第3話 歌いながらの散歩道


 怪我の件とちくわの件に、俺の親は呆れ返った。


「どうしてお前はそう、いつも突拍子もないことをしでかすんだ?」


 それからとにかく体を労るようにと、俺は甲斐甲斐しく世話を焼かれることとなった。

 自分で拾ったちくわの世話も、家族に任せっきりになってしまった。


 ちくわはといえば、きちんと動物病院に行って、正式に俺たち家族の一員となった。あの時のリボンと同じ色の首輪をつけてもらって、毎日元気に散歩に行っている。


 そうして一月が過ぎた。上腕二頭筋の怪我は完治していないものの、かなり良くなってきた。


 俺は俺の所属するオーケストラの演奏会に、客として出向いた。


 俺が熱心に練習を重ねていた「宗教改革」を聴いた時には、無意識のうちに、客席にて左指をパタパタと動かしていた。


 静かで厳かな幕開け、そして苦難のテーマ。そして弦楽器が動き始める。

 シソッミドッミソッシレッ!

 こんなに集中して聴いたのは初めてだった。最後までずっと息を詰めて聴き入っていた。

 堂々たる勝利を歌い上げる終幕には、手に汗握るものがあった。


 力いっぱいの拍手。アンコール。そしてまた拍手の嵐。ブラボー、と誰かが叫んでいる。


 ああ、俺も──。

 俺もあそこに座っていたかった。立派な一つの駒として、一生懸命に弾き切って、晴れやかな顔で終演を迎えたかった。

 叩き過ぎて掌が真っ赤になるほどの、この万雷の拍手は、自分たちへと向けられるもののはずだった……。


 ──いや。

 次、頑張れば良いだけの話だ。


 終演後、俺は団員たちに労いの挨拶を済ませてから、コンサートホールを去った。


 帰り道、ふと、こんな替え歌を口ずさんでいた。


 ちーくわかわいいな、ちくわかわいいなー。


 交響曲第五番でメンデルスゾーンが引用した、ルター作曲の『神はわがやぐら』という聖歌のメロディだ。


 あの時、ちくわと出会わなければ事故に遭わなかったし、ちくわを連れ帰らなければ怪我は悪化しなかった。

 それでも後悔は無い。ちくわは可愛いから。

 これが、俺が成すべきことを成した、その結果だから。


 因みにあの悪餓鬼の正体はすぐに分かり、その親から補償金もちゃんと貰った。

 だからもう何も困ったことはない。

 もう少しすれば、俺はまた、バイオリンに触れるようになるだろう。


 家に帰った頃には暗くなりかけていたので、俺は急いでちくわの首輪にリードを繋ぎ、左手で持って散歩に出かけた。


 ちーくわかわいいなー。


 俺は歌う。

 通行人が変な顔でこちらを見てくる。


 ちくわかわいいなー。


 褒められているのが分かっているのかいないのか、ちくわはくるりと巻いた尻尾を楽しげに左右に振りながら、軽快な足取りで歩く。


 あーかわいい、ちくわかわいーいー。


 ──俺はまあまあ幸せな奴だと思う。

 確かにちょっと突拍子もないことをする俺だけれど、いつだって俺は真剣そのものなのだ。


 これからも俺は好きなことをやり、成すべきことを成すだろう。


 そして音楽の力は素晴らしく、ちくわと歩むのは楽しいのであった。


 それが今の俺の全てだ。






 了

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ちくわと歩く 白里りこ @Tomaten

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