ミントガム

@Teturo

ミントガム

 華やかな街並み。白い息にクリスマスソングが絡みつく。いつもは呑んだくれているサラリーマン達も、今晩だけは早く家に帰るらしい。街かどには圧倒的に若者の姿が多かった。

「ブェクション!」

 ダウンジャケット着た細身の青年は、豪快にクシャミをすると、背中を丸めた。

「何だアキラ、風邪かよ」


 バッタリ、知り合いの柴田警部に出くわした。短く切ったごま塩頭にダークスーツ。背が低い分、横にがっちりした身体つきをしている。アキラは軽く舌打ちした。

「ちぇっ。折角のクリスマスだって言うのに、嫌な奴に遭っちまった」

「お互い様だ。それより妙な事してないだろうな。暮れの忙しい時に、余計な用事を増やしてくれるなよ」

「余計な御世話だ。お巡りは糞でもして寝ちまえ!」

「何だと?」

 眉を顰めて柴田は一歩前に出る。冴えない中年の癖に、彼はやたらと柔道が強かった。ガキの頃から、アキラは良く投げ飛ばされた。きっと今でも敵わないだろう。

 柴田は、まだ何か言いたそうだったが、無視して歩き出した。

「畜生!」

 意味もなく、壁を蹴りつけた。今年中に何とかしなければならない負け分が、まだかなり残っている。このままだと半グレ達に、袋叩きにされる日も遠くないだろう。


 仕方ない。


 アキラは通りをさりげなく見回した。この辺りは一歩奥に入ると、高級住宅が多い。キリストの誕生日に浮かれて、家を空けている奴らから、少しばかりプレゼントをいただく事にしよう。

 近所のマックで腹ごしらえをし、しばらく時間を潰した。午前一時を回ってから、目星をつけた家を見て歩いた。三件目に人気のない家に当たる。白い壁の三階建てだ。広い庭には、犬が飼われていなかった。

 塀を乗り越え裏口に回ると、ポケットからマスターキーの鍵束を取り出した。これで鍵が合えばご愛嬌だ。

「チェ。」

 当然、合わなかった。この辺りの家は、勝手口の鍵にも磁力錠や指紋センサーを取り付けている。どうしたものか。

 ふと空を見上げると、三階の窓の一つが開いていた。中庭に植えてある欅の枝から飛び移ることができそうだった。

 幸い建屋がカバーとなり、登っている所を通りから見られることもなさそうだ。アキラは小躍りした。

「人間、真面目に生きていれば、いい事もあるもんだ」

 柴田が聞いていたら目を丸くしそうなことを呟いて、彼は器用に三階のバルコニーにたどり着いた。樹脂製の手袋をはめ直す。

 深呼吸して、真っ暗な部屋に入った。照明のスイッチを探す。

「誰?」

 その場で三十センチばかり飛び上がった。余程びっくりしたのか、どこかに脛を強打する。声を押し殺して、蹲った。

「大丈夫? 何処かぶつけたの」

 自分の鼻さえ見えないような暗闇の中で、声の主は極めて正確にアキラのことが分かっているらしい。ガチガチの現実主義者であることを忘れ、超能力とか霊の存在を認めそうになる。

「待ってて。いま灯りをつけるから」

 ベッドの上の照明が点いた。光の中に、あどけない少女の顔が浮かび上がった。三〜四歳位だろう。

「そんなにコッソリ入ってこなくてもいいのに」

「・・・俺が誰だか解っているのか?」

 彼は極めて常識的な質問をした。

「当たり前じゃない」

 彼女は自信ありげに微笑んだ。

「サンタさんでしょ。うちは煙突がないから、ベランダの窓を開けていたの。分かってもらえて良かった」

 アキラは何か言おうとして、口を噤んだ。


 彼女の目は、堅く閉じられたままだったのだ。


「私は有紀。四歳になったの」

「パパとママは?」

「お仕事。いま外国にいるの。お手伝いの人も帰ったから、今夜だけ有紀一人なんだ」

「ずっと・・・ その、見えないのかい?」

「うん。小さい頃にお熱が出て、それからだって。でも別に困んないよ」

 彼は溜息をついた。彼女は話し続ける。初めて飛行機に乗った話。雪に触った話。今年のプレゼントにフワフワの子犬を飼って貰える話・・・

 彼にとっては、どうでも良い話の筈なのに、どうしても帰る気にはならなかった。二人はいつまでも話し続けた。

「何か欲しいものがあるかな」

「・・・あのね。来年も、また来てくれる?」

 石でも飲み込んだような顔をするアキラ。彼は声が震えないよう、細心の注意をしながら答えた。

「もちろん。いい子にしていたら、必ず遊びに来るよ」

 有紀の頭を撫でると、アキラはポケットを探った。何か渡せるもの・・・ マスターキーの鍵束は論外だ。その他には、ケバいネーチャンから騙し取った金の指輪と、封を空けたミントガムしか入っていない。

 しばらく考えてから、ガムを渡した。彼女は嬉しそうに笑って受け取ってくれた。そしてベッドに横になってからも、それを握りしめていた。


「まぁ、東京湾に浮かぶわけでもないしな」

 彼は誰かに言い訳するように呟くと、闇の中に消えた。


「最近、ヤケに大人しいじゃないか」

 スタンウェイのピアノに、柴田が寄りかかった。アキラは返事をせずに、鍵盤に指を落とす。緩やかなテンポのスタンダードナンバーを弾き始める。去年の暮れに折られた右腕が疼いたが、この程度の演奏になら、支障は無い。

 曲が終わると、疎らな拍手がおきた。

「それを言うなら、更生したって言って下さいよ」

「こんな店のピアノ弾きでも、更生した内に入るのか?」

「ずいぶんな言いぐさじゃないの」

 ロックグラスを柴田の前においたマスターが、ヒゲ面を顰めて見せた。ガチムチマッチョな体をクネらせる。

「でも、アキラくんが店に入ってくれて。助かったわ。前は気がむいた時しか、弾いてくれなかったんだから。君目当ての常連さんも増えてねぇ」

 片耳のピアスが光る。マスターはバイセクシャルで有名な芸人でもあったが、店の雰囲気は悪くない。それにこの街では、ゲイは珍しくもない。

「それよりアキラくん。なんでいつもピアノの上に、その指輪をおくの?」

「おまじないみたいなもんです」

 そう言って微笑んだ。別に一生、ピアノで喰っていくつもりはない。ただ今年のプレゼントくらいは、まともな金で買いたかっただけだ。

「今夜はイブだけど、何か予定ある? 常連さんたちとパーティーをするんだけど」

「ごめん。今晩はデートなんだ。」


 最後の演奏が終わると、アキラは大きな紙包みを抱えて、店を出た。口笛を吹きながら鋪道を渡る。その時、背後から信号無視をしたBMWが飛び込んで来た。


 その晩遅くに、有紀の部屋へ入って来たのは柴田だった。彼は感情を押し殺した声で言った。

「サンタは用事が出来て、今年は来れない」

「サンタさんは忙しいの?」

「あぁ。しかし君が約束どおり、良い子でいたから、これを預かって来た」

 柴田ば包装紙が所々破れた包みを手渡した。

「もう一つプレゼントがある。」

「何?」

「君の眼は治る。角膜の提供者が現われた。」

「?」

「良くサンタに礼を言うといい」

 突然歳を取ったように柴田は見えた。有紀の受け取った包みの中には、テディ・ベアのヌイグルミとミントガムが入っていた。


 

 

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