第33話 似非人類美化計画



 プレタポルテ自治共和国大統領府、皇城ラ・紫苑シオン上空、鎮守府超々弩級戦艦舞鶴ぶかく-弐の丸-。宙に浮揚する全長7㎞、全幅4.3㎞、槍の穂先の形をした異様な黒い塊が、紫京を闇で照らしている。

 その闇は、曾ての御洒落天国の栄華は微塵も看取出来ぬ程に荒廃している紫京の市民を、更に絶望と恐怖の渦へと叩き込んだのだ。昼間でさえも。

 もう、この都に、太陽神の降臨はない……。 


 緑扇宮達の乗る斑鳩が、下着メゾン麗奈暈れなうんとのランデヴー地点到達まで一日という距離にあった頃には既に、紫京で異端服改方によるゲリラ掃討作戦が始まっていた。鎮守府軍に抵抗し地下に潜ったゲリラ達の、実質的な虐殺と言っていい。彼らは、美的レヴェルが基準値以上の者は捕縛し、強制改服させるが、基準値以下の者に対しては、場合により令状なしで射殺、排除、存在抹消する権限を幕府から与えられているのだ。

 そして、その作戦指揮を執っている男……。


「ひひゃぁぁっはっはぁぁっ! 殺せ! 殺しまくれ! うはははぁぁぁぁっ!」


 多くの部下に命令する、温度感知スコープを被った男の両腕に仕込まれた回転式軽重両用机槍ガトリングガンが乱射される。だがその弾は、闇に支配された高度情報下部構造の地下道を逃げ惑う多くの女性達の中から、美的レヴェル基準値以下の女性だけを的確に撃ち殺していた。彼ら異端服改方が装備するスコープは幕府の数据庫データベースに直結しており、捕らえた映像から直ぐさま個人情報が転送、網膜投射され、女性達の映像に美的レヴェルが表示される。そして、基準値以下の女性の映像だけが点滅し、視線だけで自動的に追随。女性達の悲鳴を無視し、その男達は確実に基準値以下の女性をぶち殺していた。


「うひっ! あはっ! 醜いもんはこの世に存在しちゃいけないのよぉ、えんだよぉっ!おほっ? うひは! こいつらみィ~ンナ、ブサキヨ共じゃないのぉぉぉぉっっっ!」


 逃げる女性達の表示が、全て点滅する。

 男は、狂ったように自分の衣服を破く。そこから覗いたのは、見事なまでの豊満な乳房だった。闇の中に異様に浮かぶ二つの白桃。だが次の瞬間、その両方の乳房が飛んだ。轟音を地下迷宮に轟かせて。その男の胸から発射された、乳首のついた誘導飛弾が、女性達を護ろうとして異端服改方の前に立ち塞がり沖鋒槍を乱射する男達の頭上を越え、必死に逃亡する中年の女性達の鼻先で爆ぜる。壁に血と肉塊が飛び散った。

 舞鶴-弐の丸-に合体している新撰組戦艦壬生。その、グロー電球だけが照ら

す、薄暗い後部船倉の一区画には、通常新撰組が捕縛した志士達を収檻する囹圉れいぎょ、即ち牢獄がある。

 通路を挟んで左右に五十室程の個室が並んでいる。その通路の一番には、痛吟味いたぎんみ部屋(拷問部屋)があり、平時なら、此処からこの区画全体に轟く程の悲鳴が収檻されている志士達を震え上がらせ恐怖の底へと突き落とす。

 だが今は、その悲鳴も囚人達の叫び声や扉や壁を叩く音、聖書の一節や経文を唱える声、自分の思想を怒鳴り散らし、幕藩体制を批判する者達の罵声で賑やかな此処も、通路の壁面上部を通る配管の継ぎ目から垂れる水滴ビルジの音が耳障りな程、静寂に包まれていた。

 その静けさに、ふいに異質な音が紛れ込む。微かに壁が、コンコンと叩かれる音……。


「…副長…。副長……」


 E-2号。その独房の、寝台コットのある方の壁、その向こう。E-3号から密やかな声が聞こえてくる。薄暗い中、床の上で座禅を組んでいた男の片目が開く。


「宇堂……?」

 新撰組副長真木。


「はい」

 新撰組三番隊組長宇堂。


 真木の独房の隣の隣、E-4号には二番隊組長也静。

 紫京動乱の翌日、壬生は、伊勢守の命に従い舞鶴-弐の丸-と合体。舞鶴-

弐の丸-から突如壬生の司令部艦橋に突入してきた兵により直ちに真木達が縛され、この独房に収檻されてから、今日で丸五日が経過していた。


「副長、体が持ちませんから、もう断食はお止め下さい」


 真木の独房、金属製の扉の中程にある差し入れ口の台の上には、朝食が手付かずのまま乗っている。コップ一杯の水、粟飯と具のない味噌汁、それに梅干しと沢庵が数切れ……。


「お前達こそ、私に従って食を断つ必要はない」


 不精髭にほつれ髪。肌も唇もかさつき、頬はげっそりこけている。だが、真木の半眼の中の鳶色の瞳は研ぎ澄まされた名刀の刃のように、怜悧な妖しい光を鋭く放ち、全身からは漲るような気が発せられていた。一流の武芸者は、己の周囲の空間に気を張り巡らす事で結界を張る。結界とは決して此我に現出した小型異空間の事ではない。

 その拡大投射された真木の意識領域内に、突如どす黒い邪悪な思念体が入り込んだ。怨嗟の声を上げる多くの魂を引き連れて。     


「皆様、お元気ィ~?」 


「実闇ッ?! き、貴様ッ!」


 宇堂が、両手で鉄格子を激しく揺さぶった。


「あらあら、皆様。今日もお召し上がりになっておられないですなぁ。毒なんぞは一切入っていないのよ? まぁ、絞首刑だから、何も食べてない方がばっちくなくていいけどね」


「どういう事だ実闇!」


 也静や宇堂の顔に驚愕の表情が浮かぶのを待っていたかのように、深月は、二藍ふたアイ色の口紅を引いた口唇を焦らすようにニヤ~と広げると、


「あなた達はね、法皇暗殺に加担した罪で死刑になるのよぉ」


 まだ座禅を組み、こちらを向いていない真木をあざ笑うかのように顎を杓り上げ、大仰にそう言い放った。


「ば、馬鹿なっ? 何故だ! そんな無辜の罪で我らが裁かれるというのかっ!」

            

無辜むこ? 無辜むこ無辜むこ無辜むこ無辜むこ無辜むこ無辜むこ無辜むこ無辜むこぉーっ! お前らが無実な訳ねぇだろうがよぉっ! あ~んっ?! 何故なら! 法皇をぶっ殺してやったのは、この、このぉ! 美しいあたくしなんだからなぁっ! つ~まりだ! そのあたくしに協力していたてめえら新撰組も同罪なのよぉ、わっ・かっ・るっ?!」 

 

 実闇は、宇堂の鉄格子の小窓に顔を近づけるようにして、おつむを指で叩く。


「ま、もっとも、死ぬのはてめえらだけで、俺の罪はよ、お前らが捕縛しようとしてた坂本飛鳥に被って貰うけどね」 


「何?! では!」


「御推察の通りっ! 鼻っから坂本賀星は捕縛済みよ! このあたしの手でね! そんでもって、あのカイエンには、鼻っから坂本飛鳥どころか誰も乗っていなかったのよぉ。それなのに、必死になって追いかけちゃって、馬鹿みたいよねぇ!」


「貴様のような奴は〃男〃ではない!」


 也静が唾棄だきするように言うと、深月は高らかに哄笑を上げる。


「ごめんなさぁい!? バッカじゃないのぉ!!??? 当たり前なんだよお!!! 俺は、あたくしは! もう男じゃなくなったんだよおおおおお御!」


 叫び、衣服を脱ぎ捨てた。


「いいわぁ! 雌雄同体化アンドロギュノス改造で、《灑音流》の乳房に《愚痴》の両腕、下半身は《亜流魔爾》! 肉体改造したお陰であたくしはこんなにも美しく、強くなったぜ!」



 90㎝はあろうかという円錐型乳房ホルスタインは灑音流製。両の腕は華奢で愚痴のもの。細く括れたウエストから長く羚羊のような両脚、下半身は全て亜流魔爾のサイバー部品である。


「どぉっ? 生まれ変わったこのあたしの躰! えっ? 美しいだろぉ、やりたくなるだろう? 副長さんよぉ! きよく、ただしく、うちくしい! このアタクシと!」 


「……きよばけ、か……。キモバケ……」


「まさしく、バケだ……」


 呟く真木。

 依然として半眼、静かに座禅を組んだまま。

 実闇は、ギリッと歯軋りして口元を歪ませたが、半瞬北叟ほくそ笑みを浮かべる。


「副長様ぁ~? もう、朝餉あさがゆが冷めてしまっていますねぇ。今、あたくしがこの冷えた粟飯で茶漬けなど作って差し上げますよ」


 差し入れ口から実闇が真木の膳を下げた数瞬後、宇堂達の耳にジョジョ~という音が入ってくる。全裸でしゃがみこみ、真木の粟飯に放尿する実闇。


「クックックッ。さぁ! 出来ましたよ副長、ほっかほかのお茶漬けが!」


「狂ってる……」


 也静が目を逸らして呟く。だが、更に深月は気違いじみた行動に出た。


「あっ…、ぅんっ! いいぃ……」


 撓わな乳房を左手で揉みしだき、右手でまだ薄桃色の秘壺を弄る。


「副長ぉ~、いいのよぉ? あっ…! 俺の処女膜ヒーメン破ってもぉ! ぅん! あぁぁっ!

かいてんみみずないへき

今生の名残にやらせてあげるわぁ、ぁんっ! この回転かいてん蚯蚓みみず内壁ないえき、感度最高よぉぉぉっ! もうダメぇぇぇぇ! い、いくぅぅぅぅ! し、死んじゃうぅぅぅぅぅぅぅ!」 


「だったら死ねよ」 


「ぎゃふっ!」 


 ガツンと音がして、深月が通路に倒れ込む。


「真木さん! 宇堂さん! 也静さん! ご無事ですかっ?!」


「その声は、し、紫乃武かっ?!」


 宇堂と也静が鉄格子の小窓から通路を覗き込む。


「待ってて下さい、今開けますから!」


 紫乃武は、真木の独房の扉の脇の電子錠に盗んだ片鍵を差し込み、解除番号を打ち込む。


「!」


 だが、扉は開かない。何度番号を打ち直しても〃error〃が表示される。

 と、その時である。紫乃武の背後に幽鬼のようにゆらりと現れる影。


「紫乃武! 後ろだっ!」


 半眼をカッと見開いた真木の叫びも遅く、


「えっ?」と紫乃武が振り返ろうとした時、紫乃武の躰に生暖かいものが蛇のように巻き付き、紫乃武の躰を宙に持ち上げた。


 紫乃武に巻き付いたのは実闇の乳房、それも妖怪轆轤ろくろ首の首よろしく長く伸びた乳房である。複雑に絡み合うように紫乃武の躰に巻き付いた二つの長い乳房、傀魅、即ち人造形状記憶スライムで出来た乳房が、更に紫乃武を締め付けるように、ずりずりと紫乃武の服の上を這う。


「グウゥゥッ!」


「ひひゃぁぁっ!」 

   

 DNAの螺旋ヘリックス構造のように纏わり付いた深月の長い乳房、その二つの先端の果実が、一個の生き物のように紫乃武の鼻先で蠢いている。


「紫乃武ぅぅぅっ! 俺のおっぱいの中にゃ、何が入っていると思うぅぅぅぅ?!」


 毒蛇が鎌首を擡げるようにして威嚇行動を取っていた実闇の乳房の先端、二つの乳首から、通路の壁に向けて深翠色の液体がピュピュッと発射された。ジュッと金属の壁が熔解し、煙と共に異様な匂いが立ち込める。


「お乳吸うか、乳吸うか? おいちぃぞ? ほらっ! 俺のおっぱい吸ってみろぉ! ミルクに混ぜた俺のスペルマ! 俺に惚れるなよ?! スペルマ合体ミルク!」 


 紫乃武の口の中に割って入る二つの乳房!


「っがぅごっぅぅんむっっっ!」


「紫乃武っ!」

 沈着冷静、平素の真木からは想像出来ない程取り乱すようにして、真木が小窓の鉄格子を揺さぶった、その時!


 ビシュンッ!


 擦過さっか音と共に、突如投げられた鋼絲がその長い乳房を根元から僅かの部位で切断した!

 と同時に紫乃武は落下し、床に叩きつけられる。


「だ、誰よっ?!」


 ミモ悪い甲高い推何すいかの声を上げる実闇や真木達の前に現れたその人物に、一瞬この空間の時間が停止したかに見えた。それ程その人物の出現は予測外で、余りにも唐突過ぎたのだ。

 コッ、コッ、コッと床を鳴らす靴音が近づいてくる。

 薄暗がりの中から次第にその人物の姿が現れるにつれ、真木の表情が変わっていく。

 光り輝くプラチナブロンドの総髪に不釣り合いな、酷く地味な着物調の上着とスラックスに身を包んだ、彼女の透き通るような白い肌の流麗な顔には無数の傷が走っている。


「き、局長?!」


 新撰組局鈴香。


 そう、戦艦舞鶴-西の丸-内部にある屋敷で蟄居している筈の彼女が、突然現れたのだ。


 也静 「局長! 蟄居が解けたのですか!」

 宇堂 「局長が来て下さったんだ! もう心配いらねぇ! 局長がきっと上様に俺

    達の無実を証明してくれる!」

 深月 「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッッッッ!」

 宇堂 「何がおかしい!」


 鈴香は、実闇を侮蔑の念を込めて一睨みすると、失神し倒れている紫乃武の頬に掛かった解れ髪を慈しむようにして整えた。そして、紫乃武の躰を優しく抱き上げ、真木や宇堂達を見ようともせずに無言で立ち去ろうとする。その後ろ姿に、


「局長っ!」  


 真木の悲痛な叫びが飛ぶ。だが、鈴香はそれを無視して歩きだした。


「局長! 我々はただ、局長の蟄居ちっきょが解けるよう、伊勢守様の指示通り行動しただけです! 局長から上様にそれだけはお伝えして下され!」 


 鉄格子を激しく揺さぶる真木に、実闇は薄ら笑いを浮かべながら顔を寄せると、


「ヒィーッ、ヒッヒ! 笑い死ぬところだったわ! ホント、アンタ達っておめでたいわね! 局長はてめえらを売ったんだよぉ。わかるぅ? 局長の大事な人を斬ったてめえをなぁ!」


「局長っ! 局長ぉぉぉっ!」


「……」


 ふと立ち止まる鈴香……。真木の絶叫も止まる。


「…全ては、黎元の肉体と、人類の魂を〃美化〃する為だ……」

 その鈴香の呟きは、真木の耳には届かなかった。

 悲しさを背負った女がいる。その為に、美的レヴェル最高値を持ち、傾国とまで謳われた美しさを捨てた女がいる。彼女の顔、全身の無数の傷は、その証し……。

 紫乃武を抱き、再び黙って歩きだす鈴香の背中が扉の奥に消えてからも、真木の絶叫が、悲しくいつまでも響いていた……。


第33話 了

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