り顔の上半分は窺えない。


 その少女の手足は金属で形作られていた。人間の指先と変わらない程に精緻に、しかし柔らかさすら感じさせるその表面には確かな金属の硬質さを帯び、水に濡れた手のひらは陽の光を照り返してキラキラと光っている。


 そしてその背中、シャツに空いたスリットから金属の翼が伸びていた。


「ん……っ」


 僅かに漏れる吐息と共に翼の末端から伸びた放熱板が青く光る。するとその翼から、辺り一帯の草花を揺らすように風が吹き出した。

 十数秒間空気の放出は続き、小さな河原の礫石を吹き飛ばし草花が放射状にしなる。そしてようやく空気の放出が止まったところで少女は一息ついた。


 ――ひとまずこれで動けるわ。水場があって良かった……。


 自分の質量の半分ほどもの水がすっかり消えた事を確認し少女は辺りを見渡す。

 森、それも街からは大きく離れてしまっている。自分がいなくなっている事ぐらいは伝わっているかもしれないが、捜索には大きく時間がかかるだろう。


「……焦って無茶するもんじゃないわね」


 嘆息し、意識を切り替える。幸いにも水場はすぐそこにあった。竜である自分にとって水さえ十全にある環境なら飢えは怖くない。それに肯定的に見るのなら、これは誰の目にも止まらず訓練に打ち込める好機とも取れる。

 翼が青く発光する。少女の体が光に包まれ始めたその時、


「? なにあれ」


 意識が木々の奥に移り、光が燃え尽きる蝋燭の火のように萎んでいく。川の向こう、木々の奥で妙な物が見えた。

 確かめてみよう、そう思い立つや否や少女の小柄な体が宙に浮いた。幅三十メートルほどの河を、水面から突き出た石を渡りトントーンという軽い音と共に僅か二歩で飛び越える。


 そうして木々を翼で払い見つけたのは、群青色をした鉄の塊だった。

 名前や姿は知っている。しかしドラゴンが空を駆けるこの世界においては最早資料としてしか存在しない遺物――飛行機だった。

 目を凝らすと、機体の後部は地面に飲み込まれるように沈み込んでいる。これでは飛行はおろか動かすことすら出来ないだろう。


 ――落っこちてる……住宅地の遺跡に飲み込まれたのね。


 人口密集地だったような地域ではよく見られる現象だ。七千年前の大戦と風化により殆どの建造物は消失している。しかしながら中には戦禍を免れ、その上に土壌が形成された事で地中で建物としての形状を保ったものも存在する。

 そういった場所に竜のような大質量のものが乗った場合、地下の建物が崩れて地盤沈下し、あたかもクレバスのように地面が裂けるのである。


「でもどうしてこんなものが……」


 時代錯誤なそれに少女は手を伸ばす。そして指先がその表面に触れようとしたその時、


「触るんじゃねえ!」

「っ⁉」


 上から声が降ってきた。反射的にその場を飛びのき、その場に一人の少年が踏みつぶす。


「チッ!」

「何よアンタ!」


 数歩後ろに下がり、少女は突如現れたその相手を睨む。

 ざんばらな髪に猛禽類のような鋭い目。ボロボロの飛行服を身に纏い、体中に浅い傷を作りながらも、手足は細く強く引き締まっている。


「逃がすか!」


 一呼吸の間もなく少年は踏み込む。五メートルほど開いていたお互いの距離、それを少年は一歩で潰し、少女の襟元を掴んだ。


 ――速い! 何よこいつ⁉


 襟元を掴む手に力が籠められ、体制が崩れて帽子が吹き飛ぶ。

 引き倒される。そう思ったその瞬間、少年の動きが止まった。


「ッ⁉ お前……」


 帽子が吹き飛び、コバルト色の髪が宙にたなびく。少女のその顔を見て少年は言葉を失ってた。


「アイオライト……?」

「え?」

「ウィンちゃん! 伏せて!」


 その時二人の横合いから鈴を転がすような声が上がった。それとほとんど同時、目に見えないほどのスピードで飛んできたスパナが少年の頭に直撃した。


「ぶっ⁉」


 金属と頭蓋骨がぶつかる鈍い音と共に少年は吹き飛び川に吹き飛ばされ、水しぶきを上げて倒れこんだ。唖然とする少女の元へ、一人の少女が駆け寄ってきた。


「大丈夫ウィンちゃん! 無事⁉」

「え、ええ……平気よ」

 駆け寄ってきたのは耳にかかる程度に髪を整え、ヘルメットを被った少女だった。やや垂れ目がちな瞳は髪と同じアッシュゴールドに染まり、首元からつま先まで生地の分厚いツナギを身に着けている。

「こ、こっちは大丈夫かな? 私思いっきり投げつけちゃったけど……」

「ひとまずは生きてるみたいね……」


 白目をむいて仰向けに水面に浮かぶ少年を、駆け寄ってきた少女は心配そうに見下ろす。ひとまずは胸が上下しているので、呼吸はしているようだ。


「誰なんだろこの人……知り合い?」

「いいえ、見たこともないわ。でも、私の名前を知っていた」

「それはおかしい事かなぁ? ウィンちゃん街じゃ有名人なんだし」


 確かにそうかもしれない。だが、どうにも気にかかる。


 ――なんで私の事をアイオライトって……。


 それがウィン・アイオライトとハローが初めて出会った日だった。 

 最初の出会い方としては多分、最悪に近い。

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プロトタイプ 空中逆関節外し @shimono_key

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