不条理語りの文月

ガッkoya

文月の知らせ

 絆と呪いは何が違うか。

 あるいはそれは似たようなものか。


 俺と彼女は兄妹だ。

 俺には彼女という妹がおり、彼女には俺という兄がいる。

 彼女は俺を兄と呼び、俺もそれに応じて彼女を妹とする。


 俺と彼女は兄妹ですか。俺は彼女の兄ですか。彼女は俺の妹ですか。

 返ってくるのはイエスのみ。

 誰に聞いても別の関係を見出される事はなく、俺と彼女は兄妹らしく。


 何故だったか。

 俺と彼女が二人連なって兄妹であるのはどうしてか。

 他の立場ではいけなかったのか。俺が兄であるのはどうしてだったか。

 問うてすぐ頭の内側から答えが飛ぶレベル、自問するにもつまらな過ぎるくらいに易しい話。

 俺と彼女の二人がいて、俺が彼女より先に生まれた。

 それを理由に兄妹をこじつけた、ただそれだけの話である。


 事実、俺達は兄妹だ。

 それが尊い事かはよく知らない。





◇◇◇◇◇◇





 弱々しい明かりが一つだけ灯った薄暗いリビング。


 パチパチと不規則な光を発しながらゾンビを映しているのが壊れかけのテレビで。

 ソファーに腰掛けてその化石家電の方を向いているのが俺で。

 その後ろから足音を立てないように近付いてくるのが俺の妹だ。


 妹の名は文月(ふづき)と言った。

 俺の名前は今はいい。妹は俺を名前で呼ばないからだ。


「兄様、映画を見ているのですか?」

 文月が俺の肩に手を置いて顔を覗き込み、その長い黒髪がサラリと頬に触れた。俺が映画を見ているかどうかなんて、俺がこうして映画を見ているのを見れば一目瞭然だろうに、何を思ってそんな改まった質問を投げかけるのか。

 文月は身長170cmの俺と比べても大して変わらない背の高い女子だが、その長身がこの距離まで足音の一つもさせずに近付いたのは、俺の意識がテレビの中に向いているのを知っていたからこその気まぐれではないのか。

「見ての通り、ホラー映画を見ているよ。君の感性だとチャップリンのコメディに見えたりするのか?」

 気まぐれには気まぐれだとばかりにウィットに富んだジョークを飛ばしてみたが、言ってしまった後でなんだか外したような気もして汗が出そうになる。安っぽい三流洋物映画を見ながらのこの台詞、お前はどれだけ影響されやすい人間なのだと冷めた態度をくらっても仕方がないだろう。

 しかし文月にとって相手の言い回しなどは些事であるらしく、俺が滑った言い訳をする前に、次の質問を重ねてきた。

「トイレはどうしました?」

 年頃の男子高校生が妹にトイレ事情を尋ねられるというこの状況がよくわからず、何を言ったものかと言葉に詰まる。トイレはちょうど20分くらい前に済ませていたのだが、そんな事をクソ真面目に報告したいとも思えなかった。

「トイレの話の何がそんなに大事なんだ? 俺は別に今は行きたくないさ、文月が先に行けばいいよ。」

 年功序列にでも気を遣ったのだろうと半ば決めつけて返事をしたが、文月はそれを聞いてトイレに向かう訳でもなく、ただ何事かを考えるように黙り込んだ。俺もそんな彼女に何を言えばいいのかが特に思い付かず、何か考える訳でも無いが同じように黙った。

 時計の秒針がカチカチカチと三秒程進んだ所で、黙って見られているのに気付いたのか、文月はコホンと咳払いをする。そしてやけにゆっくりと顔を近づけ、吐息に混ざって溶けそうな囁き声を俺の耳元に浴びせてきた。

「何の話かというとですね……今夜は兄様と私の二人きりです。そうでしょう?」

 耳にむずがゆい感触を覚えながら、だったら内緒話なんていう可愛げのあるコミュニケーション手段を選ぶ必要は無いじゃないかと心中でぼんやり考える。

 そして文月の方はやはりそんなところに問題があるとは感じていないようで、ざわざわと広がる俺の鳥肌には気付く素振りも見せず、次の言葉を告げた。

「トイレに鍵が掛かっているのは何故ですか。」


 言わんとする事を理解するまでの少しの静寂。

 家に二人。

 ここに二人。

 トイレは使用中。


 テレビの中で血にまみれた三流役者が叫び声を上げた。隠れ家に忍び込んでいたゾンビに首筋を噛まれ、彼の肌はみるみるとゾンビ色に変わっていく。


「誰がトイレの中にいるんだよ。」

 知らず、口の中で消えてしまうほど小さな呟きとなった。

 先程のチャップリンの時とは全く別の、嫌な焦燥感がじわじわと体に広がっていく。あらためて目を向けると、文月の表情も落ち着いているようでいて、強いてそれを装っているようなぎこちなさが伺えた。

 遊びの空気ではない。

 俺は静かに席を立ち、文月の横まで歩み寄った。

 焦りはあれども、理解した瞬間にその驚きを大声に変えてしまうような愚行を犯さなかったのは正解らしい。こいつが自身の不安を抑え込みながら努めて緩やかに提供してくれたのは、俺の心の準備という事だ。それを無駄にするのは兄ではないだろう。

「鍵が掛かっているのに気付いたのはいつだ?」

 妹に倣い、顔を寄せての耳打ちで聞き返す。トイレの中でじっと聞き耳を立てる何者かを想像すると、意識せずとも余計に声が小さくなるのだと知った。

「俺は20分前に一度トイレに行ったんだ。何者かが入ったのなら、その後になる。」

 その20分の間に知らない人間が家に入り込んだ様を想像し、少し背筋が寒くなる。

 すると文月は今度は俺の耳元に顔を寄せる事はせず、ただこちらと目を合わせて呟いた。

「兄様、これ、息がくすぐったいです……。」

「俺が一番最初にくすぐったかったよ!」

 気の抜ける返事に反射的に強い調子で返してしまったが、まだ兄でいられるだろう範疇の小声ではあった。

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