第30話 先輩と僕

 あまりにもたくさんの出来事があった週末が明け、朝を迎えた。

 いつもの時間に起きて、いつものように顔を洗い、いつもと同じ制服に着替える。

 そして、それが終わると、いつものようにリビングに向かう。


 ――ガチャリ。


 扉を開けて中に入ると、優しい声が僕を包み込む。


「翔太郎くん、おはようございますっ♪」

「はいっ、おはようございますっ」


 いつもと変わらない挨拶。

 だけど、今日に限っては少し特別なように感じる。

 ……考える必要はないだろう。

 だって、彼女が目の前にいるのだから――。




「「いただきます」」


 ご飯、味噌汁、焼き鮭、だし巻き卵、ほうれん草のお浸し……。


 いつもと変わらいない面々。だが、これでいいんだ。これがいいんだ。

 特に、味噌汁に関しては、先輩だからこそ出せる味なのかはわからないけど。毎回、必ずおかわりしている。


(これが美味しいんだ……。なんというか、心がホッとするというか……っ)


 と心の中で呟きながら、味噌汁を一口……。


「っ……ど、どうですか? 今日のお味噌汁……っ」

「味噌汁、ですか?」


 急に尋ねられたため、もう一度味噌汁……。


「実は……今日のお味噌汁、いつもと違って出汁だしを取るところから作ってみたんです……っ」

「えっ、出汁だしから? へぇ~凄いですねっ」

「えへへ……っ。今日はちょっと頑張ってみました……っ」


 そう言って、先輩は頬を赤らめながらご飯を口に運んだ。

 照れているのがバレバレですよ。


「あ、そういえば、先輩。昨日、着ていたあの服ってどうしたんですか?」

「え? あぁ、制服のことですか」

「はい。あの制服って、今、先輩が着ているのと違うじゃないですか」

「あれは……私が中学生のときに着ていたものです……っ」

「へぇー。そうだったんですね」


 先輩の中学生時代、か……。


(それにしても……あのときの先輩の、あれやこれやは凄かったな……)


 なにを指しているのかは、決して口には出さないのだけど。


「………………」

「――あぁあああああーッ!! 今、昨日のことを思い出していましたねぇっ!?」

「……い、いいえ?」

「ふ~~~ん」


 先輩は、じーっと僕の顔を見てくる。


(目が、目が怖すぎです!)


 すると、心の声が届いたのか、先輩はゆっくりと視線を逸らすと、小さな声で言った。


「実は……あの制服、実家から送られてきたものなんです……っ」

「実家ってことは、晴美はるみさんからですか?」


 と言いながら頭の中に浮かんだ、一人の少女の名前。


「先輩、それとも……」

「……はい、今、翔太郎くんが想像した通りの人物……妹のあかりです」


 ……やっぱり。


 その後。

 聞いた話によると、どうやら急に小包が送られてきたらしく、その中には、自分が中学時代に着ていた制服が入っていたらしい。


「で、でも、さすが先輩ですね」

「? なにがですか」

「中学の制服、とてもよく似合っていましたから」

「っ!! ……それ、褒めてます?」

「……はい」


 言い訳をすることなく素直に伝えると、先輩は顔を俯かせる。


「翔太郎くんは……その……ギャルだったときの私に……言いましたよね? ……可愛いって……」


 ほんのりと頬を赤らめた先輩が、上目遣いで尋ねてきた。

 その姿に一瞬、ドキッとしてしまったが、なんとか平静を保つと慌てて返事をした。


「はっ、はい。確かに言いましたけど……」

「………………」

「あの……先輩?」




 …――――――――――――――――――――――――――――――。




 いきなりの沈黙が、リビングを包む。

 すると、先輩は目を合わせないままポツリと呟いた。まるで、自分の愚痴を聞いて欲しいかのように……。


「……翔太郎くん、きっちりとした先輩になりきるのって、結構大変なんですよ……?」

「は、はぁ……」


 こういうときに、いい返事の一つでもできればよかったのだけど。

 生憎、そんなに器用な人間ではない。僕は……。


「だから、その……相談なんだけど」


 そう言って顔を上げると、さっきと同じように頬を赤らめた。




「二人だけのときでいいから……“あの”私で……いていい?」




「………………」

「ダメ……かな?」


 互いに目が合うと、僕たちはなにも言わず、見つめ合った。

 表情から『不安』の二文字が色濃く出ている先輩に、僕が言えること、それは……。


「……もちろん、いいですよ。むしろ大歓迎なくらいですっ」

「…………っ!!」


 僕の言葉を聞いた途端、


「嬉しいです……っ。本当に……っ」

「ッ!!?」


 先輩が急に涙目になったので、慌てて話題を振ろうと周りを見渡していると、壁にある時計に目が止まった。


「……え?」

「っ……どうしたのですか……っ?」


 と言いながら、先輩は、目尻に溜まった涙を指で拭いている。


「先輩……もう家を出ないと遅刻しちゃいます……ッ!!」


 時計の針は、とっくに八時を過ぎていた。家から学校までは、大体二十分くらいかかるから、まさにギリギリの時間だった。


「え? …………あ」


 遅れて時計に目を向けるなり、先輩は慌てて朝食を再開した。

 僕も、それに遅れないように朝食を食べ進めていく。


 そんなこんなで朝食を食べ終えた僕たちは、急ピッチで皿を洗い終えると、リビングのチェックをしていった。


「翔太郎くん、戸締りの方は!」

「だ、大丈夫です!」


 登校時間ギリギリのときは、いつもこの光景だ。


 ……でも。それがいいんだ。


「よしっ!」


 窓の戸締りやガスコンロの元栓のチェックを終え、僕たちはソファーに置いていたカバンを手に取る。


「先輩、それじゃあ行きま――」


 先輩が…――僕の手をギュッと握ってきた。


「へっ?」




「行こっか、翔太郎!」




「――…っ!? 先輩、今……」


 初めて呼び捨てで呼んでもらえたことにびっくりする時間はないようで、僕は、慌てて返事をした。




「っ…………はいっ!」




 それを聞いた先輩は満面の笑みで頷き返すと、僕の手を引いて一緒に玄関へと向かう。

 僕たちは靴を履き終えると、自ずと振り返る。


 そして…――いつも通り、あの言葉を言った。


 今までで、一番元気な声で――。




「「行ってきますっ!」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私のヒミツを知りたいって本当ですか? 白野さーど @hakuya3rd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ