第五話 仮面の暗殺者

「いやー、まさか一人で残りのゴブリンたちをやっちまうなんてな! 俺たちが駆けつけた時には全滅してたからさすがに驚いたぜ!」


 帰りの山道を歩きながら、アラタは興奮気味に声を弾ませる。

 ゴブリン討伐を終えた僕たち五人は、のんびりと帰路についていた。空はすでに夕焼け色に染め上げられており、西の山脈の向こうでは本日最後の輝きを放つ夕陽が刻々と沈もうとしていた。ゴブリンたちの処理に時間はかかったが、どうにか日没までにはルースの街に着くことができるだろう。

 アラタは僕の隣に寄ってくると、こちらの肩に気軽に腕を回してくる。


「なあ、この際俺たちのパーティーに入らねぇか!? 俺たちとサバトなら上手くやっていけると思うんだ!」

「そうだな……」


 僕は悩ましげに呟く。

 正直、このままアラタたちのパーティーに居続けるのは悪くない。今のところ懐が安定していないのが厳しい現状だ。ルシウスたちを見つけるには少し遠回りになるが、アラタたちと行動しながら地に足をつけていくのもいいだろう。

 こちらの事情を汲み取ったように、アラタたちは人懐こい顔で言う。


「まあ今すぐ決めなくてもいいぜ? 俺たちは当分の間この街にいるからよ」

「そうそう。私たち特に目的もないし」

「気が向いたらいつでも言ってくれよな」


 心優しい青年たちの言葉を、僕はありがたく受け取っておくことにする。

 ふと、気になって背後を振り返る。

 自分たちから数メートルほど距離を置いて、ルミアが相変わらず暗く顔をうつむけて歩いていた。先ほど洞窟の中で彼女が一体何を言おうとしてたのか聞きそびれてしまったが、あとで聞けばいいだろう。

 来た道を歩いているうちに、僕たちは日没までにルースの街に無事到着した。大通りの街灯がにわかにともり、これから夜の街が始まろうかという雰囲気を醸し出していた。


「しっかし腹減ったな」

「昼から何も食べてなかったしね」


 ダンとリザの言葉に、アラタはすかさず提案する。


「それじゃ任務報告と換金が終わったらこれから飯にするか。サバトももちろん来るよな?」

「う、うん」


 有無を言わせぬ圧力に、僕はぎこちなく頷く。まあ食事を取るだけなら別にいいだろう。

 人の往来の多い大通りを抜け、僕たちは冒険者ギルドの前にやってきた。


「それじゃちょっと行ってくるよ。アラタたちはここで待っててくれ」

「わかった。さっさと終わらせて戻ってこいよな」


 僕は胸を躍らせてギルドに入り、受付のカウンターに足を運ぶ。


「換金お願いします」

「はいよ。依頼書と冒険者ライセンスを出してくれ」


 男にそう言われ、予め用意していたそれらを提出する。

 数分ほどで確認が終わり、本日の任務分の報奨金が出てくる。最後に受領書にサインし、報奨金を受け取ってギルドを後にする。待っているアラタたちの喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。

 しかし外に出ると、なぜか彼らの姿はどこにもなかった。


「あれ? 皆どこに行ったんだ?」


 もしかしたら先に酒場に行ったのだろうか。せめて一声かけてくれてもいいのに。

 ここで待っていても仕方ないので、僕は行く予定だった酒場に足を運ぶことにする。たくさんの夜店で賑わう街路を歩き、ちょうど路地の横を通りかかった時だった。


「――この役立たずが!!」


 突然、路地の奥から怒鳴り声が聞こえてくる。ただの喧嘩かと思ったが、問題なのはその声の主だった。

 ――この声は……アラタか?

 何かとても嫌な予感がし、僕は暗い路地に入る。突き当たりまで慎重に進むと、建物の角から路地の奥を覗き込む。

 視線の先には、アラタとダン、リザがいた。そして、彼らの前には地面に尻餅をついたルミアがいた。


「誰が逃げていいなんて言った! 勝手に一人で洞窟から抜け出してきやがって!」

「ごめんなさい!」


 アラタの怒声に、ルミアは酷く怯えた様子でびくびく体をわななかせる。

 青年は忌々しげに吐き捨てる。


「クソ、それもこれも全部あのサバトとかいう底辺暗殺者のせいだぜ。せっかくこの奴隷をいたぶる絶好の機会だったのに全部邪魔しやがって」


 リザは底意地の悪い顔で言う。


「けどあの暗殺者、職業のわりには結構使えるわ。この際だから無理やりパーティーに引き込んで、散々使い果たした後に捨てるってのはどうかしら?」

「ハハッ、そりゃいいな!」


 ダンも同調して笑う。

 つい先ほどまでの青年たちとは思えぬ会話に、僕は困惑する。


「奴隷……?」


 思わず耳を疑った。ルミアが奴隷だって……? 話の流れが全く掴めず、僕は罪悪感を覚えながらも盗み聞きを続ける。

 アラタはルミアを脅しつけるように言う。


「まさかテメェ自分の立場を忘れたわけじゃねぇだろうな? テメェは俺たちが商人から買った奴隷だ。テメェが俺たちに逆らえる権利なんかねぇんだよ。その《呪印の首輪》がついてる以上俺たちからは逃げられねぇからな」


 青年の言葉を聞いた僕は、ルミアの首元を注視する。先ほどは全く気にも留めなかったが、彼女の首には確かに白銀の円環が嵌められている。

 僕は気づかれないように魔力を解放し、《看破》のスキルを首輪に向かって使用。すると、首輪に隠されていたほのかな魔力が可視化される。

 なるほど。どうやらあの首輪がルミアの自由を常に妨げているようだ。おそらくアラタの魔力と連動して、彼女の行動を縛っている仕組みなのだろう。

 そこまで考えた瞬間、僕はハッとする。まさかルミアが洞窟で助けを求めたのはこのことだったのか……? あれは言い出すのも怖かった彼女が、必死に勇気を振り絞って口にした最後の訴えだったのではないか?

 アラタはにやりと口の端を吊り上げる。


「さて……それじゃ命令を破った罰として、少しお仕置きしねぇとな」


 それを聞いた途端、ルミアの顔がたちまち恐怖に凍りつく。

 アラタはダンとリザに無慈悲に命じる。


「おい二人とも、こいつの口と手足を縛って服を脱がせ」


 青年たちは顔を見合わせると、それぞれ腰から荒縄を取り出す。飛びかかるようにルミアの手足を掴み、乱暴に地面に押さえつける。


「いや!! やめて!! 放して!!」

「おとなしくしろ!」

「これからご主人様がたっぷり可愛がってくれるんだから!」


 一方的なその暴虐に、僕は全身の血が沸騰しそうなほどの憤りを覚える。一体何をしているのだ、自分は。このままアラタたちの非行を許すのか? ここで見過ごせば、ルミアは彼らの奴隷として一生苦しむことになる。自分のように悲劇に見舞われている人間を見捨てていいのか? 否、そんなことは絶対にあってはならない。


「くそッ!」


 僕は弾かれたように走り出す。

 路地から大通りに勢いよく飛び出し、周囲を見回す。剣と盾のマークの看板が吊るされた武具屋を首尾よく見つけ、そこに駆け込む。

 店内の奥で作業していた男の店主が、ぎょっとした顔で振り返る。


「すみません、本日はもう閉店でして……」


 僕は構わず店内を見渡し、奥の商品棚に飾られた手頃な白い仮面を見つける。

 それを手に取り、カウンターに金銭を出す。


「これもらってくよ! お釣りはいらない!」

「ちょ、ちょっと!?」


 僕は急いで店を飛び出す。脇目も振らず大通りを走り、先ほどの路地に入り込む。

 路地の奥まで戻ってくると、アラタたちがルミアの衣服を脱がし終えたところだった。少女の口を布で縛り、手足は縄で拘束されている。白い下着だけの格好にされており、ほのかに赤らんだ肌が露わになっている。

 アラタは欲望に塗れた笑みを浮かべる。


「相変わらず顔と体だけはいい女だな。まあ、このために大枚はたいて買ったようなもんだからな。さて、今日はどこから堪能してやろうか」


 口を封じられたルミアは、必死に体を動かす。だが、必要以上にきつく縛り上げられた縄は、彼女の意思に反して決してほどけることはない。

 アラタの伸ばした手が、少女の肉づきの薄い腹に触れる。ずっと泣くことをこらえていた彼女の青い瞳から、ついに涙が溢れる。アラタはいやらしい手つきで少女の腹に指を這わせ、そのまま豊かに膨らんだ双丘のほうに伸ばしていく――


「――女の子一人に三人で乱暴とは、ずいぶんと情けないな」


 声を変えて強気な口調でそう言い、仮面をかぶった僕は物陰から姿を現す。

 アラタたちは一斉にこちらを振り返る。


「あぁん? なんだテメェ!!」

「なに、通りすがりのただの暗殺者アサシンだ」


 その言葉に、アラタは胡乱げに眉をひそめる。


「暗殺者だと……? 底辺職の雑魚が一体なんのようだ!!」


 ふう。幸いアラタたちにはバレてないようだ。

 僕は仮面に手を当て、堂々と本題を切り出す。


「話は全部聞かせてもらった。その子を奴隷から解放してやれ。そうすればここから無事に帰してやる」


 アラタたちはあっけらかんとした様子で顔を見合わせると、盛大に爆笑する。


「ハッハッハ!! この女を解放しろだって!? 頭イカれてんのか!?」

「私たちが飼ってるペットをみすみす手放すわけないでしょ!」

「誰だか知らねぇが、ヒーロー気取って調子に乗ってんじゃねぇよ!」


 アラタはポキポキと両指の関節を小気味よく鳴らす。


「どうやら一度、痛い目見ねぇとわかんねぇみたいだな」


 直後、全身から青い魔力を解放する。


「俺たちが冒険者だったのが運の尽きだったな。街中で魔力なんて使ったら普通は大騒ぎだが、ここなら誰も来ねぇだろ。俺たちに喧嘩売ったことを後悔しやがれ!!」


 アラタは拳を振り上げ、こちらに猛然と殴りかかってくる。

 やれやれ仕方ない。僕は魔力を解放し、《暗影》のスキルを使用する。自分の人影から黒い壁を正面に素早く展開させる。勢いよく打ち出されたアラタの渾身のストレートが、分厚い壁に激突。

 その瞬間――


「――痛ってえええええええ!!」


 アラタが苦悶の絶叫を上げる。

 ダンとリザがたちまち色めき立つ。


「な、なんだこの黒い壁……?」

「まさか影の能力……? でも暗殺者のスキルがこんなに強いわけ……」


 アラタは赤く腫れ上がった拳のように、怒りに顔を真っ赤にする。


「ちょ、調子に乗りやがって……! こうなったら本気でブッ殺してやる!!」


 物騒なことを喚き、両腰のホルスターから取り出したナックルダスターを両手に装着する。


「おいお前ら! 何ぼさっとしてやがる! さっさと武器を抜け!」


 リーダーの一喝に、ダンとリザは我に返ったようにそれぞれ戦斧と鞭を抜き放つ。

 アラタは醜悪な笑いを漏らす。


「へっへっへ、悪く思うなよな。俺たちにちょっかい出したテメェが発端なんだからよ。覚悟しやがれ!!」


 三人は武器を振り上げ、こちらに一斉に斬りかかってくる。

 僕は再び《暗影》のスキルを使用し、自分の影を剣や槍の武器に変形させる。武器を振り下ろしてきたアラタたちに向かって影の武器を振り払う。

 ガァン!! という鈍い金属音。互いの武器が激しくかち合い、強烈な反動によってアラタたちは体ごと吹っ飛ばされる。そのまま路地の奥にうずたかく積み上げられた木箱の山に豪快に突っ込む。何十キロもある塊が一斉に崩れ、騒々しい音を立てて彼らは下敷きになる。

 ダンとリザが木箱の下から死に物狂いで這い出てくる。


「ば、バケモンだ!! こんなのに勝てるわけねぇ!!」

「そんなクソ女いくらでもくれてやるわ!!」


 目を血走らせてそう言い、我先にと一目散に逃げる。


「お、おい!! お前ら勝手に逃げるな!!」


 遅れて木箱の下から這い出てきたアラタが、仲間たちに慌てて呼びかける。

 僕はゆっくりと彼の前に歩み寄る。アラタはおそるおそるこちらに向き直る。目と目が合った途端、さーっと彼の顔から血の気が引いていく。


「ひぃい! た、助けてくれー!!」


 情けない悲鳴を上げ、青年も全力で逃げ去っていく。

 彼らの背中を見送り、僕は目の前で倒れている少女に向き直る。手をかざして影を操作し、細く三本に枝分かれさせて彼女の体に這わせる。ルミアはびくりと全身を強張らせる。三本の影はそれぞれ少女を拘束している手と足の縄、そして《呪印の首輪》に行き届くと、鮮やかに全て切断する。

 ルミアはおそるおそる目を開ける。自分の手足を見下ろすと、どこか呆けたような顔で言った。


「サバトさん……?」

「ぎくっ!?」


 僕は思わずわかりやすいほどの反応してしまう。

 これ以上隠しても無駄だと判断し、嘆息とともに仮面を外す。


「大丈夫か?」


 こちらの素顔を見た途端、ルミアは緊張の糸が切れたように安堵した表情になる。

 僕は申し訳ない顔で謝る。


「ごめん……。アラタたちが君にしていた悪事に気づけなくて……」


 すると突然、ルミアはこちらに勢いよく抱きついてくる。


「怖かった……!!」


 喉の奥から絞り出すように叫ぶ。少女の体は、痛ましいほどに酷く震えていた。

 ずっと辛い思いをしてきたのだろう。アラタたちに奴隷として飼われた彼女が、一体どういう道を歩んできたのかは想像にかたくなかった。

 僕は彼女を胸に優しく抱き込む。


「よく頑張ったね。もう大丈夫」


 しばらくの間、少女は胸の中で泣き続けた。彼女のか細い嗚咽だけが、狭い路地に密やかに響いていたのだった。

 やがて泣き尽くしたルミアは、僕の胸からそっと顔を離す。


「大丈夫?」

「はい……。もう大丈夫です」


 すっかり泣き腫らした少女は、目元に溜まった涙を拭う。もう一度素顔を見せた時には、本来の彼女の晴れやかな笑顔が戻っていた。

 可愛いな、と僕は改めて思う。初めて出会った時から感じていたが、艶やかなロングストレートの金髪も水晶のように透き通る碧眼もとても綺麗だ。筋の通った鼻梁に美の黄金比を満たした端整な顔立ちをしており、これほど非の打ち所のない女の子はそうはいないだろう。本来の笑顔も相まって、見違えるほどにまで明るい印象になった。

 思わず見とれてしまい、僕は困り顔で指で頬を掻く。


「そのー……一ついいかな?」


 ルミアは小さく首をかしげる。

 僕は気まずく視線を逸らしながら言った。


「ひとまず服を着てもらえると助かるんだけど……」


 ルミアは下着姿のままの自分の体を見下ろす。今まで自分がしていたことにようやく気づいたのか、彼女はたちまち顔を真っ赤にする。


「きゃっ!」


 少女の可愛らしい悲鳴が、薄暗い路地に人知れず響き渡ったのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る