第七話 陰謀

 楽しい宴は予想以上に盛り上がってしまい、結局閉店時間まで呑んでしまった。

 会計を済ませ、僕とルミアは店を後にする。外に出ると、すでにあちこちの民家や商店の灯りが消えて街全体がひっそりと寝静まりつつあった。


「ううっ……さすがに少し飲みすぎちゃいました……」


 ルミアはふらりと体をよろめかせる。

 僕は慌てて彼女を抱き留める。


「お、おい大丈夫か? だからほどほどにしとけって言ったのに」

「だって今日みたいな日は呑まないとやってられないですもん……」


 何をおっさんみたいなことを言ってるんだか。うーむ。今夜はこれで解散しようかと考えていたが、この状態ではさすがに一人にするわけにもいかない。


「宿屋はもう取ってあるから、今夜はそこで泊まろう」


 僕とルミアは今朝訪れた宿屋に足を運ぶ。

 扉を開けて中に入り、カウンターの受付にたずねる。


「今朝一つ部屋を借りてたんだけど、新しくもう一人分部屋を借りたいんだ。空いてるかな?」


 受付の女性は申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「すみません、あいにくと今夜はもうどこも満室でして……」


 僕は少し思案を巡らせると、傍らの少女に言う。


「だったらルミアに僕の部屋を貸すよ。明日の朝また迎えに来る。僕は今夜は野宿するから、ルミアは気にせず部屋を使ってくれ」


 懐から取り出した部屋の鍵を彼女に渡す。ローブをひらりと翻し、僕は足早に宿屋から出ていこうとする。

 不意に、少女に服の袖を掴まれる。


「ま、待ってください!」


 どこか恥ずかしそうに身じろぎするルミア。すると、勇気を振り絞って提案した。


「も、もしこんな私でもよければ、一緒にお泊まりしてくれませんか!?」


 彼女の思わぬ申し出に、僕は困惑を露わにする。


「でもそれはさすがに……」

「そ、そうですよね……。今日会ったばかりの人間と泊まるのは嫌ですよね……」

「いや、そういうことじゃないんだけど……」


 どうやらこの子は根本的なことが何もわかっていないらしい。

 すっかり落ち込む少女の顔に押され、僕はしぶしぶ観念して嘆息する。


「はあ……わかったよ。けど、嫌ならすぐに言ってくれ。明日からの冒険に影響しても困るしな」


 途端、ルミアの顔がパッと明るくなる。

 僕たちは階段を上がり、二階の廊下の一番奥の部屋に足を運ぶ。鍵で扉を開け中に入ると、お世辞にもあまり綺麗とは言えないダブルベッドが一台置かれた簡素な部屋がまた出迎えてくれる。

 僕は外套を脱ぎ、腰の剣帯を外してハンガーにかける。


「先にシャワー浴びてきていいよ。脱衣所にタオルが置いてあるからそれで拭くといい」


 しかし、ルミアは横に首を振る。


「いえ、私はあとで構わないんで、サバトさんからどうぞ入ってください」

「そ、そう? じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうよ」


 言われるまま僕は脱衣所に入る。

 全身の衣服を脱ぎ、素っ裸で風呂場に足を入れる。風呂椅子に腰を下ろすと、タオルで石鹸を泡立て体を洗っていく。今日一日の汗と汚れが落ちていき、心身共にとても気持ちがいい。


「あ、あの……サバトさん……」


 不意に、ガラス扉の向こうからルミアの弱々しい声が聞こえてくる。

 びくりと反応し、僕は動揺気味に聞き返す。


「ど、どうしたんだルミア?」


 すりガラス越しに彼女は何やら体をもじもじさせており、無言のまま何も答えない。一体どうしたのだろうか。

 よし! とやがて何かを決意したように声を出すと、ゆっくり扉が開く。


「なっ……」


 僕はぽかんと口を開けて固まる。

 素っ裸になったルミアが、全身にバスタオルを巻いて立っていたからだ。

 僕は慌てて視線をそらし、半ばパニック気味の声を上げる。


「な、何やってるんだよ!?」

「し、仕事で疲れたサバトさんのお背中を流そうと思って……」

「い、いいよそんなことしなくても!!」

「これは新しいご主人様の従者として当然の務めです!」


 滅茶苦茶なことを言い、ルミアはずかずか風呂場に入り込んでくる。


「だ、だいたい女の子がそんな格好で男の前に出てきちゃ駄目だろう!!」

「タオルで隠してるので問題ないです!」

「そういうことじゃなくて!!」


 僕はルミアの肩を掴み、とにかく彼女を追い出そうとする。しかし、ルミアもさらさら譲る気はないようで必死に抵抗してくる。

 男の自分に分があると思ったが、ルミアの力が予想以上に強く徐々に後ろに押され始める。まずい。

 その時、ルミアは床に置いていた石鹸を踏みつけ、思いきり足を滑らせる。


「きゃっ!」

「うわあ!?」


 倒れてきた少女と派手にぶつかり、僕は背中から床に強かに叩きつけられる。


「いててて……」


 ん? 何か体が重い。それに、妙に柔らかい感触が胸の辺りに押し付けられている。まさか……。

 おそるおそる目を開くと、倒れたルミアが自分の上に覆い被さる形で見事に乗っかっていた。彼女の巻いていたタオルが綺麗にはだけており、小さく実った二つの膨らみが完全に体に密着していた。


「あわわわ……」


 僕は激しく気が動転する。

 ルミアも遅れて目を開くと、ぎょっとして声を上げる。


「さ、サバトさん!?」


 彼女が何事かずっと叫んでいたが、いつの間にか意識が暗転していた。


     ◆ ◆ ◆


 暗闇の中にかすかな光が入り込んでくる。霧がかかったようにぼやけていた視界が、次第に焦点を結び始める。

 ゆっくり目を開くと、ルミアが心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 僕はのろのろ身を起こし周囲を見渡すと、いつの間にやら部屋のベッドの上にいた。


「僕は一体……」

「私が風呂場で転倒してサバトさんと一緒に倒れてしまったんです。そしたら突然気を失ってしまったので、どうにかここまで運んできたんです。ごめんなさい……勝手に風呂場に上がり込んでしまって……」


 どこまでも世話の焼ける少女に、僕は呆れて嘆息する。


「どうやら君は奴隷としての時期が長かったこともあって、もう少し自分のことを大切にしたほうがいいな」

「ごめんなさい……」


 ルミアはすっかり気を落とす。

 異性に抵抗のないところが正直心配だったが、本人自身はちゃんと反省しているようだ。これならもう大丈夫だろう。

 僕はにこりと笑みを浮かべる。


「もう気にしてないよ。これから一緒にパーティーを組んで冒険するのに不仲になっても困るだけだし。少しずつ治してもらえればそれでいい」


 真摯にそう言って立ち上がり、付近の壁のつまみに手をかける。


「さあ、今日はもう寝よう。明日は王都に行かないといけないし、一日でも早くルシウスたちに追いつきたいしな」


 つまみを捻り、部屋の照明を消す。

 僕とルミアは距離を空けて布団に入る。窓から月明かりの差し込んだ部屋に、耳鳴りのするような静寂が満ちる。

 全身の緊張が解け、僕はここに来てようやく落ち着く。昨日に続いて、ろくでもない一日になったと思う。せっかくまともなパーティーに出会えたかと思ったのに、まさか国が禁止している奴隷を白昼堂々と連れ回していたとは。また振り出しからのスタートだが、ルシウスたちの居場所がわかっただけでも大きな収穫だろう。

 それに今日は、ルミアという新たな仲間が加わった。冒険者としては正直不安なところはあるが、それはこれから少しずつ成長していけばいいだろう。ルシウスたちとの戦いを考えれば、一人でも多く味方はいるほうがいい。それに少女の存在は、今の傷ついた自分の心の隙間を優しく埋めてくれるような気がする。

 そう意識した途端、どくんと心臓が大きく脈を打つ。

 不意に後ろから手を回され、僕はびくりとする。柔らかな感触が背中に押しつけられ、ほのかな温もりが服越しに伝わってくる。


「お、おいルミア……? どうしたんだ……?」


 抱きついてきた少女は、今にも不安に押し潰されそうな声で言った。


「今夜だけ、寄り添っててくれませんか……?」


 どこか怯えるように体を震わせ、胸に押し込んでいた本音を吐露する。


「怖いんです……。このまま眠ってしまったらまた奴隷しての辛い日々が始まるような気がして……。起きたらサバトさんがどこかへ行ってしまってるような気がして……」


 血を吐くような少女の言葉に、僕は今更ながらに思う。大胆な性格で一見強気な女の子にも見えるが、彼女はまだ十五歳の自分と同い年なのだ。普通なら冒険者ではなくただの学生として何気ない日常を過ごしている時期だろう。三年間ずっと人間としての扱いを受けてこなかったのだから、心に傷を負っているのは無理もなかった。

 僕はルミアのほうに向き直ると、彼女の体をそっと抱き締める。


「さ、サバトさん……!?」

「大丈夫。僕はどこにも行ったりしない。君が望むなら、これから先もずっと一緒だ。だからもう安心して眠ってくれ」


 優しさに満ちた言葉に、ルミアはようやく緊張が解けたように目をつぶる。


「はい……」


 少女の安らかな寝息が、夜の部屋にいつまでも響いていた。


     ◆ ◆ ◆


 王都ユニヴェートにある宿屋の一室。

 ウール素材の高級な白ガウンに身を包んだルシウスは、窓に寄りかかりながら夜の王都の景色を眺めていた。白い石造りの王都の街並みを一望することができ、世界でも最古の建造物であるユークリア城も見える。

 勇者の育成期間である三年が過ぎ、王都の君主であるミユリア女王からじきじきに招喚されることになった。詳細はわからないが、彼女が自分を呼び出すからにはおおよそ勇者にしかできない依頼の類いだろう。これまでの中で最も厳しい任務になるのは間違いない。だが上手く成功させれば、ミユリア女王を使って勇者ルシウスの名を一気に世間に知らしめることができる。わざわざ断る理由などなかった。

 不意に、外からノックが鳴る。

 ルシウスはグラスをテーブルに置く。


「入っていいよ」


 許可すると、静かに扉が開く。

 部屋に入ってきたのは、可愛らしいピンクの寝巻に着替えたリンだった。ちょうど風呂から出たばかりか、しっとり濡れた紅い長髪から薄い湯気を立ち上らせていた。上気した肌はほんのり赤い。


「どうしたの? こんな夜遅くに呼び出して」


 ルシウスはテーブルの傍に置かれた椅子を引く。


「なに、少し君と話したいことがあってね。立ち話もなんだから中に入ってくれ」


 リンは首を傾げつつも遠慮なく部屋に上がり込み、椅子に腰掛ける。

 ルシウスはベッドの横のチェストに歩み寄ると、引き出しからアクセサリーケースを取り出す。それをテーブルに置き、蓋を開ける。

 中から出てきたのは、チョーカーのような白銀の首輪だ。


「近頃巷で流行ってる人気のアクセサリーでね。リンに似合うと思って買ったんだ。せっかくだからちょっと付けてみてくれないかい?」


 少し迷うような素振りを見せるが、リンは首輪をつける。

 細雪ささめゆきのような白皙はくせきの首筋に光沢の美しい銀環が映え、さながら異国の美少女のようだ。アクセサリー一つでここまで様になる人間はそうはいないだろう。


「うん。やはり僕の見立て通りだ。綺麗な君にはなんでも似合うね。それはあげるから肌身離さず大切につけておいてくれ」


 リンは何やら考え込むように口を閉ざしていたが、やがて決心したのか話を切り出した。


「ねえ、今からでもまだ間に合うと思うの。やっぱりサバトのことを捜しに行きましょ。さすがにあんな理由で追い出したのは可哀想すぎるわ」

「ハハッ! リンも面白いことを言うね。明日はミユリア様との謁見もあるというのに、今更あの無能を捜しに行くっていうのかい? 君も知ってると思うけど、あの森には高レベルモンスターの大蛇が出るって噂だから今頃そいつの腹の中じゃないのか?」


 昨日まで同じ釜の飯を食った仲間にも血も涙もないことを言い、ルシウスは少女の耳元で囁く。


「そんなにサバトのことが好きだったのかい?」

「……!」


 リンは目を見開く。

 わかりやすいほどの彼女の反応に、ルシウスは苦笑を漏らす。


「やっぱりね。昔からリンがサバトのことを好きだったのはなんとなくわかっていたよ。いつもずっとそばにいたのが君だったからね」


 ぎらりと目の色を変え、少女の顔に自分のそれを近づける。


「あんな出来損ないの男のどこがいいんだい? 勇者である僕のほうがよっぽど魅力的だとは思わないか?」

「……あなたみたいにそうやって他人を見下さないところが好きなの」


 リンはそっぽを向いて冷たく言い捨てる。

 ルシウスは肩をすくめる。


「冷たいね。これだけ僕が君のことを大切に思っているというのに。まったく……邪魔者を排除できてようやく二人きりになれたと思ったのに、これじゃあいつを追放した意味がなくなるじゃないか」

「どういうこと……?」


 激しく理解に苦しむリン。だが、すぐにハッとする。


「まさかそれだけの理由でサバトを……?」


 ルシウスはあっさり肯定した。


「クックック……ああ、そうだよ。最初から本命はこっちだ。サバトさえ追放してしまえば後はリンを手に入れるなんてどうとでもなるからね。本当ならもっとこき使ってから捨てるつもりだったけど、思ったより早くミユリア様から召集がかかってしまったから少しばかり早く出ていってもらっただけさ。あんな無能が勇者パーティーにいるなんて女王様に知られたら不名誉でしかないからね」


 さして悪びれるでもなく言うと、突然リンの腕を掴む。

 乱暴に引っ張り、そのままベッドに無理やり彼女を押し倒す。


「さあ、これでようやく二人っきりだ。ずっと待っていたよこの時を。すぐに僕があいつのことを忘れさせてあげるからね」


 ルシウスは自分の唇を少女のそれへと寄せていく――

 パァン! という空気が張り裂けるような快音。

 リンが、ルシウスの頬を張っていた。


「……やめて」


 少女は怒気を滲ませた顔で睨む。


「……サバトを追い出して満足したみたいだけど、私はそんな軽い女じゃない。あなたのことなんか最初から眼中にないわ。確かにあいつはバカで間抜けで弱くて頼りない奴かもしれない。それでもやっぱり大切な仲間だわ。あなたの汚いやり方には共感できない。そっちがそのつもりなら私だけでもあいつのことを捜しに行くわ!」


 一方的にそう言い捨て、部屋から出ていこうとする。


「おっと、逃がさないよ」


 彼女がドアノブに手をかけようとしたところで、全身に電撃が走ったようにぴたりと停止する。

 必死に体を動かそうとするが、意思に反して思うように動かない。精一杯首だけを動かし、リンはこちらを振り返る。


「い、一体私の体に何したのよ……!?」


 ルシウスは少女の前に歩み寄り、彼女の首輪を掴んでそれをためつすがめつ眺める。


「ふむ、聞いていた以上の効果だ。少し値は張ったが、これはいい買い物をしたよ。君に付けてもらったこのアクセサリーは《呪印の首輪》といってね、王都の闇市場で購入したものなんだ。その首輪をつけた相手は、首輪の主の魔力と連動して一定の行動ができなくなる。これで君は僕から逃げられないってわけだ」


 欲望に塗れた顔を近づけ、少女のおとがいを指先で持ち上げる。


「このまま理性のない獣になって、つれない君を無理やりいただくのも悪くないな」


 舌舐めずりをし、豊かに発育した胸元のボタンに手を伸ばす。体を強張らせ、リンはきゅっと目をつぶる。

 すると、なぜかルシウスは気が変わったように手を引っ込める。


「フッ、そんな顔をされたら気分が削がれたよ。まあ強情な君を少しずつ堕としていくのも悪くない。これからじっくり楽しませてもらうよ。そうそう、その首輪は主人の魔力より魔力が弱いと自力じゃ外せないから無駄なことはやめたほうがいいよ」


 首輪から光が消え、リンの体がたちまち自由になる。

 少女は両手で体を抱きながら距離を取り、冷め切った目でルシウスを睨みつける。


「……あなたには心底幻滅したわ。神は勇者は選んでも、人の善悪までは正しく選んでくれないのね」


 怒り混じりの声で言い捨て、静かに部屋を後にした。

 その場に一人残された青年は、面白おかしく顔を押さえる。


「クックック、そういうクールな君も好きだよ」



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底辺職の暗殺者、実は勇者を超える最強職でした。〜幼なじみ勇者パーティーから追放されたアサシン、実は最強の《暗影》スキルで世界の頂点に立つ〜 一夢 翔 @hitoyume_sho

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