第32話 嫌い
直ぐさま希婦の離宮に直行、摩托車を着陸させたJ・Jや稲節達の前で、宮の顔が水面に現れる。が、大きく深呼吸すると、ザンブと水中に潜ってしまった。
「どうしたってんだ!」
身を屈めて池の中を覗く戯に対し、ハッと気づいたJ・Jは、
「誰か池の水を排水してくれ!」と女官達に首を巡らした。
「排水を止めるのですっ! 今すぐにっ!」
その声の主に皆の視線が集中する。その声の主は、宙高く飛び散った
そう、その声の主。他ならぬ中宮位魔奴宦〃希婦〃……。
浮上して、また直ぐに潜水した緑扇宮は、排水口から巻き起こる渦に一旦引き込まれそうになったが、排水が止まった事でその渦から脱出。池の底に着底している摩托車に向かう。
「!」
宮の目に、呼吸出来ずにもがくチュチュの姿が映る。チュチュの足は、強力接着剤で摩托車に固定されてしまっており、浮上出来ないのだ。池底まで潜った宮は、チュチュの躰を抱き締めると、チュチュは「うぅんんっ!」と抵抗する。その手を押さえ付けた宮は、その唇をチュチュの唇に重ねた。宮は口移しで空気を与えようとしたが、その透き間から空気の泡が漏れる。少女は唇を閉ざしているからだ。そして、宮は直ぐさま浮上してゆく。
「あっ! 宮様が上がってきたわにょ!」
「プハッ!」
「宮様! あの姫さんはどうしたんだよ!」
「ゼェ! ゼェ! チ、チュチュの足が摩托車から取れないんです! ハァァァァァァ!」
戯にそう返答した緑扇宮は大きく呼吸して潜水。再びチュチュに口移しで空気を与えた。 チュチュは再度抵抗する。宮の必死の形相が彼女の心を僅かだが開かせたのか、固く結ばれていた唇、それに強く握り締められていたチュチュの拳が、ゆっくり開いていく。宮の口から今度は確実に空気がチュチュに分け与えられた。
戯達は、何を思ったか突然池の中を泳いでいた金魚を摘まみあげると、それを口の中に放り込んで池に飛び込んだ。すると、戯達の躰がパァッと発光する。
戯と御法、簾=能と簾=歌は、着底している摩托車の所まで潜り、摩托車に牽引鋼線 のフックを掛け、鋼線を二回引っ張る。
「よし、合図が来た! さぁ、皆引っ張るんだ!」
J・Jの合図に、
「ガボッ、ガバババンッ!」(註訳・・・「あ、戯さん!」と言っているらしいです、はい。)
上を見上げた宮は、オッタマゲーション!
戯の単衣の裾から見えるのは、色鮮やかな『思ひの色(緋色)』の尾鰭っ? 然も、御法に簾=歌と簾=能までもっ?! その三人は喜びを体全体で表現し、水中で踊ってる!「お前ら水中バレエ団かい!」って突っ込みたくなる程の踊りだ。
「おっ! もうすぐだよ! さぁ、もうひと踏ん張りだ!」
何処に持ってたんだかJ・Jは、両手で扇子を振りかざし、笛で三三七拍子!
そして、黙って水面を凝視していた希婦の目の前に、ザバァッと宮・チュチュが乗った摩托車が浮上してくる!
「皆様! やりましたわよぉ!」
「わよぉ!」などと女官達が歓声を上げると、戯達がイルカよろしく水面からジャァァンプ!次の瞬間、水面に現れたのは……。
「ギョエ~~~~~! 魚の尻尾! し、し、尻尾っぽっ!」
アジャパー状態の緑扇宮!
「宮様が壊れてしもうたぁ! 爺は嘆かわしゅうございまするぅぅぅ! うくっくっ!」
思わず泣き崩れる稲節は放って置く事にしてと。その緑扇宮の前に、希婦が歩を進めた。
あの美しい女性だ。宮は鼓動を激しくさせる、と……。
ギロン!
目を剥いたチュチュが、宮のポーッとした顔に気づくなり、宮の口に両手で引っ張った。「あがががががぁっ!」(註訳・・・「何すんだよっ!」と言っているらしいです、はい。)
「ふん! 知わんわ!」
そんな光景に、口に手を添え淑やかに笑った希婦は、
「仲がよいのね。羨ましいくらい……」と、長い
そんな希婦に、接着剤で摩托車に付いていたチュチュの足に中和スプレーを掛けていたJ・Jの目が光る。
「馬鹿なJ・Jが池の水を排水させようとしたのを、希婦様が直ぐに止めさせたのです。希婦様が機転を利かせてくれなければ、どうなっていたことか……。はぁ」
稲節が溜め息をつくと、
「悪かったな!」と、J・J。
「そうだったんですか。本当にあ、あ、ありがとうございます」
緑扇宮は、顔を紅潮させ、視線を合わす事すら出来ずに吃ってしまう。
「いえ、いいのですよ。それより、確か、宮様のお越しは
希婦の背後に控えていた
「はい。そうでございますなぁ、稲節殿?」
「はっ、あっ、いえ、そのぉ、ちょっとした手違いがありまして……」
まだ
「明後日改めて、お伺い致します故、今日はこれにて-」
「いえ、その必要はないでしょう。こうして私達は逢うべくして逢ってしまったのですから……」と意味深な事を言うと、希婦は絹擦れの音を涼やかに鳴らし、更に緑扇宮の方へ近づく。
「お躰も冷えている事でしょうし、宮様、お二人共今日はこの離宮でお休み遊ばせ」
「そ、それはなりませぬぞ!」
「稲節殿、宮様とそこなお方が此処でお休みになられる事に何ぞ不都合でもあるのかや?」
「い、いや、靜葉殿。そういう訳ではござらぬが……」
「なら、そうなさいませ、宮様……」
宮は、稲節とJ・Jの方を振り返る。口には出さぬが、「お断りして下され!」と、その目が訴えている。そして宮は、再び希婦を正視する。
憂世離れした
と、その時だ。漸く両足が自由になったチュチュが、摩托車の方向盤の上に立ち上がる。
「姫は嫌ぢゃぞ! その女は嫌いぢゃ!」
ビッとチュチュが指さすその方向に、皆の視線が集まる。
中宮位魔奴宦〃希婦〃に。
「無礼な! この方は中宮〃希婦〃様なるぞ!」と、靜葉がチュチュを睨めつけた。
そんな上臈女房の靜葉にあかんべをしたチュチュは、ちらりと背後の緑扇宮を見てから、宙高く飛翔! 離宮の屋根を軽やかにピョンピョンと跳ねていく。
「くそっ! あんにゃろ、また逃げくさりやがった!」と、池から上半身を出した戯人魚が、まだイルカショーよろしくジャンプしている
チュチュが姿を消した方向を見つめる宮、を見つめる希婦、を見つめるJ・Jと稲節、を見つめる上臈女房靜葉……。
疑似的な夕焼けが、周囲を茜に染める中、その全てを監視カメラの映像を映し出すモニターで見つめていたのは、他ならぬ艦白・太政大臣九条御息所その人であった。
戦艦斑鳩内部、その居住空間にも漆黒の暗闇は訪れる。
だが、現在斑鳩が飛行している、インド洋上に浮かぶ世界第四位の面積を持つマダガスカル島の海岸では、燦々と降り注ぐ熱帯の陽光の下で、水着姿の美女達が戯れていた。大気圏内を移動する戦艦内部である。標準時を設定せずに、行く先々で昼だったり夜だったりでは、人間の生体時計が狂わされてしまう。だからこそ、斑鳩内部での標準時間を設定しているのは当然の事。そしてそれは、斑鳩直轄領である日本の明石標準時に同調しており、今現在日本明石標準時は午後七時だから、当然斑鳩でも同時刻という事になる。
日光と同じ光譜を持つ照明は落とされ、この地域で観測されるであろう天体が投影された夜空が百m上空の天井に無限の広がりを与えていた。
各居住区画階層地下の歓楽街や第五階層の巨大モールは、人々で久しぶりの賑わいを見せている。四日前迄は戦闘状態にあり、本日漸く艦白九条御息所により第一種警戒態勢が解かれたからだ。
「宮様は希婦様の離宮か……」
「J・J、五更衣達も一緒です。それに我が
控えているのは稲節だけでなく、前右大臣天時悠紀宗、左大臣天時早紀宗父子も一緒だ。此処は紫宸殿後部にある仮の艦白御殿の寝所。艦白以下太政官の面々、それに五更衣達の仮の局が、司令部艦橋である紫宸殿の後部区画に存在しており、警戒態勢時の御座所となっている。だが、警戒態勢が解かれた今でも、九条は『内裏』階層にある艦白御殿に戻る事なく、この仮御殿の寝所から事細かな指令を発していた。
「申し訳ござりませぬ・・・」と、稲節は頓首する。
「いや、今日の出来事で、宮様に対してあの少女の心を僅かだが開かせる事が出来たし-」
早紀宗の言葉を、
「-こちらも僅かだが、彼女・・・、いや亜无羅についての知識を得る事も出来た」
悠紀宗が継いだ。それを黙って聞いていた九条が、そっと呟く。
「…チュチュ、か……」
「この四日間検査を受けさせず、名前すら答えようとしなかった事を考えれば、これは大きな進展じゃ。…我々は是が非でも亜无羅の秘密を解明せねばならないのじゃからな」
悠紀宗の言葉に、一同が沈思する。
暫くの沈黙。
「幕府側へ情報が漏洩している可能性がある以上、希婦様、いや上臈女房の靜葉には、あの少女が亜无羅である事を気づかせてはならぬ……。よいな」
「はっ。J・Jや五更衣達を使って、一刻も早く亜无羅の身柄を確保し、いえ、東宮妃様を保護いたしまする」
三人は揃って平身低頭して退出する。それを待っていたかのように、九条は、
「ウッ! ゴホッ!」
口に手を当て身を屈めた。そして、恐る恐るその手を開くと、そこには鮮血が……。
(一刻も早く、か。なるほど、その通りだ。全てを急がねばな)
第32話 了
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