エピローグ 1
「ぷっ、はぁ…。気持ちいい……」
八十畳はあろうかという希婦の離宮の露天風呂。冷えた躰を温める為、緑扇宮はその岩風呂に浸かっていた。
「背をお流しいたしまする」
「い、いえ! け、結構です!」
顔を余計に紅潮させ、宮は慌てて前を押さえる。
そして、女官達が浴場を去るのを待って、
「ふーっ……」と長嘆息し、
(一人でお風呂に入るのは、やっぱり寂しいよ)
睫を伏せる。瞼に浮かぶ光景は、沖縄の星空の下、二人でドラム缶の風呂に入っていた遠い追憶の日々。薪がなくなり、生地の裁断の時に残った布の切れ端を燃やそうとした幼い日の自分を、祖父幻蔵が酷く叱った事も、今では懐かしい思い出……。
それは、宮が臨海学校へ行く前の晩、
「よいか、ルゥ。女性が着る為の綺麗なべべになった方も、余った布の切れ端も、元々は同じものなのじゃよ? 人の命、動物の命、生きとし生ける全ての命。神様は、皆、等しくお造りになられた。じゃから、服を造るデザイナーも、えこ贔屓してはならんのじゃ」
「ふーん、神様はえこ贔屓しちゃいけないんだ。でもお爺、何故世の中には綺麗な人とそうじゃない人がいるの? 神様はえこ贔屓してるんじゃないの?」
「そういえば、そうじゃの」
南十字星輝く夜空を見上げたあの時の幻蔵の悲しげな瞳を、緑扇宮は忘れていない。宮は、涙を溜めた瞳で満天の夜空を見上げる。涙が零れる前に濡れたタオルを額に乗せた。
(あれ? おかしいな。前にもこんな事があったような気がする・・・)
既視感? 記憶の混濁? 緑扇宮の666年前の前世の記憶が、徐々に紐解かれてゆく。そんな宮に、水面下から近づく怪しい影……。
ザッパーン!
「うりゃさ!」と飛び出てババンバーン! 戯が飛び出てババババーン!
水中ゴーグルを掛け爆乳もろだし、下半身魚の戯人魚が風呂の中から跳びはねる!
「ぬ、ぬーがぁーっ?!」(
「うわぁぷっ!」
緑扇宮が水中に引きずり込まれた。御法人魚が宮の足を引っ張ったのだ。
「ガボボボボボボボボボッ!」
御法が、掴んでいた緑扇宮の足をパッと離すと、宮はシャカシャカと必死こいて浮上!
「ぷはぁ! はぁぁぁぁぁ(と息を吸い込み)、ふぅぅぅぅぅぅ(と息を吐く)」
宮は、お湯の中から出した尾鰭を揺らしながらケタケタ笑っている戯と御法に、
「ふ、二人共、ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、僕を殺す気ですかっ!」
「あははははっ! 悪ィ、悪ィ! いやぁ、宮様がしおしおしてるもんでよ」
「そ、それに一体その尻尾は何なんですかっ?! 人間離れしたその尻尾はっ!」
「だぁって、あたし達ってば人間じゃなくて《傀魅》だもんにゃ。ねぇ、戯?」
「おうよ!」
戯は腰に手を当て豊満なその爆乳を誇示するように胸を張り、口の中をもごもごさせる。「?」と、宮が視線を戯の口に注ぐ中、唇の透き間から金魚の尾鰭が覗く。
戯が、その尾鰭をスイッと摘まみ出すと、口の中から金魚が現れた。然も、
「い、生きてる?」と宮が瞠目する。
ピクピクッと大きく体を弾ませた金魚に、戯はチュッ とキスして、風呂の脇を流れている遣水に放流。おどけながら大道芸人よろしく金魚を口から出す御法に制裁を加えると、
「傀魅はね、宮様。他の生き物の遺伝子を取り込む事で、思い通りに変体出来るんだよ。どんな時でも自分の帝を護る事が出来るようにね」
「そんでもって、形状記憶スライムである傀魅は、特定温度下に晒されると、元の形状に戻るんだぞっと」
蛇口を捻って熱湯を一杯に貯めた桶をザバーとかぶった御法の下半身が人間の足に戻る。 再び桶に貯めた熱湯を、御法が戯人魚の尻尾目がけてぶちまけると、戯は、スラリとした片方の御御脚を、お湯の中から色っぽく出して爪先から撫で上げた。
「わ、わ、わかりましたから、いいかげん何か着て下さいってば!」
顔を真っ赤にした緑扇宮が、背中を向け目を瞑ると、その宮の躰に、
「何言ってるのさぁ~ん。お風呂なんだからすっぽんぽんに決まってるだろ~ん 」
戯がスリスリ、ピトッと密着。御法は御法で、
「すっぽん、すっぽん、すっぽっぽんにゃ!」と、自分のお腹をポポンと叩く。
「それはそうと、こんな所でのんびり温泉に浸かってていいんですか?! あの、チュチュとかいう僕のグミを探さないと!」
「フフフッ。いいんだよ。その為に、こうして」
と、戯が、紅潮した緑扇宮の頬をさすりさすりしたその時だ!
ビシュンッ! 何が飛んだか風呂桶だ!
「ムッ!」と、戯はそれを避け、
カパコ~ン! 宮にぶち当たり、
「あべしッ!」と、宮様沈没、ブクブクッ……!
「誰だっ?!」と、戯に呼ばれて飛び出て現れるのは一体?
一陣の風が湯煙を飛ばし、立体映像の月を背にした岩の上に浮かび上がるシルエットは、泣く子も黙る幼児体型!
「やっぱりな。宮様にちょっかい出せばお前さんが現れると思ったぜ。チュチュちゃんよ」
「この下郎共、そこな男に汚らわしい手で触れるでない!」
「にゃ、にゃ、にゃ、にゃにおぅっ!」
いきり立つ御法を手で制した戯は、腕組みして、
「ほう。御法と同じペタンコ胸のくせに、いっちょ前に悋気かい?」と、鼻で笑う。
「御法と同じは余計にゃ!」と、戯に向かって手をグルグル回しする御法の頭を片手で押さえながら、戯は岩の上のチュチュを睨めつける。
「お前さん、宮様の妃になる事嫌がってたんじゃなかったのかい? それが、接吻一つされただけでコロッと心変わりか?」
「うるさいっ!」と、顔を赤らめるチュチュに、背後からガバチョと襲いかかる二人組。
「漸く捕まえましたわわわわぁぁぁぁぁぁぁぁ! あたくし達、此処でずっと待ってて寒かったですわわわわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
既に人魚形態から戻っている簾=能と簾=歌がチュチュを取り押さえるが、その時!
「ええ~い! 離しやれ~っ!」
突然、チュチュの全身が輝くように発光し、周囲に電撃を撒き散らした。岩や更衣室の屋根の一部が破壊される。
「ビェェェェェェェェェェェェェェェェですわわわわわわわわわわわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
電撃くらいながらハモる簾=能と簾=歌から抜け出したチュチュは、岩の上からシュッと飛び降りると、呆気に取られている戯達を尻目に、お湯にプカリと浮いている緑扇宮を掻っ攫って、大浴場を飛び出し、闇に消えて行ったのだ。一瞬の出来事である。
「何だ?! 何があった!」
湯殿に飛び込んで来たのはJ・Jだ。彼女は、戯達やこの場の状況が尋常ではない事を直ぐに察知し、扉を閉め、女官達が入り込むのを防ぐ。適切な処置である。
「チュチュが、宮様を攫って逃げちまった!」と、戯達が慌てて湯帷子を羽織る。
「何だとっ?!」
「如何なされました? J・J殿! 此処をお開けなされませ!」
大勢の女官引き連れた上臈女房の靜葉が、扉を叩き始めた。
「何でもない! 宮様はまだ御入浴中であらせられるぞ! お静かにされよ!」
「そうにゃんよ! 宮様はあたち達とお遊びの最中だわんにょ!」
「た、た、た、た、楽しいぃぃぃぃ!」
扉の中から聞こえてくるJ・Jや五更衣達の言葉に、靜葉は引き下がるをえない。だが、ただでという訳ではない。配下の女官に目で合図を送ると、女官達が単衣を脱ぎ捨て、露出度満点、網レオタード状の忍び装束に早変わりした。そして、・・・消える。
J・Jの方も、ピィッと指笛を鳴らす。動き出す影達。
J・Jと五更衣達は、確かめ合うように相槌を打った。
エピローグ 2へ続く
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