第五話 片翼のクロ

 アジトの教会から出てきたのはルルカの背丈せたけの二倍以上はある、巨体の獣人だった。驚くべきことは身体の大きさもさることながら、その一番の特徴は腕にあった。脇の下から手首の辺りにかけて翼が生えていたのだ。腹部に鎧を身につけて首から鎖をぶら下げた男は鳥型ハル獣人ピュイアと呼ばれる種族だ。しかし、奇妙なことにその右半身は機械の金属に包まれ、左だけ生身の翼をしている。


「片側の翼……。まさしくあなたが『片翼のクロ』ってわけね。まさか獣人だったとは……。今すぐ盗んだものを返しなさいよ犯罪者! 警備隊に突き出してやるわ!!」


 盗賊のボスの登場にルルカの心臓の鼓動こどうが早くなる。しかしそれは恐れからではない。状況だけ見れば戦闘力未知数のクロムウェルを除いて、一対多数というこのシチュエーション。当然のごとく片翼の獣人は少女ルルカと無防備な青年クロムウェルを見て鼻で笑った。


「襲撃者ってのはこのガキどものことか?」


「ボス! 気を付けてください! この女魔術師ですぜぇ……」


 巨漢のドドロが進言する。それに呼応して獣人の片翼のクロは火の海となった辺りを見渡した。再度、彼はルルカを見てあざわらう。それはルルカが女であったからではない。敵のアジトにやってきてあまつえ盗んだものを返せと叫ぶその愚行ぐこうとしか言いようのない行動に彼は嘲笑ちょうしょうしたのだった。武装した王都の騎士であるなまだしも、くつすらいていないそのみすぼらしい格好も後押しして彼は完全にルルカたちを見下していた。

 ルルカはなめ切った彼らの態度に怒りの表情を浮かべる。すぐさま魔術の詠唱に入った。彼女の火拳が激しい熱とともに片翼のクロめがけて放たれる。


「魔術師というのは本当らしい……。だが、無駄だ!」


 そう言って機械の翼を羽ばたかせると、激しい突風が二人を襲った。ルルカは両腕をクロスして顔を抑え地に足を踏ん張らせるが、バランスを崩し吹き飛ばされていく。その風圧は燃え盛る炎を一瞬でかき消すほどだった。


「――うッ!!」


 体を後方に大きく飛ばされ、木にぶつかりそうになるルルカをクロムウェルが間に入って抱きかかえることでなんとか激突は回避された。


「ごめん……。助かったわクロムウェル」


「アレはただの義手じゃないな……。右肩を見てみろ」


 そう言われルルカは片翼のクロの義手ガントレットを見る。右肩には赤い宝石のようなものがはめ込まれていた。


「アレはアルミナタイトの結晶だ。あれが魔力を増強させているらしい。それに義手ガントレットの手の甲に魔術刻印ルーン……あれで風の魔術を使っているんだ。あの野郎、いい魔道具もってるじゃねえか……」


 一人にやけるクロムウェルにルルカは驚いた。盗賊が希少なアルミナタイトを持っていたからではない。彼女は、クロムウェルが一瞬にして敵の装備を、魔術を見抜いたその観察眼に驚いたのだ。


 魔術の発現には一連の行程が必要だが、盗賊のボスの攻撃にはそれがない。これは魔道具により『構築』と『波動』の行程に補正が入るからだ。規模、範囲も手にしている武器周辺と限定し固定することで構築計算を高速化し、魔術刻印ルーンが呪文の詠唱の代わりとなり、武器をふるうことで魔素を動かす。刻印が施された武器は魔装と呼ばれ、速さを必要とする近接戦闘で大いに活躍するそれは魔導騎士に好まれる。一方で、詠唱をする魔術と異なり魔術精度が一定になってしまうというデメリットもある。クロムウェルはたった一度の攻撃でそのことを見抜いたのだ。


「あなた一体何者なの……?」


「ゴチャゴチャと何を相談してやがる! 作戦なんてこの魔装の前では無意味だってのがわからないのか! もう一発食らって死んでろ! 風裂ウインディ乱波ランブル

 二人の会話を引き裂くように無数の風刃ふうじんが襲い掛かる。その乱れ狂う風を間一髪のところでかわし、その残波は付近の木々をなぎ倒してなおも勢いは衰えない。木の葉が散らばり舞落ちる。その光景は直撃すれば生身の体を真っ二つにするであろうことを物語っていた。


「離れていても的にされるだけだ! ルルカ、お前はそこでもう一度詠唱して構えていてくれ! おれが隙を作る!」


 そう言ってクロムウェルは地を蹴って敵との距離を詰めていく。


「なんて速いの! あの距離を一瞬で――?」


 ルルカは、クロムウェルの素早さに驚きつつも魔力を高め集中する。手を前にかざしてペンダントを優しく握り、魔素を集合させていく。 

 クロムウェルは速さに体重を乗せてそのスピードを殺すことなく片翼のクロの胴体にめがけて廻し蹴りをヒットさせる。しかし、蹴りの衝撃は伝わることなく鎧が勢いを殺してしまった。


「お前の蹴りなんぞ綿わたほこりほども効かんわ!」


「ちっ、硬すぎんだよ鳥野郎! けど、こっちは違うだろうよ!」


 空中に弧を描いて一転し、首めがけてすかさす第二打をぶちかますクロムウェル。しかし、男は首巻かれた鎖を解くとと同時に器用に、まるで鞭でも振り回すように軽々と攻撃をいなす。それを紙一重のところでかわし続けるクロムウェルだったが、次第に攻撃が当たりはじめ、体力が削られていってるのがルルカには分かった。


(動きに合わせて隙を突く……)

 ルルカはなんとか動きに合わせて標準を合わせようと躍起やっきになるが、そのを突くように手下の盗賊たちがルルカに一斉に飛びかかった。


「アンタらの相手してる暇はないのよ!! 赤の焔・最たる力となりて我が弓となれ――《ファイエル・アロウズ》」


 放った炎の矢は次々に残党たちを射抜いていく。


「おい! こっちに放ってくれよ!」


「わかってるわよ! ちょっと待ってなさい!!」


 後方のルルカに視線を移したその時だった。


「よそ見してる暇あんのか小僧ぉぉぉ!」


 ルルカに目を移したその瞬間、一瞬防御が遅れたクロムウェルに片翼のクロの鞭の鎖が直撃して、体を吹き飛ばされる。土煙がルルカの周囲に立ち込める。


「クロムウェル!!」


「手ごたえあったぜ……この鎖は鋼鉄でできている、確実に死んだな。さあて、次はおめーの番だぜ魔術師嬢ちゃん。楽に逝かせてやるよ……」


 そういうと左肩のアミナタイトの結晶がまばゆい光を放った。ルルカは魔素の色相を目視で確認できる目を持っている。その瞳には義手の翼に驚異的なほどの量の魔素が集まっていくのがはっきりと映った。その色相は『緑』――風の属性はルルカの炎と相性が悪い。対抗して魔術を放ったとしても十分な魔力の回復ができていないルルカの赤焔魔術ではかき消されるのが容易に想像できる。


 次第に絶望という恐怖がゆっくりとルルカの心を蝕んでいく。しかし、ルルカは逃げない。命をあきらめるほど潔さはルルカにはない。ルルカには死ねない理由がある。

 ルルカが現状できる最大魔術の、その呪文を詠唱しだしたその時、一片の白い羽がルルカの目の前に舞い落ちてきたー―その時ルルカは確かに声を聴いた。


「泥棒には美学がある……。狙ったものを確実に盗むっていう美学が……」


 その声は強い信念が宿って上空からやってきた。声のする方にルルカが目をやると、そこには翼を広げた美しい青年――クロムウェルがいた。左翼が白銀、右翼は漆黒。そのコントラストはあまりに美しく、月に照らされ地上に影を落とす。


「でもな、お前たちがやってる泥棒はその美学がまったくねえ……。無差別に何でもかんでも盗むお前等は泥棒でもなんでもねえッ……!! ただの強盗だッ!!」


「クロムウェル……? つ、翼が……」

 そこでルルカは気付いた、『片翼のクロ』その名前の意味を。片翼のクロ。闇夜でその漆黒は視界に映らない。その姿を見た者は白銀の翼に目を奪われ、まるで片方の翼で宙を舞う、そう見えるだろうことを。



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