綺麗で優しい回復術士(父)を守る護衛騎士(娘)の話

服部匠

綺麗で優しい回復術士(父)を守る護衛騎士(娘)の話

「回復術士が『グラン・ヒール』と唱えると、兵隊さんたちの怪我がみるみる治っていきます。病気で苦しむひとたちの具合が良くなります。みんなが元気になると、回復術士もニコニコと笑顔になります……」

 暖かな暖炉の前である。幼い少女は、父の語る回復術士の話に耳を傾ける。

 立派な大人なのに、どこか少年のような透明さを持った優しい声は、心を穏やかにしてくれる。

 魔力を癒やしの力として使う、稀人まれびとの術士――回復術士。少女の父は、まさにかの職業であった。

『ですが、傷ついたひとを癒やす回復術士は、その力のせいで狙われます。悪いひとに捕まると、休みなく働かされたり、ひどいことをされます……』

 優しい回復術士がひどいことをされる場面になると、少女は自分のことのように怯え、目に涙を溜める。

 彼女は、お父さんもひどいことをされているの? と、尋ねる。

 父は答えず、微笑むだけ。答えなくとも、彼女はわかっていた。父が話と同じように、ひどい目にあっているということは。

 長い髪に隠された傷跡や、仕事から帰ってきて何日も寝込む姿を見ているから。

『でも大丈夫。回復術士には護衛騎士といって、守ってくれるひとがいます。彼ら彼女らは強く、どんな状況でも回復術士を救ってくれる存在なのです……』

 護衛騎士が登場すると、彼女の瞳が輝き出す。

 悪いひとに捕らえられた術士を颯爽と助け、卓越した剣さばきでばったばったとなぎ倒す。

 騎士がいれば、回復術士は守られる。

 ならば自分も、護衛騎士になろう。

 そうすれば、大好きな父を守れる――少女は決意した。


:::


「さあ、具合はいかがですか。痛みは消えましたか?」

 優しく語りかける声音は、いつだって温かい。

 老婆に向かって、にこり、と青年が一つ微笑む。無病無傷の者でさえ心の奧がじんわりと温まり、安堵を覚える笑みが広がった。

 ここは、小国ノワゼット辺境の村。農業が中心の、牧歌的な雰囲気が漂う集落である。

 青年の年の頃は二十代前半。柔らかく下がった目尻と眉は整っており、人の良さを感じる。無駄な角張りのない頬や顎、整った鼻筋、やや色白できめ細かな肌。そして絹糸のように繊細で、うねりなどなく美しく腰まで伸ばされた髪の毛。すらりとした線の細い体型。

 彼は、一瞬女性と見まごうような――しかし男性らしさも併せ持つ魅力を持つ、まさに美青年。

 彼の名は、シュクレ・テンカート。国直属の回復術士である。

「ええ、ええ、ありがとうございます。ずっと患っていた痛みが、すーっと消えていって」

 頬を紅潮させ、感謝の言葉を述べる老婆に、彼は先ほどとはまた違う――そこかしこに花が咲き乱れんばかりの笑顔を浮かべた。

「それはよかった! ああでも、神経系の痛みは、ぶり返しがありますので……これを差し上げます。十回は使えると思うのですが、足りなくなったら、町のお医者さんを通して私に教えて下さい」

「お札までいただいた上で、そんな、お国の回復術士様に対して、平民の私めがそんな大それたことを……」

 遠慮する老婆の前で、いそいそとシュクレが差し出した札は、神経系の痛みを緩和する術の込められたもの。回復術士だけが作ることのできる品である。

 老婆は畏れ多いと言った様子で、差し出されたそれを受け取ろうとしない。

 しかし、彼は柔らかな動作で、札を老婆の手に握らせた。

「ここに立ち寄ったのもなにかのご縁でしょう。お医者さんには私から話をしておきますので、ご安心を――他に、持病や怪我があるかたは?」

 シュクレは腰の曲がった老婆のために屈めていた背を伸ばし、立って辺りを見渡す。彼の纏った服の裾がひらりとはためいた。白と青の清楚なローブの裾は土で汚れているが、それを気にする様子はない。

 彼の問いかけに、様子をうかがうように眺めていた他の村人達がおずおずと前に出はじめると、あっという間に彼の周りには人だかりができてしまった。

 やれ腰痛だ、やれ赤ん坊の夜泣きが、やれ切り落としたはずの腕が痛いんだと訴える声が聞こえてくる。辺境故に、町の医者だけでは手が届かないのだろう。

 その様子を、少し離れた場所で眺める一人の騎士がいた。

 耳が見えるまで切られた短い赤髪。顔にはそばかす。小さな体躯だが鋭い目つきの少年――にも見える騎士は、シュクレの様子に小さなため息をつく。

「ほんと、あいも変わらずのお人好しだ」

 両腕を後頭部に回し、民家の壁にもたれた騎士から紡がれた言葉は、静かだがやや呆れた色を感じさせる女声。

 彼女は、シュクレの護衛騎士であるトレモリン。

 二人は、国外での遠征任務を終え、旅路の途中である。この村で一晩宿を借り、さあ出発となった直後のことだった。

 通りすがりの老婆が持病の神経痛で苦しみだし、居合わせたシュクレが救ったのがきっかけだ。

「本当に、お噂通りなのねえ、シュクレ様って。温和で慈悲深いお人柄で、戦場以外でも病や傷を治してしまうっていうじゃない。魔力があるからって威張らないだけでも素晴らしいのに」

「おまけに、あの美しいお顔!」

「どちらかというとお美しいというよりは、笑顔が可愛らしく感じるわね」

 トレモリンの横でしゃべる村の婦人三人は、きゃあきゃあとシュクレへの感想を述べては盛り上がっている。

「あらやだ子どもが綺麗な髪を引っ張ってる」

「見てご覧なさい、怒ることなく優しくいなしてすぐに治療に戻ったわ。なんなのあの無邪気な笑顔。どっちが子どもかわからない」

「まあなんて可愛らしい」

「いつの間に列が……何人並んでいるのかしら……だんだん増えていく……十人……二十人……?」

 無秩序だった人の山は、いつのまにか列に変わっていた。どうやら、施しの終わった村人達が「自主的に」シュクレを助け、列の成形や誘導、野次馬が術の施しに影響しないよう声かけをやっているようだ。

 その様子を見やったトレモリンは「さすが天然無自覚タラシ……」と感心半分、呆れ半分といった感じでつぶやく。事実、彼が微笑むだけで老若男女問わず惚けたような顔になっている。

 遠くのシュクレがトレモリンを見る。困ったような微笑と共に「ごめんね」と目だけで伝えてきているのに気がついた。ああなるとしばらくは動けないと知っているトレモリンは、ため息だけをつく。

「すごい早さで術を施していらっしゃるのに、まったく嫌な顔一つ、疲れた顔一つしないのね」

「なんてすごいのかしら」

「歴代の中でも特に優秀だって噂よ」

 うっとりとした様子の三婦人の横で、ぴくりとトレモリンの目元が動く。

 この世界に魔力はあれど、それを己が力として利用できる人間は数少ない。シュクレはその中の一人であり、国専属の術士として各地を飛び回る職にある。

 今まで巡った土地での評判が、こうして伝聞として広まっているのだろう。

 一通りシュクレの様子を見ていた婦人方が、思い出したようにトレモリンを見た。

「護衛の騎士さんは……ずいぶんと小さいのね」

「かわいくて活発そうなお顔をしてらっしゃる」

「騎士というよりは、まだまだ少年剣士といった風情ですわね。将来はりりしい青年になるでしょう。ほら、きっと背も高くなるわ。成長期でしょうし」

「……私は女で、十七歳だ」

 低くつぶやくと、言い放題だった婦人らの表情が固まる。年齢を強調したのは、この国では十五歳で成人と見なされるからだ。

「そ、それは失礼いたしました!」

 婦人方から、謝罪の言葉が出てきた。しかし、直属の護衛騎士、という身分が効いているだけであり「女だとは思えなかった」「あんなに背が低くて幼くて、護衛できるのだろうか」と囁く声が聞こえてくる。

「そういえば、シュクレ様にはお嬢様がお一人いらっしゃるとか」

「詳しい話は聞かないので、どんな方かは知らないのだけど……きっと淑やかで美しいお嬢様にちがいないわ」

 ちらりとトレモリンを横目で見やる。

 遠慮のない言葉は、先ほどの謝罪の言葉がなかったかのようだ。だが、トレモリンは黙って一回目を伏せたのち、シュクレの様子を見ているだけだった。



 

 シュクレへの大行列ができてから少し経った頃。

「あら、足がもつれて地面に倒れてしまったわ!」

「なにもないところで転ぶのね」

「それもいっそ可愛らしい」

 シュクレが盛大に転んだのが見えた瞬間、トレモリンの頬がぴくりと動いた。かと思うと、体を起こし、走り出す。小柄な体格は、人混みをすり抜けるのにはうってつけ。あっという間にシュクレの傍らに現れたトレモリンは、彼の腕を強く取った。

「シュクレ氏、そろそろお時間です」

「ひえっ、そんな」

「お・時・間・で・す」

「はいいっ!!」

 あくまで丁寧な言葉遣い。だが、無表情なトレモリンに浮かぶ眼光には有無を言わさぬものがあるのか、シュクレは直立不動になった。

「……あのう、ごめんなさい。行かなくちゃいけなくなりました」

 しゅん、と気落ちしたシュクレが、長蛇の列に向かって勢いよく頭を下げる。明らかに戸惑いの表情になった村人だったが、ごめんなさいごめんなさいと子どものように言うシュクレになにも言えず、唖然としたそのときだった。

 

「あのっ、なので、すいません、一気にやります……グラン・ヒールっ!」


 呪文の後、村全体が青く透き通る光に包まれ、約二秒後、光は消えた。静寂を経て、無言だった村人から「体が軽い」「痛くない」「赤ん坊が笑っている」と喜びの声がぞくぞくと上がり始めた。

 よかった~、と安堵するシュクレだったが、のっぺりとした表情のままのトレモリンに首根っこを掴まれ、ずるずると引きずられていく。

「さあ、行きますよ」

「あっあっ、お願いトレモ、お医者さんにだけちょっとお話をっ」

 シュクレが体をじたばたさせながら訴える。トレモリンは仕方なしに逆戻りし、いまだ唖然とする医者の元にシュクレを投げ込む。シュクレは慌てて残りの札を渡し、なにかあれば必ず役人を通して自分を呼ぶようにと言い添えた。

 話が終わったシュクレが再び村人に向き合い、別れの挨拶をする。村人はどっと歓声を上げ、別れを惜しんだ。

「助けてくれてありがとう!」

「痛みがないってすごくしあわせ!」

 歓喜の声は止まない。

 手を振り続けるシュクレの横で、トレモリンが村人の群れを見つめていた。

 シュクレの列形成をしていた一人の男がこっそりと人だかりから出て行く姿を、彼女の目だけがとらえていたことに、誰も気付いていなかった。



 村から離れた森の中。颯爽と歩くトレモリンの隣には、消沈した表情のシュクレがよろよろと歩いている。

「あの……ごめんね……つい、その……」

 高い背を申し訳なさそうに丸め、息も絶え絶えシュクレは言う。その様子を見て、トレモリンは、はあ、とため息をついた。

「休みましょう」

 二人は足を止め、適当な木の根に座った。シュクレも同じように座り込むのを見たトレモリンは「あのですね」と口を開いた。

「あなたの奉仕癖、大変慈愛にあふれる素晴らしい行為だと思います。が、いくらなんでも今、この状態で、『グラン・ヒール』はないでしょう!」

 先ほどのような「辻治療」は、国からの任務ではない。シュクレ自身が自発的に、なんの見返りも求めず行っているものだ。それをトレモリン含め周囲の人間は、感心半分、呆れ半分に「奉仕癖」と呼んでいる。

 トレモリンににらまれたシュクレは「はひぃぃ」と気の抜けた声を出す。

「昨日ようやっと歩くだけの体力と最低限の魔力が回復したところなのに、めっちゃ魔力使ってどーするんですか。まだ三日もかかるんですよ」

「うっ……そう、でした……」

「あなた回復術士やって何年になるんですか」

「……二十年です」

「おいくつですか」

「……今年三十五歳です」

「馬鹿ですかあなた。十七歳の私にわかる理屈がなぜわからないんですか」

「……よく寝たしご飯おいしかったし大丈夫かなあって」

「最後、耐えられずに転んだの、知ってますからね」

「……ごめんなさいぃぃ」

 四十歳も近い成人男性とは思えぬ答に参ったトレモリンは、頭を抱えて本日何度目かわからなくなったため息をつく。

 ――ノワゼットとその周辺は、長く争いが続いている。

 先日の遠征任務……戦場での救護活動は、シュクレの魔力をほぼ使い果たすものだった。現場の兵たちは、彼を無限に湧いてくる回復の泉のようなものだと信じ切っており、シュクレはそれに応えるべく、自分の魔力が尽きるまで回復術を施し続けていた。それこそ、先ほどの「グラン・ヒール」を何度使ったかわからない。あれは本来、高位かつ広範囲の術で大技である。戦が終わり、帰還命令が出たときのシュクレは意識を失いかけるほど消耗していた。

「とにかく、しばらく休みますからね」

 声をかけると、シュクレは「うん」と素直に頷く。ほっと息をつき、二人はなにも言わずに森を眺めていた。

 木の幹に寄りかかるシュクレは、やはりうつろな目で虚空を見ている。意識が落ちるのも時間の問題だろう。その横顔を、トレモリンはじっと見つめた。

 しばし無言だったが、シュクレが不意に口を開いた。

「……ごめんね、ついやっちゃって。癖なんだ」

 眠りに落ちる前のような、ゆっくりと間延びした口調。

 それを見たトレモリンは、小さ息を吐き出し……表情を緩める。

「それが、あなたのいいところですから」

 村にいるときよりも若干柔らかい口調で答えた。

「年の割に、馬鹿正直で、馬鹿丁寧で、うっかりしてますし、後先考えない向こう見ずなところはありますが」

 とつとつと語る言葉に「それ、褒めてないよね?」と口を挟んでくるが、トレモリンは無視をした。

「……でも、私は」

 目を細めると、ぼうっとしているシュクレを見る。

「そんなあなたを誇りに思っています。回復術士としても、私の、ち――」

 そのときだった。

 言い終わらない内に、風を切る音が彼らの隣を通り抜ける。地面には、鋭いナイフが一つ刺さっている。

 気がつくと、シュクレの姿が消えていた。

 腕に痛みが走る。どうやら傷が付いているらしい。なんのこれしき、立ち上がろうとした瞬間、足下がふらついた。

 体を麻痺させる毒を塗られたのだと、トレモリンは気がついた。

「くそっ、最後の最後で!」

 悪態を吐き、トレモリンはしびれる体を引きずりながらもたもと動き出した。

 ほんの少し感じる、シュクレの魔力をたどって。




 シュクレの魔力を頼りに行きついたのは、暗い洞穴だった。

 攫ったのになぜこんなところで留まっていたのか。その理由は、シュクレに覆いかぶさり、衣服をはぎ取ろうとする男の姿を見た瞬間すぐにわかった。

 回復術士はその稀少さ故に、どの国も奪い合うような状態である。手に入れれば、強大な治癒の力が手に入り、奪われた国は兵の回復が追いつかず、不利になる――現在の医療技術と回復術士の術では、いまだ雲泥の差があるからだ。

 故に、国が関与する誘拐が後を絶たない。

 そして、回復術士は、男女問わす、体液の交換――すなわち性行為をすれば、魔力の影響で極上の快感を得ると言われている。恐らく男は、職務のついでに「つまみ食い」する魂胆なのだろう。

 がむしゃらに攻撃してはシュクレを巻きこんでしまう。一瞬にして湧きあがった怒りを押しとどめながら、それでもトレモリンは切っ先を男に向けた。しびれなど、怒りにかき消されていた。

「そこまでだ、うちの術士を返してもらおう」

 ハッ、と気づいた男が動きを止める。

「貴様、先ほどの村に居ただろう」 

「いやはや、とてつもない力を持つ術士だ。一瞬であれだけの人数に術を施すなんてな。これは我が国にとっても大変有用な人材だ」

 男は振り向かず、とつとつと語りだした。

 彼の正体は、敵対する近隣国の人間だとトレモリンは推測した。

 村人に紛れ、シュクレの手助けをしたのは、魔力を浪費させるためだったのだろう。あのお人好しの意思を尊重し過ぎたことと、なによりも自分の甘さに不甲斐なさを感じ、思わず舌打ちをした。

「それに、この美貌。癒やし慰めるのは傷や病だけはないと聞いている。女と違って孕む心配もないのだからな!」

 そこからは電光石火の早業だった。男は懐に仕込んでいただろうナイフをトレモリンに投げつける。シュクレをさらったときと同じ動きをするナイフをよけている間に、男はシュクレを抱いて立ち上がり、洞穴の外へと飛び出していた。

「しまった!」

 トレモリンも遅れて外に出る。比較的広い場所に出た二人は対峙し、剣を構えた。

「フフ、先ほど少し味合わせてもらったぞ」

 男は無防備なシュクレの頬をなぞり、下卑た笑みを浮かべる。短く喘ぐ声、ほんのりと染まった赤い頬は、シュクレの身になにが起こったかを容易に伝えている。火に油を注ぐような言葉に、トレモリンは全身の毛が逆立つほど怒りを覚えた。

「貴様……!」 

「しかし、おまえの国はなにを考えている? こんな女っ気のないガキが護衛騎士とは……まあいい、手間が掛からんのはいいことだ……やれ」

 トレモリンを見下す男が合図をすると、手下らしき男が三人、現れた。

 頑丈な防具を纏い、剣を手にした彼らはいずれも大柄で、十歳の子どもと間違われるほど低い身長のトレモリン一人では不利になる状況だった――普通ならば。

 彼らは一言も発さず、襲いかかる。その瞬間、トレモリンの姿が消えた。

「なっ……⁈」

 手下たちは思わず声を上げる。

 光る剣を手にした彼女は、戸惑う彼らの間をすり抜けながら切りつけた。小柄故に、威力はさほど強くない。切っ先が彼らの肌に少し触れるか触れないか、といった具合だ。だが。

「ぎゃあっ」

 三人の男達は、突如うめき声を上げ倒れゆく。手下を見た男の顔がゆがんだ。彼らの体は魔力の青い光に囚われ、痙攣を起こしている。

「魔力の光……馬鹿な、こんなガキが、なぜ!」

 トレモリンの剣には魔力がこめられており、小さな体躯の彼女でも、軽い傷さえ付ければ魔力を流し込み、相手を倒すことができるのだ。

「見た目だけでなめてかからないことだ」

「くそっ!」

 シュクレを抱いたままの男が剣を引き抜いた。同時にトレモリンが地を蹴り、男に向かって飛びかかり、刃がぶつかる。

「このガキ、馬鹿力かっ……!」

 体躯にあるまじき怪力で押された男は、剣か抱いた男を手放すか考えあぐねたのかもしれない――やがて男を手放した。意識を失ったままだろうシュクレが無残に地面に転がる。

「ははっっ、これで身軽だ」

 持ち直した男は剣撃を繰り出すが、トレモリンは涼しい表情で受け流す。小さな体躯は敵の動きの隙を突き、攻撃を仕掛けることが出来る。なによりも魔力を込めた剣の威力は、ただ刃で切りつけるよりも殺傷性が高い――先ほどの手下らのように。

「けりを付けさせてもらう」

 ぼう、とトレモリンの剣にいっそう強い光が宿る。それは先ほどの村でシュクレが放った光と同じもの。


「グラン・クロス!」

 

 トレモリンが叫ぶが否や、無数の光の粒子が男を拘束する。身動きが取れなくなった男に向かって、彼女は剣を振りかぶる。瞬間、雷鳴のごとく耳をつんざく音が響き、男が倒れた。

 剣を振り下ろした、といっても、切っ先は男の体に触れてさえいない。剣の光が大きな雷となって男に落ち、失神しただけの話だ。

 トレモリンは男を一瞥した後、朦朧とした様子のシュクレの元へ向かった。膝の上に抱きかかえるような形にすると、四十歳に近いとは思えぬあどけない顔が目に入る。

 穏やかな容姿からは想像出来ないが、彼は、数々の国からの誘拐、監禁、強制労働の末、その度に命からがら逃げてきた過去を持つ。時に女よりも美しいと評される容姿が仇になり、先ほどのように体を犯されることも少なくはない。

「トレモ……」

「しゃべらなくていいです!」

「……だいじょうぶ、そんなにひどいことは、されてないよ。それよりも、トレモに怪我は――」

 場違いなほどにシュクレは優しく微笑む。それはおそらく、憔悴するトレモリンをなだめようとするためだろう。

「いいです、大丈夫です。だから安心してください――父さん」

 トレモリンはシュクレの手を握る。


 トレモリン――トレモリン・テンカート。回復術士シュクレ・テンカートの実娘。


 ――なんでこんなときまで、ひとの心配までしようとするの。


 彼の目が閉じられ、規則正しい呼吸になるまで、トレモリンはその手を離そうとしなかった。



:::


 

 夜の帳が降り、空一面に星が瞬く、静かな森の中。暖かな薪を挟み、トレモリンとシュクレは茶の入ったカップを手にしていた。

「結局、今日中には森を抜けられなくてごめんね」

 カップから茶をすすり、シュクレは静かに言う。あの後シュクレが眠り続け、明るい内に森を抜けることが出来なかったからだ。今日はここで野宿である。

 縮こまるシュクレを一瞥したトレモリンは「急いでいませんので」と答える。

 薪の向こうに見えるシュクレを眺める。視線に気付いた彼は、にこりと微笑んだ。

「トレモ、強くなったね。これなら、安心して弟子の護衛を任せられるよ」

 シュクレの――父の護衛騎士になって一年。回復術士の護衛経験を積んだ彼女は、この任務が終われば、彼の弟子である若き術士の専属護衛騎士になる予定だ。

「それは……ありがたいお言葉です」

 素直に褒められ、照れでまともに顔が見られなくなった。思わずうつむくが、どうも気恥ずかしさがぬぐえないので、

「……弟子ががあなたほどのお人好しでないことを祈ります」

 と、ちくりと嫌味のようなことを零してしまった。対するシュクレは「まー、そうだよねえ」とのんびり答え、照れた様子には触れてはこないようだ。

「僕の弟子だからねえ、どうだか」

「不安ですね。ですが、回復術士は国になくてはならない人材。どんなに性格が破綻していても守るべき存在です」

「性格が破綻……あはは……」

 苦笑するしかないといったシュクレを見たトレモリンは、胸がちりりと焦げるような気持ちになる。

 今日のさんざんな出来事を思い出し、カップを握る手に、力がこもる。

「――なぜ」

 こぼれるようにトレモリンから漏れた言葉に、シュクレが小首をかしげる。

「貴方は自分の身を捧げてまで……ひどいことをされてまで、どうしてひとを癒やすのですか。……優しすぎます。あんなひどいことまで、されるのに」

 ひどいこと……大人になってから、それが身体的にも精神的にも陵辱される行為だと知った。表沙汰にはされないが、それが原因で命を奪われたり、気がふれて自死する術士もいる。

 特に、男の回復術士は、女のように弄ばれたことを受け入れられず、心的外傷を負う確率が高い。

 好色な人間の欲望をも受け止め、父は偶然に生き残っただけなのか、それとも。

 シュクレはトレモリンの問いに「そうだねえ」と、間延びした様子になる。が、トレモリンを見るその瞳には、迷いはなかった。

「大切なひとの笑顔を守りたかった、だけ。そりゃあ、苦しいのってつらいし、死んじゃうのもいやだ。でも、それを他のひとに味わってほしくないだけだよ。僕は癒やせる力を持ってる。だったら、持ってる力を存分に使って生き残ってやる。いっぱい笑顔を見てやるって思ってるから」

 今日もたくさん笑顔が見れたでしょ? 真っすぐなシュクレの視線は、慈愛にあふれ、それでいて、力強い。

 どんな修羅場でも必ず家に帰り着いた父の強さ。『娘』である私に、そんな強さはあるのだろうか。考えた瞬間、それは間違いだと悟る。

 ――あのシュクレの娘なのに、女なのに、なぜ騎士になる?

 ――なぜ強大な魔力を使えない?

 ――なぜ女らしくなく、美しくない? 男のシュクレのほうがよっぽど美しいじゃないか。

 蘇るのは、騎士訓練所や、役人などに言われた言葉。トレモリンは確かにシュクレの娘だが、シュクレではない。

 目指したのは確かに護衛騎士だった。だが『稀代の回復術士シュクレ・テンカートの娘』にはほど遠い自分であることも、どこか恥のように思っていたのは事実だ。

 父ほど魔力も扱えず、魔道具に頼るしかない自分。

 多すぎる毛量と、どれだけ整えてもはねる毛が煩わしく、短くせざるを得ない髪。

 そばかすだらけの肌に、年中不機嫌と言われる目つきの悪い、無愛想な顔。

 効率を求めるあまり、優しさの欠片もない性格。

 ――きっとシュクレ様と同じように、淑やかで美しいお嬢様でしょう。

 そんな「お嬢様」はどこにも存在しない。

 どれをとっても、父に似ない自分には、魔道具と身軽な体を生かした戦術しかない。

 褒められたときとは違う感情……惨めさ故に、下を向く。

 トレモの様子が変わったのが気がかりなのか、シュクレが「どうしたんだい、トレモ」と問いかける。

 その声が温かくて、優しくて、ずっと蓋をし続けてきた気持ちが涙となってあふれていく。

「ひどいことをされてきたのに……父さんは、なんでそんなに強いのですか。私はあなたの娘なのに、強くない」

 まるで幼子に戻ったかのように吐露してしまった気持ちは、暗い地面に溶けていく。

 パチパチと、薪の音だけが広がる。やがて「トレモリン」と、シュクレが優しく名を呼んだ。

「僕は、僕の力を信じてるから。誰かを癒やせるこの力と、誰もが警戒心を解いてくれるこの顔のことを、信じているから。そして、力を欲してくれるひとと、力を信じて助けてくれる護衛騎士がいるから。でもね、それは僕自身の強さであって、たかだか血が繋がってるだけの子どもが、同じ強さを持ってるなんて、ないんだよ」

「じゃあ、わたし、は」

 たかだか血が繋がっているだけ、という、シュクレには珍しく突き放した言葉に、文字通り血の気が引いた。絶望的な様子のトレモリンに若干の焦りを見せたシュクレは「あっ、あの、違う……ちゃ、ちゃんと説明するから」と慌てて弁解を重ねる。

「ええとね、トレモには、僕の娘だからっていうのを、気にしないでほしいっていうか。だって、トレモはトレモでしょ。僕の娘だけど、トレモリン・テンカートっていう、とっても強くてカッコよくて、面倒見のいい、優れた護衛騎士の女性でしょう?」

「優れ、た……? でも、私は、今日あなたを守れなかった……のに」

 また褒められたので、おそるおそる顔を上げる。きょとんとしたままのトレモに、シュクレは居住まいを直し、真っ直ぐ見つめた。

「君は昔から、護衛騎士になると言って努力を惜しまなかった。小さな体は不利だからと、俊敏に動けるよう訓練したり、僕からの遺伝で使える微量の魔力を、魔道具で増幅したり。僕が本当に疲れていることを察するのも早かったし、休息も取らせてくれた。それに、襲われたのは君のせいじゃない。下手に略奪しようとする他の国が悪い。君は、助けに来てくれたじゃないか」

 ね、大丈夫。シュクレは言う。

「君が守れば、回復術士は心穏やかにいられる。弟子にもよく言っておくよ。トレモリン・テンカートは、僕を守ってくれた、とても信頼できる護衛騎士、とね」

 確かにトレモリンは、訓練に励み、魔力を魔道具で増幅し、男性にも劣らぬ力を得た。

 一見子どもに見える容姿は、敵を油断させるのに有効だった。

 回復術士を守りたい、ただその一心だった。

 改めて考えてみれば、シュクレ……父は、騎士になることを、一度も反対しなかった。女らしくなれとも、美しく装えとも言わなかった。

「本当に、立派になった……君は、僕の自慢の娘だ。どんな姿でも、どんな強さを持っていても」

 ずっと父はわかっていてくれたのだ。トレモリンが進むべき道のことを。

「父さん、ありがとう」

 こみ上げる思いは、言葉にするのに精いっぱいだった。

 シュクレが満足したように笑う。

 なんの術もかけられていないのに、心の奥底から温かく、癒やされるような心地になったのはたぶん、気のせいじゃないはずだ。



:::



 その後、護衛騎士トレモリン・テンカートは数々の回復術士を護衛することになる。強力な剣術と魔力、人間離れした素早い動きをもって、襲い来る敵を一網打尽。男女問わず術士への尊敬と信頼を常に持ち、心身どちらの労りを忘れない優しさを持つ騎士。

 回復術士たちの命と心を守ったとして、後世までその名が残ったという。

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