小説は読者が作る

ドルファイ76

第1話 作品のトップを走る読者達

先日とある作品のレビューを読んで私は驚愕した。


物語で登場するキャラクターAの凄さを、作者自身が描ききれていないと言うのだ。


読者が言うには、キャラクターAは能力が高く

上手く動ければもっと活躍できているし、

多くの技を使えばライバルにも、いい勝負ができたはずだと。


そして作者の文章表現の幅が、キャラクターAの動きを制限しており

キャラクターAを過小評価していることに繋がっていると言うのだ。


これを読んだとき、私は自分の視点の低さに嫌気が差した。


小説を作り出す時に、自分は一体何を考えていたのだろうか?


どんな世界観にするか?


どの時代にするのか?


どんな種族がいるのか?


ある事件に対して登場人物はどんな動きをするのか?


この小説が読者に面白いと言ってもらえるのだろうか?


少し面白くするために奇をてらった表現を盛り込んでみよう。


基本的には小説の構造だけを考えていた。


しかし、それだけが小説の構造ではなかったことに気づいた。


小説という物語の視点を上げると読者と言う要素が

構造の一部分を担っていることに気がつく。


作者が世に送り出した小説はリリースされれば

作者だけの物ではなくなっている。


この事を自分は忘れていた。

当たり前かもしれないが気づけなかった。


自分の手を離れた段階で、自分の物だけでは無くなるのだ。


読者が合わさり物語と言う幻想を作り出す。


そこには、より多層な構造、作品のイメージが多くの人々によって

作り出されているのだ。


物語は読者の数だけ存在している。


ある意味作者は、幻想の触媒として機能しているだけなのかもしれない。


その事を小説の前提に考えれば、

読者との距離間は、決して縦の関係では無く、

共に作品を築くフラットな関係だと思えた。

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