第六話 手から零れ落ちるもの

「クロムウェル……。あなたが片翼のクロなの?」

 滞空していたクロムウェルはゆっくりと地上へ降り立った。ルルカの問いかけに返答はない。しかし、噂で聞いた様相と言動、それに加えて彼の真剣に敵を見つめる表情が問いの回答を示していた。


「おまえが片翼のクロだと!? そうか……お前が本物ってことか……。これはちょうどいい! お前を殺してしまえば俺が、このダダン様が今日から本物だ!!」


 偽物のクロ――ダダンが高笑いしながら右側の翼を大きく羽ばたかせると、荒れ狂う暴風がクロムウェルに襲いかかった。

 しかし、その攻撃はクロムウェルに当たった瞬間にかき消され、そよ風に変わる。


「なんだ!? どういうことだこれは!! 俺様の攻撃は確かに当たったはず……。貴様何をした!?」


 ルルカも同様にクロムウェルの言葉を待っている。

 攻撃が当たる瞬間、クロムウェルが黒い翼で身を守ったかと思うと、風の魔素が消滅した様子がルルカの目にはっきりと映っていた。だがしかし理解はできない。魔術師の常識を超えたその現象にクロムウェルからの答えを待つほかなかった。


「盗んだのさ、お前の魔術を」   

   

「盗んだだと……!? 何をバカな」


 そう叫ぶダダンはクロムウェルの言葉の真偽を確かめるようにもう一度機械の翼を動かす。しかし何度やろうとも、先ほどとはうって変わってよそ風が起きただけで魔術と呼べるものは発現しない。


「なんだ! なんだこれはぁぁ! 俺の魔術が、風が……」


「そんなに返してほしけりゃくれてやるよ!」


 今度はクロムウェルが白い翼を羽ばたかせると、激しい竜巻がダダンめがけて飛ばされる。その激しい乱流はダダンのそれよりもはるかに大きな威力と轟音で、簡単に体を飲み込んで上空へと舞い上がっていった。


「ぶっふぁ」


 空高く舞い上がったダダンの体はそのまま地面へたたきつけられる。その衝撃で彼の義手は壊れ、そのまま気を失ったのか突っ伏せたまま動かない。クロムウェルはすっとダダンに近づくと飛び散った義手のパーツを物色し始める。


「倒したの……?」


「ああ。見た通りだ。完全にのびてる。あーあ、もったいないアルミナタイトの結晶が粉々だ」


 空返事のまま砕けたアルミナタイトを見つめるクロムウェル。それでもルルカの質問の弾丸は止まらない。


「さっきのどうやったの? 信じられないけど、あなたの目の前で魔術が消えたのよ! 一体どういうこと?」


「聞いてなかったのか? 盗んだんだよ」


「それは聞いたわよ!! そうじゃない、盗むなんて聞いたことがないの! 魔術ってのはね、魔素の集合体。術と術が相殺しあったとか魔力の消耗で離散したとかそうレベルじゃなかったわ……。消えたのよあなたに触れた途端、それも一瞬で! 一体どういうことよクロムウェル説明して!!」


「はぁ……」


 ため息とともに大きく広げられた両翼が小さくなっていく。やがて完全にクロムウェルの背中で見えなくなるほど縮んだ後、クロムウェルの肩からテイルがひょっこりと顔を見せた。


「こいつはテイル。俺の相棒でもあり、友人。そして魔道具だ」


「魔道具? この奇怪な生物が?」


 奇怪と言われてテイルは反抗の鳴き声を上げた。それをなだめるようにクロムウェルは優しく翼をなでる。


「こいつの黒い翼は魔素で出来ている。無色の魔素。魔術がこの黒翼に触れると魔素を吸収するって仕組みだ。そんでもってこっちの白翼は魔力を与える。例えば……」


 クロムウェルが右手を胸の前から勢いよく外側に広げると白い翼が彼の背中から生えた。彼は一枚羽毛を翼から引きちぎりルルカのペンダントに触れさせる。


「なにこれ、魔力が回復してってる……。つまりこの子の羽根はエリクサーみたいなものかしら?」


「エリクサーとはちょっと違うが、盗った魔力を移すって感じか」


 説明も半ば、クロムウェルはルルカに歩み寄りマントの中、ルルカの腰当たりに手を入れ始めた。


「ちょっとセクハラ!? この状況でセクハラなの!?」


「待て待て、落ち着けって!」


「いたいけな少女の体に触るなんて!!」


 ルルカの制止を無視してクロムウェルはマントの中を物色する。暴れるルルカの手を払いのけてマントの中から一冊の古びた本を取り出した。


「何それ、そんなものどこから……」

 その古びた本の表紙には古代文字、イース語が記されている。ルルカは古代文字を魔術学院で見たことがある程度の知識しか持ち合わせていなかった。しかし、その乏しい知識でもその表紙に書かれていた文字はすぐ理解できた。魔術師なら一度は見たことがある。そこには『創世の書』《アレクマギア》という文字が記されていた。


「それってアレクマギアよね!? この世のすべての魔術が記されているっていう……。どうしてあなたが持ってるの?」

 クロムウェルはルルカを無視して再び羽毛を手にすると、羽軸をペンのように持ち白紙のページに文字を書き始める。

「反応なし……。ちっ、やっぱハズレか」

「どうしたの急に?」

 小さく舌打ちをした彼は翼を折りたたみ、本を投げ捨てる。ルルカは無造作に投げられた本を地面から拾い上げてクロムウェルが書き込んだページを開く。そこにはイース語で風裂の乱波と書かれていた。五百ページほどの本はかなり分厚い割にほとんどが白紙で紙質かなり古いようで、所々虫食いの跡や染みなどがある。


「それは五年前、俺が王都の禁書区域から盗んだ本物の創世の書だ」


「盗んだって……ありえないわ。王都の禁書区域って言ったら特級魔術師アークウィザードでも入れない空間よ? しかもこれほとんど白紙の状態だし、嘘に決まってるわ」


「俺が盗んだ時点で白紙の状態だったんだよ!! きっと内容を俺より先に盗んだやつがいるはずだ」


『創世の書』――それまだ魔術が世界に浸透する前、まだ魔術師と呼ばれる存在がいなかった時代。大賢人イースが記したとされる魔導書、それが『創世の書』だ。イースは当時忌み嫌われていた不可思議な現象を魔術と名付け数多くの魔術を作り出した。彼の死後、四人の弟子たちが彼の遺言に従って創世の書は封印されていたはずだった。ここまでは魔術学院の授業でも習う歴史だ。

 クロムウェルの所持している古い本がくだんの創世の書なのかどうかルルカには確かめる術はない。しかし、目の前で起きた現象と言動は確かに現実で起こったことだ。もしかしたらとルルカは内心考える。そしてもう一つルルカにはその信憑性を高める情報があった。

 五年前、王都ミットネルでは王がいなくなるという事件が起きた。決して公になるようなことではなかったが、ルルカの父から聞いた真実の情報だ。クロムウェルが盗んだという創世の書と王の失踪。この二つが関係あるのかどうかルルカにはわからない。魔術史において創世の書には世界を滅ぼす力があるとされている。それが真実であるならば放っておくわけにはいかない。彼女の目がクロムウェルを鋭く狙う。

「クロムウェル……私はあなたを放っておくわけにはいかないわ。あなたが盗賊だからってだけじゃない。あなたが持っているそれがどんなに危険なものなのかわかってるはずよ。それをあるべきところにもどすべきだわ」

 ルルカの宣言も空しくクロムウェルは見事に彼女をスルーして誰もいなくなった教会に入っていく。

「ちょっと! 無視しないで!」

 後追いする形でルルカは教会に入った。中はガラリとしているがステンドグラスから差し込む月光が幻想的な雰囲気を醸し出している。


「おーい、これお前の荷物じゃ無いのか?」


 奥の無造作に積まれた窃盗品と思しき山からクロムウェルが声をかける。彼の手には何やら動物の絵が入った下着がぶら下がっていた。


「ちょっと! それ私のパンツなんですけど!? 美学がどうとかって言ってたけど、下着泥棒があなたの美学なの!?」


「誰がこんな子供ガキ臭いもん盗むかよ! 頼まれりゃ下着だろうと何だろうと盗むが流石にこれはちょっとなぁ」


「カァーっ! 誰がガキですって!? 私はこう見えても十六才。もう立派なレディよ!」


「何がレディだよ! ほーら、悔しかったら取ってみろよ!」


 荘厳な空間でパンツをぶんぶんと振り回す滑稽な男の姿がそこにはあった。クロムウェルは追いかけるルルカを適当にあしらって手にした下着をテイルに投げてはパスを繰り返す。続け様にテイルを追うルルカは二人に完全に遊ばれていた。


「さてさてー、これは何かなー?」


 再び遊び道具を求めてルルカの鞄の中を漁っていると一枚の羊皮紙が出てきた。


「なんだこら? 『盟約に従ってあなたを主人とする』?」


「うわぁぁ、それにさわっちゃダメ!!」


 ルルカは慌てて止めに入るが時すでに遅く、羊皮紙は燃え崩れてクロムウェルの手から消えていった。


「なんだなんだ!? 」


「なんてことしてくれたのよ! もう取り消しは効かない!」


「どういう事だよ?」


「今燃えて消えたのは私がある人と結ぶはずだった眷属契約書なのよ! つまりあなたと私は主従関係になったよ!! 自分の手を見てみなさい……」


 クロムウェルの右手の甲には黒く円形のマークでルルカの名前が記されていた。


「それは死ぬまで消えないのよ、あなたが盟約を果たすまでね。あなたは私を裏切るような行動をすると死ぬ。それがその契約印」


「その盟約ってのは……?」


「私が王になること」


 クロムウェルの表情は固まったまま、手にした下着だけが静かに地面に零れ落ちた。




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やつはとんでもないものを盗んでいきました! 樽田流太 @tarutaruta427

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