遺言~嫄子の章
みや
遺言~嫄子の章
「
実際起き上がることさえできず、
「――中宮、そんなことを軽々しく話すでない」
嫄子の養父である
(この人は、ずっと私を可愛がってくれた。きっと、実の娘以上に……)
数年前実の娘が産まれる前からも、それからも、ずっと。
(最後に、それを利用する私を許してください――)
嫄子は、そっと心の中で養父に手を合わせた。
☆
嫄子は、父・
実母が病弱であったため、実母の同母姉である
頼通は、摂政関白を務める、朝堂第一の人である。
何不自由ない生活をしながら、彼女はいつも、父のことを考えていた。
敦康親王が、天皇の第一皇子――しかも
そして、その環境に追いやったのが、頼通の父・
それから、嫄子は、ずっとずっと、道長や摂関家を憎んできた。
その摂関家に養われている自分にも、憤りを感じながら。
☆
「あなたは細い肩に、なにもかも背負おうとしているね」
時の天皇に入内し、女皇子を産み内裏に戻った時、泣いて詫びた彼女に、夫である天皇は言った。
「その涙は、関白のために?」
天皇――
人払いをして、二人きりの
「私は――亡き父のために、皇子を産みたかったのです」
涙をこぼしながら言う嫄子に、驚いたように主上は目を見開く。
「――兄上のため?」
主上にとって、敦康親王は異母兄にあたる。
「私が、皇子を産むことで――亡き父の血筋が、母系どいえども天皇になる――可能性がある、と思って……」
それだけで主上は、彼女の言いたいことがわかったのだろう。
主上は嫄子に近付き、彼女の髪をそっと撫でる。
「……あなたは、養父・関白のためではなく、実の父のために男皇子を産もうと思ったのか」
そう主上はため息をつくように言う。そして、続けた。
「あなたのその思いを、兄上は、とても喜んでいると思うよ。……兄上は優しいお方だったから」
「え?」
嫄子は涙に濡れた目を上げる。彼女を見つめる彼の優しい目と目がが合った。
「中宮、あなたが望むなら、兄上の話を……私の覚えている限りするから……だから、少しは肩の力を抜いたらいい」
それから、主上は、嫄子に、異母兄・敦康親王のことを語った。
――とても優しく、風雅な人物であったこと。
――相婿の頼通とは特に仲が良かったこと。
――義理の母にもあたる主上の母である
嫄子にとって、知っている話もあるが、知らない話もあった。
「兄上は、実の娘が自分のために子を産むことを喜んではいるだろうけど、それで苦しむことは望んではいないだろう」
と、主上は言い切った。
嫄子の涙はいつの間にか乾いていた。
☆
(思えば不思議で――)
嫄子は思う。
子を一人なした仲でありながら、嫄子はそのときまで主上を『主上』としか見ていなかったのだ。
肩の力を抜くように言ってくれ、実父の話を熱心にしてくれた彼を、初めて『夫』として見ることができたのかもしれない。
『夫』は、関白の養女である彼女に気を使いつつ、愛してくれているのがわかった。
でも、その一方で思うのだ。
(――主上は、皇后さまをも、愛しているのだ)
と。
嫄子の前に入内し、今は彼女の権勢に押され、里邸に下がっている皇后・
それは、嫄子――ひいては頼通――に隠れるように、皇后に文を頻繁に送っていることからもわかる。
(私が死んだら、内大臣・
嫄子は弱弱しく微笑んだ。皮肉気な笑みを。
(私が死んだら空位になる、中宮の座に、彼女か、ほかの女性をつけようとするに違いない)
中宮は皇后と同意で、天皇の第一位のきさきの位である。
(でも、主上。――ほかの女性を愛しても、私の第一位のきさきの位は……私だけのものにしてください)
彼女はそう思う。
子を産んで――産んだ子はまた皇女であった失意からか、体の調子がすぐれない嫄子は、御帳台に横になりながら、そのことばかりを考えていた。
そして、たどり着いた答えは――。
「養父上。お願いです――」
嫄子は苦しい息の元、頼通に語り掛ける。
「内大臣の娘御や、他の誰も、中宮位につけないでください」
と。
嫄子は苦しい息の元、一気に言った。
「――中宮位についた女性が皇子を産めば、父上の権勢に傷がつくやもしれませぬ。私はそれが心配で――」
そういった途端咳き込んだ嫄子を、頼通は慌てたように制した。
「中宮、いや嫄子。そんなに私のことを心配してくれて……」
頼通はますます目に涙を浮かべた。
「お願いいたします」
弱弱しいがどこか熱のこもった嫄子の言葉に、頼通は力強く頷いた。
「もちろんだ。誓おう。嫄子、そなた以外、主上の中宮にはさせぬ」
その言葉に嫄子は微笑む。
(――ごめんなさい養父上)
自分の言ったことは事実だけれど、それが目的ではない嫄子は、頼通に心の中で詫びた。
☆
嫄子は、子を産んだ九日後、崩御した。
主上には、その後、二人の女性が入内したが、関白・頼通の妨害により、中宮となる事はなかった。
遺言~嫄子の章 みや @moromiya06
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