バレンタインに思うこと

ソノミユキ

バレンタインに思うこと

 バレンタインというと、今やすっかり「経済的イベント」に育ったコンテンツだと思っている。

 その由来として、ローマ帝国軍の規律に反して密かに兵士とその恋人を婚姻させたキリスト教司祭を聖人となした逸話が有名だが、第二次大戦後の日本ではチョコレート会社が当時は奥ゆかしさを残していた女性たちに「あなたのバレンタイン(愛しい男性)へ、チョコレートを贈りましょう」と呼びかけた広告戦略が一大転機をもたらしたとするのが通説だ。

 広告を見た銀座のホステスたちが百貨店でしか買えない高級チョコレートを、彼女たちの顧客であるビジネスマンたちへの「特別な贈り物」として常からのごひいきのお礼と今後のお付き合い(ご来店)のお願いを込めて渡し、よその女から貰った「バレンタインデーの贈り物」を、自らのモテ力のなせる業だと誇示する目的で旦那自らが家庭へ持ち込んだ「お土産」によって、奥様やお子様たちにも「女性から男性に愛を伝えてよい日」という習慣が広まっていったというのが、私の知る日本のバレンタインデーの由来だ。

 思えばこの頃くらいからが「自由恋愛」というものが、世間の常識に外れた異常な行動だという意識が薄れ始めた時代なのかもしれない。

 私の祖母の世代あたりは、結婚というものは男性から女性にプロポーズして成立するもので、女性が自分自身で連れ合いを指定するなどというのは考えられない時代だった。未婚女性は親元で家事を手伝いながら、妙齢になれば親の勤め先や親戚などの紹介で見合い話が持ち込まれ、相手の家に気に入られたら嫁入りをするというのが、祖母の世代では当たり前のように語られていた。

「思う人には思われず、思わぬ人から思われて」「命短し恋せよ乙女」などと、当時のうら若き乙女たちの情熱を後押しする文学や芸能はあれど、それはあくまでもフィクションのお話であり。

 ふとした出会いから恋に落ちる男女、しかし女主人公には親に決められた許婚があり、終わりの時は決まっている。それならいっそ……と、若い二人は死後の世界で結ばれることを誓って命を絶つのであった。

 ……というお話を胸に、恋を断ち切りお嫁に行く少女たちは、嫁となり母となり、子を送り出していったのではないだろうか。

「ねえ君。このまま誰も知らない土地まで逃げて、そこで僕と二人で暮らさないか」

 あの時、あの人がそう言って、私も一緒について行っていたら……。家事に追われる中で思い出す情景は、果たして実体験だったのか何度も読み返した本の中のものだったのか。

 幼い私を育てたのは実母ではなく、祖母だった。

 実のところ、私にとっての育ての母は祖母であったように思う。

 そうなった経緯はここでは詳しく語らないが、母は自由恋愛のけじめとして私を産んだ。その生活を助けるため、紆余曲折はあったものの結局、祖父母は私を引き取ってくれた。そして一人暮らしをしつつ働き出した母は、数年後年下の男性と駆け落ちという形で再婚をする。

 戦前・戦中・戦後に二男五女を産んだ祖母とって、母は型破りな娘だったと思う。もの言う女、働く女性、自由恋愛……世の中の変化を、自分の生んだ子の人生から感じ取っていたのではないだろうか。

 それがちょうど、都会の盛り場から広がった日本の「バレンタインデー」という習慣が、ようやく全国的に認知された時代だったのだ。

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