エピローグ 2



 空調システムがあるとはいえ、夜は夜。外気はまだ肌寒い。斑鳩艦内でもこうして気温や日光照射量等の変化を設定してあるからこそ、春には木々は花を咲かせ、秋には紅葉もする。時は今、桜満開、卯月かな。

 夜桜、花びら舞い散るその中を駆け抜ける少女。人間を担いでいるとは思えない程、驚くべき速度の為、花びらが全身の肌に張り付き、まるで桜の花びらで出来た衣装を纏っているかのように見える。神秘的とさえ言える光景だった。

 希婦の離宮から一㎞ばかり離れた場所、『太秦』区画にある元糾池、その辺で、少女は担いでいた少年を優しく降ろし、地に寝かせた。それは、これまでの行動様式とは掛け離れるものだ。少年を見つめる少女の顔も、初恋を知った少女の恥じらいを匂わせている。


(こやつは、一体姫の何なのぢゃ……? 遥か昔から知っておるような気もする。それに…、何故、こやつの事を思うと胸が熱くなるのぢゃろう……)


 高鳴る鼓動。それが、ドクンドクンと次第に激しくなっていく。

 少女は、水中での少年と接吻を思い出し、右手で自分の唇、左手で少年の唇をそっとなぞってみる。そして、沈黙という無限空間が、二人の躰の距離を縮めていった。

 再び重なり合う唇と唇。そして、少女の心臓の高鳴りが最高潮に達した瞬間だった!


「何だ?! あの光はっ!」


 宮を攫ったチュチュの後を追っていたJ・Jは、太秦の夜空に極光のような極彩色の光が、幾条も射干玉の夜空に流れ出しているのを見て、思わず足を止めた。そして、


「っ! 宮様はあそこかっ!」


 戯が暗闇に向かって手で合図をした時! キンという金属音と共に、その闇の中に火花が散った。全身黒装束の男が斃され、地に転がる。


「敵っ?!」


 J・Jの叫びの通り、漆黒の闇の中に幾つもの影が動いている。靜葉が放った女官忍びだ。J・Jはそれが靜葉の手の者である事を瞬時に察知した。

 この離宮周辺の地域、中宮位魔奴宦〃希婦〃が持つ荘園内は、言わば斑鳩内にあっても治外法権の地である。中宮位魔奴宦〃希婦〃は、幕府の大使でもあり、即ち離宮は大使館、希婦の荘園は大使館領という事になる。その治外法権の区域で、斑鳩側、即ちJ・J側が問題を起こしては対幕府外交において面倒な事になるのは間違いない。つまり、J・J達がこちらを攻撃出来ない、あくまで専守防衛に徹しなければならないのである。

 宮を護衛する為に希婦の荘園に潜入した事が徒になったのだ。いや抑、容易く荘園内に稲節配下の春宮坊の忍びが入り込めた事が不自然だったのだ。そう、荘園内の警備を手薄にし、態と内部におびき寄せる事で、J・J、稲節側の動きを封じていたのである。


(チッ! しくったぜ!)


「いいか! 領界を越えるまで決して手出しするな!」


 J・Jは、疾走しながら黒装束達に厳命する。だが、攻撃出来ないJ・J達をあざ笑うかのように、闇の中から毒吹き矢がJ・J達に襲いかかった!

 明らかにJ・J達に不利な状況だ。刺さった吹き矢は、こちらの忍びの全身を痺れさせ、次々と戦闘不能状態に陥れていった。だがJ・Jと黒装束達は、その速度を緩める事なく疾走する。離宮の領界の外に出ない事には反撃出来ないのだ。J・Jは、抜き放った刀で吹き矢を叩き落としながら、カウントする。


(後、百m!)


 だが、その領界線の手前、女官忍び達が闇の中から躍り出てその行く手を塞ぐ。此処でJ・J達を足止めしている間に、別動隊を太秦に急行させる作戦。果たしてその通りに、別の一隊が走り去っていく。


「チィッ! 止まるな! このまま駆け抜けろ!」


 J・Jが叫ぶと、女官忍び達は不適な笑みを浮かべ、胸元から取り出したカプセルを口に放り込み、ゴクンと白く細い喉を鳴らした。次の瞬間だ。恐るべき事が起きたのは! 女官忍び達の全身で肉が盛り上がり、各々が恰も一個の生物であるかのように蠢き始めた。苦痛なのか陶酔なのか、苦悶の表情と共に黒の網レオタードに包まれた女官忍びの優美な躰のラインが、凸凹に崩されていく。


「変体するだとっ?! 気を付けろ! あいつらは傀魅だ!」


 その通りだ! 女官忍び、いや女官傀魅軍団の躰が、次第に人型から獣へと変体していく! 裂けた口から牙が、白い柔肌からは体毛がぞわぞわ生え、四つん這いになり、その鍵爪を地に深く食い込ませた時には、女官傀魅軍団の躰は完全に獣化していた。それも、獅子の躰に虎の頭、両手両足は硬質な鱗で覆われ、爬虫類のそれを思わせる。両肩から飛び出た、闘牛のように鋭く長い角が、銀色の月光を浴びて冴え冴えと光っていた。

 まさしく合成魔獣と言っていい。虎のくせにも持つ鬣を荊棘に揺らし、月に吠えるその様は、恐怖の対象以外の何ものでもない。その恐怖が、一斉にJ・J達に襲いかかる! 

 だが、J・Jは臆するどころか、ニヤッと口元に笑みを浮かべると、


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 雄叫びを上げながら突っ込む! そして、白銀に輝く大きく反り返った大業物を一閃させた。

 J・Jとすれ違った一匹の合成魔獣が、


「ば、馬鹿な・・・・・・」


 人語を口腔から確かに漏らしたかと思うと、首を切り離され、肝脳血に塗れる。 


「おらおらぁ! 中宮様の荘園内に入り込んでる、化け物虎退治だぁ! こいつらを野放しにしちゃ、中宮様の身が危ないからねぇ!」 


 J・Jは、誰かに聞かせるように大声で叫びながら、刀を振るった。春宮坊の忍び達も、その敏捷な動きで、遺伝子合成魔獣、化け物虎の脳天に忍び刀を突き刺す。

 その忍び達の中でも、蝶のように舞い、蜂のように刺す! まさにそんな華麗な動きで化け物虎を次々と斃していく二人の忍び。黒装束で押し包んだその躰のラインから、一人は女性と判別出来る。そのくの一は、躰を反対に折り曲げたり、新体操選手よろしく信じ難い柔軟な躰の動きで魔獣の攻撃を紙一重で躱す。そして、右手に持った新体操のリボンが宙に描いた螺旋が、魔獣を搦め捕ったかと思うと、彼女は魔獣を宙に放り投げる。魔獣の躰に食い込んだリボンが、魔獣の全身を無残に切断した。だが、


「ガウリィィィィィィィィィィィィィィィッ!」 


 最後の足掻きか、切断された魔獣の頭部が牙を剥き出しにして、頭上から襲いかかる!


「はっ?」


 そのくの一が気づいた時には、既にその魔獣の牙がくの一に食らいつく!

 と思われた瞬間、大きく開いた魔獣の口腔から突然刀の切っ先が現れた。そして断末魔の絶叫を上げた魔獣のその頭が、二つに割れる。その背後で、刀を刺突に構えていたのは、


「影知佳《かげちか」様っ!」


迂闊うかつだぞ、亜紫あむらさき!」 


 長身の黒装束。『東宮坊とうぐうぼう帯刀たちわき先生せんじょう』影知佳である。そして、着地した影知佳に名を呼ばれたくの一が、『東宮坊 宣旨せんじ』亜紫。二人とも春宮坊 大夫たゆう稲節いなぶしの配下である。

 その二人が率いる、東宮の御庭番、そして勿論、爆乳ケンカ番長J・J、もとい! 右近衛大将J・Jの活躍で、合成魔獣に変体した女官傀魅軍団は壊滅状態になった。


「ふぃー。粗方片付いたな」


 J・Jが、魔獣の肉片が散在している野原を見渡しながら呟く。と、その時、J・Jが最初に斃した魔獣、その頭が、高らかな哄笑を響かせた。


「フハハッハハハッ! 馬鹿め! こちらの時間稼ぎに引っ掛かりおって! 今頃は別動隊が到着している頃よ!」


「おっでれぇたな・・・・・・」


「馬鹿め! もっと驚け!」


「自分達の方がこっちの作戦に引っ掛かってたって事知らなかったとはな。ホント驚くよ」


「ふへっ?」


「あらよっと!」  


 戯が天に向かって上げた両掌に、ヴン、と唸りを上げて浮かんだ雷霆の輪が、左右交互に振るわれたその両掌から放たれたる。矢継ぎ早に数十も放たれたその雷霆の輪が、輪投げのように女官傀魅達の躰にはまり、その躰を締め上げた。

 簾=能と簾=歌は、桜の花びらが宙に踊る中で輪舞。軽やかな二人のステップが星空のロマンスを描いたかと思うと、繋いでいた二人の絆を名残惜しそうに離し、それぞれ回転を始める。 すると、その回転の中から紡ぎ出された絲が、花びらを巻き込みながら、まるで銀河の渦のようにキラキラと輝き出した。


「簾葉蜉蝣流絲奏術奥義! 絲夜光灘守しゃこうだんすでございまするぅぅぅぅぅ!」


「-で、ございまするぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


 簾=能と簾=歌、各々が作り出した双子銀河に、女官傀魅の別動隊は悉く捕らえられていく。絡み付いた絲は、女官傀魅達が生体内で発電する電気を奪い取り続け、絲自身がフィラメントになり、巨大な発光器となって周囲を光の領域に置いたが、それすら、桜並木の向こう、元糺池の方から上がる光には及ばない。

 J・Jは、雷霆の輪で拘束した、女官傀魅の頭領らしき女の許に歩を進める。


「何故、あたい達が此処にいるのかって、聞きたそうな顔してるなぁ? 殺しやしないよ。まぁ、傀魅なんだから、殺したって死なないだろうけどよ。お前達には聞きたい事がたっぷりあるしな。そこでちっとばかしおとなしくし-」とまで、戯が言い掛けたところで、その女官傀魅頭領は、ニヤッと笑う。


「何がおかしいんだ?」と、戯がその胸倉を掴むと、女官傀魅頭領は突然!


絲爾隊しにたい!」


 そう叫ぶ。すると、雷霆輪や絲夜光灘守の絲で拘束されていた他の女官傀魅も、


「絲爾隊!」


 と、一斉に叫んだ。正にその刹那! 女官傀魅全員が、奥歯に仕込んであったカプセルを噛み砕き、それを飲み込んだ。


「て、てめぇっ! 何飲み込みやがった?! 吐き出せ! 吐け!」


 胸倉を掴んだ手で、大きく女官傀魅頭領の躰を揺さぶる戯に、ひかれ者よろしく勝ち誇ったような不敵な笑みを浮かべたまま、


「傀魅は傀魅。人間ではない。お前ら五更衣とて、我らと同じ化け物! 我らと同じ、その本性はこのように醜い化け物だという事を忘るるな! あははは……ウッ!」 


 女官傀魅頭領の首がガクリと垂れる。

 その瞬間、女官傀魅頭領の全身からシュゥシュゥという音と共に煙が上がり始めた。思わず後ろに飛び去る戯の前で、驚愕すべき事に女官傀魅頭領や、他の女官傀魅達の躰が、「ギャーッ!」という絶叫と共に溶けだしていく。

 ものの数秒後、戯達の前に現れたのは、見るも無残に変わり果てた無形態傀魅、即ち、不定形化した人造形状記憶スライムの姿だった。そして更に白煙を上げ、腐臭を撒き散らしながら、その傀魅は完全に消滅していく。地面にその存在の僅かな痕跡だけを残して……。戯は、無言のままその光景を凝視しながら、拳を強く握り締める。

 バキッ! 桜の幹に叩きつけた拳。その拳から流れ出る血を見つめていた目を、天に向けた。


「戯! 何があった?!」


 そこに駆けつけて来たのは、J・J、影知佳、亜紫らの東宮御庭番達だ。

 目の前に、ふわり舞い降りて来た桜の花びらを手のひらに乗せ、戯はそれを見つめる。


「・・・化け物・・・・・・か」


「?」


「・・・・・・いや、何でもないさ。さぁ! それより宮様の所に急ぐよ!」


 誰にも顔を見られないようにして駆け出す戯。


「J・J様! 我らも早く!」


「あ、ああ」


 影知佳や亜紫達、東宮御庭番の先頭を走っていたJ・Jが、桜並木を抜けた辺りで立ち止まっている戯、簾=能・簾=歌達の姿を見つける。


「どうした?! 戯、宮様は何処だっ!」


 戯の所で足を止め、戯達が呆然と立ち尽くして凝視している目の前の光景を見たJ・Jは、


「こ、これは・・・・・・!」


 その後の言葉を失った。

 脈動する光のその中心を、小鳥やリス等の小動物から猿や鹿の親子達が取り囲んでいた。 そして、明滅するその光の中心で横たわっているのは、


「宮様!」


 そう、緑扇宮である。だが、その宮に寄り添っているのは、


「チュチュじゃない……。一体どういう事だ?」


 J・J達の視線の先、宮の側で子猫のように躰を丸めているのは、幼児体型などではなく、二十代前半位の大人の女であったのだ。細く括れた腰の辺りまで伸びた漆黒の髪、ボディコン状態になった下襲の襟元からはみ出る、C、いやDカップはあろうかという乳房に、股下九0㎝以上の長い足。完璧なスーパーモデル体型である。幕府算定の美的レベルで言えば、


「う、美しすぎる……」


 影知佳が思わず呟く。皆が我が目を疑った。だが、その女が着ている服装が、チュチュが着ていた服と同一である事に気づいた戯が叫ぶ。


「っ! いや、違うぜ! こいつぁチュチュさ! チュチュが変体しやがったんだっ!」


「何だと?!」 


 J・Jや戯達は、信じ難い程神秘的な光景を目の当たりにしていた。まるで二人を祝福するかのように集まり、宮と姫を囲んでいる動物達。それは、感動的ですらあった。


「暖かい光だ……」


 変体チュチュの躰から発せられている光、その光の中はとても静かでした。

 まるでお母さんの、そう、我ら罪深き子羊を優しく見守って下さる、暖かい瞳の光であるかのようでした。


 そして緑扇宮様は、まるで母親の腕の中に抱かれた赤子のように、安心しきった穏やかな顔で眠っておられました……。



 今から数えて666年前、仏蘭西フランス巴里主パリスで、仏蘭西寿フランセーズ幕府は、日本出身のX   

即ちX-YAPAN、第18代聖衣大将軍ベベルゥ=モードによって終焉を迎えた。果たして彼とブランドベベルゥ=モードのデザイナー、緑扇ルゥの関係は?


 又、ベベルゥ=モードの精子提供者、仏蘭西寿幕府第17代聖衣大将軍カイル=ルガーフェルドと紐育幕府初代聖衣大将軍カイル=ルガーフェルドは同一人物なのか?

 そして、緑扇ルゥの記憶から誕生した形状記憶スライム、グミで、ベベルゥ=モー

ドの妻チュチュと同じ名を語った亜无羅の少女チュチュ。一体彼女の正体は?

 その、孔雀明王が流した涙を溜めているという亜无羅とは一体何なのか。

 奸計を使ってでも、世界一の透明度を誇るバイカル湖を手に入れようとした幕府側用人鷹宮家伊勢守信元の手により再び動きだした『人類美化計画』の真の目的とは?


 全ての黙示録アポカリプス、《G-U-M-I》という、言葉の中に、まだ眠っていた……。

   



第1幕 了

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CHU2ーいんぐーグミ~蘭蛇帝編~ 飯沼孝行 ペンネーム 篁石碁 @Takamura-ishigo-chu-2-chu-gumi

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