第3話
幸いにも、たい焼き屋には誰も並んでいなかった。三百円の、こしあんのたい焼きを買う。頼んで出来上がりを待ってる間、ふと俺は思った。はて、なんで俺はこんなことしてるんだっけ?
受け取り、戻る。彼女は行儀よく座っていた。
「半分やるよ」
たい焼きを半分にちぎり、一瞬迷って頭の方を差し出す。
「え、あ、ありがとう」
彼女は困惑しながらも受け取り、言葉を継いだ。
「なんでたい焼きを?食べたかったの?」
その問いに、俺はたい焼きの包み紙を差し出して答えた。
「これで書く紙が出来た」
たい焼きを食べ終え、俺は座っているベンチを下敷きに、調達した紙に書き始める。興味深そうに彼女は覗いてくる。
「三人の上下関係は、三竦みだった。お前はなぜこんな関係になったのかを知りたい。そうだな?」
彼女は、頷く。
「じゃあ、あの三人がどういう関係なのかをはっきりさせないといけないな」
紙に、赤、青、黄と三角形になるように並べて書き、赤から青、青から黄、黄から赤に向けて矢印を記す。この矢印は、誰から誰に敬語を使っていたのかを示す。
「まず前提として、見た目を考慮して彼らは社会人ないしは大学生だと思われる」
彼女が二回頷く。
「そうだね、そのくらいの歳だったと思う」
「そして、そうだな。黄色のシャツと、青のシャツは、昔からの知り合いだ」
「ええ、そう言ってた」
「しかも、昔から、ということは、だいぶん前から、つまり、高校生か中学生のころからの知り合い。ん、ということは、黄色は青より年上か」
「そう、なるの?」
「ああ、そのころからの付き合いで敬語が定着しているということは、昔から敬語を使うような関係、つまり黄色は青の先輩なんだ」
「なるほど」
「そして言えるのは、赤は少なくとも青とは最近知り合った」
「え、なんで」
「こいつ、昔から生意気なんですよ。と黄色は言っていた。赤は青の昔を知らないんだ。だから教える必要があった」
「はあ、なるほど」
「そして、赤が言っていた本業という言葉が気になるな。彼らは社会人で、その仕事のことを指しているのだろうか」
「でも、学生の本業は勉強だっても言うよね」
ああ、そうか、そうとも言えるな。ならまだ判断はつけがたいな。
「青シャツは、赤シャツに何と返してたか」
「えっと、同じ轍?うーんと、だからお前は同じ轍を踏んだ、みたいなことを言ってたかな」
「ということは赤シャツは何かを失敗したんだ。同じ轍を踏む、誰かと同じ失敗をしたということだな」
「え、自分で同じ失敗を二度繰り返すって意味じゃないの」
彼女は素っ頓狂な声を上げた。
「元々は前車の轍を踏む、前の車と同じわだちを通るって意味だ。だから、正確に言えば誤用だが、そうだな、彼が誤用の意味で言った可能性もあるな」
「へえ、どうだったんだ。そのあとは、えっと、ね、そうですよね先輩。と黄色の人に言ってたと思う」
「やはり、黄色シャツは青シャツの先輩か。そして黄色シャツは」
それにしてもこいつ、記憶力がいいな。
「嫌味か貴様、と言ってたかな」
「そうか……」
そして黄色は、「あれ、結構流行ってましたもんね、一年目でしたっけ。やっぱり俺の周りもみんなやってましたもん。あとでこいつ懲らしめちゃいましょうよ。昔からこいつ、生意気なんですよ」と言っていた。それに赤が何かを答えていたようだった。それに対して青は、こいつは俺に逆らえない、といった感じだったか。それに赤シャツが、はい、と返事をした。そのあとは、生意気そうなあの青が、黄色に対して、奢ってとせびっていたな。あとは黄色が、ピンチだとか言っていたな。それで青は、自分は今金があるから大丈夫だ、と。
「なるほどな。ところで、青シャツが言っていた、あのゲームとはなんだろうか」
「ああ、それなら、なんだったっけ、前に随分流行った、あのパズルゲームの」
「そう言ってたのか」
「うん、ちょっと前に」
そうか、そういえばこいつ、俺が来る前から連中の話を聞いていたのか」
「俺が来る前、奴らはなんて話してたんだ」
彼女は少し考えた。
「うーん、話の内容よりも、あの人たちの関係が面白くて……。そのゲームのことは話してたと思うけど」
どうやら忘れてしまったらしい。それは困った。
ふむ、ならば、さっきの会話から、答えを導き出さなければなるまい。
見たところ彼らはほとんど同じ世代だった。黄色が青より年上なのは確定としておこう。黄色と赤の歳関係はまだ分からない。黄色が敬語を使っている分、もしかしたら赤の方が年上かもしれない。だが、そう考えると青は赤の年上になり、おかしくなる。あ、でも、そうか。
「年下に敬語で話すのは、どんな条件が考えられる」
「うーん、初対面とか、会って日が浅いとか」
「それだと、あれだな。年下の方も、敬語で話すことになる」
「じゃあ、お互いに相手の歳を知らないとか」
俺は首を横に振る。
「二人きりの場合はそれが成り立つが、今は三人いて、しかも黄色と赤は昔からの知り合いのようだから、歳関係はすぐわかるだろ。仮に二人で嘘をついて年齢を偽っていたとしても、黄色が赤に敬語を使う意味がよく分からん」
「えー、じゃあ、なんだろ」
「赤は黄色の先輩で、黄色は青の先輩で、青は赤の先輩なんだ」
「それは分かるけど」
「でも今は、青は黄色の先輩なんだ」
「どういうこと?」
眉に皺を寄せて聞いてくる。
「恐らく、今あの三人は、共通の組織ないしそれに類するものに所属している」
「はあ」
「それで言うならば、恐らく今の上下関係は、青、赤、黄色の順で、青が一番偉いんだ。だが、昔は黄色は青の先輩だった。だからその慣例から、個人的な上下関係では、黄色の方が青より上なんだ。だからこんな関係になっている」
「ああ、なるほど!」
彼女はまたも手を打った。が、その後、首を傾げた。
「じゃあ、あの三人の関係は」
この問いには少し考えた。が、確実だと言えるのは。
「同じ職場、もしくは大学の関係だろうな」
「それじゃあなんだか、あやふやだよ」
どうやら不満らしい。
「と言われてもな」
「どうしてあんな関係になったんだろ」
つまり彼女は、経緯を知りたいらしい。なるほど、これは厄介だ。
ならば、少し考えてみよう。本業そっちのけ、同じ轍、嫌味、一年目……。一年目?
「赤は、何かを失敗した。他の人と同じことを失敗した、もしくは二回同じことを失敗したか。そしてそれを青は馬鹿にしているようだった。その馬鹿にしたような言葉に、黄色は、嫌味か、と言った。ということは、青は一度もそれに失敗しておらず、黄色は、赤と同じような失敗をしている」
「ふむふむ」
「それは恐らく、一年に一度行われるものだろう。黄色が、一年目、と言っていた。推測だから、確証はないが。そして仮に、同じ轍の意味を誤用の方でとらえ、その失敗した回数を、今の上下関係に当てはめてみると、少しわかりやすくなる」
「え、どういうこと?」
「一年に一度行われる『それ』を、青は一度も失敗しなかったから、上下関係的には一番上に、二回失敗した赤は、その次に、そして同じかそれ以上失敗した黄色は一番下になった。恐らく、彼らが所属する組織には、『それ』に成功しないと入れない。そして、どこの団体でも同じだろうが、入った順番が早いものが先輩と呼ばれる」
「じゃあ、『それ』って」
ごくり、と喉の鳴る音が耳に入る。
俺は、恐らく、と前置きをして、続ける。
「大学受験だ。青は、一年目、現役で、ある大学に合格した。赤は二浪して合格、黄色は少なくともそれ以上の年数で合格したんだ。そこで三人は、同じ部活かサークルに所属することになって、こんな関係が生まれたのかもしれん。」
いろいろ考えると頭がこんがらがってきそうだ。俺は紙に横線を四本、それに直角に交差するような縦線を何本も引き、3×9のマス目の表のようなものを書いた。
「この一マスを一年とする。三人を仮に、青は三年生、赤は二年生、黄色は一年生としよう。そうすると赤は二浪しているから……四年前に高校を卒業したことになる。それから考えると、青は現役合格だから四年前は、高校二年生だ。黄色を青の一年先輩だとして、今が仮に大学一年だから、ああ、三浪していることになる。この関係で行くなら、連中がしていた会話の全ての言葉に矛盾しない筈だ」
彼女は俺の話を聞き、紙を見て、納得したようだった。
「なるほど、大学受験で、先輩だった人が後輩になった……。恐ろしい話ね」
と言って、何か疑問に思ったのか、続けた。
「それにしても青の人、赤の人が年上なのに、よくあんな口の利き方ができるね。もし私だったら、たとえ相手が立場上後輩でも、年上だとわかったら、ため口なんて利けないと思う。まして、あんな上から目線から」
「さっきの歳関係は仮のものだからな、実際にはわからんよ。それに、あの青い奴がそういう性格なだけかもしれないし」
まさに十人十色、だ。
「それにしても、何か、違和感が」
俺は目を見開いた。こいつ、まだこの推理ゲームをさせるつもりか?
たしかに青の、赤に対する言い方はひどいもんだったが。『こいつは俺に逆らえませんよ』とか言っていたか。
「それほど上下関係が厳しいところなのかな」
彼女はそう続けた。
俺は、それに異を唱えた。
「それならば昔の先輩だったとしても、黄色が青に敬語で話さないのはおかしいな」
それに、だ。俺はさっき書いた表を見た。よく考えれば、赤が青より年上なのは確定してるな。というか、赤と黄色は同い年、黄色はその一つ下というこの年齢関係か、黄色、赤、青の歳順の他は、辻褄が合わなくなるな。まあ、どちらが正しいかは、特に考察する必要もないだろう。
「そうか、赤には、青に逆らえない事情があるんだ」
思えば、赤は年下のはずの青に対して随分下手に出ていた気がする。言動的にも、絶対に逆らうようなことはしていない。
「というと?」
彼女はこちらを見つめた。なんだかそう見られると、気恥ずかしいな。
「赤は何か、後ろ暗いことがあるんだ。そしてその秘密を、青は知っている。それは恐らく、黄色は知らないことなんだ。赤が青に逆らえないと聞いたとき、黄色は戸惑っていた。そして……そうか」
俺は一つの推論に、辿り着いた。
「どうしたの」
「赤は、ずっと気が気でないようだったな。つまり秘密は、黄色には知られたくない、もしくは、そうだ、知られてはいけない秘密なんだ」
「知られてはいけない?」
「ああ、そして黄色は、今は金がないと言っていたな。油断した、と。使いすぎたという説もなくはないが、恐らく彼は、油断して、盗まれたんだ」
「まさか」
ここまで来たら彼女も感づいたようだ。
「青は、黄色に、奢ってとせがんでいた。奴はなんだかどうにも、黄色が金をあまり持っていないのを、見透かしている気がしてならない。青は、それを言ったあと、冗談だと言っていた。そして、自分が奢ると言い出した。あの三人の中では立場上、青が一番上の先輩にあたるから、そうなるのがまあ、妥当と言えば妥当だ。最初から自分が奢るつもりだったのに、青は冗談を言ったんだ」
「お金を盗まれたことを、知ってるんだね」
「そうだ。黄色は恐らく、盗まれたことを青や赤には今まで話してなかったんだ。彼の言葉からしてそれがわかる。だが、青はそれを知っていた。赤は、黄色に対して後ろめたい事実がある。つまり、だ。率直に言えば、赤が盗んだんだ。その事実を青はどうやってか知らないが、知ることになった。いや、もしかしたら、青が赤に盗ませたのかもしれない。懐が温かいというのは、それを暗に表現したかったのかもしれないな。黄色にばれないような表現で。『な、健二』と赤に語り掛けていたのも、そういう意味でのことかもしれない」
我ながら、突拍子もないような推測だ。正解かと言えば怪しいとは言え、否定はできないはずだ。
彼女は納得しながらも、悲しそうな表情を見せた。
「立場を利用して、お金を盗ませる、そんなひどいことを……」
あの三人は、人混みに紛れてどこに行ったのかも分からなくなっていた。もはやもう一度探すこともできないだろう。四方田公園には、人が多すぎる。
彼女は、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、気になってたこと、わかったよ」
礼を言いながらも、表情は暗い。
「まあ、あれは推測だ。何も真実と決まったわけじゃない。気にするな」
「うん、ありがとう」
もう一度礼を言うと、彼女は、こちらに背を向け、とぼとぼと歩き出した。
……もう少し、幸せな推論を導ければよかったな。
俺も、もう帰ろうかな。元来た方向、彼女とは逆の方に歩き出す。そこでふと、思った。
後ろを見て、彼女を探す。が、もうすでに見える範囲にはいなくなっているようだった。
そういえば、名前を聞いてなかった。顔見知りなのは間違いない。あっちも俺の顔を知っているようだったから。
「まあ、いいか」
どうせ名前を知っても、今後、深く関わりがあるわけでもあるまい。そう思い、帰路についた。
四方田公園に隣接するように、大きめの神社が建っている。帰り道の途中にあるので、立ち寄った。公園ほどではないが、いつもよりはまあまあ人は多い。
賽銭箱に近づき、財布を確認する。小銭入れを開けると、何も入っていなかった。
あれ、もしかして、俺も黄色シャツの男のように、盗まれたのか?
慌てて札入れの方を見る。札はあった。五千円札が、堂々と顔を見せている。
ああ、そういえば、俺は姉貴から五千円をもらう前、三百円しか持っていなかった。そして出店でたい焼きを買ったから、その三百円はなくなり、残りは五千円になったんだ。
そう考えると、少しでも盗みを疑った自分が恥ずかしいな。
見回して、自販機を探そうと思ったが、自販機では五千円は使えないことに気づいた。つまり、こいつを崩すことはできない。
五千円札を見つめた。はて、ここでこいつを賽銭にしてやるか、悩んだ。
悩んだ結果、俺は札を財布にしまった。何も賽銭箱に入れず、顔の前で二回、両手を叩き合わせる。
来年度こそは、我が人生に何か良きことが起こりますように。
春の歌 〜無差別ラブレター事件〜 あおい @msy60383
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