第六話 奴隷少女の過去

 僕とルミアはひとまず路地から出ることにした。人がまばらに行き来する大通りは建物の灯りと街灯で夜の独特な雰囲気を醸し出しており、通り沿いに立ち並んだ飲食店から客たちの喧騒が絶えず聞こえる。ちょうど夕飯時ということもあって、そこらじゅうから何かの美味しそうな匂いが流れてくる。

 不意に、ぐぐぅ……と隣にいたルミアの腹が可愛らしく鳴る。

 恥ずかしそうに顔を紅潮させる彼女に、僕はニッと笑みを浮かべて言う。


「そういえばまだ何も食べてなかったな。ひとまずご飯にでもするか」


 僕とルミアはあつらえ向きの近くの酒場に足を運ぶ。

 扉を開けて中に入ると、すでに店内はどこもたくさんの客たちで席が埋まっていた。念のためアラタたちと行く予定だった酒場から変更したが、幸いここには彼らはいないようだ。

 若い女性店員が、愛想のいい笑みを浮かべてこちらにやって来る。


「いらっしゃいませ、二名様ですか? こちらへどうぞ」


 彼女に案内され、僕とルミアは店内の一番奥のテーブルに着く。

 適当に料理を注文し、しばらく待つことにする。数分ほどで、木製ジョッキ一杯に満たされたぶどう酒と前菜がテーブルに並ぶ。

 しかし、ルミアは顔をうつむけたまま料理に箸をつけようとはしない。

 僕は怪訝に首をかしげる。


「どうした? 食べないのか?」


 ルミアはおそるおそる顔を上げる。


「許可なく食べていいんですか……?」


 僕は愕然とする。

 一体どういう仕打ちを受ければ、こんな残酷なことを平然と言えるようになってしまうのだろうか。この一言だけで、アラタたちがルミアを一人の人間として扱ってこなかったことが痛いほどわかる。

 彼女の緊張を和らげるように、僕は相好を崩して言う。


「僕のおごりだから気にせず食べていいよ」


 ルミアはしばらく目の前の料理を見つめる。やがて行儀よく手を合わせると、おそるおそる箸を手に取り、料理を口に運ぶ。

 途端、少女の頬がこれ以上にないほど緩む。どんどん料理を口に放り込み、気づけば箸が止まらなくなる。今までまともな食事ももらえなかったのか、本日一番幸せそうな顔になっている。

 重かった空気が和んできたところで、僕は改めて本題を切り出す。


「どうしてアラタたちに奴隷にされてたんだ? もしよかったら一体何があったのか詳しく聞かせてくれないか?」


 ルミアは箸を止めると、暗く顔をうつむける。やがて、重苦しい調子で口を開いた。


「四年前、まだ私がアラタたちのパーティーに入る前の頃です。私はとある山奥の辺境の村で暮らしていました。街に行くには少々不便でしたが、モンスターも少なくとてものどかな村でした。自分の家庭を唯一除いては……」


 徐々に表情を曇らせ、辛い過去を静かに打ち明ける。


「厳しい家庭でした。学校から帰れば毎日勉強の日々で、友達ともろくに遊ばせてもらえませんでした。どうやら両親は自分に優秀な職に就いて欲しかったらしく、勉強のことに関しては人一倍厳しかったです。勉学は確かに大事ですが、最終的に職業を選ぶのは天上の神だというのに……」


 ルミアは自分の古い傷口を掘り返すように話を進める。


「十二歳を迎えた私は、村の教会で《祝福の儀》を受けることになりました。その結果、私は平凡の《魔道士メイジ》に選ばれました。両親が望んでいたような優れた職業にはなれませんでしたが、それでも二人なら許してくれると心のどこかで思ってました」


 少女は一層顔を暗くする。


「しかし、それはただの思い違いでした。両親が自分の職業のことを知った途端、今までにないほど怒鳴り付けられました。その日から自分の子供に対する態度とは思えないぐらい毎日暴言を吐かれ、日に日に虐待はエスカレートしてついには暴力を振るわれるようになりました……」


 ルミアは思い出すのも恐ろしそうに声を震わせる。


「命の危険を感じて怖くなった私は、両親が寝ついた夜についに家を飛び出しました。無我夢中で暗い山を駆け下り、近くの街までどうにか辿り着くことができました。最初は自分の職業を活かして冒険者になろうと考えましたが、試験を受けるにも当然資金が必要で断念することに。仕方なく通りすがりの人たちからお金を恵んでもらってなんとか食い繋いでいました。しかし、そんな不安定な生活がいつまでも続くはずもなく、結局住民の方に孤児院を紹介されてそこで引き取られました」


 コップに入った水を口に流し込み、淡々と話を続ける。


「孤児院での生活に慣れたある日、アラタたちが孤児院にやって来たんです。院長曰く、彼らは自分を引き取ってくれる新しい主人だと。アラタたちはパーティーメンバーが欲しいということで、《魔道士メイジ》の自分が真っ先に選ばれました。その日から彼らとの冒険が始まったんです」


 そして、ルミアはもっとも残酷な事実を告白する。


「パーティーに入ってひと月が経ったある日、アラタたちが孤児院で院長から自分を大金で買ったことを偶然部屋の扉越しに聞いてしまったんです。その時初めて気づきました。――自分は奴隷として売られたんだと。のちにアラタたちに聞かされてわかったのですが、どうやらその孤児院は各地から拾い集めた孤児たちを売り飛ばしていたようなんです。人間の奴隷化および売買は国の法律によって固く禁じられているにもかかわらず。アラタたちの毒牙にかかってしまった私は、彼らの奴隷としてパーティーで徹底的にこき使われるようになりました。これが私が奴隷にされるまでに至った経緯です」


 一連の話を聞き終えた僕は、思わず胸が締めつけられる。

 自分の両親に散々虐待され、助けを求めた孤児院にも裏切られ、しまいにはアラタたちに奴隷にされて惨い仕打ちを受けてきた。それが幼いルミアにとって一体どれほど辛かったか、もはや想像に難くない。人間不信になった時期も決して少なくなかっただろう。


「似た者同士だな」

「……え?」


 自虐気味に口元を歪め、僕はこれまで隠していた真実を告げた。


「僕もつい昨日、三年間一緒に過ごしてきたパーティーから追い出されたんだ。底辺職の暗殺者アサシンは必要ない、っていう一方的な理由でね。今は一人で活動してる」


 ルミアは一瞬驚いた顔を見せると、思わぬことを口にした。


「そうだったんですか……。なんだか意外です」

「え?」


 彼女は嘘偽りない声音ではっきりと言った。


「だってサバトさんはその手で私を救ってくださいました。世間的には確かにアサシンは優れた職業ではないかもしれません。ですが、それはあくまで世間の評価です。サバトさんがアラタたちよりも強かったのは紛れもない事実です!」


 純粋無垢な少女の眩さに、僕は罪悪感を覚えて顔をうつむける。


「僕は強くなんかないよ。強者の仮面を被ったただの臆病者だ」


 力なくそう呟き、気を取り直して明るく顔を上げる。


「なんだか湿っぽい話になっちゃったな。嫌なことを聞いて悪かった」


 沈滞した空気を解消するべく、僕は話題を変える。


「ルミアはこれからどうするつもりなんだ?」

「それは……。まだわかりません……。冒険者として活動しようにもライセンスは持ってないですし……」

「だったら僕とパーティーを組まないか?」

「え?」


 僕はずっと黙っていた本来の目的を打ち明ける。


「いま僕は前にいたパーティーを探してるんだ。男二人と女一人の三人組の勇者パーティーなんだけど知らないか?」


 それに対し、ルミアはすぐに思い当たったように言う。


「勇者パーティーなら昨日ギルドで見かけて、確か王都のほうに行くとかどうとか……」

「やっぱりそうか……」


 ルシウスたちが事前に言っていたことから推測すれば、彼らが行く先は王都一択だろう。おそらくこのタイミングで自分を追放したのも、都合よくあの方﹅﹅﹅と謁見するためで……。

 ルミアはどこか得心がいったように言う。


「サバトさんは勇者パーティーにいたんですね。どうりで普通の強さではないと思いました。どうして前のパーティーを探してるんですか?」

「…………」


 僕は後ろめたく視線を逸らし、無言の返答をすることしかできない。

 その曖昧な反応に、ルミアは察したように聞いてくる。


「復讐……ですか? もしそうなら、サバトさんにはそんなことしてほしくないです。誰かを傷つければまたそれで憎しみの連鎖が続いてしまいます。今のままの優しいサバトさんでいてほしいです。ですが……」


 少女は揺るぎない決意を宿した青い瞳で言う。


「サバトさんが望むのであれば私は止めません。これはサバトさんに救われた人生です。こんな私でもよければ使ってください!」


 僕は驚きに目を見開くと、にこりと白い歯を見せる。


「これからよろしくな、ルミア」


 その時、店員が両手の盆に載せた料理を運んでくる。


「お待たせしました。トマトソースのチキンソテーセット二人前です」


 熱々の鉄板の上でジュージューと音を立てる分厚い鶏肉と皿にこんもりと盛られたライスが、それぞれテーブルに並べられる。

 僕はジョッキを片手に音頭を取る。


「よーし、それじゃ今夜は新しいパーティー結成を祝していっぱい飲むぞー!」


 かんぱーい! と打ち合わされるジョッキの音が、賑やかな店内に景気よく響き渡ったのだった。



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