第3話 サクラサケ

 桜の花びらがふわふわと舞っている。このぶんだと今年は入学式のころにはほとんど散っているかもしれない。まあ、自分には関係ないけれど。

 校門前の立て看板の周りには記念撮影をする卒業生ならびに保護者たちでにぎわっている。1年後は自分もあそこに立っているのか。想像できない。腹も減ったしさっさと帰ろう。


 足早に門を通り過ぎようとしたとき、ポンと肩をたたかれた。手ではない、証書の入った黒い筒で。


「キミは本当に帰るのが早いな。今日というハレの日に何の感慨もないのか」

「まあ、しょせん他人事ですから」

「かわいそうに。別れを惜しむほど親しい先輩がいなかったんだな」

「パソコン部は関係性が希薄ですから」

「よし、キミには特別に、私の第二ボタンをもらう権利をやろう」

「いらねーよ! ……ていうかそれ、男女逆じゃないですか」


 ツバメはハハッと笑って証書ケースで僕の頭をパコンとはたいた。


「つれないな……ときにヒデ、明日はホワイトデーだぞ。日南子へのお返しはちゃんと用意しているのだろうな」

「ツバメさんこそ、明日は合格発表ですよね。そんなに浮かれていていいんですか」

「私は大丈夫だ。自己採点では十分に合格圏内だった。キミの指導のたまものだな」


 あれから2か月、ツバメは死に物狂いで苦手科目の克服に挑んだ。もともと地頭はいいので、付け焼刃でもなんとかなった。もちろん、ほかの教科も手を抜いたわけではない。ときどき発狂しそうになりながらも頑張って走り抜けたツバメは、尊敬に値する。


「おめでとうございます」

「ありが……いや、さすがにそれはまだ気が早いだろう」


 日南子に聞いた話だと、試験が終わった翌日からハワイ旅行のパンフレットを読みふけっているそうだが。いつもひょうひょうとして見えるツバメでも、絶対の自信を持てないことはあるらしい。


「来年はキミたちの番だな。がんばれよ」

 そう言って校舎へ戻りかけたが、くるりと振り返り、

「そうそう、日南子は数学が苦手なんだよ。今からしっかり勉強しとくといいぞ」

 と言い残して、さっそうと桜の雨の中校舎へ戻っていった。


「余計なお世話だって」

 僕はツバメの後ろ姿を見送りながら、第二ボタンをもらわなかったことを少し後悔した。




 後日聞いたところによると、ツバメは無事志望校に合格したらしい。そして春休みのあいだに日本のハワイと呼ばれるスパリゾートで家族仲良く過ごしたという。

 「これはハワイじゃない!」と始めは憤慨していたツバメだったが、結局すべてのウォータースライダーを制覇して遊びたおしたそうだ。ツバメから日南子の水着姿の画像が送られてきたが、本人の許可は取ったのだろうか? アイスクリームを持ってうれしそうに笑っている日南子。それを見ている彼女は、どんな顔をしているのだろう? きっといたずらっ子みたいににやにやしていたに違いない。


 ツバメに会えるなら、日南子に数学を教えに行くのも悪くないなと思った。

 誰かと違ってひどく回りくどい性格の自分に、我ながらあきれる。

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この犬はさまるです。 文月みつか @natsu73

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